第005話「統合」

 早く! とにかく早くここから逃げないと!


 もつれそうになる足を必死に動かして走るが、そんな俺の願いもむなしく、首のない犬型ゾンビはあっという間に俺に追いつき、その鋭い爪を振り下ろした。


「ぎゃあぁぁーー!」


 骨がぐちゃぐちゃに砕けたような音が響き渡り、両足に激しい痛みが走ったかと思うと、俺はその場に転倒する。


 恐る恐る足に視線を移すと、膝から下があらぬ方向を向いていた。


 これでは、もう走るどころか立ち上がることすら不可能だ。


 し、死ぬ! このままじゃゾンビに喰われて死ぬ! いや、もうゾンビウイルスに感染している可能性も……!?


 なにか手はないのか!? 生き残るための方法は!


 必死になって頭を回転させ、どうにかしてこの状況を切り抜ける方法を模索する。


 すると、俺の脳裏に起死回生ともいえる一つのアイデアが浮かび上がった。



「す、スキル発動! 【モンスター憑依】!」



 そう叫んだ瞬間、スゥっと一瞬意識が遠のいたかと思うと、俺の体は半透明になり空中にフワフワと浮き上がっていた。


 地面にはピクリとも動かないもう一つの俺の体が転がっている。


 や、やった! これでモンスターに憑依して俺の体を運べば無事に生還できるかもしれないぞ!


 ゾンビウイルスに感染している可能性はこの際無視だ! 今はとにかく、ここから逃げることだけを考えろ!


 犬型ゾンビは明らかに俺より強いから憑依は無理だろう。憑依の対象は自分より弱いモンスターでなくてはならない。


 俺は周辺を徘徊してた人型ゾンビに近寄ると、その身体に乗り移ろうと手を触れた。


 が、その瞬間、俺の身体はゾンビの肉体から弾き出されてしまう。



《対象が強力なため憑依できません》



 脳内に無機質な声が響き渡る。


 ま、まさか……こんな一般ゾンビより俺は弱いのか!?


 だったら俺が憑依できるモンスターなんてこの場に存在しないんじゃ――


 俺が絶望にうちひしがれそうになったそのとき、地面に転がっていた陰キャJKの死体がピクリと動いたのが目に入った。


 え? 今、彼女の体が動かなかったか? あの娘は完全に死んでいたはず……。


 ……あ、そうか!?


 ゾンビに殺された者はゾンビになる! 彼女は今、ゾンビになりかけの状態なのでは!?


 さすがにあの娘なら俺より弱いだろうし、もしかしたら憑依できるかもしれない!


 俺は藁にもすがる思いで陰キャJKの体に触れる。すると、俺の半透明の体は吸い込まれるように彼女の体の中へと入り込んでいった。


 一瞬の暗転のあと俺の視界は開け、自分が生身の肉体に宿ったことを自覚する。


「ま、マジでできた!」


 両手を閉じたり開いたりして動作を確認してみるが、生まれたときからこの体で過ごしてきたかのように、なんの違和感もない。


 下半身にあったモノがないのだけは、少し変な感じがするが……。


「と、とりあえず早くここから離れよう!」


 全然かわいくないだみ声を発しながら、急いでボス部屋の出口に向かって駆けだした。

 

 だがその瞬間、足がもつれて盛大に転んでしまう。


「がーーーーっ! この体運動も全然できないのかよ!」


 人生に絶望して自殺しようとしていたのも頷ける。あまりにも肉体のスペックが低すぎだ。


 しかし、今はそんなことを嘆いている暇はない。


 俺は筋肉の感じられない貧弱な足を動かしながら、必死に俺の体のある場所まで急いだ。


「ぐぐぬぬぬぬぅーー! うおりゃあ!」


 犬型ゾンビが他の参加者たちの死体をおもちゃのように弄んでいるのを横目に、俺は細っこい腕で俺の体を必死に押して出口から通路へと転がす。


 そのまま左の通路の奥に見える帰還の転移陣まで、俺の体を引きずるように必死に運んでいくが、その間にボス部屋から大量のゾンビがあふれでてきた。


「お、重いんだよ! くそ! くそ!」


 今の俺の貧弱な筋力では、俺の本体を持ち運ぶことすらままならない。


 もはやゾンビどもはすぐ後ろまで迫っている。


「こ、こんなところでゾンビに殺されるなんて嫌だぁぁ!」


 必死に叫ぶが、現実は非情だ。ゾンビたちは俺の本体へと群がり、その全身に噛みつき始めた。


 見慣れた俺の身体が見る見るうちに食い荒らされていく。血しぶきが周囲に飛び散り、生肉を引き裂く不快な音が響き渡る。


「ひぃ、ひいいぃーー!」


 俺は恐怖のあまり失禁しながら、長年一緒に過ごしてきた自分の体を見捨てて転移陣の方へと走り出した。


 そして、ようやく帰還の転移陣にたどり着き、一目散に逃げ出そうとした……のだが。


「な……なんで起動しないんだよっ!?」


 手を触れても転移陣はうんともすんとも言わない。


 ……ぞ、ゾンビになりかけだからだ! 転移陣は人間しか通さない! 今の俺は人間じゃないと判定されてるんだ!


「ま、まだ俺は人間だ! 動け! 動け! 動けよぉ!」


 ゾンビたちに追いつかれた俺は、両手でばしばしと転移陣を叩きながら必死に叫んだ。


「か、神様ぁ! ほら、俺人間ですよ! ゾンビだったらこんな感情表現できないでしょ!? だから、お願いです! お、お願いしますよぉ!」


 恥も外聞もなく泣きわめきながら転移陣を叩き続ける。


 すると、そんな俺の願いが神様に届いたのか、帰還の転移陣が強く光り輝き始めた。


「や、やったぁ! か、神様ありがとう!!」


 まさにゾンビの集団が俺に飛びかかろうとしてきたその瞬間、俺の全身は光に包み込まれ……



 ――気がつくと、俺はダンジョンの入り口である空き家の床に倒れていた。



「た、助かった……のか?」


 全身の力が一気に抜け、その場にへたりこむ。


 なんとか……なんとか九死に一生を得た……。


「……ん?」


 あれ? なにか重要なことを見落としているような……?


 ふと自分の胸元に視線を落とし、ペタペタと触ってみる。


 すると、そこには……ダンジョンに入るまではなかったはずの、慎ましいながらも確かな膨らみが二つ存在していた。


 俺は震える手を下半身にもっていき、股間をまさぐった。


 ……ない。


「あああぁぁーーっ! 俺の体、陰キャJKのままじゃん!」



 全然かわいくないだみ声の絶叫が、誰もいない空き家の中に響き渡った。

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