滅亡の魔女

マスク3枚重ね

滅亡の魔女

昔、世界を滅ぼそうとした魔女がいた。この世の全てを深淵の底に叩きつけようとした魔女は『滅亡の魔女』と呼ばれ、人々はその名を子供が言うことを聞かない時に使われる常套句になりつつあった。


「早く寝ないと滅亡の魔女に連れてかれちゃうよ?」


「お母さん、僕知ってるよ?昔、勇者が滅亡の魔女は倒したんでしょ?だから連れていかれないもん!」


母はため息を吐き、子供のベッドの脇の椅子に腰を下ろす。ギシリと音を立て椅子は軋み、パチパチと音を立て暖炉の火が揺らめき影を伸ばす。


「そうね…でもこれは知ってるかしら?勇者様もその時に亡くなってしまったのよ?」


「知ってるよ!でも、魔女も死んだし平和でしょ!?」


「ええ、そうね。でも悪い者はいつだって復活するのが定番でしょ?勇者様が居ない今、滅亡のアレが復活したらどうなるかしら?」


子供の顔が青ざめる。それに母は微笑み、子供の頭を優しく撫でてやる。そして母は歌うように話し始める。


「勇者様の冒険のお話をしてあげる。光の勇者のお話よ」




世界は混沌の闇に包まれた。魔王が動植物達を魔法で魔物に変え村々を襲わせた。世界の半分はあっという間に魔王の物になってしまう。

そこに立ち上がったのは光の勇者を含めた4人の男女、筋骨隆々でどんな魔物だろうと一刀両断にする程の戦士、どんな傷だろうが呪いだろうが癒して見せた僧侶、膨大の知識量と魔力で多彩な魔法を使う魔道士、そして光の加護を受けた優しく勇敢な勇者、その4人が集まればどんな敵だって怖くない。勇者達は世界中の魔物達を倒していった。

そして、長い月日を掛けて遂に魔王との決戦、勇者達は命からがら魔王を討伐したかに見えた。しかし、魔王は滅亡そのものだったのだ。魔王の肉体は滅び、離れた滅亡の魂は女魔道士に取り憑いた。それが滅亡の魔女と言われるその人なのだ。優しい勇者は滅亡に取り込まれた女魔道士に刃を向けることが出来なかった。そして彼女に逃げられてしまった。



「えっ!?魔女に逃げられてしまったの?」


子供は布団に包まりながら震えている。母は「大丈夫」と優しく声を掛け、子供の胸の辺りをポンポンとする。


「勇者様は世界を滅ぼそうとする彼女を見つけ、最後は倒したの。とても辛い選択だったでしょうね」


「勇者は何で死んでしまったの?」


暖炉の薪がバチッと爆ぜ、母の顔が暗くなる。


「お母さん?」


「勇者様は一生懸命、戦ったけどね…戦いの中で深い傷を負ってしまったの。だから倒した後に死んでしまったわ」


「僧侶はどんな傷も治すんでしょ?治して貰わなかったの?」


「僧侶も戦いで死んでしまったわ…だから治せる人が居なかった…」


母は顔を伏せ俯く。そんな母の顔を見た子供は母の大きな手を取り笑って見せた。


「大丈夫!勇者が居なくても滅亡の魔女から僕がお母さんを守るから!だから復活しても大丈夫だよ!」


「ありがとうね。マルク…そうね。あなたが居ればお母さん、全然怖くないわ」


母は優しく微笑み返し、マルクを寝かし付ける。

静かに寝息を立てる息子を横目に、暖炉の上に飾られた大きな斧を見つめ昔を思い出す。



女戦士だった私は勇者達と共に旅をして魔王を倒した。しかし、滅亡が女魔道士に取り憑いて勇者は取り乱した。彼は女魔道士と夫婦だったからだ。きっと滅亡もそれをわかって彼女を選んだのだろう。私と年寄り僧侶の2人では滅亡の魔女の相手は分が悪かった。だから、勇者を連れて逃げる事しか出来なかったのだ。

滅亡の魔女は世界を地獄に変え、人々はもうダメかと思われた。


「おい…マルス。世界を救わなければ…」


「分かってる…分かってるけど、僕はアクアを殺せない…」


勇者のマルスを年寄り僧侶は説得するが立ち上がらない。私は勇者の襟首を掴む。


「マルス!しっかりして!貴方は勇者なのよっ!?人々の光なの!貴方が立ち上がらないで誰が立ち上がるのよ!」


マルスは私と目を合わそうとはしなかった。私は手を離すとマルスは力なく地面に座り込む。それを見た私は彼らに背を向け走り出す。


「おいっ!何処へ行く!」


後ろから年寄り僧侶が声が聞こえるが私は止まらなかった。

暗黒の地と化したそこは魔王がいた魔王城、今は滅亡の魔女が支配する場所だった。私は単身で乗り込んで行った。だがそこには魔物が1匹もいなかった。訝しみながらも玉座の間にたどり着く。そこには玉座に座る滅亡の魔女が居た。魔女は口を開く。


「やっぱりあなた一人で来たのねぇ?」


「アクア、目を覚まして!マルスがどんなに悲しんでいるか…滅亡何かに取り込まれないで!」


すると魔女は亀裂の様な笑みが浮かび笑い出す。不気味なその笑い声は玉座の間に響き渡り部屋全体が揺れる。


「本当に傑作ね。滅亡?何それそんなの居るわけないじゃない」


「え…?」


「それってマルスが言い出した事でしょ?魔王の魔力を取り込んだのがそう見えたのかしら?元々勇者パーティーに加わったのもその為だったし、それに…」


魔女はお腹を愛おしそうに摩り、女戦士に嫌な視線と笑みを送る。


「光の加護を受けた勇者の血が欲しかったのよ。闇の魔王の魔力と光の勇者の力を受け継いだ子供は一体どれほどでしょうね?」


「そんな…そんな事の為に…マルスと結婚したの…?」


魔女は今度は少女の様にキャッキャッと笑い手を叩く。


「あー笑った。涙が出るわ。あんた彼に惚れていたものね?あんたの悔しそうな顔、マジで傑作だったわっ!」


私は怒りに任せ大斧を振るった。玉座の間は吹っ飛び、瓦礫の山となる。だが魔女は全くの無傷だった。


「だからあんたは脳筋なのよ。知性の欠けらも無いわ」


「マルスが…マルスが…どんな気持ちでいるか知ってるのっ!アクアっ…!」


私は大斧を高速で振り回すが全て魔力の障壁に阻まれる。だがその威力を障壁で全て吸収できる訳では無い。その余波で魔王城はどんどんと傾き始める。


「チッ!ホント脳筋…」


凄まじい攻防を繰り返す。魔女は斬撃を障壁で阻み閃光を杖の先から放ち、それを私は大斧で弾く。そんな戦闘が長時間続けられる。

魔女はここに来てから1度も魔王の魔力を使っていない。魔物が城に居ないのも何か引っかかる。恐らく今は使えないのではないだろうか。さらに大斧を振るう速度を上げていく。すると障壁が剥がれ落ちる。魔女が目に見えて慌て出す。


「魔王の魔力は使わないのっ!このまま押し潰すわよっ!」


「これ以上は…やめ…」


「さっきまでの威勢はどうしたのっ!ここに来て命乞いとかやめてよねっ!!」


まさに障壁を破り、大斧が魔女を捉えたその瞬間に光の剣が弾き返す。そこにはマルスがアクアを庇う形で立っていた。魔女はすかさず声を上げる。


「マルス!滅亡が彼女に取り憑いたの!助けて!」


マルスは苦しそうな顔を私に向けている。あぁこの顔は全て知っている。知った上でアクアを庇うのだ。


「ごめん…僕は…アクアを愛しているんだ…だから…」


「何だ、知ってんのかよ…」


魔女の魔法でマルスの胸に穴が空く。マルスは全てを諦めた様な微笑みを浮かべ、床に倒れそのまま動かなくなる。私は絶叫してマルスに駆け寄り、彼を抱き起こし揺する。だが彼は目をつぶり動かない。


「最初から殺すつもりで居たけれど、貴女を始末してから死んでもらいたかったわ…」


「何で…何で…マルスを殺すのに…何の躊躇もないの…?一緒に旅して来て…偽りの気持ちでも、結婚までしたのに…少しも心は痛まなかったの…?」


「痛まないわよ…」


何で彼女はそんな顔をするのだ。仲間を裏切り、魔王の魔力を取り込み、人類を根絶やしにしようとする魔女が何故、そんな顔をするのだ。マルスを殺して何でそんな悲しそうに泣いているのだろうか。私は怒りが限界を超えていた。それは悲しみであり、憎しみであり、そして空虚なものだった。魔女が杖を向け光を放ち、私はマルスを抱えたまま光を頭にくらう。吹っ飛び、壁に叩きつけられる。私はマルスの亡骸と共に倒れ気を失った。



私が目を覚ますと僧侶が居た。目の下にクマができやつれてボロボロだ。


「遅くなってすみません…」


「どうなったの…?」


「私が着いた時には滅亡の魔女は居ませんでした」


何故私にトドメを刺さなかったのだろうか。だがそんな事はもうどうでもいい。私は横になったまま瓦解して天井が崩れた玉座の間から暗く沈んだ空を眺める。僧侶は話し出す。


「滅亡なんて彼女には憑いてはいなかったのでしょう?マルスの妄言だったと今では分かります」


「そうみたいね…マルスとの結婚は光の勇者の子を残す為だったと言っていたわ…魔王の魔力を宿した勇者の子を…」


僧侶は虚ろな目で顎の疎らな髭を触りながら考え言う。


「少し昔話に付き合ってはくれませんか?アクアの過去のはなしです」


僧侶はアクアの過去を話し出す。彼女は幼い頃は奴隷の身分だった。幼い彼女は口にするのもはばかられる酷い目にあってきた。そこで人間の醜さを知ったのだ。しかし、彼女は魔法の才があった。国にその才能を認められ、奴隷の立場から宮廷魔道士にまで登り詰めた。だが過去は変わらない。それに国の上に立つ人間すらも腐っていた。彼女は人間を恨み続けたのだ。

ここからはあくまで推測だと僧侶が前置きをして続ける。

彼女は人間を滅ぼす為に魔王の魔力を求めて勇者のパーティーに入った。長い旅の中でマルスは彼女を愛し、そんなマルスに彼女も惹かれていった。だが彼女はそれを認めたくはなかったのではないか。彼との子供はあくまで光の勇者の血と魔王の魔力を宿した子供を残す為で、決して愛ではないとそう思い込もうとしたのではないだろうか。そして最後は自分でマルスを手にかけた。


「全て憶測です。何の根拠もありません…しかし、貴女を殺して行かなかったのはどうしてでしょうか?彼女はマルスを殺して本当に何も感じなかったのでしょうか?」


私はあの時の泣いていたアクアの顔を思い出す。私を殺さなかったのではなく、そんな心の余裕はなかったのかもしれないと考える。


勇者が死んでから1年が経った。国では混乱を避ける為、勇者が死んだ事は隠された。国の悪い事は全て滅亡の魔女が招いた事にされていた。話は全て国の都合のいい様に捻じ曲げられ話された。

世界は落ち着きを取り戻しつつある。魔物達は今だに蔓延ってはいるが徒党を組み、襲う事は無くなっていたからだ。滅亡の魔女の不在が原因だろう。彼女はあれから誰の前にも姿を現していなかった。

それでも私達は彼女を探した。それが勇者パーティーの運命だったからだ。旅の中で僧侶は亡くなった。元々、病気だったのだと言っていた。悲しくても1人で旅を続け、そして私は彼女を見つけた。深い森の中の小さな家に彼女は居た。


「やっぱり、あなた1人で来たのね…」


「またそれ?玉座の間でもそう言ったわね?」


「あなたはいつも1人だったわ…」


この期に及んでこの女はまだこんな皮肉を言うのだろうかと怒りが湧き上がり、大斧を構える。だが魔女は椅子に座ったまま動こうとしない。


「そんな皮肉が良く言えるわね!貴女だって1人じゃないっ!」


「そう…私は孤独…マルスを私が殺しちゃったから…」


彼女から一切の戦意を感じられず私は大斧を下ろす。すると奥から子供が泣く声が聞こえてくる。魔女は立ち上がり、そちらへとヨタヨタと向かう。彼女は木組みのベッドから赤ん坊を抱き上げる。


「私はもう長くない…この子を産んで私自身の魔力もこの子に持っていかれた…」


彼女は赤ん坊を抱えたままゆっくりとこちらに歩み寄る。


「この子をお願い…」


「ふざけないでっ!何であなたの子を私がお願いされなきゃならないのっ!」


「この子はマルスの子供でもあるからよ」


「そんなの酷じゃない…」


私はその先を続けようと口を開き掛けるが黙る。彼女はゆっくりと私の胸へと赤ん坊を抱かせる。


「ほんとにあなたはお人好しね…あなたはいつも1人だった。どんな人間よりも優しく誇り高い、マルス以上の勇者だった…だから私はあなたが嫌いだったわ…」


そして彼女は倒れる。


「あれ…?思ったより早かったみたい…人間なんて…クソだったから…せいせい…ね…マル…ス…」


私は赤ん坊を抱いたまま彼女の瞳を閉じてやる。


「本当に…馬鹿な女よ…あなたは…」




深い森の中、小さな家の暖炉の薪がまたバチッと爆ぜる。この子に真実は話してはいない。国で囁かれる話をするだけだ。魔王の魔力を持ち光の加護を受け継いだこの子が勇者になるか魔王になるか私にはわからない。

でも子供の寝顔はマルスにそっくりだった。きっと大丈夫だろう。


「おやすみマルク。いい夢を見てね」

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