第34話 動き出す、凶兆②


 見藤と煙谷が新たな事件に対峙しようと、策を練っている頃 ――。


 長期に及ぶ夏季休暇は終わりを迎え、久保と東雲は久しぶりの学友達との再会を楽しんでいた。東雲は無事に課題を終えることができたのであろうか、と事前に聞き及んでいた、彼女の課題進捗を久保は心配していたのだが ――。


「うちにかかれば、どうにでもなる」

「はは、それは何より」


 そう言ってブイサインを繰り出す東雲に久保は笑って答える。すると、何やら講堂のほうが騒がしい。そして、聞き慣れた声が響く。


「あ、白沢しろさわ


―― そうだ、どうして今まで忘れていたのだろうか。

 あの夏の肝試し。ことの発端は、友人である白沢だったではないか。自分も東雲も恐怖に震え、何より見藤は首の絞痕こうこんと全身打撲という重度の怪我を負った。

 それは身の丈に合わない正義感が引き起こした事であるが故に、この友人を責められはしないのだが。さもどうして、この友人のことをすっかり忘れていたのか。

 その違和感と理由に辿り着けず、久保は首を傾げていた。


 すると、白沢が久保に気付き、いつもの調子で声を掛けてきた。


「お、久保」

「よ。てか、何してんの……」

「土下座」


久保の白い視線を物ともせず、そう言ってのける白沢。

 白沢は肝試しに行かなかったことを、他の友人に咎められでもしたのだろうか、と久保は彼の周囲の人を見やる。いや、周りの反応を見るに、そこまで重苦しい雰囲気ではなさそうだ。学生でよくあるその場限りの謝罪というパフォーマンスだろうか――、と端的な思考を経て久保は呆れたように溜め息をついた。


「まぁ、いいや」

「久保ぉーー、後生や。助けてくれ」

「はいはい、またな」


 冗談めかし合いながら、笑う二人。

 それは、変わらぬ友人関係そのものだった。―― 結局、この白沢という男は何だかんだ憎めない奴なのだ。

 すると、白沢は思い出したことがあったのか、ふと話題を変えた。 


「お、そうそう。俺な、今度少しの間、田舎に帰るから。こっち戻ったら、ノート見せてや」

「分かった、分かった」


 そうして、久保は白沢と別れた。

 久保の隣で彼らのやり取りを眺めていた東雲は、怪訝な表情をしている。


「どうかした?」

「いやな、何でかな。あの人に会うまで、名前も存在も……すっかり忘れてたんやろ、と思うて」


 久保が感じた違和感は、どうやら東雲も感じたようだ。しかし、その違和感の理由が分からず、二人して首を傾げたのだった。

 思い当たる理由わけを探ろうと、思考に身を任せようとしたのだが、不意に目にした時計の時刻に久保は目を見開いた。


「あ、まずい!講義、始まる……!」

「うちは違う教室やから、ここで!んじゃ!」

「うん!」


 途切れた思考を再び拾い上げる時間もなく、久保は東雲と慌ただしく分かれたのだった。そして、久保は残り僅かとなった講義までの時間に、自身のスマートフォンへ予定を入れる。

―― それは珍しい人物から、調査同行を願うものだった。



* * *


 見藤は事務机に向かい、受話器を手にしていた。彼の眉間には、いつものように皺が刻まれ、怠惰的に頬杖をつきながら応答していた。彼の態度からして、どうやら電話相手は煙谷のようだ。


 煙谷が持ち込んだ、怪異事件(仮)の見藤との共同調査。その調査内容や細かい日程について、情報の摺り合わせを行おうと言うのだろう。

 しかしながら、電話口で話す煙谷は面倒くさそうに溜め息をついた。


『はぁ……この週末、僕とお前でくだんの田舎に向かう』

「えらく早急だな」

『これ以上、行方不明者が増えても困るだろう』


珍しく煙谷の真っ当な意見に、見藤は辟易とした表情を浮かべる。

 煙谷が、まともな意見を言う時は、それ程までに事件がときだ。それは見藤は煙谷との付き合いのうちに、知り得たことだった。

―― しかしながら、田舎というのは部外者に懐疑的なものである。円滑に調査を行えるのだろうか、人の相手は面倒だ。と、見藤の脳裏に浮かび、ぽつりと言葉を溢した。


「しかし、男二人でそんな田舎の村に出向くとなると、悪目立ちするな……」

『だろうと思って、婆さんに根回しするよう掛け合っといた』

「何を、」


見藤の疑問に答えるように、煙谷は言葉を続ける。


『もともと、仕事の斡旋あっせんで外部から人を呼び込んでいたんだ。助手クンには、その仕事の斡旋に応募したていで僕らに同行してもらう。で、君はその引率として同行する』

「駄目だ!!!!」


思いもよらない煙谷の言葉に、見藤は思わず電話口で声を荒げた。

 電話の向こうでは音割れを起こしていることだろう。小さな声で「うるさ……、」と見藤の耳に聞こえて来たが無視をする。

 彼は声を荒げた反動で思わず椅子から立ち上がりそうになったのを、なんとか抑えたのだった。


「巻き込む訳にはいかんだろうが!!」

『彼、もう十分にの人間でしょ。何を今更。それにこの話、助手くんは既に知ってたよ』

「はぁ!?」

『彼が隠れてついて来るようなら、端から一緒に行動した方が安全だと思うけどね?』


 煙谷が言い終える前に、まるで示し合わせたかのように事務所の扉が開いた。見藤はすかさず、扉の方へ視線をやる。

 そこから顔を覗かせていたのは、渦中の人物 ―― 久保だった。


「あの、見藤さん。何か大きな声がしたんですけど、大丈夫ですか?」


 見藤が何も言えずにいると、煙谷は電話の向こうにいながらも、彼らの様子を察したのか。飄々といつもの調子で会話を続けた。


『お、丁度来たみたいだね。助手くんには話はつけてあるから。んじゃ、週末現地集合で』

「あ、おい!待て!!」


―― 見藤の言葉も虚しく、電話は切られてしまった。

 舌打ちをする見藤に、久保は遠慮がちに様子を伺う。そして、見藤は事務机の前に久保を呼ぶ。久保が怖々と視線を上げると、そこには鬼の形相をした見藤が腕組みをしていた。


「久保くん、どういうことだ。説明してもらうぞ」


―― 怒涛の説教が始まる。

 それから、見藤は声を荒げることなく、淡々と久保に説教をしていた。それでは逆に恐ろしい。すっかり久保は縮こまり、小さくなっていた。

 彼の様子に、流石の見藤も言い過ぎたと我に返ったのか、次第に声は小さくなってゆき、終いには眉間を押さえて口を閉じてしまった。


「はぁ……これでも心配してるんだ」

「それは、重々分かってます……」

「なら、」

「でも、見藤さんが僕を心配してくれているように、僕も見藤さんが心配なんですよ」

「…………」


 久保の言葉に、見藤はまさか己が心配される身である、と考えてもみなかったのだろう。僅かに口が開き、目は丸く、見藤はただ呆然としていた。



 久保は気付き始めていたのだ。見藤という男が、悉く自分を勘定に入れていないことを。

 勿論、この事務所で怪異である猫宮や霧子を除けば、見藤は年長者になるだろう。だからと言って、先の事件――、京都で遭遇した人の成れの果て、夏の廃旅館での事件のように、久保や東雲を庇い自分の身を顧みない行動は、誰でも気付くというものだ。


―― 何が見藤にその行動を取らせているのか、分からない。分からないが、そうであれば同じ人間である自分が、少しでも人との繋がりを担うことで、己を顧みない行動を減らすことができれば ――、と久保は思い至ったのだ。

 故に、怪異事件調査の同行という、煙谷からの提案を受けたのだ。


 しばし、静寂の間 ――。

 見藤は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、ぽつりと言葉を溢した。


「………………俺の負けか、」

「そうね」


見藤の呟きに同意する霧子の声が、突然事務所に響いた。

 眉間を押さえながらも、見藤の視線はいつの間にか隣に佇んでいる霧子へ向けられた。


「む、霧子さん。久保くんに何か変なことを吹き込んでないだろうな」

「何も言ってないわよ!」


 普段と変わらぬ見藤と霧子のやり取りを目にした久保は、不思議と笑顔になるのだった。

 そんな久保の様子を目にした見藤は「全く」と、悪態をつきながら首を横に振る。だが、そんな彼の表情は穏やかなものだった。

 すると、見藤は何もない空間に向かって一言。


「そうだ猫宮、いるか」

「あいよ」


見藤の言葉に呼応するように、今度は猫宮が姿を現した。


「今回はお前も同行してくれないか。久保くんについてくれ」

「そうだなぁ。土産の駄賃と思えば……、構わないぞ」

「頼む」


―― こうして、今回の怪異事件調査の段取りは整った。

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