第43話 秋声高鳴る頃の花火②
久保が事務所の扉を開くと、見藤が出迎えてくれた。その格好は休業中らしく、いつものスーツ姿ではなく普段着だ。奥のソファーには霧子が座ってくつろいでいる。
「お、いらっしゃい」
「こんばんは!」
「よし、いつも通り元気だな。久保くん」
見藤は久保が白澤の一件で気落ちしていないか少し心配だったのだろう、久保の様子に安堵した表情を見せた。
そして、久保と東雲はいい笑顔を浮かべながら、手に持つ袋から昨日購入した花火とバケツを取り出したのだ。
「じゃーん、今日はこれを皆でやりたくて」
「花火か」「いいわね」
東雲の提案に見藤は柔らかい笑みを浮かべ、霧子は嬉しそうだ。そんな二人の反応を見るだけでも、久保と東雲は嬉しくなり心が満たされる。
そうして猫宮も連れ出し、皆で何気ない会話を楽しみながら河川敷へと向かった。
◇
河川敷に到着すると、見藤が手に持っていた火消用のバケツを適当な場所に設置し、久保が花火を開封し始めた。東雲と久保、霧子は各々好きな花火を選んでいる。
そんな様子を微笑ましそうに眺める見藤の表情はいつになく柔らかい。
秋の夜の空気は乾燥し、澄んでいる。そのため夏よりも花火が綺麗に見えるというのは、知る人ぞ知る秘密の楽しみ方なのだ。そして、三人は各々選んだ花火に点火していく。
点火された花火は色とりどりの火花を散らし、皆の目を楽しませる。少し離れた所で消化用バケツの番をしている見藤に猫宮が声をかけた。
「見藤、お前はらやないのか?」
「ん?あぁ、俺は見ているだけでいい。煙いのは少し苦手でな」
「そうか」
見藤は皆が楽しそうにしている様子を、遠目にみているだけで満足らしい。そんな見藤に、久保と東雲はそんなつもりで皆を誘ったのではないだろうに、と溜め息をつく猫宮。
見藤は皆の様子を遠目に眺めながらも、先日、悪夢に魘された感覚を少し思い出していた。霧子に手を握ってもらったことで悪夢は見なくなったはずなのだが、その感覚がどうにも離れなかったのだ。
そして、その内容の影響なのか、ほんの少しだけこうして思い出を作ることに億劫になっている自分がいる。
「猫宮、見藤さんもこっちに来て一緒にやりましょうよ!」
そんな見藤の胸中を掻き消すかのように、丁度久保の誘いがかかる。そして、見藤に駆け寄ってきた久保が手に持っているのは線香花火だった。
「これなら煙も少ないと思うんで」
「……気を遣わせたな」
「もう、別にそんなじゃないです」
久保はそう言って笑った。
見藤と猫宮は少し離れていた場所から、久保たちが花火を楽しんでいる場所までゆっくり歩く。そして、久保から線香花火を受け取ると火を着けた。ちろちろと小さい火が見藤の目を楽しませる。
そんな線香花火には状態によって名がつけられているのだという。
最初の点火から徐々に火球が育つ蕾、蕾からパチパチと力強く火花が弾ける牡丹、さらに球が激しく四方八方に火花を散らす松葉。そして火花が弱まりしなだれる柳、そして菊の花が散るように一本、また一本と火花が落ちていく散り菊。
火の玉が少しずつ色を変え、光は失われていき、やがてそれは落ちる。
── それが表すのは人の一生。
「あ、やっちまった」
「見藤さん、落ちるの早いですよ」
見藤の呟きと同時に、手に持つ線香花火の火球がぽとり、と静かに落ちた。それを残念そうに眺める見藤を見た久保は、いつか聞いた線香花火を長く持たせる花火の持ち方を思い出す。
「線香花火、長く楽しむやり方ありましたよね」
「そうなのか」
「あるんです、確か……、」
そんな二人のやり取りを見ていた猫宮。耳を上下に動かしている。火車である猫宮が感じ取った事、それは猫宮にしか分からないだろう。そして恐らくそれは誰にも教える事はない。
すると、あちらの方が何やら騒がしい。霧子と東雲が、想像していたよりも激しい火花を散らす花火の扱いに悪戦苦闘しているようだ。
「ぎゃっ!!!霧子さん、その花火、火花が激しい!あっちぃ!」
「きゃっ、ちょ、どうしよう!し、東雲ちゃん!!」
「うわー!そのまま花火が終わるまで耐えてぇ!」
「……何をやってるんだ」
「あはは、賑やかですね」
「あ」
見藤が霧子と東雲に気を取られていると、悲しきかな。線香花火は再び、しばらくしないうちに火球がぽとり、と落ちてしまった。再び残念そうに線香花火の先を見つめる見藤、心なしかしんみりしているような。
すると、どこかともなく呑気な声が聞こえてきた。その声に聞き覚えがあった久保は、一瞬そんなはずはない、と否定してしまった。
「何や、辛気臭い雰囲気やなぁ?こういうのは思いっきり楽しまんと!!」
「えっ、
「よっ!久しぶりやなぁ、久保。元気にしとったか?まぁ、仮釈放ってやつ?いだぁっ!!」
「そんな訳ないだろう。各地で現場検証中だ。同行させられる僕の身にもなれ」
その声の主は先の事件で、地獄に連行されたはずの白沢だった。
今は見藤の力添えと久保の認知の確立により姿を得た、久保の友人白沢としての姿をとっている。
まさかの再会に驚愕している久保。また会えるとは思ってもみなかったのだ。その再会は久保が感じていた寂しさを埋めるには十分だった。
そして、彼の軽口は健在のようで背後に立つ煙谷に、すぱーん!と、後頭部を叩かれていた。そんな煙谷に見藤は目を丸くしている。珍しくきっちり仕事をこなしている煙谷が珍しかったのだろう。
「かの神獣さま、たってのご希望で少し寄り道しただけだよ。誰かさんが着けた首輪もあることだし、逃げはしないだろうからね」
そう言って咥え煙草をする煙谷はどこか面倒くさそうだ。最後の言葉は無視しておこうと思い見藤は目を伏せた。
そんな登場の仕方をするもので、少し離れた所で花火に悪戦苦闘していた霧子と東雲の視線が白沢へ向く。東雲はただの久保の友人としか認識していないのだが、あの場にいた霧子は違う。
そして霧子は見藤が悪夢にうなされる、という要因を作った白沢に多少なりとも怒りを抱いている。
「あんた!!何しに来たのよ!!」
「うわっ、姉さん!!そんな火元を人に向けたらあかん!!ぎゃっ!!!」
依然激しく火花を散らす花火を手に持ったまま、つかつかと白沢に向かっていく霧子と、その火花の餌食になりそうな白沢の叫びが河川敷に木霊した。
「はは、えらく賑やかになったな」
「あはは、そうですね」
そんな様子を眺めていた、見藤と久保は堪らず笑い出すのだった。
── それは過ぎ去ろうとする一夏の思い出にするには十分すぎるほど、賑やかな時間であった。
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