第47話 夢に揮毫を求む


 夏もとうに過ぎ去り心霊・怪談といった娯楽のほとぼりが冷めると、人々は新たな刺激を欲する。一定周期で流行する所説 紛紛ふんぷんな都市伝説が、時に社会現象となることがあるのはその為だろう。


 特にそれは若年層に顕著で、情報伝達の速さが尋常ではない。流行れば廃り、また違うものが流行る。そうして、残ったものの認知の力は計り知れない。



 秋の風が清々しく事務所の中を通り抜ける昼下がり。柔らかな風が、窓際に置かれた植木鉢に咲く、見ごろを迎えた竜胆の花を撫でる。


「夢日記……?」

「そうなんです、突然SNS上で流行り始めて」


 久保と見藤はそんな会話をしていた。

 事務所のソファーに座りながら頻りにスマートフォンを操作する久保と、向かい合う位置に座りソファーにもたれかかり、眼鏡をかけて何やら書類に目を通している見藤。その隣には猫宮が暇そうに、短い前足で顔を洗っていた。


 そして、事務所の奥に設置されている給湯室の役割を果たしているシンクの傍には東雲と霧子の姿。彼女達はああでもないこうでもないと言いながら、宝石のように煌めく果物が盛り付けられたタルトを切り分けようと奮闘している。


「自分が夢の中で見た内容をスマホにメモ書き出しただけの投稿なんですけど、それがなかなか面白いそうですよ。支離滅裂な内容だったり、空想じみている内容だったり」

「……それは昔にも流行っていただろう。日記として紙に書くやつだろう?」

「今ではそれもスマホですね」

「えらく現代的だな……」

「はは、そんなものですよ」


 確かに見藤が言うように、睡眠中に見た夢の内容を日記につけるという行為は過去に一度、世間で流行していた時期があったようだ。

 そして、それは夢日記と呼ばれ時代と共に廃れたはずだ。都市伝説として夢日記をつけていると精神に異常をきたすという認知を残して。


 それが今では形を変え、夢をみた内容をスマートフォンに書き残し、SNS上へ投稿するという近代化をみせているというのだから、流行とは不思議なものである。そんな二人の会話に興味がないのか、猫宮は大きく欠伸をしている。


 見藤は久保との会話を終えると、後ろを振り返った。東雲と霧子の声が止んだためだ。そういう時は少なからず、何かしら良くないことが起こっている、というのが見藤の経験則だ。


「霧子さん?東雲さん?」


 二人は見藤の呼びかけにも反応しない。嫌な予感と言うものは当たるのだ。

 見藤と久保が恐る恐る身を乗り出して、彼女らの手元を見る。綺麗に盛り付けられていたタルトは東雲と霧子、二人の奮闘も空しく一角だけではあるものの無残に崩れ落ちていた。


「……ごめんなさい」「……、東雲ちゃんは悪くないのよ」

「いや、別にそこまで落ち込まなくても……」


 東雲が見藤に対し謝罪の言葉を口にする。誰も責めはしない見藤の言葉はその通りなのだが、二人が言うにはスイーツは見た目も味のうち、だというのだ。

 そこに更に、見藤が皆にと買ってきたタルトという付加価値の影響があるが、見藤本人はそれに気づかない鈍感加減だ。


 二人のあまりの落ち込み様に見藤は心配する素振りをみせると、そっとソファーから立ち上がり、東雲と霧子が立ち尽くしているシンクへと移動した。

 すると、見藤は東雲から包丁をもらい受ける。そこから見藤が器用にタルトを切り分ける光景に、彼女達は釘付けになっていた。


「と、こうすれば綺麗に切れるはずだ。綺麗な所は皆で食べるといい」

「……あんたってほんと、こういう事だけは器用よね」

「霧子さんの言葉に棘を感じるんだが……」


 そう言って霧子に窘められている見藤は完全に眉を下げている。その手には見事なまでに綺麗に切り分けられたタルトを乗せた皿が二人に差し出されていた。

 二人が苦戦したタルトの切り分けを難なくやってのけた見藤に霧子は悔しそうに頬を膨らませていて、反対に東雲はその綺麗なタルトに感激し目を輝かせている。


「はい、東雲さん」

「え、いいんですか!?」

「あと、久保くんにも持って行ってやってくれ」

「分かりました!」


 もう一皿、見藤が差し出すと東雲はぱっと明るい笑顔を浮かべた。そうして両手に皿を受け取ると、ソファーで待つ久保の元へと運んで行った。

 そんな東雲の背中を見送りながら、見藤は最後の綺麗な一切れをのせた皿を霧子に手渡すと、今度はケーキボックスに残されている崩れたタルトをせっせと皿に盛り始めた。


「俺はこっちでいい。霧子さんが取り分けようとしてくれたんだろ」

「それは、そうだけど……」


 珍しく言いよどむ霧子に見藤は目を細めている。見藤からしてみれば霧子が何かしてくれようとしていた事実だけでも、その気持ちだけで十分嬉しいのだ。

 しかし、それを言葉に絶対にしない不器用さは先ほどの手先の器用さと相反していて、それも見藤らしさなのだろう。


 一方、久保の元へタルトを運んだ東雲はというと、先ほど見藤と久保が話していた内容について興味を持ったようだ。その皿をローテーブルへと置くと久保の隣に座り、一緒になってスマートフォンを眺めている。


「夢占い、なんてのもあったよね?」

「あ、確かに」

「丁度、タルト食べとるし、スイーツにまつわる夢占いってどんな?」


 東雲の一言で久保は操作するスマートフォンで新たに検索をかけていた。そうして見る検索結果の中に、二人が納得するような内容はあったのだろうか。


 主に吉夢とされるものが多いのだがその中に、誘惑や甘い罠と言った良くない方向に進むことを暗示している、という内容が二人の目に留まることはなかった。

 そんな二人を一瞥すると、猫宮は顔を洗っていた手を止め、ソファーから降りる。そして向こうで何やら小声で話す見藤と霧子に痺れを切らしたのか、のそのそと猫宮は見藤の足元へと移動する。


「俺の分は?」

「……猫は食べたら駄目だろ」

「俺をただの猫扱いするな!」


 綺麗な形を保ったピースは既に人数分取り分けられており、残るは見藤が持つ崩れたタルトだけだ。残念ながら猫宮の取り分はなかった、そして見藤の正論に猫宮は渋々とソファーに戻るのだった。

 そんな猫宮の寂れた背中に思わず見藤は、


「……いい猫缶、買ってくるから勘弁しろ」

「おう」


そう声をかけていた。



* * *


 それから数日後、見藤の事務所に一人の依頼人が訪れた。今回の依頼人は、若い女性で東雲よりも少し年上、社会人だろうか。その依頼人の表情は見るからにやつれ、頬はこけていた。


 依頼人が女性ということもあり、同性がいた方が安心できるだろうという事で今回は霧子の他に東雲が同席していた。

 彼女から見ても依頼人の顔色は悪く、時折心配そうに依頼人を気遣っていた。


「夢を……毎日見るんです」

「夢、ですか」

「その夢が段々、夢なのか現実なのか分からなくなって……、最近では悪夢を見るように」


 そう話す依頼人の目は泳いでいた。現に今も夢か現実なのか判断できていないのだろうか。見藤は依頼人の言葉を反芻すると、訝しげに依頼人の様子を伺っている。

 本人を目の前にして口にはできないのだが、正直に言うと医療機関へ受診した方がよいのではないか、という事だ。


 しかし一方で、一般人がこの事務所を頼りに訪れること自体が珍しい。

 大抵は見藤の噂を聞きつけて、怪異によって引き起こされる事象に頭を悩ます人からの相談。はたまたまじないを得意とする見藤の助力を求めてやってくる怪異からの相談、そう言った不思議な客がこの事務所を訪れるからだ。


 見藤から見ればこの依頼人は、怪異によって引き起こされる事象によって自分は悩まされている、という確信を抱いているように見受けられない。


「何か、思い当たるきっかけは?」

「……えっと、」

「大丈夫ですよ、些細な事でも」


 諭すような見藤の声音に安心したのか、依頼人は出された茶を一口飲み、喉を潤してから口を開いた。


「夢日記をつけていたんです……、そうしたらどんどん夢が鮮明になってきて……。友人と会う約束をする夢を現実だと思い込んだり、ほんとに酷くて……」


 そう話す依頼人の様子を見ればその深刻さは余程のことなのだろう。項垂れていた顔を上げれば目の下には隈ができ、くぼんでいる。

 「夢日記」先日久保から聞いた話が見藤と東雲の中に思い浮かぶ。今度は東雲が、依頼人に質問を投げかける。そしてその答えは大方、東雲が想像している通りなのだろう。


「その日記はありますか?」

「あ、いえ、日記と言ってもスマホに入力しているだけなんです……」


そう答える依頼人は自身のスマートフォンを東雲に見せた。

 そこには夢の内容だろうか、断片的に書かれたSNS投稿が表示されていた。


「最初はSNSに投稿されている他人の夢日記を見ることにハマっていて……。いつしか、目にした内容が断片的にその日の夢に出るようになったんです。……それで、私も夢日記をつけてみようかなと思い……」


 依頼人はそう話すと、自身の夢と類似した内容が書かれた夢日記を見せた。


 人は誰しも、目にした内容に少なからず影響される事があるだろう。それが、たまたまこの夢日記だとすれば潜在意識の中でその内容が記憶され、夢に出て来るというのは有り得ない話ではないようにも思えるのだが。

―― どうやら、依頼人は違ったようだ。


「私になにか良くないものが憑いているんじゃないかって……、それで噂に聞いたこちらに相談してみようかと、」

「なるほど……」


 依頼人の言葉を聞き、見藤は東雲に視線を送るが東雲は首を横に振った。どうやら東雲の目に霊の類は映っていないらしい。

 そして見藤から見ても、怪異の類がこの依頼人に憑いているようには視えない。

―― と、なると依頼人がいうような「何か」に取り憑かれているという線はなくなる。


 一先ず、聞き取りの内容から判断できることだけを今日の所は伝えておく。と、言っても今の状況ではありきたりなアドバイスしかできない。やはり平行して専門的なカウンセリングを受けるようにと、やんわり付け加えた。

 そうして、依頼人に今回相談料金は発生しないことを伝えた。流石に、怪異や霊的なものの仕業だと断定できる要素が少なすぎるのだ。


「私、少し先まで見送ってきます」

「分かった」「気を付けてね」


 東雲がそう言うと、依頼人に付きそう。そして依頼人が席を立つと、どこかで嗅いだことのある香りが見藤の鼻を掠めた。どこだったか、この甘い香りを嗅いだのは。

 見藤が既視感を抱いた要因を思い返している間に、東雲と依頼人は事務所を後にしていた。


「夢……、」


ふと思い出した、あの悪夢を見たときだ。見藤が抱く、強烈な違和感。

 そして、依頼人が夢を見始めたきっかけを思い返す。それはさながら伝播しているようにも見受けられる。


「伝播する夢か、これは少し気になるが……。霧子さんはどう思う?」

「分からないわ。夢なんて、人が見るものだもの」

「そうだよな……」


二人の会話はそこで途切れてしまった。



* * *


 件の依頼人は専門的な医療機関に入院することにとなったと、数日後に東雲から聞かされた。なんと、依頼人から東雲に連絡があったのだという。

 いつの間に連絡先を交換していたのかと疑問に思ったが、東雲の行動まで見藤自身が深く関わるべきではないと一線を引いているため、特に追及はしない。


 何しろ彼女は夢と現実の区別がつかないばかりか、夢遊病のような症状まで発症したというのだ。その症状が比較的緩和した折に、東雲に連絡を寄こしてくれたという。


 依頼人の状況を見藤に報告する東雲の表情は、心から依頼人を心配していた。そんな東雲に、見藤は少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。

 依頼人に深入りしすぎるのは良くない、と事前に伝えておくべきだったと後悔したのだ。


 依頼人にここまで共感し、感情移入する感性など見藤は持ち合わせていない。そして、逆を言えば共感や感情移入をしすぎると事の公平性はなくなり、視野は狭くなる。

 まだ社会経験の浅い東雲には難しいことだろう。


「よく、なるといいな……」

「……はい」


 見藤はそんなありきたりな言葉しか掛けられない。東雲を慰めようにも、言葉をかける以外思いつかないのだ。

 報告を終えた東雲は少し俯いた後、向かいのソファーに座る見藤を見据えた。


「見藤さん」

「ん?」

「私の頭、ぽんぽんしてもいいんですよ?」

「しません」

「ちっ、……あ、つい本音が」

「はは、君のそういう所は人として好ましいよ」


 即答する見藤に舌打ちをかます東雲はいつもの調子だ。それが空元気だとしても、彼女の心の強さの支えになっていると良いのだが。


 昔から夢に囚われると現実との区別がつかなくなる、夢を弄(もてあそ)ぶと精神状態に異常をきたす、と言った認知があるのは周知の事実だ。

 覚醒すれば、夢の内容を覚えていないことの方が自然の流れで、生理的に忘れる必要があるから忘れるのだろう。今回の一件、それを人の意思で無理矢理書き換えると起こる弊害だとでもいうのか。


 では、見藤が見た悪夢は一体なんなのか、あれは酷く鮮明だった。忘れてはならないという自己暗示なのか。


「また、何か起こってないといいんだが……」


見藤は一際大きな溜息をつくのであった。

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