第31話 過去編 心情、血煙を上げる②

※シリアス、ダーク、R15 苦手な方はご注意下さい。


 ―― 霧子はその日。胸騒ぎがした。

 早朝だったが、霧子は少年と会うため洞穴に出向いた。すると、やはりというべきか。洞穴にうずくまっている少年の姿があった。だが、その格好は酷く秋空の下では肌寒そうであった。


「ね、」

「……っ!」


霧子が少年の名を呼び、声を掛けると、彼は酷く怯えた表情を向けた。

 一体、何があったというのだろうと、霧子は眉を寄せる。よく見ると、少年の体にはあちらこちらに酷く擦った後がある。まるで何かを洗い流したような ――、そして膝を抱える彼の手首には何かで縛られたような絞痕こうこんが痛々しい。


「霧子さん……、どうしてここに」


その顔は ――、泣き腫らしたのか、目は赤く腫れていて、声も掠れている。

 村の大人達に何か酷い仕打ちを受けたのか、と霧子は思い至った。だが、少年の怯えた様子を目にした矢先、到底聞くにははばかられた。

 せめてもの思いで掛けた言葉は、彼の体に残る傷について尋ねるものだった。


「傷、痛くない……?」

「ん、問題ない」


少年はそう言葉を溢すと黙ってしまった。

 霧子はどうすることもできず、彼の隣にそっと腰を降ろす。そのとき、体を大きく震わせた少年に、霧子は首を傾げた。


 それから随分と時間が経ち、ようやく少年が口を開いた。彼の深紫こきむらさき色の目は特別なのだと、だがそれは生家の大人達にとっては金のなる木だ。それを増やそうとしたのだと言う。

―――― 大人になんてなりたくなかった。

 霧子は、彼のその一言で察してしまった。


 少年は牛鬼に知られる訳にもいかず、ここまで逃げてきたと話す。

―― 牛鬼は優しい。己が受けた仕打ちを知れば、きっと村人を祟り殺してしまう、それはさせたくない、と消え入りそうな声で話す少年。

 その姿はあまりに痛々しく、だが霧子はどうすることもできず、ただ黙って話を聞くだけであった。


「心が折れそうだ……、」


そう、消えそうな声で少年が呟いたのを霧子は聞き逃さなかった。

 その瞬間。ざわざわとした殺伐とした感情が、霧子の中に芽生えたのだ。


(報いは必ず受けさせる。でも、今は、)


―― 霧子は、傷付いた少年の傍にいてやりたいと切に願った。



 それから更に、時間が経った。互いに何か言葉を交わす訳ではない、ただ傍にいる。


 霧子が手を握ってもいいかと尋ねると、少年はこれまた僅かに頷いた。そっと優しく手を握ると、少年の手は震えていた。しかし、しばらくすると治まっていくのが分かった。

 添えただけの霧子の手を、今度は少年が握り返す。ぎゅっと、そこにいるのを確かめるような、すがるような仕草だった。

 すると、少年はそっと口を開き――


「……霧子さんの手は、少し冷たくて心地いい」


と、鼻声で呟く。

 霧子の手は熱に浮かされたことを忘れさせるかのように冷たかった。―― それがとても心地よいと感じるのは懸想している相手だからなのか、今はどちらでもよかった。

 霧子は少しでも慰めになればいいと、何もできない自分をもどかしく思うのだ。



 いつの間にか夕刻になっていた。少年は帰らないと、と呟き立ち上がる。そのときに、握っていた互いの手が離れた。


 少年を目で追う霧子は、思わず手に力がはいる。

―― そんな場所に帰らなくていい、そう言ってしまいたい気持ちを抑えるのに彼女は必死だった。口にしてしまえば、きっと己はこの少年をしまう。

 それは人が神隠しと呼ぶものだ。霧子は伸ばそうとした手を力なく下ろす。


「大丈夫、また来るから……今度は楽しい話をしよう」


と、少年は痛々しい笑顔を張り付けていた。

 彼にそのような表情カオをさせたい訳ではなかった、霧子は少年の傍にいたいと願うようになった。



 数日後。村で一人、女が死んだ。

 因習渦巻くこの村ではなじない返しによって人が死ぬことは稀にあることだと、未熟だったのだろうと村人達は話す。その光景は村の異常性を示すには十分だった。


「……、」


 少年は使用人達の井戸端会議に耳を傾けていた。母屋の方が騒がしい、葬儀屋が来ていると牛鬼が話していた。ここの村人が死のうが生きようが関係のないことだと、少年は特に気にも留めず聞き流したのだった ――。


 

 そして、数日後。離れ座敷に再び使いの男が訪ねて来た。内容はあの時と全く同じだった。そのことに少年は気付いた途端、無意識のうちに足がすくみ、手は震えた。

 少年の様子を目にした使いの男は困ったように眉を下げる。そして、諭すように少年の尊厳を踏みにじる言葉を吐いたのだった。


「大丈夫です、すぐに慣れます。これから、作法も学ばねばなりません。そうすれば、この村も安泰です」

「お前らろくな死に方しないぞ……、」


 少年は言葉で虚勢を張ることが精一杯だった。どれだけ拒絶しようが抗おうが、恐らく無意味なのだろう。もう、抵抗することにも疲れてしまったのかもしれない。

―― だらりと垂れる少年の腕が、それを物語っているかのようであった。


 そして再び母屋に連れて行かれ、風呂に入れられる。あの独特な甘く煙たい香を嗅がされては拘束される。そうして朝を迎え、人間の欲深さに嘔気をもよおし、吐くものがなくなるまで吐く。それをしばらくの間繰り返していた。


 繰り返されたのはそれだけではなかった。必ず、人が死ぬのだ。

 そして、それは恐らくこの屋敷の人間だということは、葬儀屋の出入りが激しかったため遠目に見ても把握できた。それが誰であろうが、少年にはどうでもよかった。


* * *


 その日、少年はまじないに呼ばれ母屋を訪れていた。

 すると、なにやら外が騒がしい。「またか」そう話す大人の声が聞こえた。少年が物陰に隠れ、こっそり様子を伺うと、大きな布に覆われたものが運び出されていた。

 使用人が担架でを運んでいく。すると、前を担いでいた使用人が少しバランスを崩し、その拍子に布がずれた。そして、少年はそれを見てしまった。


「……っ、!」


 運ばれていたものは女の遺体だった。顔は青白く硬直している。そして何より、その顔には見覚えがあった。


 少年は思わず手で口を覆った、胃の中が掻き回されたような不快感を抱く。

―― 望んだ訳でもない、尊厳を踏みにじられる行為を嫌でも思い出してしまう。

 粗く息を吐き、時間をかけて呼吸を整える。まだ心は拒絶しているが、少し平静さを取り戻せたようだ。


 そして、これまでこの屋敷で死んだ人間は、全て女なのではないかと考える。それも、少年に関係を迫った女だ。だとすれば誰が、なぜ、と疑問が浮かんでくる。

 本家の人間でもごく限られた人間しか知らないだろうという事は想像に容易く、だとしても自分達の利になるような子を生み落とす母体を殺すはずはない。だとすれば、事情を知るのは ――。


「霧子さん、」


 その考えに至ったとき、少年はすぐさま走り出した。廊下でぶつかりそうになった大人たちが怒鳴る声も少年の耳には入らない。


―― やめさせなければ、村の連中に勘づかれるかもしれない。このような人間の欲が渦巻く場所になど彼女を近づけたくない、その思い一身だった。

 死んだ女達にくれてやる同情は持ち合わせていない。金か、それとも使用人が本家の一員にでもしてやろうとでも言われたのか。

 その強欲さに身を売ろうとも、少年の尊厳を踏みにじることなどあってはならない。


 少年はひたすらに走った。早く霧子に会わなければと、枝で頬が切れるのも、泥で足が汚れようとも気にならなかった。

 そして、ようやくいつもの洞穴に辿り着くと、霧子はそこにいた。


「どうして憑り殺した!!!」


少年は霧子の顔を見るや否や、そう叫んでいた。

 霧子は驚き、体をびくつかせる。―― 気付かれてしまった、嫌われるかもしれない。彼女は少年の心が己から離れるのではないか、と恐怖心を抱いたのだ。


 しかし、その様子は少年の目には違うように映ったようで、怖がらせないようにそっと霧子の手を握ったのだ。


「俺はそんな事をさせたかった訳じゃない……、」

「……、」


そう呟かれた少年の本心に、霧子は俯いた。

―― 嫌われたくない、と小さく消えそうな声で呟いた霧子を少年はなだめる。


「嫌いになる訳ないだろ……」


その言葉の本心は、少年の味方は何時なんときも怪異であったからだ。

 しかしながら、少年が受けた傷を知るとは言え、ああも簡単に人の命を奪うことに躊躇いがない。やはり怪異というべきなのか、彼女は畏敬の念を抱くに相応しいということだろう。



 そして、牛鬼はすべてを聞いた。

 使いの男がここ最近になり、頻繁に訪ねて来る事が疑問だったのだ。そして慎ましやかな暮らしをしているとは言え、少し前の少年は健康そのものだった。だが、今はどうだ。

 体は痩せ、何か思い詰めたような表情をすることが多くなった。そして何より、自分の体を必要以上に洗うのだ。それに気付かない牛鬼ではない。


 使いの男はさも当然のように口にする、聞くに耐え難い言葉の数々。牛鬼を引き合いに出し、彼の意に沿わないまじないをさせていたこと、そして少年の心に深い傷を負わせたこと。

―― 人とはここまで愚かなものなのか。


「なんと酷なことを……、もう限界だ」


耐えるように吐いた言葉は掠れていた。

 穏やかに輝いていた牛鬼の翡翠の瞳は、怒りに燃えるように深紅へと変わる。そして、牛鬼は腹の傷を着物の上から触ると、意を決したかのように一声、吠えた。


 牛鬼は酷く祟ると言われている。その祟りはとてつもなく強力であり、大昔であれば人に成す術なし、と言わしめたほどだ。

 恐らく牛鬼がこの村を祟れば、この山一帯を覆う澱みはより一層酷くなり、そうして人は住めなくなるだろう。

―― 勿論、少年の足枷はなくなる。そして、聡い少年はこの村を去り、自由になる。



 霧子と共にいた少年は、得も言われぬ違和感にはっ、と空を見上げた。

―― 村の方角から咆哮が轟く。

 二人は何事かとその方角を見やれば、昼間だというのに空は赤黒く染まり、周囲を漂う空気は淀んでいる。空を飛んでいた鳥は墜ち、草木は枯れ、山間に流れる水は濁った。

―― これは、だ。


「あいつ!!!」


少年は即座に、に辿り着く。

 村に囲われている怪異は、そうそう祟りなど起こさない。怪異自身の存在を天秤にかけられているからだ。祟りを起こせば、どうあがいても処分されることは目に見えている。

 しかし、ここまで強力な祟りとなれば、それを引き起こす力のある怪異など、知れている。


 そして、山頂の鳥居の方角から禍々しい気配を感じ、少年はそちらを見やる。


「悪いことがこうも重なると……諦めたくなる」


彼は声を噛みつぶすように悪態をついた。

 山神も限界だったのだろう、先程の咆哮で澱みは一層に加速したのだ。鳥居から黒いもやが雪崩のように流れて来るのが、少年の目には視えた。

 少年は呆然と佇む霧子の手をそっと、放す。


「霧子さんは逃げてくれ。……自分の意思で、やしろに還れるはずだ」


そう言い残し、少年は走り出す。霧子の顔を見ることはできなかった――。


 以前、霧子が話していた「己を祀る社がある」と。それならば、彼女の意思で社に戻れるはずだと少年は考えていた。

―― 祟りと澱みによって、不浄の地と成ったこの場所よりも遥かに、社に戻った方が賢明だ。そして、彼女は自由だ。


 

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