番外編 小野小道具店


 その日は不思議と霧に覆われた朝だった。

 京に店を構える小野小道具店の店先で、店主である小野キヨは珍しい光景をしばらく眺めていた。昔は霧がよく出ていたと聞いていたが現在ではその数を減らし、風情溢れる古の和歌に詠まれたような光景はそうそうお目にかかれない。

 キヨはそんな珍しい光景と手に握る一通の手紙を交互に見る。


「この便りを寄こしたのは一体……、」


 その便りには、霧の出る頃に店を訪ねること、そして便りの送り主のことだろうか、自分を雇って欲しいと、要約するとそのような内容が綺麗な字で書かれていた。

 そして、その手紙には切手は貼られておらず、キヨが感じるまじないの痕跡。


「こんな高等なことができる呪い師なんて……、そうそういないねぇ」


ぽつりと呟いた独り言は霧の中に消える。

 もうすぐ初老を迎えるこの体にはこの季節の朝は少し寒いらしい、少し肩を震わせながらキヨは店の中へと戻って行った。そして、店の屋根に取り付けられた鍾馗しょうきんは、ひっそり霧の中を見つめていた。



* * *


 そしてその人が訪れたのは、それから少し後のことだった。

 扉を遠慮がちに開かれその姿は半分隠されているものの、その主は少年であろうか。そして、この少年があの手紙の送り主だろうか、纏う気配があの手紙と同じであったからだ。


 彼女は、まさか送り主が少年だとは思っておらず、まじまじとその姿を見ようとしてその扉の隙間を見てしまった。

 扉から覗く少年の身なりは至って普通、しかし所々汚れが目に付く。どうやら、なかなか難儀な道中であったようだ。しかし、その割に背負う荷物は少ないようにも見受けられる。


 少年はキヨの姿を確認すると、店内へと足を踏み入れて挨拶を交わそうと彼女を見やる。

 心なしか、その目が不安そうに揺れているのを、彼女は少しばかり感じ取っていたようだ。怖がらせないようにと、なるべく柔和な声で話し掛けようと思っていたのだが ――。


「ごめんください」

「おいでや、す……、お前さんなんて、けったいな物を……」


 キヨは一目見てその少年が異様だと理解し、思わず言葉に詰まってしまった。古より、あの世とこの世を繋ぐえにしを持つ小野一族だ、怪異の類は身近な存在だった。


 そんな一族の末裔であるキヨから見ても、その少年に取り取り憑いている怪異の存在は異様だ。彼女の目に映るのは、少年の背後を守るように佇む大きな影。それは髪が長いためか、女のようにも見える。

 しかし、それはぼんやりとしており鮮明にその姿を捉えることはできない。それはさながら怪異の本体ではなく気配だけがぼんやりと佇んでいるようだ。

 キヨは気を取り直し、少年に名を尋ねる。


「名前は?」

「……その家名は、うちみたいな道具屋でも十分に聞き及んでいるよ。……この便りを寄こしたのはお前さんかい?」

「あぁ、」


 彼女が驚いたのは、”見藤”という名だ。その名を持つ者が直々に道具屋などに訪れるはずがないのである。キヨはこの店を継いでしばらく経つが、その家はいつも幾重にも代行者を雇っていたからだ。その理由は恐らく、足が付かないようにするためだろう。


 まじないを生業とし、莫大な富を築いているというその家はとある山の麓にある村に住まうという話は風の噂で聞いていた。しかし、あくまでも噂だった。その山がどこか、その村は実在するのか、何も情報がないのだ。


 その家が扱う呪いは人道に反することまで及んでいたと、少年の話の後に知ることとなる。しかし、道具屋はあくまでも道具を売るまでが役目だ。その道具を善悪どう使うのかなど、一介の道具屋が意見することなどできない。それはその少年も理解しているのだろう、何も言うまいと唇を噛んでいた。


 この出会いのちに、呪いに欠かせない道具を扱うという強みを生かし、ある時は呪い師の弱みを握り、こうした不可思議な社会を情報と役割で総括する道具屋へと変貌していくのは、もう少し先のことだ。


 そして、ふと疑問が浮かぶ。この少年がその村の出だというのであれば。


「お前さん、どうやってその山を越えたんだい?」

「自力で。あぁ……後、あの山隠しの呪いは破れたから、今は誰でも行き来できる」


キヨは思わず眉間を押さえた。そして、その辺の蛇でも開いて焼けば食える、冬眠前で太っているし動きも鈍い、とあっけらかんと話す様子に今度は眩暈を覚える。

 そうして、何があったのかと尋ねるキヨに対して、少年はこれでもかという程苦痛に満ちた表情をしたのだった。あまり話したくないのだろう。

ただ、ぼそりと、


「土神が堕ちた、あそこの土地はもう駄目だと思う」


そう話した。彼の苦痛に満ちた表情を見れば、それ以上は聞けなかった。

 呪いを生業としている秘匿された村、そこから一人出てきた少年。その状況から察することがある。


(一体どんな育ち方をしたらこんな、)


子に恵まれなかった彼女の少年に対するそれは、同情や憐れみだったのだろう。歳に見合わずえらく大人びている、そして自分で生きる術を模索している。まだ大人の庇護が必要なはずの歳の少年が、だ。

 キヨの中では既に手紙の返答が決まっていた。


「うちで働くのは駄目」

「なんで、」

「お前さんはまだ子どもでしょう」


 そうキヨから言われた時、少年は意味が分からないという表情をしたのだ。そして、彼女に断られた時に見せた路頭に迷う就労者のような絶望にも似た表情。それはこの少年のような齢の子どもがするような表情では決してないだろう。


(……ほれ、みなさい)


恐らく自分の想像は当たっている、彼女はそれを確信に変える。


 いつの時代の呪い師も、それを扱うことができれば人手として頭数に入れられる。例えそれが、身の危険を伴っていたとしてもだ。それを、金に異様なまでの執着を見せるあの家がこの少年を利用しないはずはない事など容易に想像できるというものだ。


 少年の一挙手一投足が、育ってきたであろう境遇を物語っているかのようだと彼女は思う。

 少年は毅然とした態度で大人と話すものの、住まう村の土地神が堕ちるといった不幸の体験からなのか、ふとした瞬間に見せるどこか怯えた表情。しかし、それとは真逆のこの行動力。

 一体、彼の過去に何があったのか。しかし、それを尋ねるのは彼の傷を抉ることになると想像に容易い。


 キヨは溜め息をつくと、少年を見据えてこう言った。


「はぁ、暫くうちにいるといいよ」

「……、」

「それと、ちゃんと子どもらしく学びに行きなさい」


彼女の言葉に少年は目を見開く。

 彼からすれば、思ってもみない言葉だったのだろう。それから今度は眉を寄せ、少しばかり警戒の色を滲ませたのであった。


 こうして呪いを扱う彼が書く文字はとてつもなく綺麗だ。そして、その所作はある程度の教養を身に着けていることが伺える。しかし、それまでだ。

 秘匿された村。そんな特殊な環境下で育ったのであれば、ある程度の境遇も想像できるというもの。彼は恐らく、初めて村を出たのだ。そして、この現代の街並みやシステムに四苦八苦しながら、ようやくここまで辿り着いたのだろう。

 キヨはこの少年が普通の社会を知ることがまず重要だと考えたのであった。


「荷物は?」

「……これだけ。でも、俺はっ、」

「…………」


何も対価を払えない、そう小声で呟いた少年に彼女は更なる眩暈と頭痛を覚えるのであった。

 子どもは子どもらしくいればいい、そう考えるキヨにとってこの少年はあまりにも痛々しい。


「そんなもの、今は気にしなくていいよ。子どもは学校へ行き、学び、人を知る。うちで働く前に、まずはそこからだ」

「………………人は嫌いだ」

「あぁ、そうだろうねぇ。でも、人の社会は人によって作られる。そんな中で処世術を身に着けるのも大事なんだよ。まぁ、対価に関して言えば、お前さんの気が済まないって言うのなら……そうだね、一人前になった折にめいいっぱい働いてもらおうかねぇ」

「……は、い」


キヨの言葉を聞いて、気まずそうに俯きながらそう返事をした少年を見つめるキヨは、どこか安心したような表情を浮かべていた。

 それは少年が初めて受ける、人からの善意だった。しかしそれはただの施しではなく、しっかりと少年を対等な人間とする、公正な取引であったのだ。まぁ、しかし、この取引のちに十数年後、忙殺される中年がこの時の取引を公正だと思うのかどうかは、また別の話だ。


 そうしたやり取りが、店内で行われている頃。村を出て最初に関わった人間がキヨのような大人でよかったと、店の屋根にある鍾馗しょうきんに睨みつけられながら外で待つ霧子は思ったのであった。

ほっと、胸を撫で下ろし、これからの少年の行く末を案じた。


 元より、秘匿されていた村の出だ。戸籍なんぞどうにでも弄れる、と笑みを浮かべながら話すキヨに対し、曲者の片鱗を垣間見た少年は思わず身震いするのであった。




 そうして少年、見藤は文字通り成人するまでの間、キヨの養子としてその身を置くこととなる。

 キヨの話によれば、何も呪いを生業としているのは見藤の家だけではないらしい。他にも、政界や新興宗教、現代企業、そして警察や検察と言った司法の傘を借りて、その力を振るう名家があると教わった。そして、その家々が得意とする呪(まじな)いにも特徴があるのだと。


 それからキヨの言いつけ通り、学校へ通うこととなり、学校という狭い世界ではあったものの人間関係における”普通の社会”の縮図、というものを少しだけ経験した。その折、悪友とも呼べる友人を得たのだが、その話はまたの機会に。

 もちろん、その後はその呪いの腕を買われた見藤は店の手伝いもとい修行として、大いにしごかれた期間があったのだが、それはそれで比較的楽しい経験だったようだ。


 人は人の中でしか生きられない、その言葉を胸に抱えながら生き方を模索しているのだった。

そしてその傍にはいつも彼を見守る怪異の存在があった。

 


* * *


 そうして現在、大恩があるためキヨには頭が上がらない見藤は今日も電話口でキヨに振り回されている。


『あぁ、そうそう。そろそろ梨が美味しい季節だねぇ。』

「はぁ、……そうだな」

『いつ頃届くかねぇ?』

「…………、…………明後日には送るよ」

『あぁ、ありがとう。それとね、一つ調査して欲しい事が、』

(この婆さん、年々図々しくなってないか……。)


受話器を片手に眉間を押さえる見藤を見つめる霧子。


(まるで、やんちゃな祖母と振り回される孫ね。)


彼女はそう思い、密かに微笑むのだった。




おまけ

「にしても、あんなに綺麗な顔をした少年だったのに……、今じゃ図体の大きい筋肉達磨……悲しい」

「……なんの話をしてるんだ、霧子さん」

「こっちの話よ……、」


「おほほほ」

キヨさんの育成計画のおかげで立派に育ちました。

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