第007話「吸血」

「……っ!?」


 ガタッという物音がして、俺は飛び起きる。


 誰かが玄関から侵入してきたようだ。


 いつのまにか寝ていたようで (ゾンビなのに眠くはなるらしい)、窓から外を見るともうすっかり夜になっていた。


「この時間まで連絡がないとなると、やっぱ三島さんたち死んじまったんじゃないっスかねー」


「おいおいマジかよ……。あいつにはスキル鑑定機と火炎の杖の二つの魔導具を持たせてたんだぜ? 大損じゃねーか」


「三島さんたち、戦闘中はカメラを回さないから中で起こったこともわかんないんっスよねー。やっぱ全員に小型カメラ付きメットとインカムを装備させるべきなんじゃないっスか?」


「そうだな……ボスに掛け合ってみるか。とにかく転移陣の様子を確認するぞ」


「了解っス!」


 玄関の方から声が聞こえてくる。話の内容からして、どうやら三島の所属するダンジョン探索会社の人間のようだ。


 見つかったら面倒だし、逃げたほうがいいかもしれない。


「くそ……しばらくここで暮らそうかと考えていたけど甘かったか」


 ここにはダンジョンに通じる転移陣があるのだ。こいつらみたいな探索会社がいつ来てもおかしくない。


 俺は近くの窓を開けると、三島の仲間が部屋に入ってくる前に窓枠を蹴って外に飛び出した。



「いや、本当にどうすんだよこれ……。俺、見た目中学生くらいのガキだぞ……」


 実際の年齢は不明だが、誰が見ても子供と思う容姿だ。


 住まいも身分証もないからまともなバイトもできないだろうし、そもそもこんな姿で夜中に徘徊していたら、いつ警察とエンカウントするかわからない。


 夜の街を歩きながら、今後の生活プランについて頭を悩ませていると……。



「うい~、こんちきしょーっ! あのクソ部長! 俺をゴミクズみたいに扱いやがってーー!」



 公園のベンチで、泥酔したサラリーマンがくだをまいていた。


 なにか少し前の俺をみているようで、自然と親近感がわいてくる。


「俺はなぁ~~! 高校時代に陸上で全国3位になってんだぞぉ~~っ! 100メートルのタイムは10秒50だったんだ! それをあのクソ部長、陸上は会社の業務と関係ねーとか言いやがってよぉ~~っ!」


 おお、凄いな。たしか俺の100メートルの記録って最高でも12秒台後半くらいだった気がするぞ。


 サラリーマンのオッサンは公園のベンチに寝っ転がってじたばたしながら、なおも愚痴り続けていた。


「いてっ! うい~、いてて……。くそぉ~」


 手の甲をベンチの角にぶつけてしまったのか、痛そうにさすっている。


 たらり、と血が一筋流れ始めたが、オッサンは気づかずにそのまま爆睡してしまった。


「…………」


 これは、チャンスじゃないか?


 催眠能力を持っていたり、すげー美少女だったり、力ずくで相手から血を吸い取ったりできるなら話は別だが、俺は無力な女子学生ゾンビだ。


 人間の血を啜れるチャンスなんて、そう何度も訪れるものではない。


 吸血で生じるデメリットを考えれば、このまま立ち去るべきだろう。だが、ある一つの仮説が頭に浮かび、俺は足を止める。


「……このままだと遠くない未来、俺は詰む。だったら……」



 ――やるしかない。



 俺は四つん這いになってカサカサとオッサンに這い寄り、ベンチからだらりと垂れている血の滲んだ手の甲に吸い付いた。


 口の中で血液を啜り、飲み込むと……。



《【快速ランナー】を獲得しました》



 きた! きたぞ!!


 脳内に無機質な声が響き渡ったと同時に、自分の中に新たな力が流れ込んでくるのを感じた。


 改めてステータスを確認してみる。




【肉体情報】


名前:ナユタ

性別:女

種族:なりかけゾンビ (進行停止中)

能力:吸血、快速ランナー




「やった! 増えてるぞ!」


 早速【快速ランナー】の詳細も確認してみる。




【名称】:快速ランナー


【詳細】:100メートルを10秒50で走ることができる。当然だが全力で走るとそれだけ疲れる。




 人間の範疇を超えてはいないが、それでも十分凄い。


 なんの努力もなしに、いきなり高校生男子の全国トップレベルの速さで短距離を走れるようになったのだ。あまりにもチートな能力に思わず口角が上がってしまう。


「しかも……俺の知性が失われた気配もない!」


 そうじゃないかと予想してたんだよ!


 この肉体の記憶は全く読めないし、俺は最初からずっと、かつての自分の脳をそのまま使っているかのごとく思考している。


 理屈はわからない。魂に記憶や自我が刻まれているのか。あるいは、憑依能力によるファンタジー的理由なのか。


 とにかく、俺という自我はこの肉体の脳に依存していないのだ。


 これがつまりどういうことかというと……。


 吸血によって知性が失われるのは肉体のほうであり、寄生体だか憑依体だかよくわからん存在の俺には全く影響しない、ということだ!


「うおっしゃあぁぁぁーー! これきたんじゃねーの? 俺の時代がよぉ!」


 デメリットが大きすぎて、本来は一回ですら使うのを躊躇するような能力が使い放題なのだ。


 この調子で色々な人から血を吸いまくれば、いずれは最強無敵の美少女になれる未来が待っているかもしれない。


「うおおぉぉーー! やべーぞ! テンション上がってきたぁぁーー!」


 公園の中心で雄叫びを上げながら、月夜に拳を振り上げる。


「ちょっと君」


「やべーってこれ!」


「うん、やばいね。君、ちょっといいかい?」


「うおおおおぉぉぉ! って、え?」


 誰かに肩を叩かれて振り返ると、そこには特徴的な紺色の制服に身を包んだお兄さんがニコニコと笑いながら立っていた。


「君、高校生? 中学生? こんな夜中にこんな場所でなにしているのかな?」


「……」


「なにか身分を証明できるものある?」


「…………」


 俺はくるりと回転して紺色の制服に身を包んだお兄さんに背を向けると、思いっきり地面を蹴る。


「しゅばっ!」


「あ、君! 待ちなさい! ちょ、はやっ!? 待ちなさーーーーいっ!!」


 うおおおっ! 逃げろや逃げろーー!! 俺は100メートル10秒50の快速ランナーじゃぁぁぁ!


 後ろから追いかけてくる公僕の声を置き去りにするように、俺は夜の街を風のように駆け抜けていった。

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