第010話「モスキート」

 ガヤガヤと大勢の人が集まる夜の街。ネオン輝く大通りの両脇には、キャバクラやホストクラブ等の派手な外装の建物が立ち並んでいた。


 路上ではティッシュを配っている黒服や、露出の高い派手な服を着た若い女性、酒に酔ったサラリーマンが闊歩している。


 そんな中、俺はこっそりと道の端を歩きながら、ターゲットを探していた。



 ……どうも、吸血ゾンビホームレスのナユタです。


 そろそろ待ちに徹するだけじゃなく、自分からも積極的に血を吸っていかなければと思い、こうして夜の街に繰り出してきました。


「この格好なら、補導される可能性はぐんと減るはずだ……」


 ゲンさんのおかげで服や小物がいくつか手に入ったので、帽子にマスクという完全防備で顔を隠せるようになったのだ。


 身長は小さいけど、胸はそのへんの成人女性よりも大きいから、一見すると子供には見えないだろう。


 そして、これ見よがしにシャツの前ボタンを外して美巨乳を強調。


 顔はかわいいとはいえないが、マスクで口元は見えないので、おっぱいの印象だけで美少女だと錯覚させる作戦だ。


「完璧すぎる作戦だな……。これなら男も釣れまくるだろ」


 事実、先ほどから歩いているだけでちらちらと俺のおっぱいを見る目線をいくつか感じている。


 男というのは本当に愚かな生き物よのぉ……。


 でも、怖いからターゲットはすぐに逃げられそうな酔っぱらいのおっさんに絞るとしよう。


 近づいて誘惑、あるいは介抱するふりでもして安全ピンをぷすりと刺して、血を一滴頂くのだ。


 え? 首筋に噛み付いて、直接吸えばいいだろって?


 そんな危ないことできるわけねーだろ……。ここは法治国家の日本ぞ? そんなことしたらすぐに噂になって公僕さんたちがやってきちゃうだろうが。


「あ~……、よいよい、うぃ~……ひっく……」


 通りを進んでいくと、千鳥足のサラリーマンがふらふらと歩いていた。顔は真っ赤で呂律も回っておらず、かなり酩酊しているようだ。


 これはチャンスと、俺はさりげなく禿げ頭のおっさんに近づいていくと、猫なで声で優しく話しかける。


「おじさまぁ~、大丈夫ですかぁ~?」


 ……くっ、必死に猫なで声を出したつもりだったのに、やはりかわいくないだみ声しかでない。


 だが、おっさんはこちらを振り向くと、服の隙間から見える胸の谷間に目線が釘付けになっていた。


 やはり神乳は最強だな。一瞬で俺にメロメロになってしまったようだ。


「あ、あぁ……大丈夫……、ひっく……」


「おっと、危ないですよ」


 おっさんの足がもつれて倒れそうになったので体を支えてやる。その間にもおっさんは俺の胸の谷間を凝視していた。


 よし、今のうちに安全ピンでぷすりと……


「うっ! き、君、ちょっと臭うよ!」


 おっさんは鼻をつまみながら、慌てて俺との距離を取る。


 こ、こいつ……なんてこと言いやがる! 酒臭いのはお前のほうだろうが!


「はぁ~、酔いが完全に醒めちゃったよ……」


 最後に俺の胸の谷間をもう一度ガン見すると、おっさんはふらふらとした足取りでそのまま立ち去ってしまった。


 く、くそっ! なんで酔っぱらいの男ってこうもデリカシーがないんだよ……!


 だがいよいよゾンビ臭が問題になってきたぞ、おっぱいで釣って接近はできるようになったが、その分臭いに気づかれるリスクが高まっている。


「香水かなんかで誤魔化せればいいんだけどなぁ……」


 お金がないので、香水なんて高尚な物は買えない。


 ゲンさんたちホームレスは、基本的に生活に必要な物しか集めてないので、そういった嗜好品の類は持ってないしな。


 その後、何人かの男を誘惑してみたものの、やはりゾンビ臭のせいで逃げられてしまったのだった……。




「誘惑はまだ無理か~、他になにか血を摂取できる方法はないものかね~」


 翌日、ダンボールハウスの中でごろごろと寝転がりながら、俺は打開策を考えていた。


 思った以上に血を吸う難易度が高い。


 血は肉体から離れて30秒以内の新鮮なものでないと効果がない、という制約のせいで、ほぼ直接血を吸う以外に手段がないのだ。


 ――ぷぅ~~ん……


 ふと、部屋の中に不快な羽音が鳴り響く。


 ダンボールハウスは風通しも良いから、虫が入りやすいのだ。


「先輩、うるさいっスよ……」


 吸血種として俺の大先輩である蚊に悪態をつく。俺はゾンビなので血を吸われることはないが、不快なものは不快である。


「いや……まてよ?」


 突如、妙案が閃く。


 俺は飛び起きると、早速それを実行に移すために、近くの公園へと向かうことにした。



 公園に着くと、藪の側に設置されているベンチに腰かける。時刻は16時、そろそろ学校帰りの学生や子供たちで賑わい始める時間だ。


 狙い通り、しばらくするとランドセルを背負った子供たちが集まってきた。


 楽しそうに鬼ごっこを始めた彼らの様子をぼーっと眺めていると、ぷぅ~んと耳障りな羽音を鳴らしながら、蚊先輩たちが俺の周りを飛び回り始めた。


「やあ先輩方、頼みますよ?」


 蚊先輩たちは任せろとでも言いたげに俺の頭上を旋回している。


 これは何度も使える手ではないから、できれば一発で有用な長所を手に入れられそうな美少女が来てくれたら嬉しいのだが……。


 ぼんやり子供たちの様子を眺めていると、早速獲物がベンチにやってきた。


 だが、駄目だ。座ったのはアホ面をした、いかにも悪ガキといわんばかりの男の子で、有用な能力は得られそうにもない。


「このねーちゃんおっぱいでけー! でもくっせー!」


 ……消えろ、ぶっとばされんうちにな。


 ベンチに座った男の子は、俺のおっぱいを凝視しながらアホ面をしてはしゃいでいる。


 鼻をほじった手で神乳に触ろうとしてきたので、俺が拳を振り上げると、クソガキはそそくさと逃げて行った。


 ……ふんっ、命拾いしたな。


 あと少しで俺の右手が火を噴き、お前を血祭りにあげて【アホ面】の能力 (効果:間抜けな顔で相手を油断させる)を獲得していたところだったぞ。



 その後も数組の子供たちがベンチに座ったが、残念ながらこれと思う獲物は現れなかった。


 そろそろ辺りも暗くなり始めたし、今日のところは引き上げるか……とベンチから立ち上がろうとしたそのとき――


 二人組の少女がお喋りをしながら公園に入ってくると、手でパタパタと顔を扇ぎながら俺の隣のベンチへと腰かけた。


 小学校の高学年くらいだろうか。活発そうな見た目の少女と、お嬢様っぽいゆるふわ系な見た目の少女だ。どっちもかなりかわいい。


 ヨシッ! この子たちならどっちでもいいぞ。蚊先輩、やっちゃってくださいな。


「あついねー。まだ6月なのに、地球温暖化ってやつが進んでるのかな~」


「うん、今日はすごく汗かいちゃった……」


「でも陽葵ひまりは汗もいい匂いするからいいよねー。どこから出してんの? そのフローラルな香り」


「ちょっと咲ちゃんやめてよー」


 咲と呼ばれた活発そうな少女が、ゆるふわ系の陽葵ちゃんの首筋に顔をうずめて、匂いを嗅いでいる。


 うむ、尊い。


 俺も混ざりたいところだが、今の俺の容姿じゃ異物にしかならんから自重するとしよう。


 ……と、それはおいといて。蚊先輩お願いしますね~。


 先輩は俺の願いを聞き入れたように、陽葵ちゃんの二の腕に舞い降りると、ちゅーちゅーと彼女の血を吸い始めた。


 ぷくぅ~っと先輩のお腹が膨らんでいく。


 ここだッ!


 ――バチコーン!


「きゃっ! なに!?」


 俺は陽葵ちゃんの二の腕をぶっ叩き、蚊先輩をこの世から退場させる。


 後輩による突然の裏切り。


 俺の手のひらで潰れた蚊先輩は、「どうして……」とでも言いたげに息絶えた。


 ……すまん、先輩。でもこれは必要な犠牲なんだ!


「ちょ、ちょっと、あんたなにすんのよ!」


「いや……蚊が止まってましたので……」


 咲ちゃんが怒りのこもった目で睨んでくるので、俺は手のひらの上で真っ赤になった蚊先輩の残骸を見せながら、苦しい言い訳を返した。


「だからって知らない人の腕をいきなり叩く!?」


 大人だったら確実に通報ものだっただろうが、今の俺は彼女たちとさして変わらない年齢の少女なので、なんとかごまかしが効くはずだ。


「咲ちゃん、もういいって……」


「陽葵行こ、この人絶対やばい人だよ!」


 咲ちゃんが陽葵ちゃんの手を引いて立ち去っていく。


 美少女に嫌われるのは悲しい……でも嘆いている暇はない、早くしないと30秒を経過してしまう。


 俺は急いで公園のトイレに駆け込むと、血まみれの死骸と化した蚊先輩をペロリと平らげた。


 すると――



《【フローラルな香り】を獲得しました》



 こ、これはきたんじゃないか! まさかのピンポイントの当たりが!


 急いでステータス画面を表示し、獲得した能力を確認する。




【名称】:フローラルな香り


【詳細】:体臭がフローラルで心地よい香りになる。汗をかいても不快に思われず、むしろ良い匂いだと評されやすい。異性に対して特に効果が高い。




「よ、よっしゃああああ!!!」


 俺はあまりの嬉しさにガッツポーズを決めると、大きく息を吸い込んでシャツの中に顔を突っ込み、自分の匂いを嗅いでみる。


「くんかくんか。すーはー、すーはー」


 やはり思った通りだ、全然臭くない! ほんのりにおっていたゾンビ臭が、むしろめちゃくちゃいい匂いに変わっている!


 これで……俺は最強美少女に一歩近づいたのだ!


「あれ? さっきのくっせーねーちゃんじゃん。ここ男子トイレだぞ? 一体なにやってんだよ」


 突如聞こえてきた声にビクッとなり、匂いを嗅ぐのを止めて顔をあげると、トイレの入り口に先ほどのアホ面少年が立っていた。


 おっと、俺としたことがつい癖でうっかり男子トイレに入ってしまっていたようだ。


 だが、そんな細かいことはどうでもいいのだ! せっかくだしこいつで早速実験してみよう。


「臭い? おかしなことを言いますわね? わたくしのどこが臭いとおっしゃるのかしら?」


 優雅に髪をかきあげながら、エレガントな足取りでアホ面に近づく。


「おい、こっちくんなよー。お前くっせーんだか……ら。あれ? 臭くない? むしろ……」


 アホ面は鼻をひくひくさせて、不思議そうに首をかしげている。


「だれが~? ねえ、だれが臭いの~? ねえねえ~?」


 神乳をたゆんたゆんと揺らし、ふわりふわりとフローラルな香りを撒き散らしながらアホ面の周りをくるくると回る。


 するとアホ面は顔を真っ赤にしながら、捨て台詞を吐いてトイレから逃げて行った。


「う、うっせー! バーカバーカ!」


 ……ふっ、雑魚が。


 俺はおっぱいのでけーくっせーねーちゃんから、おっぱいのでけーいい匂いのするねーちゃんへと進化したのだ。もう貴様のようなガキの手の届く存在ではないわ!


「ふははははははっ!」


 高笑いしながら男子トイレ出て、公園から立ち去る。


 去り際に何人かの子供が、ひそひそと俺のほうを見ながら話をしていた。どうやら少し注目を集めてしまったようだ。やはりさっきの方法は何度も使えないな……。


 だが、ついに俺はゾンビ臭から解放されたのだ! これでこの先に希望が見えてきたぞ……!


 ご機嫌に鼻歌を歌いながら、俺は軽い足取りで家路につくのだった。

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