第056話「推しのアイドル④」
あいつは自己評価が低いし、自分の容姿にも無頓着だから、自分がちょっとそこらにはいないレベルでかわいいって自覚がないんだ。
愛那はネットの一部では、百年に一人の美少女とまで言われている。
俺たち"アストラるキューブ"はメンバーが濃すぎるし、ライブに足を運ぶような連中は殆どが濃いヲタクなので、愛那はあまり自分の人気がないのではと感じているかもしれないが、一般人の評価は圧倒的にあいつが一番高い。
性格も真面目で頑張り屋だし、最初はど素人同然だった歌やダンスも最近じゃメキメキと上達していて、まだ俺らの中では一番下だが、それでも他のメンバーと遜色ないレベルまで成長している。
俺はあいつが将来トップアイドルになることを確信しているし、たぶん優羽さんやエミリア、亜莉朱もそう思っているはずだ。
「それが、大物プロデューサーだかなんだか知らねーが、愛那に手ぇ出そうとしてんじゃねーよ!」
バイクをドリフト走行させ、赤点にどんどん近づいていく。
そして、ようやくGPSが示す場所にたどり着くと、高級そうな黒塗りのベンツが停まっているのが見えた。しかし、車の中はすでに蛻の殻だ。
どうやら目の前にあるラブホテルに連れ込まれてしまったようだ。
「くそ! 間に合え!」
ラブホの駐車場にバイクを乗り捨て、急いでホテルの中へと駆け込む。
すると通路の一番奥にある部屋の前に、いかにもって風貌の男一人が立っているのが視界に入った。おそらく護衛だと思われるが、それが逆に居場所の特定を容易にしてくれた。
だが、視界を遮るものがないので、俺が近づくと当然その男も気づいてこちらに視線を向けてきた。
「おや……? キミはナユタちゃんじゃないか。よくここがワカッタネ」
「あん? おっさん俺のこと知ってんのかよ?」
浅黒い肌をした南米系っぽい顔立ちの男だ。鍛え抜かれた肉体をしていて、隙がまったく見当たらない。
「ああ、オレもライブを見ていたからネ。まったく……キミたち"アストラるキューブ"は最高ダヨ!」
「じゃあそこを通してくれねーか? リーダーがピンチなんだ」
ゆっくりと男に近づきながら拳を構えるが、彼は余裕の表情で肩をすくめる。
「ダメダメ! オレはアリスちゃん推しなんダヨ。あの小さくてかわいい小動物みたいな女の子……最高にクールだろう? あの子のオネガイなら聞いてもいいケド、キミの頼みは聞けないネ!」
「なんでだよ? 俺だって小さくてかわいいだろうが」
「ノォーーーーッ!! キミはおっぱいが大きすぎるヨ! 小さな体に大きなおっぱいは邪道ダヨ!! オレが最高に許せないタイプだ! 小さな子は胸も小さいべきナンダッ!!」
顔を真っ赤にして唾を飛ばしながら、俺の豊満な胸を見て憤慨する男。
なに言ってんだこいつ……。大きなおっぱいは最高だろうが。どうやら俺とは分かり合えない存在のようだ。
もう話し合いで解決するのは無理っぽいので、俺は問答無用で殴りかかることにした。強そうではあるが所詮は人間だ、吸血鬼となった今の俺の敵ではない。
そう考えて一気に距離をつめて渾身の右ストレートを繰り出すが、男はゆらゆらと赤ん坊が歩くかのような仕草をすると、そのままフラフラと地面に倒れ込んでしまった。
そして――
「――がっ!?」
突如側頭部に衝撃を感じ、視界がブレる。
なんだ!? 攻撃された? いつの間に!? どうやって!?
咄嗟に後方にジャンプして距離を取る。鼻に手を触れると、一筋の血が指についた。
吸血鬼に進化してから、初めてダメージを負わされた。しかも相手はモンスターじゃなくて普通の人間だ。その事実に、俺は驚愕を隠せない。
「ワオッ! キミはアイドルにしてボクサーかい? だけど残念ながらオレには拳は当たらないヨ?」
男はブレイクダンスをするように、床に手をついてクルクルと回転しながら立ち上がった。
「……その動き、カポエイラか!」
ブラジルで発祥した格闘技、カポエイラ。まるでダンスでも踊っているかのような動きで、蹴りを主体とした独創的な技が特徴だ。
「イエス! オレの名は"ペドロ
ペドロはそう言うと、再びゆらゆらと体を揺らす。
遊んでいるように見えるかもしれないが、これはカポエイラの"ジンガ"と呼ばれるステップだ。まるで風に揺れる柳のような動きで、変幻自在な足捌きは予測不能。
「ヘイヘイヘイ!! 巨乳は殲滅ダッ!!」
「――ちぃ!」
くそ……重心が低く、しかも地面を転がるように移動してくるので動きが捉えにくい。それに俺のメインウェポンはパンチなので、カポエイラとの相性も最悪だ。
「だけど悪いが、俺はお前の土俵で戦ってやるつもりはねーよ」
早くしないと愛那があのクズプロデューサーになにをされるかわかったもんじゃない。
俺は自身の能力を解放して、一気に勝負を決めにいくことにした。
「――ふっ!」
ホテルの廊下の壁を蹴って天井近くまで飛び上がると、スカートの中に仕込んだ暗器をペドロに向かって投擲する。
だが、ペドロは踊るかのように体を回転させ、すべての暗器を躱してみせた。
その瞬間、俺は空中で体勢を整えて天井を踏みしめると、その勢いのまま奴の背後へと降り立ち、襟首を掴んで地面へと引き倒した。
「ぬぐぅっ!?」
「カポエイラに関節技はないだろう?」
ペドロは必死に逃れようともがくが、【柔道紅白帯】を持つ俺から逃れられるはずがない。俺はそのまま奴の腕をとって関節をキメると、躊躇なく全体重をかけて一気にへし折った。
「ぐぁあああああっ!!」
ホテルの廊下に鈍い音が響き、ペドロは苦しそうなうめき声をあげる。
悪いけど悪党の護衛ならこれくらい覚悟の上だよな?
俺はそのままペドロの首を締め上げ意識を奪うと、念のため顔面にも右ストレートをお見舞いして完全に沈黙させた。
流れるように拳についた血をぺろり、と舌で舐めとる。
《【カポエイラマスター】を獲得しました》
よぉし! 久しぶりに戦闘系の能力を獲得できたぞ!
今までは拳技が主体だったので、これでやっとバランスがとれた感じになるな。
ペドロの服をごそごそと漁ると部屋の鍵が手に入ったので、俺はドアを開けると急いで部屋の中へと駆け込んだ。
【名称】:カポエイラマスター
【詳細】:メストレと呼ばれるカポエイラの最高位。その動きは変幻自在で、まるでダンスを踊っているかのように優雅で美しい。死角から繰り出されるアクロバティックな蹴りは、相手の意表をつき一撃で戦闘不能にさせるだろう。
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