第33話 動き出す、凶兆

 来栖から持ち込まれた依頼を終え、事務所にはしばしの平穏が訪れていた。怪異調査に忙殺されていた夏は、そろそろ終わりを迎えるようだ。


 しかし、久保と東雲の二人はソファーに座ってお互い、顔を見合わせていた。あの忙しさに追われた夏は過ぎ去って行こうというのに依然、見藤の顔には疲労が浮かび、心なしか調子も悪そうだ。

 今日も事務机に向かい、作業をしている見藤を横目にしながら、久保は小声で東雲に話し掛ける。


「ね、東雲さん……。何があったのか聞いてみたら……」

「いや、うちが聞くのも違うやろう……」


 こそこそと二人で話をしていても、見藤は特に気にする様子はない。普段であれば何か問題がないかと常に気を配っていてくれるのだが、それどころではないらしい。

 東雲の隣スペースをその小太りな体で陣取り、毛づくろいをしている猫宮に久保は小声で声をかける。


「こういう時の猫宮先生だろ」

「おい!こういう時だけ名を呼ぶな、小僧」


猫宮は不服そうに、じろりと久保を睨みつけたかと思うと、再び毛繕いに精を出す。

 しかし、これに屈する久保ではない。平然と会話の続きを進める。


「見藤さん、何だか調子悪そうじゃない……?」

「ン?そうだな、俺が休めと言っても休まない頑固者だ」

「霧子さんからも言ってもらえないかな……?」

「……姐さんも何だかんだ見藤に甘いからな。そりゃ、難しい」


 それは意外な情報だった、と久保は目を見開く。いつも目にする光景はどちらかと言うと、霧子に振り回される見藤だ。久保と東雲は、彼女が見藤に甘いというのは想像もつかず、首を捻るばかりであった。

 すると、どこからともなく現れた霧子が、抗議の声を上げた。


「そ、そんなことないわよ……!」

「照れることはないぜ、姐さん」


どうやら、彼女は先程の会話を聞いていたようだ。

 拗ねた表情をしながらも霧子は猫宮に向かって睨みを利かせているが、事もなげな様子で猫宮はけたけたと笑っていた。


 するとそこへ、珍客が現れる ――。


「やぁ」


煙谷だった。そして、彼の隣にはいつぞやの女記者、檜山の姿があった。

 煙谷の呑気な声が事務所内に響いたかと思えば、見藤の鋭い視線が彼を射抜いた。


 前回、煙谷が事務所を訪ねて来た時は、付喪神である鳴釜をこの事務所に捨て置かれ、迷惑千万被ったのだ。そして、鳴釜をキヨに引き取ってもらうと今度はその引き取り料だと言わんばかりに、後日見藤は見返りを要求されたのだ。その元凶である煙谷を見藤が許すはずもなく ――。


「何の用だ?」

「うわぁ、その目。止めた方がいいよ?」


 類を見ない見藤の苛つきに流石の煙谷も「やだやだ」と言葉を漏らし、わざとらしく手を振る。

 そんな二人のやり取りを困ったように見つめる久保と東雲だ。そして煙谷に連れられて事務所を訪れた檜山は、初めて目にする見藤と煙谷の犬猿の仲に呆然としている。


 突然の来客に眉を寄せたのは、見藤だけではなかった。東雲は眉をぴくりと動かした。その視線は檜山の、低身長に似合わず豊満な胸部に注がれている。―― 久保は何かを察した。どこか遠い目をしている。

 東雲はすっくと立ちあがり、久保の隣へと移動する。そうして、小さな声で耳打ちしたのだった。


「はーーん、うちらの見藤さんに色目を使おうなんて、ええ度胸してますなぁ」

「いや、あの人もそう言う……、つもりはないと思うよ?」

「久保は黙っとき」

「あ、はい」


 東雲は悪態をついた。人のないものねだりは時にあらぬ方向へ昇華されるようだ。

 二人のやりとりを眺めていた霧子は、思うところがあったのか ――、気配を消して、見藤の元に寄り添い立った。それは、彼女の怪異らしい特質だろう。

 突然の霧子の行動に見藤は驚いた様子だったが、彼女の表情を目にすると、険しかった表情を柔和なものに変えたのだった。

 そんな見藤と霧子のやり取りを眺めていた東雲は、ここぞと言わんばかりに浮足立っている。


「霧子さん、逆に見せつけるタイプ……?」

「いや、霧子さんの姿はあの人には視えてないみたいだよ……?東雲、やめな?」

「ハイ……」


珍しく久保に咎められた東雲は意気消沈し、大人しくなっていた。

 そんな会話をしながらも久保は、檜山が茶封筒を抱えていることに気付く。

―― あれは、見藤への依頼書なのか。はたまた、怪異事件に関する資料なのだろうか、と久保の好奇心は沸き上がり、観察眼は鋭い。 


 そんな助手二人のやりとりなど構いなく、見藤と煙谷のいつものやりとりは続く。


「まぁまぁ、前回のことは水に流してさ」

「その台詞をお前が言うな」


 煙谷は悪びれる様子もなく、見藤の元に足を進めて行く。それに伴い、見藤も席を立った。彼の背後には、怪異として気配を消した霧子がそっと佇んでいる。

―― 霧子は、無意識のうちに見藤が女性を避ける傾向にある事を知っている。無意識であるが故に、その心労による疲労感は大きい。こうして、見藤に寄り添い立つことで、少しでも彼の傍に在ろうとする霧子の健気な一面だろう。


 無論、煙谷からすれば霧子の行動は理解できず、怪訝な顔を晒していた。そんな煙谷の様子に睨みを利かせる見藤は、席を立ったはいいものの。ソファーは使用中であるため、机に少しだけ腰かけ、腕を組んだ。

 すると、この場でいいと言わんばかりに頷いた煙谷は檜山に声をかける。


「檜山、渡してやって」


 煙谷に促され、檜山は抱えていた茶封筒を開封する。中には、一部分が黒塗りにされた書類が入っていた。そして、そっと見藤に手渡す。


 その書類を受け取った見藤は無言で目を通していく。度々、眉間に皺を寄せながら、目線が徐々に下げられる。そして、大方見終わったのだろうか、書類から顔を上げるや否や ――――。


「久保くん、東雲さん。今日はもう帰りなさい。これから少し、こいつと仕事の話がある。……すまんな」

「いえ……分かり、ました」


見藤の言葉を受け、久保が戸惑いながらも頷いた。

 それは二人にとって、ある種の拒絶のようにも捉えられたが、久保と東雲は見藤の指示に従う他なかった。それ程までに、見藤の雰囲気が普段と違っていたのだ。

 久保が東雲を見やると、彼女も「今日はもう帰ろう」と言わんばかりに頷いている。二人は簡単に荷物をまとめると、皆に簡単な挨拶をして事務所を後にした。


 久保と東雲が退室し、事務所の扉が完全に閉じたことを見藤は確認する。すると、煙谷はこの時を待っていたかのように、もったいぶった口調で話し始めた。


「と、まぁ……和やかな話はここまでだね」

 

 見藤は事務机にもたれて話を聞くようだ、書類を片手に持ちながらも腕組みをし、次の言葉を待っている。それに倣うかのようにソファーの上で寝ころんでいた猫宮も事務机の上に移動し、聞き耳を立てている。

 そして、今度は檜山が口を開く。


「とある田舎で、過去に訪れた人が不慮の事故で死亡した事件がありました。そして最近になり、その田舎で行方不明者多数。そんな出来事が重なったらしいんですよ。それは日雇い労働者だったんですが……職業不定者、住所不定者ばかりで。要は、いなくなっても誰も怪しまない人達、です」


神妙な面持ちで言葉を紡ぐ檜山。

 心霊特集を取材する檜山にとって、何かネタになるようだと記者の勘が働いたのだろう。それを調べていくうちに、意外なモノを発見したようだ。

 煙谷がその先の言葉を引き継いだ。


「その田舎の記録を、婆さんに情報照会をしてみたんだけど ――」

「キヨさんに?」

「そう、そしたら面白い記録があった」


 煙谷が言うことには、その田舎がまだ村だった時代。昔、現代と司法が異なる時代にまで遡るのだが ――。



 昔、その村では村人が一人、また一人と惨殺されるという事件が起こった。そしてそれは必ず、体のどこかの臓器が綺麗になくなっていたというのだ。村人たちは恐怖し、団結を強めたが、これは村の内部で起こった話だ。


 その当時、まだ交通など人の足か馬の時代だ。それほど人が行き来するような土地ではない。よそ者が来ればすぐに分かる、来客と言っても村人の監視がついている。ということは、その犯人は村の中に潜んでいるということになろうか。

 

 村には面倒見のいい若い男がいたそうだ。村人達はその男をとても頼りにしていたという。しかし、ある時。その怪奇殺人の犯人が捕まったとされ、村人達はその犯人の顔を見て驚愕した。犯人は、その面倒見のいい若い男だった。


 なんでも、惨殺した遺体から臓器を取り出して、臓器売買を行っていたというのだ。そして、その臓器を買っていたのはどこの誰なのか、真相は分からないまま、その男一時は逮捕された。しかし当時、精神状態の異常をきたしているとされ、結果釈放。その村に帰されたと。その後、どうなったのかは記録にも残っていない。



「そんな臓器売買と言った、いわくのある田舎で行方不明者、あからさま過ぎるような気がしますが……、何かあるかと。記者の勘ってやつです」


鼻を鳴らしながら、檜山は話を締めくくった。

 見藤は眉間を押えながらも、彼女の話を静かに聞いていた。見藤にとって村というのは忌まわしい物の対象だ。ましてや人にまつわる、そのようなが残っている村など、既に嫌な予感で頭痛がするというものだ。

 檜山の話を聞き終えた見藤は大きな溜め息をつき、率直な疑問を煙谷に投げかけた。


「それは……、怪異絡みである確証は?どちらかと言えば、過去人間が起こした事件、今回は事故、という線は?」

「怪異の間で人間の臓器は生薬として重宝される、と噂話があると言ったら?」

「……少し話は変わってくるな。だが、そんな話は聞いたことがない。その事件は大分昔の話だろう、昔からそんな話があれば俺の耳にも入る」


そう断言できるのは見藤の特殊な育ちからだろう。

 見藤の言葉を聞いた煙谷は肩を竦めながら、自らの意見を述べる。


「それは分からない。あぁ、勿論そんな人間の臓器が怪異に効くなんて嘘だと思うよ。というか、そもそも怪異……妖怪の類が病気になるって、少なくとも僕は聞いたことがない」

「そんな物が出回っているとして……何故、怪異が嘘をつける」

「さぁ、僕も分からない」


分からないことだらけだな、と煙谷を見て皮肉に笑う見藤。


 例のおしゃべりな鳴釜も、怪異は嘘をつけないと断言していた。それよりも前に見藤の経験から言わせても、怪異は嘘をつくことはできないという制約は確かだろう。それは人で言う、言霊だというのだ。

 嘘を現実にしなければならなくなる。例えそれが自身で無理だと分かっていても。そうしなければ、その制約を破った罰がその者を待ち受けるのは想像に容易い。


 皮肉に笑った見藤とは対照に、不意に煙谷は真面目な口調で話し始めた。


「婆さんはこの一件と、この夏の事象を切り離して考えているようだけど……。僕は違うと踏んでる」

「あれか、霊魂を喰らう認知の浅い怪異」

「それだけじゃない、」


 煙谷のその言葉に見藤はこれまで視てきた変異した怪異を思い出した。

―― 飢えに呑まれた妖怪、姿を取り戻そうと人の贄を欲し続ける怪異。そして煙谷の、怪異に効くと流説された人間の臓器を生薬とするという話。そして、あの鳴釜の話だ。


 それら全てに共通することはただ一つ。自然の流れ、摂理に沿って起きたことではないということだ。逆にそれ以外ではなんら共通点が見当たらない。一つひとつが何も干渉していない、それは不自然だ。

―― 怪異や妖怪といった存在ものは人の認知、そして自然と共にある。

 見藤は思い当たる言葉を口にする。


「誰かの、入れ知恵だと言っていた」

「あぁ、鳴釜の話ね」

「……お前なぁ、」


 平然と鳴釜の話をする煙谷にあの迷惑を被った三日間が思い出され、見藤の咎めるような視線に煙谷は肩を竦める。


 見藤からすれば今回、煙谷はどこか先を見据えて行動しているような気がしてならない。それを問いただした所で、彼はいつものように、のらりくらりと飄々とした態度で逃げるのだろう。見藤が本題とは違ったことを考えていると、煙谷の言葉で意識を引き戻された。

 このとき、他に意識を向けていた見藤は、事務所の扉の向こう側からした僅かな物音。そして、それに気付いた煙谷など眼中になかったのだった。


「と、まぁ。今日はこれくらいかな。これはあの婆さんからの依頼じゃない、僕からの共同調査依頼だ」

「あぁ、構わん。俺も気になっていた事象だ」

「また追って連絡寄こすよ」


 仕事の話となるとこうもスムーズに会話が進むのか、と二人の様子を伺っていた檜山は驚いた表情を浮かべていた。先程、目にした犬猿の仲とは程遠い二人の掛け合いだったのだ。


 檜山からすれば、二人の会話の内容は分からず、要は蚊帳の外であった。しかし、不思議と悪い気分ではなかったのだ。己の情報がきっかけとなり ―― なんでも良い、少しでも彼らの助けになった、という事実が檜山の記者である性分を満たすのだ。


 見藤と煙谷、二人の会話に目途がたった頃だろうか。その折り合いを見計らって檜山は見藤に熱い視線を送る。


「あのぅ、見藤さん……やっぱり一度、怪異事件の取材を ――」

「お断りします」


見藤、間髪入れずの拒否。

 予測はしていたが、やはりこうも面と向かって拒絶されると、流石の檜山も落ち込むものだろうか。彼女は少し項垂れている。


「まぁ、情報は感謝しますよ」


と、いつになく営業スマイルで対応した見藤を見る、煙谷の辟易とした表情は面白いものがあった。

 そして、その後。煙谷と檜山は事務所を後にした。


 二人を見送った見藤は椅子に腰かけ、事務机の上に寝そべっている猫宮の背を撫でる。そして、気配を消していた霧子は、椅子に座る見藤の肩に手を添えて傍に寄り添っていた。

 見藤が不思議に思い、霧子の名前を呼んだ。


「……霧子さん?」

「胸騒ぎがするのよ」

「……そうか。無茶はしないさ」


普段は強気な霧子だが、今日は珍しく弱気だ。

 そんな彼女を安心させるように、見藤は肩に置かれた手の上に自らの手を重ねたのだった。

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