第46話 童、法網をくぐる③


 来栖と向かった東北の地は、秋のはじめと言うには非常に寒かった。

 二人は寒さに思わず体を震わせ、慌てて予備として持参していた衣類を着込む羽目になってしまった。そして来栖の案内のもと、件の家へと向かう。


 流石にレンタカーの運転は見藤が買って出ることにした。ここで来栖に運転を任せてしまえば、車酔いで痛い目を見るのは見藤だ。

 途中、来栖には文句を言われたのだが、道案内をするよう上手い具合に誘導してやれば意気揚々と道案内役に勤しむ彼を見て、人見藤は知れず胸を撫で下ろしたのであった。


「ここか」

「はい、間違いないかと」


 そうして一時間半ほど車を走らせると、そこは田舎の田園風景。しかし、そこに似つかわしくない豪勢な屋敷が二人の目の前に現れた。


「僕が対応しますので」

「助かる。俺が口を開くとボロが出そうだ」

「ふふ、そう思います」

「お前な、」


 適当な所に車を停め、車内で軽く打ち合わせをしておく。これからの猿芝居、猿芝居と言えど成功させねばならない。

 しかし、緊張感のない来栖の軽口に見藤は少しばかり睨んでおくことにしたようだ。


 来栖が屋敷の門に備え付けられた呼び鈴を鳴らす。見藤はそんな来栖の数歩後ろで何も言わず佇んでいるのが、今回の役割だ。


 鳴らされた呼び鈴によって、屋敷の中と通話が繋がる。「はい」と聞こえてきたのは男の声だった。来栖が自らを名乗ると、少し緊張したような声が返ってきた。

事前通達文書は無事に届いているはずだ。そこに書かれていたであろう内容、差出人の名前。こうして直々に出向いて来るとなるとその先は想像できるのだろう。

 そして、少なからず事実を孕んだこの猿芝居の効果は絶大だ。


 来栖とその通話口の男は少し言葉を交わすと、向こうから「お待ちください」と言い残し、通話は切れた。そして、屋敷から出てきたのは初老の男だった。


 やはりと言うべきか、裕福な暮らしをしているのだろう。その腹には大きな浮き輪が蓄えられていた。屋敷と見藤と来栖が待つ門までは若干の距離があるのだが、その短距離を小走りで移動しただけでも息が上がり、額に汗を浮かべている。

―― 少なからず、これから追及されることに対して心理的な部分も勿論あるだろうが。


「こんにちは。事前に通達させて頂いた通り、調査に参りました。安部と言います」

「はぁ……、遠路はるばるご足労をかけました」


 さも当然のように偽名を名乗る来栖に、見藤は思わず咳き込んでしまいそうになるのを必死に堪えた。

 その表情は険しく、初老の男からすれば睨まれていると感じたのだろう。来栖の背後に佇む見藤へ視線をやると、怯えた表情を見せた。


 それからは、来栖の独壇場だった。何かと理由をつけて言い訳を述べる男を、来栖お得意の話術で巧みにいなしている。

 しばらく、会話での攻防戦が続いた。すると、にっちもさっちもいかないと追い詰められたのか、男は徐々に焦りからなのか怒りの感情を露にし始めた。


 見藤はポケットの中に入れていた手を何やら器用に動かしていたが、すかさず来栖に何かあれば即座に自分が対応できるよう身構えたのだ。

 すると、突然 ――――、ピピピピ。携帯電話なのか、着信音が鳴った。


「少し、失礼」

「どうぞ」


 初老の男の携帯だ。来栖は訝しげにその様子を見つめていたが、電話に出るよう促す仕草をした。 


 初老の男は電話を受け取ると、何やら驚いた表情を見せた。そして、見藤と来栖を一瞥すると慌てた様子で電話口へと意識を戻す。

 時折、いやでも、しかし、などと何かと言い訳のような言葉を繰り返しているが、恐らくその電話の向こう側の相手の方が、立場が上なのだろう。否定しきれず、終いにはただただ相槌を打つだけになってしまった。

 そうして、電話を終えると男は来栖に向き直り、観念したかのように一言。


「…………………分かりました」


長い沈黙の後、力なくそう呟くだけだった。

 結論から言うと、見藤と来栖の計略は上手くいったようだ。



 それからは目まぐるしい人の出入りが始まった。

 来栖の案により、差し押さえられた物件という財産の他にも隠し財産があるという疑いを晴らすため、住人は最低限の荷物を持ち出し、調査が終わるまでの期間、駅周辺にある宿泊施設で生活をしてもらう事になっている、と見藤は後から聞かされた。来栖の手腕に驚かされるばかりだ。


 これでこの屋敷に人はいなくなった、そして住人の知らない間にこの家は空き家となっている。条件はそろったのだ。


 こうして、見藤と来栖が初老の男と話を終えた後、二人は帰ろうと背を向けた。そんな二人の背中を見守る、二人の子どもの視線に気づいたのは見藤だけだった。見藤はふと後ろを振り返り、少しだけ困ったように微笑んだ。

 そんな見藤の表情に少年座敷童は ――――、


「なるほど。……考えたな」

「どういうこと?」

「後々分かるさ」


そう言うと、少女座敷童の頭を優しく撫でていた。



* * *


 それから、数日後。見藤は来栖に今回の協力に少しばかりの謝礼を支払い、事の行く末を見守っていた。勿論、その間に持ち込まれる依頼をこなしながら。

 そんな中、今日は比較的落ち着いており霧子も頃合いを見計らって事務所を訪れていた。


「で、私に謝礼は?結構、頑張ったわよ?」

「…………、何をご所望デスか?」


 そう見藤に謝礼を要求している霧子は生き生きとしており、反対に見藤は少し困った様子だ。それに加えて言葉が片言になっている。


 見藤が向かう事務机の正面、霧子は少ししゃがんだ姿勢で机に頬杖を付き彼の困る様を楽しそうに眺めている。しかし、そんな見藤も霧子のおねだりの内容を聞くと、その可愛らしい要求に自然と笑顔になるのであった。


 今回、見藤は来栖だけでなく霧子の手も借りていたのだ。正確に言えば、霧子の持つ怪異としての能力なのだが。その協力がなければ、今回の猿芝居は成功しなかったと言っても過言ではない。


 例の不自然なタイミングで掛かってきた初老の男への電話だ。男はなんら疑うこともなく、親族からの電話だと思い込んだ。そして、その声はその家の決定権を持つであろう現会長だ。

 その会長から物件差し押さえを容認、一時退去するようにと言われれば従うしかないのが家族経営の暗黙の了解とでもいうのだろうか。結果、その体質があったために上手くいった。


 霧子の声を真似る、という怪異の能力が大いに生かされた結果だ。それは見藤とて謝礼は弾まねばなるまい。すると ――、

 突如として事務机の下から顔を覗かせた少年座敷童に、思わず見藤は驚きの声を上げた。


「あの茶菓子はないのか?」

「うお……!?」


 よじよじと事務机の下から這い出て来るその様子はいつぞやの光景と重なる。そして、少女座敷童も遊びに来ていたのか、後から続いて出てきた。

 霧子は子どもの姿をしている座敷童には寛容で、その様子を微笑ましく眺めている。


「来てたのか」

「あぁ」


 少年座敷童は短くそう返すと、見藤に向かい礼をした。その少年座敷童に倣うように、少女座敷童も礼をしたのだ。

 一方の見藤は突然のことで目を丸くしている。


「何か礼を。と言っても、僕らでは家を繁栄させることしかできないけど」


その言葉が意味するのは、依頼が成功したということだろう。

 聞けばあの後、無事に座敷童達はやしろへ帰ることができたという。そして座敷童達が心配していた子も無事に秋口就職が決まり、早々に家を出たというのだ。


 そして、あの屋敷には不幸は残されていなかった。しかし、何の因果か。あの家が経営する企業の株価は暴落、結果としてあの屋敷は売却されることになったのだ。それに座敷童は関与していないというのだから、人の強欲さが招いたが故の破滅だろう。


「気持ちだけで十分だ。ただでさえ婆さんからの頼み事で忙しいんだ。これ以上繁盛させられたら困る」

「そうか。ありがとう」「ばいばい」


そう答えた見藤に、座敷童達はさらに安堵したような表情を深める。

 それから、座敷童達にあの茶菓子を選別として渡しておいた。それを受け取ると、とても嬉しそうな顔をした後、二人の座敷童は姿を消してしまった。

 彼らを見届けると見藤は溜息を付きながら深く椅子にもたれ、天を仰いだ。


「ふぅ……、今回は難儀だった」

「でも、結果的によかったじゃない」

「そう、か」

「そうよ」


霧子の言葉に、少しだけ疑問を抱かずにはいられない。


 掟に縛られた妖の法網ほうもうをくぐる手助けというのは、なかなか骨が折れた。そして、それには人の法を犯す手前まで行かざるを得なかった。

 依頼が終わってみれば、もっと上手い方法はなかったのかと自問自答する羽目になってしまったのだ。


 そして、ある一定の妖怪に役割があると言うのであれば、人の役割とは一体何なのか。そんな人である見藤自身の役割は何なのか。そんな思いを抱かずにはいられなかった。


(俺は目の前の事で精一杯なんだ。役割なんぞ、そんな大それた事は勘弁だな)


しかしながら、見藤の中で答えは決まっていたようだ。

 見藤から言わせてみれば、怪異やそれに連なる相談事を解決すると言っても、ただ目の前の困りごとを解決する、ほんの少しの手伝いをしているだけにすぎないのだ。


「霧子さん」

「ん?何よ」

「…………何でもない」

「何よ、もう」


 そしてそんな生活の中に、霧子と過ごす温かな時間があれば十分なのだ。




 後日。久保と東雲は見藤が事務所に戻ったという連絡を受け、二人は何か差し入れを持って行こうと買い出しに出かけていた。

 すると ―――。


「ねぇ、久保君。あれ、」

「ん?え、あれ見藤さん?」

「何してはるんやろ」

「あの列に並ぶの、結構勇気いると思うんだけど……、」

「そうやなあ」


某有名スイーツ店に並ぶ行列の中に、見藤の姿を目撃したのだ。


 なぜ行列の中に見藤がいるのか二人が分かったかというと、その行列は清々しいほどに女性客ばかりであったのだ。

 そんな中に冴えない中年男性が行列に並ぶというのは、なかなかに勇気がいるものだと、他人事のように久保は思った。実際、近くに並ぶ女性客の視線がちくちく痛そうだ。

 久保と東雲はそのスイーツ店を見て、どこか納得したように視線を合わせた。


「あのスイーツ店、見藤さんと霧子さんがデートで行ったお店の系列店や」

「ちょ、僕たちが内緒でついて行ったのがバレたらどうするんだよ!」

「しっ!!久保君の声の方がおっきいわ!!!!」


と、久保をたしなめる東雲の声の方が大きい。

 二人が恐る恐る行列を見やると、聞き慣れた声に顔を上げた見藤と、目が合った。その表情は二人に助け船を求めているかのようだ。


「あ」

「あー……」「あはは、」


思わず久保と東雲は愛想笑いを浮かべていた。

 そして、行列の空気感に圧倒されている見藤の様子に、いたたまれなくなった久保は思わず彼の傍に駆け寄り声をかけた。


「見藤さん、僕たちも一緒に並びますから」

「私も」


久保の提案に東雲も乗りかかる。

 そんな二人の申し出に、見藤は助かったと言わんばかりの表情を浮かべた。そして、久保と東雲は見藤の腕を引いた。


「横入りは駄目ですから」

「そうやね」

「また並び直しか……。まぁ、そうだな」


 二人に腕を引かれながらその後について行く見藤はどこか困ったような、それでも少し嬉しそうな、そんな表情を浮かべていた。

 仕事柄、怪異や人を欺かざるを得なかった見藤にとっては、人間社会のルールやマナーというものを当然のように守る、この二人の行動に少なからず気持ちが軽くなるのであった。

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