第35話 動き出す、凶兆③


「で、何が現地集合なんだ!あいつは!!」


 見藤、怒りの悪態は秋の澄んだ空に消えた。そこに煙谷の姿はなかった。


 見藤と久保が降り立ったのは無人駅から、さらに地元を運行している一日に数本しかないバスを乗り継いだ、田舎の寂れた役場だった。手続きを終えると、役場から職員が運転するバンに乗って目的の地域へと向かうのだそうだ。


 見藤はスーツのジャケットを整えると、その背にバックパックを背負い直した。今回は数日間の宿泊だ、そして、その荷物の中にはいつもの道具を忍ばせている。彼は密かに、使わないことを祈る。


 一方、久保は学生らしく動きやすい普段着に宿泊用の荷物を背負う。猫宮はいつもの猫又の姿だが一般人には視えないように気配を消しているようだ。久保の足元を軽快に歩いたり、気まぐれにぴょん、と彼の肩に乗ったり。


 そうして、職員に案内された二人は白塗りのバンへ乗るように促された。揺れる車内、見藤と久保は職員から仕事の内容を聞かされる。


「いやぁ、助かりますよ。あの地域は過疎化が進んで、こうして外部からお手伝いをしてもらえる方々を呼ばないと、夏の間に伸び放題になった草むしりすら出来なくて」


職員の説明を受け、久保が相槌を打っている。更に、職員が言葉を続ける。


「あぁ、でも、今回のお仕事は慰霊碑参りの代行も一緒ですね。残りのもう一日は天候によって中止の場合を考えておりますので予備日です。何もなければ一日休日となります。そして、その翌日にお帰り頂くと言う流れですね」

「そうなんですね、頑張ります」

「ありがとうございます」

「ところでこの辺りは――、」


 まず今日は一日移動、そして宿泊。明日からの仕事となること、内容は先の会話の通り、草むしり。そして明後日は、山の中腹に建てられた慰霊碑の参拝代行だ。

 この地域では高齢化によって参拝すらもままならないというのだ、そのため参拝も外部からの働き手に依頼しているという。


 こういう時、久保のコミュニケーション能力は素直に関心する、と見藤は会話を進める二人を眺めながら考える。

 そうして、久保と職員は助手席と運転席で他愛ない会話をしながら、バンはあまり舗装されていない道を走る。


 見藤が窓の外へ視線を向けると、それはどこか懐かしい田舎の田園風景だが、どこか閉塞感を感じさせる。そして、車で走っているというのに、どこからともなく感じる視線は一体何なのか。怪異か、人か、分からない。見藤は目的地に到着するまで目を閉じた。



そうして、目的地に到着したのは夕刻前だった。


「着きましたよ、お疲れ様です」

「ありがとうございました」


 バンはとある民家の前に横付けされた。見藤と久保が案内された民家は、こうした外部からの働き手を宿泊させる場所のようだ。造りは古く昔ながらの茅葺屋根で、縁側や土間があるようだった。


 出迎えてくれた老夫婦とその息子だろうか、息子と言っても五十代後半から六十代の初老だ。職員とその者達は軽い挨拶を交わすと、見藤と久保にも挨拶をする。


 そして、今日は既に夕食を用意してあるというのでご相伴に預かることになった。風呂も離れにあり、要は民泊のような形だ。

 老夫婦からは、田舎のため身の回りの生活には不便をかけるが、明日明後日とよろしく頼むと頭を下げられた。それに見藤と久保もつられて頭を下げる。


「明日の地域の草むしりと、明後日の慰霊碑参り代行は滞りなく準備を進めていますので」

「分かりました。毎年ありがとうございます」


 そんな会話を職員と老夫婦は交わしている。傍から見ればただの進捗伝達なのだが、見藤は少し気になったようで懐疑的な目をしている。

 煙谷とキヨからの情報では怪異関連の調査であると断定されてはいるが、過去の事件、そして今回の事象に人の手が全く介入していないという確固たる証拠もないのだ。―― 見藤にとって、最初から疑う方が楽なのだろう。



 そして翌朝、久保が目を覚ますと隣に見藤はいなかった。

 綺麗に畳まれた布団がそこにあるだけだった。部屋の隅に置かれた見藤の荷物、そして掛けられたジャケットはそのままだったため、久保は少し安心する。ふと、視線を下げると猫宮は久保の布団の上で丸くなっている。


「どこに行ったんだろ……、見藤さん」


 久保が身支度を終え、居間に行くと縁側から見える光景に少しばかり驚く。見藤が軒先から少し離れた所で薪を割っていたのだ。軽装だが動いていると少し汗をかくのか、時折額を拭っている。近くには既に綺麗に割られた薪が多く束ねられている。


 どうして薪を割っているのかだとか、その薪を割る見藤の動きに一切無駄がなく綺麗に薪が割れている、それはどこで培ったのか、など一気に色々な疑問が浮かび上がってくるが、とりあえず声を掛けておこう―― 。久保はそう思い至ると、声を張り上げた。


「見藤さん!おはようございます。どうしたんですか、それ」

「お、久保くん。お早う。いや、早くに目が覚めたんで……その、手伝いだ」

「そう、なんですか」

「気にするな」


 見藤が言うことには、早朝起床すると老夫婦の息子が薪を割る際にぎっくり腰になってしまい、身動き一つできなくなったと言うのだ。そして、そこで何故薪を割っているかというと、今日は一斉ガスの点検で一日ガスの供給が止まってしまうという。

 昔は風呂屋があったため、こういった時は皆、風呂屋の世話になっていたそうなのだが、そこも廃業してしまったらしい。その息子の代わりに、見藤は外で薪を割っていたのだ。


(体は覚えているもんだな……)


薪を割りながら、見藤は懐かしさを感じていた。

 今日、明日の台所で火を起こす分、風呂を沸かす分、大体の必要な量は感覚的なものだが予測はできるというもの。その先にある、思い出はそっと胸の奥に閉まった。

 そうして、見藤は一人で薪を割り終えてしまった。


 すると、今度は土間で火を起こし、米を炊く見藤に関心する老夫婦というなんとも珍妙な光景が繰り広げられた。流石の老夫婦も、外部からの働き手がここまで昔の生活に馴染めるというのは驚きを隠せない様子だった。

 見藤からすれば、それは老夫婦への善意などでは全くなく、ただ自分と久保が残り三日少しでも快適に過ごすための投資をしたに過ぎない。


「いや……、俺がガキの頃もこうして米を炊いていたもので。……とてつもなく、田舎の出ですから」


―― そう言って、遠慮がちな笑みを浮かべ、はぐらかす見藤の表情はどこか寂しげであった。

 そして、久保はその一連の出来事を見て、見藤が不思議と機器類が苦手な理由がどことなく分かった気がしたのであった。


「薪も今日明日程度ならもつでしょう。手斧は片付けておきます」


 見藤はそう言うと、老夫婦に手斧を返す場所を教えてもらい、そこへ向かった。そこは道具ばかり収納された小さな蔵だった。

 見藤は言われた通りの場所に手斧を戻そうとするが、そこで目に入る一か所に纏められた、やけに錆びついた手斧や鎌。経年劣化にしては少し黒味が強く、なにやら刃の部分に付着物があるのが見て取れる。


 キヨの情報、この村で起きた昔の事件が頭をよぎったが、部外者に簡単にこうも気取られるようなことはしないだろう、あまり深く考えるべきではないのかもしれない ――、と見藤は憶測を払拭するように首を横に振った。



 そうして、時刻は地域の草むしりが始まる時間となり、見藤と久保は職員の迎えと共に移動を開始した。そのバンには――、


「よ、」

「お前……」


呑気に挨拶をする煙谷の姿があった。

 見藤はそれ以上何も言わず、仏頂面で煙谷の隣の座席に腰かけた。そして、運転席と助手席では昨日と同じように職員と久保が和気あいあいと会話をしている。


(こういう事が上手いよな、久保くんは)


 それは見藤と煙谷にとっては好都合、久保の会話によってこちらの会話を少しでも気取られないようにできる。

 見藤と煙谷はお互い視線を合わせることなく聞こえるか聞こえないか、そんな声量で少し情報を共有する。先に口を開いたのは見藤だった。


「まさか、違う宿泊場に案内されていたとはな」

「外部からの人間は一か所に集めた方が監視しやすいと僕も思うね」

「はぁ……、閉鎖的な連中は何を考えているか分からん」

「まぁ、まずは明日だ。行方不明者はおそらく明日の慰霊碑参りで出ているだろうね」

「珍しく同意見だ」

「明日は槍が降るな」

「……、」


ちらりと運転席の方を見やる、煙谷の軽口に応える時間の余裕はないようだ。


 そもそも、その慰霊碑とは何の慰霊碑なのか、キヨの情報から想像するにその慰霊碑とは過去の事件によるものか。だとすれば、やはりこの行方不明者の一件はその人体生薬の生成目的とし、流れを引き継いだ何者かによって引き起こされたことなのか。考えても埒が明かないと、見藤と煙谷は互いに口を閉じたのだった。


「着きましたよ、今日はよろしくお願いします」


 職員の一言でバンは停止した。三人が車から降りると、この人たちも外部からの労働者だろうか、人が数名集まっていた。それはやはりというか、どれも不穏な雰囲気を持つ者が多いように感じた。


 その土地は意外と広大で、雑草が生い茂っている。久保が職員から聞いた話では、もともとは農耕地だったが長年放置されていたという。

 それを近年話題の農業体験場として、この地域を売り出すための準備を行っているそうだ。確かに、今朝のように薪を割り、火を起こして食事を作れば、立派な体験型施設になるだろう。


 そうして、集められた働き手たちによる草むしりは始まった。無論、引率である見藤、煙谷も頭数に入れられているため、監視の目の手前サボることはできない。

 久保と見藤は草むしりに取り掛かる――、が時間が経過するにつれて、久保の顔には疲労が滲んでいた。


「流石に疲れてきた……、」

「はは、情けないな、久保くん」

「いや、見藤さん、おかしいですよ。朝は薪割して……どうなってるんですか」

「山育ちだからな」

「え、本当にそういうのって関係あるんですかね」

「さぁ?」


現代っ子の久保には少し辛かったようだ。

 久保は見藤と明らかな体力差を見せつけられ意気消沈している。因みに煙谷は、上手い具合に二人の視界に入らないよう草むしりをサボっていたのだが、二人は知る由もない。


 いくら酷暑は過ぎ去り秋を迎えたと言っても、まだまだ日中の気温は上昇する。いくら作業がしやすい服装とは言え、草むしりのために肌を露出する訳にもいかず長袖、長ズボンという格好だ、それでは熱が籠りやすい。


 見藤は久保の様子を見ると何か飲み物をもらってくると言い残し、その場を離れた。すると、久保はどこか見覚えのある人影を見つけた。それはこちらに気づくと、久保と同じような反応をしたのだ。


「あれ、白沢……?」

「は?久保やん、どうしてこんな所におる?」

「いや、バイト……白沢は?」

「俺はここが地元やからな。毎年、この時期はこうして地元の手伝いに帰って来とんねん」

「そうなのか」

「まぁ、バイトならここの人らに良くしてもらえるから、頑張ってな」


白沢はそう言ってどこかへ行ってしまった。

 不思議な縁とはどこにでもあるものだな、と呑気に久保が思っていると、ペットボトルを手にした見藤が戻ってきた。見藤は久保にペットボトルを渡す。


「久保くん、誰と話してた」

「え、あぁ。知った顔がいたので声を掛けたんです。大学の友達で、地元がここだって言ってて、ほんと偶然でした」

「そうか」


 見藤はそう言って久保の肩を視た。そこには梔子色(からしいろ)をした何かが付着しているのだ。これは恐らく久保には視えていないだろう。ふむ、と見藤は何かを考えた後、その何かを手で払った。

 そして、その何かは見藤の手に付着すると動物のような毛に見えたが、それもどこか違う。意思を持って漂うような動きをしている、なんとも不思議なものだった。


「……」

「見藤さん?」

「いや、なんでもない。、会えてよかったな」

「はい」


嬉しそうに返事をする久保に、見藤はなんとも言えない表情をしていた。

 そして、昼過ぎには食事が振る舞われ、一旦休憩を挟み、作業は再開される。そうしてひと段落した頃には、皆の顔には疲労が滲み出ていた。その中で煙谷と見藤だけは平然としていたのだが、気にする者はいないだろう。


「今日はお疲れ様でした。また、明日は慰霊碑参りの代行もありますので、よろしくお願いします」


職員がそう総括するとその場で解散となった。

 帰りの車内、久保は疲労からかぐっすりと眠ってしまっていた。乗るときに後部座席へ座るように言っておいて正解だったな、と見藤は眠る久保を見て思う。


 いよいよ明日、行方不明者が多数出たと推測される慰霊碑参りの代行が行われる。見藤は与えられた客間で夜な夜な荷物を広げ、何やら準備をしていた。


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