第057話「美少女記念日」
「ぬおっ!?」
中に飛び込んだ俺の目に入ってきたのは、部屋の中央に仁王立ちしている、トランクス一枚と靴下しか身につけていないでっぷりと太った中年男の姿だった。
愛那はベッドに腰掛けており、驚いた表情で俺を見つめている。何故か手に鞭のような物を持っているが……服はまだ着ているようだ。
ふぅ……どうやら間に合ったみたいだな。
「さあ、愛那くん。それで僕のお尻を思いっきり叩いてくれ!」
興奮して俺が入って来たことにも気づいていないのか、汚い尻をふりふりしながら愛那に近づくおっさん。
俺はそのアホに駆け寄り、問答無用でその顔面に拳を叩き込んだ。
「ぬぐぁぁーーッ! ありがとうございます!」
おっさんは鼻血を撒き散らしながら吹っ飛ぶと、意味不明な感謝の言葉を口にして部屋の壁へと激突した。
……なんだこいつ。まあ、一応血を舐めておくか。
《【Mの極意】を獲得しました》
拳に付着したおっさんの血を舌で舐めとると、いつのも声が脳内に響く。
……いや、だからなんだよこの長所。なんかみるるから地雷能力を獲得したとき以来の嫌な予感がするぞ……。
恐る恐る詳細を確認してみると、思った通りそれはとんでもない内容だった。
【名称】:Mの極意
【詳細】:訓練されたMのみが取得できる能力。あらゆる痛みを快楽に変換することが可能になる。気絶してしまうような激痛すらも、脳を快楽物質で満たし、精神を破壊することなく耐えることができる。オンオフ可能。
「…………」
俺は無言で獲得したばかりの能力をオフに切り替えた。
危なすぎる……。もしオフにできなかったらと思うとゾっとするぞ……。
「君は……ナユタちゃんか? どうしてここに……。それに外にはペドロを待機させておいたはずなのに」
完璧に顔面に入れてやったのに、すぐに復活して立ち上がるおっさん。
まるで痛みを感じていないような……いや、それは考えないようしよう。頭が痛くなるだけだ。
「あいつなら外で伸びてるよ。さあ、愛那を返してもらおうか?」
おっさん……もとい葛プロデューサーは一瞬困惑の表情を浮かべたが、さすがは芸能界の荒波を生き残ってきただけあって、すぐに冷静さを取り戻したのか余裕の笑みで俺に話しかけてきた。
「おいおい、なにか誤解があるようだね? 彼女は自分の意思で僕についてきたんだよ? 君たち"アストラるキューブ"の未来のためにね」
「どうせ混乱してる愛那を強引に連れてきたんだろ? どの道あんたみたいなおっさんが未成年をラブホテルに連れ込むなんて犯罪なんだよ」
俺はドスを利かせて凄むが、葛プロデューサーはどこ吹く風で余裕の表情を浮かべている。
くそ! なめやがって……。
だがここでこいつをボコボコにしたところで、根本的な解決には至らない。むしろ芸能界の大物である葛プロデューサーを大怪我させたとあっては、後々色々な場所に根回しされて、"アストラるキューブ"が干されてしまう可能性すらある。
……ちっ、ここは交渉でなんとかするしかねーか。
俺たちの様子をハラハラとした様子で見守っている愛那を落ち着かせるために、彼女の隣に腰掛けると、葛プロデューサーと向かい合う。
「俺には警察に知り合いがいるんだ。悪いがあんたを突き出させてもらう」
「……ホテルに連れてきて話をしただけだ、大した罪にはならない。そして僕の恨みを買うのは、君たち"アストラるキューブ"にとってデメリットだと思うけどね」
「ふん、最近は女性に対する性犯罪は、未遂でも世間から大バッシングを受けるんだぜ? 罪自体は大したことなくても、あんたは芸能界に戻ってこれなくなるぞ?」
「くっくっく、そうかもね。だが、世間はこうも思うはずだ。未遂とは報道されているが、実際は愛那ちゃんはあの中年親父に抱かれたんじゃないか……とね」
さすがに一筋縄じゃいかないか……。
仮におっさんが未成年との淫行未遂で捕まったら、きっとSNSでは愛那がいらぬ詮索を受けることになる可能性が高い。それは美少女アイドルとして人気が出て、これからが正念場である愛那にとっては致命的だ。
「それでも突き出すといったら? 俺たちはまだ売れるかもわからない、実績もないアイドルだ。あんたのほうが明らかにダメージが大きいと思わねーか?」
俺の真剣な眼差しに、葛プロデューサーは大きく息を吐くと、降参と言わんばかりに両手を挙げた。
「……ふう、やれやれ。わかったよ、条件を聞こうじゃないか」
クソみたいなおっさんではあるが、感情で動くようなタイプではなく、損得勘定ができる人間であることは幸いだった。
「例のテレビ出演の件、俺たちを起用しろ。それとさっきの一発で、今回の件はお互いなかったことにしてやる」
「……いいだろう。僕は元々"アストラるキューブ"のポテンシャルの高さには注目をしていたんだ。ホテルに誘ったのは……まあついでだよ。頂けるものは貰っておく主義なんでね」
くつくつと下卑た笑みを浮かべる葛プロデューサー。
本当にどうしようもないクズだな、このおっさんは。
しかしこれで、愛那の貞操は守られたし、テレビ出演もできる。芸能界なんてこんな魑魅魍魎どもの巣窟だ。いちいち目くじらを立てていても仕方がない。
それに、これで"アストラるキューブ"が有名になれば、愛那の目標であるトップアイドルへの大きな一歩になるだろう。
まずはその第一歩を喜ぼうじゃないか。
「ちゃんと約束は守れよ?」
「わかってるよ。警察にも知り合いがいるようだし、君は敵に回したらとても厄介そうだからね。そんなリスクは冒さないさ。テレビの件は、あとで市川君に話を通しておくよ」
葛プロデューサーはそう言うと、床に散らばっている服を身につけてそのまま部屋を後にした。
ふぅ、やっと嵐が去っていったか……。
だがおっさんがいなくなったことで、ラブホテルの一室で美少女アイドルと二人きりというシチュエーションになってしまった。
愛那は頰をピンクに染めて、もじもじとしている。俺もなんだか気恥ずかしくなって思わず視線を逸らしてしまう。
……なんぞこの状況は?
「な、ナユタ……ありがとう。助けに来てくれて」
「まあねー。リーダーを助けるのはメンバーとして当然っしょ」
うるうると潤んだ瞳で見つめてくる愛那。
う~む、間近で見るとこいつ本当に美少女だな。特に目が大きいのが特徴で、まつ毛も長く、ぱっちりとした二重で、透き通るほどに綺麗な白目は、まるで人形のように精巧な作りをしている。
「あれ……? ナユタなんか顔の感じ変わった?」
あ、やべ……。エミリアから【小顔】を入手した影響で、化粧では誤魔化せない変化が現れてしまったか。ふうむ、ここはこいつにも正体を明かしておいたほうがいいか?
愛那はクソ真面目で口も堅いし、信用に値する人間だ。それに他の二人も知ってるんだから、愛那にだけ黙っておくのはフェアじゃない。
「実はだなぁ……俺は――」
……
…………
………………
俺は愛那に、自分が吸血鬼であることを告げた。そして、エミリアの血を吸ってその長所を手に入れたこと。
最初は驚いた表情をしていた愛那だったが、元来より素直な性格のためか、すぐに俺の話を受け入れてくれた。
「吸血鬼かぁ~。でもダンジョンがある世界だし、そんなファンタジーなことがあってもおかしくはないよね」
「まあな。それで俺はエミリアから血を吸って、あいつみたいな小顔美少女になったというわけだ!」
愛那は俺の顔をじっと見つめると、指でぷにっと頬を突いてきた。
ひ、人のほっぺたをいきなり触るんじゃありません! もう! なにをするのよこの娘は!
「もしかして亜莉朱の血も吸った?」
「……吸いました」
そりゃバレるよね~……。
なんか節操のない浮気男みたいになってて申し訳ない。でも俺には美少女から血を吸いまくらなければならないという使命があるのだ。
「じゃあ……私の血も……吸う? 助けてくれたお礼に……吸ってもいいよ?」
俺はなぁ……待ってたんだよ、ずっとさぁ。その言葉をよぉぉぉ!!
初めて愛那を見たときから、こいつの血を吸ったときに俺は美少女としての階段をいっきに駆け上れるという、確信めいた予感があったんだ。
だから、メディアに顔がバレる危険を冒してまで愛那に接触したし、そのためにわざわざ慣れないアイドル活動なんかもやった。
愛那の両肩を掴むと、興奮を抑えきれずに鼻息を荒くしてまくしたてる。
さあ……吸わせろ! お前の血を吸い尽くし……はしないように気を遣うから、吸わせろ! 俺はお前みたいな美少女になりたいんだぁぁぁぁぁぁ!!
俺は愛那をベッドに押し倒すと、その細い首筋へ牙を突き立てた。
◇
ふう、堪能したぜ……。
愛那から血を頂いた後、俺たちはラブホテルをあとにした。そして優羽さんに連絡を入れると、すぐに迎えの車がやってきたのでそれに乗り込む。
「それにしても本当に変わっちゃうなんて……私と目元がそっくり……」
吸血によって変化した俺の顔をまじまじと眺める愛那。
俺が彼女から得た長所は、それは――
【名称】:ぱっちりおめめ
【詳細】:二重まぶたに大きな目が特徴的な美少女の証。長いまつ毛に、透き通った白目、強い目力は見るものを虜にし、相手の視線を惹きつけて離さない。
元々の勝気そうなツリ目気味の目つきこそ変わらないが、愛那とそっくりな大きくてぱっちりとした二重になったことで、印象は随分と優しくなり、可愛らしい感じに仕上がっている。
まだまだ細かなパーツは改善の余地があるが、目、鼻、歯、肌、輪郭など、容姿を形成する重要な部分が殆ど揃ったことで、はっきりいって今の俺は、化粧をしていなくても誰が見ても美少女といえるレベルまで到達したといって間違いないだろう。
ようやく……。ようやくここまで来ることができた。
今日は俺が美少女になった日――『美少女記念日』として、後世に語り継いでいくことにしよう……。
「これで、"アストラるキューブ"の臨時メンバーとしての俺の役目も終わりだな」
メンバーの美少女3人から血を入手すること、そして彼女たちをアイドルとして軌道に乗せること、それが俺に課せられたミッションだった。
そのどちらも達成した今こそ、俺はこのグループから脱退するべきだろう。
「えーー! ナユタ、やめちゃうの?」
「ああ、元々3人でやってたんだ。俺みたいな異物が混じってたら、グループに悪影響を与えちまうだろ?」
「そんなこと! ……ううん、ナユタにはやらなきゃいけない使命あるんだもんね」
そんなものは実はないのだが……カッコつけて「ふっ、俺には吸血鬼としての使命があるんだ」なんて言ってしまった手前、訂正するのも気まずいのでそのままにしておく。
「でも、グループを抜けても私たちの活躍は見届けてね! いつかナユタがあのとき抜けたのは失敗だったなぁ~って思わせるぐらい、ビッグな存在になってみせるんだから!」
愛那がにっこりと笑ってガッツポーズをする。
……まったく頼もしい限りだな。
俺はそんな彼女と見つめ合うと、ガシッと固い握手を交わしたのだった。
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