第054話「推しのアイドル②」
「う、うん……。大丈夫だよお母さん、心配しないで。順調そのものだから。今度のライブになんてね、テレビでも有名な大物プロデューサーさんも来てくれるんだって! 凄いでしょ!?」
『そうなの? それは凄いのね……。でもあまり無理しないでね。あなたは私が生んだとは思えないくらい容姿が整っているけど、それ以外は普通の女の子なんだから。一人暮らしも心配よ……』
「もう……。お母さんは心配性だなぁ」
『でも、高校を卒業するまでに芽が出なかったなら、約束通りこっちに帰ってくるのよ?』
「わ、わかってるって! じゃあねお母さん。おやすみ」
私は携帯の通話終了ボタンを押すと、そのままベッドに倒れ込んだ。
アイドル活動のために、無理言って東京で一人暮らしをさせてもらってる身だ。お母さんには本当に申し訳ないと思っている。
だけど、私はどうしても夢を叶えたいんだ。だから……次のライブは絶対に成功させて、お母さんを安心させてあげなきゃ……。
……
…………
………………
「「「「最高の愛をこの手に~♪ 力を合わせて駆け抜けろ~♪」」」」
ステージの上から、煌びやかな衣装に身を包んだ私は、観客席に向かって大きく手を振る。
眩しいスポットライトを浴びて、ステージで歌って踊る。そんな私を見て観客たちは大盛り上がりし、会場には歓声とサイリウムの光が満ち溢れている。
ああ……この瞬間が本当に私は大好きだ。もうずっとこうしていたいくらいだけど……そろそろ曲も終わる。気合いを入れてラストスパートをかけよう。
観客席に向かって飛びっきりの笑顔を向けて、声高らかに歌う。
そして歌い終わると同時にポーズを決めると、今日一番の歓声が会場内に響き渡り、サイリウムの光がさらに激しく明滅した。
「みんな~! 今日は私たちのライブに来てくれてありがとう~!」
私は歓声に負けないようにと、精一杯の声量で叫ぶ。
ライブは大成功だ。普段は真面目に練習しないみんなも、今日ばかりは完璧なパフォーマンスを見せてくれた。特にナユタのダンスは、キレがあって本当に凄い。私なんかじゃとても敵わないよ……。
そしてライブ終了後は、ファンとの握手会が待っている。本当は疲れ切っているのですぐにでも帰りたいけど、これもアイドルとして大事な仕事だ。
「愛那ちゃん、今日もかわいかったよ……。やっぱりメンバーの中でも顔は愛那ちゃんが一番だよね……。フヒヒ……」
「あ、ありがとうございます~」
太った中年のおじさんが、ギュッと両手で私の手を包み込むように握ってくる。
どこかねっちょりと湿ってて思わず背筋がゾッとしてしまうが、これもファンサービスだ。笑顔が崩れないように気をつけなければ……。
ファンと握手をしながら他の3人の様子を窺う。
亜莉朱はファンの人たちと楽しそうにオタクトークを繰り広げており、エミリアはアイドルらしい営業スマイルを浮かべながらサクサクと列を捌いていく。
そしてナユタは――
「お前ら! 俺の列なんかに並んでんじゃねーよ! 他の奴らの列に並べ! ほら、愛那とか空いてんだろーが!」
「そ、そんな~。僕たちはナユたんと握手したいんだよ~」
「うるせー! 俺は疲れてんだから、お前らの相手してる暇ねーんだよ! それとちゃんときたねー手汗を拭いてから並べや!」
「ひ、ひどい……。でもそこがたまらない……」
「ナユたそ~、もっと拙者をののしってくだされ!」
すご……。自分を推してくれてるファンの人たちによくあんな対応できるなぁ。しかも何故か喜んでる人が多いし……。それと私の列が空いてるって、そんな目を背けていた事実を堂々と言わないでほしい……。
「……おい、お前鼻血でてんぞ?」
「こ、これは失敬……今すぐに拭き取るでござる」
ナユタの列に並んでいるオタクさんが興奮しすぎたのか鼻血を流しており、慌ててポケットからティッシュを取り出した。
だがナユタはそれを素早く奪い取ると、自らの手でオタクさんの鼻を拭いてやり、そのままティッシュを鼻の穴に詰め込んだ。そして、手についた血をペロリと舌で舐め取る。
「な、ナユたそが拙者の汚らしい血をそのお口でぇ~~!!」
オタクさんは感動のあまり鼻血をさらに噴き出して床に転がると、陸に打ち上げられた魚のようにビクンビクンと痙攣しだした。
「オ~……ナユタ、サービスすごすぎデスね~」
「よくやるなぁ……ボクでもあそこまでのファンサはできないよ……」
エミリアと亜莉朱がナユタの奇行を見て、呆れた様子で呟く。
私も正直ドン引きだよ……。手汗でも結構きついのに、血を舐めるだなんて……。しかも何故かちょっと嬉しそうにしてたし。
その後も握手会やチェキ会など、ファンとの交流を続けてライブは無事終了。
そして私たちが控え室で帰り支度をしていると、スタッフの人がやってきた。どうやら例の大物プロデューサーが来ているらしく、是非とも挨拶をしたいそうだ。
「え~、俺もう帰りたいんだけどー」
「ワタシも疲れたデース」
「ボクも早く寝たいよ」
こいつらは……ッ! ここからが一番重要なところでしょうが! ……駄目だ、私がしっかりしないと。
露骨に嫌な顔をする3人の手を強引に引いて、私は大物プロデューサーさんが待っているという部屋へ向かう。
部屋の中にはサングラスをかけたでっぷりと太った中年のおじさんがソファーに座っていて、私たちの姿を確認するや否や立ち上がって握手を求めてきた。
「いやー! 今日のライブ、よかったよ。"アストラるキューブ"はみんな個性的でいいねぇ~。おじさんもう感激しちゃったよ」
「あざ~す」
「アリガトウゴザイま~す」
「ど~も~」
「ちょ、ちょっとみんな! もっとちゃんと挨拶しないと! 申し訳ありません、プロデューサーさん! みんなライブの後で疲れてるみたいで……。この子たちには私からきつく叱っておきますので!」
私は3人の代わりに頭を下げて謝罪をする。するとプロデューサーさんはにこにこと笑顔を絶やさず、気にしなくていいよと言ってくれた。
よかった……。寛大な心の持ち主で助かったよ……。
彼は"
「それよりもどうだい? 君たち、僕の番組に出てみないかい?」
「……え!? 番組って……もしかしてテレビですか?」
「もちろんそうだよ。地上波のしかも全国ネット! 君たちにとっちゃ夢のまた夢のような話だと思うんだけどなー」
突然の申し出に、心臓がドクンッと跳ね上がる。
しかし、そんな私の期待を砕くかのように、葛プロデューサーは続けてこう言ったのだ。
「ただ、ちょっと条件があるんだよね。……そっちの小っちゃくておっぱいの大きい子、ナユタちゃんだっけ?」
「んぁ~? 俺っすか?」
「そうそう君。君さぁ、このあとちょっとおじさんに付き合ってくれないかなぁ。ホテルで大人の話し合いをしようよ」
え……? それってつまり……もしかしてそういうこと?
このおじさんがなにを言いたいのかを瞬時に理解した私は、ナユタの手を引いて葛プロデューサーから引き離すと、彼女を守るようにギュッと頭ごと抱きしめた。
すると彼は少しムッとした様子で私を見つめてくる。
「いいのかな? こんなチャンス二度とないと思うけど? 君たちだけじゃなく事務所を立ち上げたばかりの市川くんにとっても、ね?」
社長……。そうだ……私たちだけじゃなく、社長にとってもこれは大きなチャンスなんだ。でも……だからといって仲間を犠牲にするわけには……!
私は葛プロデューサーの目を真っすぐに見据え、はっきりと言い放つ。
「お帰りください! 私たちはあなたの手なんか借りなくても、自分たちだけでやっていけますから!」
「ふ~ん、後悔しなければいいけどねぇ……」
葛プロデューサーは興味をなくしたのか、それだけ言い残すとそのまま部屋から立ち去って行った。
すると緊張の糸が解けたのか、体の力が抜けて私はその場にへたり込んでしまう。
「おおーー! 愛那かっけーじゃん! さすがリーダー!」
「ワタシ、愛那はもっとヘタレた子だと思ってたデスよ。見直しましたデース!」
「愛那、やるじゃないか。さっきの君、まるでアニメの主人公みたいだったよ」
仲間たちが口々に私のことを褒め称えてくれて、なんか気恥ずかしい……。けど、それと同時に嬉しさが込み上げてくる。
こんな私でもみんなのリーダーとしてやれてるんだ……そう思うと自然と頬が緩みそうになるから、慌ててそっぽ向いて照れ隠しをするのだった。
◇
「ナユタたち遅いなー、なにやってるんだろ?」
ライブ会場から出てすぐの場所で、私はメンバーの3人を待っていた。
お手洗いに行くとかで、かれこれ15分近く待たされている。まあ、女の子はお手洗いに行くと時間がかかるものだし仕方ないけど、それにしても長い。
スマホに手を伸ばして連絡が来ていないか確認しようとしたそのとき、突如後ろから声をかけられた。
「やあ、白月愛那くん。先程はどうも」
「……葛プロデューサー、まだ帰ってなかったんですか?」
でっぷりと太った中年男性が口元を歪めながら近づいて来たので、私は顔をしかめて一歩後ずさった。
そんな私の反応が面白いのか、彼はクックッと小さな笑い声を洩らす。
「ナユタくんが一番のターゲットだったけど、君も同じくらい美味しそうだよねぇ。スタイルはそこそこだけど顔はテレビに出てる芸能人より上だし。それに、あの潔癖な反応……君、処女でしょ?」
「なにがいいたいんですか?」
本性を現して下劣な発言を続ける葛プロデューサーを睨みつけながら、私は彼の真意を探ろうとする。
すると彼は、私の耳元に顔を近づけて囁くようにこう言った。
「君でもいいよ?」
「……え?」
「この後、ホテルに行かないかって言ってるんだよ。君が今日一日、僕の言うことをなんでも聞くっていうなら、君たちのグループを大ヒットさせてあげると約束しよう。どうだい? 悪い話じゃないと思うけど?」
「――ッ!?」
葛プロデューサーに肩を抱かれ、思わず体を硬直させる。
逃げるべきだ。だけどこの話に乗ったら……お母さんにも、社長にも恩返しができる……。私が我慢するだけでみんなが幸せになれるんだ……。で、でも……。
心の中で葛藤しながら、私は俯いて黙り込んでしまう。
すると彼はそれをオーケーと受け取ったのか、私の肩を抱いたまま近くに止めてある車へと誘導した。
「ペドロ、愛那くんを後部座席に」
「イエス、ボス」
運転席に乗っていた浅黒い肌をした外国人と思わしき大柄な男性が、車を降りて後部座席のドアを開ける。
断らなければ、すぐにこの手を振りほどいて逃げなきゃ……。そう思っていても、恐怖と混乱で声を発することも、体を動かすこともままならない。
そうこうしているうちに、ペドロと呼ばれた大男が私の体をゆっくりと後部座席へ押し込むと、葛プロデューサーも隣に乗り込み……そして無情にも車は走り出してしまった。
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