第30話 過去編 心情、血煙を上げる

※シリアス、ダーク、R15 苦手な方はご注意下さい。



 怪異である彼女を名で呼び始めてしばらく経った頃。出会った当初は朧気だった意識も徐々にはっきりしてきたのだろうか、彼女は様々な表情をするようになった。


 会えると嬉しい、冗談を言うと少し怒ったように拗ねる、別れ際に見せる少し寂しげな表情 ――、感情を包み隠さず露になるそれは、少年にとっていつしか心の拠り所になっていた。


 彼女には封印されていた長い間を埋めるように、これからもっと色んな場所に行って、色んな景色を見て欲しい。そうすればきっと、今よりも輝いた表情をするだろう、と少年が面と向かっていうものだから、照れくさそうにしつつも彼女は思わず顔を背けてしまう。

 無論、そこに少年自身は勘定に入っていない、それに彼女は気付いている。そして、いつでもここではないどこかへ行くといい、と話す少年に彼女は思うのだ。


(本当に、人というものは……いじらしくて愛おしいのね)


 夕暮れ時を迎え、村へと帰る少年の背を見ながら、密かに想う。そして少年と出会った時を少し思い出す。



 彼女は目が覚めると、見知らぬ土地を彷徨っていたのだ。静寂が不自然で気味が悪かった。

 何かに呼ばれたような気がして、意識が混濁する中、山を登った。すると、遠目でも分かるほどの大きな鳥居がある。それは嫌な気配を放っていたが、その奥から呼ばれているのだ。足を進めようとすると、不意に声をかけられた。


 彼女は自身が怪異であることを朧気の意識だが自認していた。己の姿が視えるということは、まだ現実に存在しているということなのか。

 その実感に安堵したのか、それとも残された孤独感からなのか、涙で前がぼやけた。思わず返事をした声は涙声だった。


 声の主である少年を見ると、なんとも綺麗な顔立ちをしていた。紫の瞳がとても印象的だった。そして、その魂はこの不穏な土地に似つかわしくない、優しさに溢れとても高潔だった。

―― それは酷く手を伸ばしたくなるほど。

 目を奪われていると、少年は忠告だけを残し立ち去ってしまった。何故、彼が気になるのか分からない。それから、少年を探しに山の麓へと降りた。


「あんた!村には入るな!昨日言ったばかりだろ!」


そう声がすると、突然に背後から手を引かれた。

 彼女の目に映ったのは、あの綺麗な顔立ちの少年だった。



直感的にそう感じたのは何故か。それが分からず、ただ茫然と立ち尽くす。

 すると、少年がこちらを見上げているものだから、昨日と同じほどの背丈に姿を変えた。そして、少年に洞穴へと案内された。

 それから少しずつ色々な話をした。少年の話、己の昔話、そうして言葉を交わし、時間を共にすると、少しずつ意識がはっきりとしてくるのが分かった。この目の前の少年に個と認知されたことで得たものだろうか。


「霧子さん」


彼にそう呼ばれた時、やっと己を取り戻したような感覚に浸った。

―― その魂が欲しいと思ったのは怪異としての性分なのだろうか。



* * *


「そう言えば最近、何か楽しそうだな」

「えっ、」


 少年が離れ座敷の庭で洗濯物を干していると、牛鬼から唐突にそんな言葉を投げかけられた。

 少年自身、すぐ思い当たる事はある。怪異である彼女、最近は「霧子」と呼ぶようになった。霧子と出会い、彼女の感情のままに移ろう表情をみていると不思議と心が満たされるのだ。


 そして、今では少し違った感情を抱くようになった。それは慈しみや恋慕と呼ばれるものなのだろうが、まだ少年の彼には心の内のそれを表現する言葉は持ち合わせていない。

 人と怪異、なんとも歪な関係になろう間柄だ。しかし、それを牛鬼に話すことはできない。


「なにが?」

「いやぁ、なんだか誰かに懸想しているような雰囲気でな」

「け、懸想……」

「なんだ、違うのか?」

「知らん!!!」


 柄にでもなく思わずそっぽを向いてしまった。誰かに好意を抱いている、それを違うとは否定しない、そんな様子の少年に牛鬼は嬉しそうに頷いている。

 このような歪んだ環境の下でも相手を想う、そんな気持ちを抱くことができるこの少年に幸せと呼べるものが訪れるように、牛鬼は妖怪らしからぬ願いを抱くのだ。


「別に、そんなんじゃない……多分。あの人にはもっと色んなものを見て、色んな表情をして欲しいと思っただけで。こんな場所にいたら、駄目だ」


 そう自分に納得させるかのように呟く少年に、何か察したのか牛鬼は溜め息をついた。この少年は自分の感情に蓋をすることに慣れてしまったのだろう、そう思うとやりきれない。


「俺は牛鬼がいれば、それでいい」

「それと、これとは話が違うだろうに」


―― 親愛と他人への愛情は似て非なるものだろう。

 それを怪異である牛鬼が説くというのも妙な話だ。困ったものだと首を捻る牛鬼を目にした少年はくすりと笑っていた。


 そんな和やかな雰囲気だったが、一変。本家からの使いが姿を現すと、それは張り詰めた雰囲気へと変わる。その使いの男は少年の元へ足を運ぶと、夕刻には母屋へ向かうように、そして今日は離れ座敷には帰れないだろうと話す。


「はぁ?」

「そう、言付かっております」

「また何かさせようって魂胆か」

「分かりかねます」


(最近はまじないをさられるのも落ち着いていたんだが……、)


表情一つ動かさない使いの男に辟易としながら、承諾するしか選択肢はないのだろう、と少年は諦めたように返事をしたのであった。



 そうして夕刻となり、再び使いの者が訪れる。

 帰るのは翌日となると言われていたため、少年は牛鬼に食事や風呂は済ませて先に寝ておくように念を押す。この心配性な牛鬼はそう言っておかないと、いつまでも待ち続けるのだ。

 少年は大丈夫だと、軽く手を振って別れた。


 母屋に呼ばれるや否や、いつぞやと同じく風呂に入れられる。流石に一人にしてくれと声を荒げるが、これまた聞き入れてもらえない。流石に大人へと近づいた体を他人に見られるなど、気分は悪くなる。


(勘弁してくれ……、)


少年は悪態をつく事しかできなかった。

 そうして風呂を終えた後。用意されていた着物、といっても今日は肌襦袢だった、それに袖を通す。

 そして、これまで通されたことがない部屋へと案内された。襖の隙間から漏れ出す甘い香りに思わず眉を顰める。嗅いだことがない香だ。そして煙たい。

 部屋の中で待つように指示され、どうせ抵抗しても連れ戻されるだけだと諦め、従う。―――― このとき、何故いつものように強情な反抗を見せなかったのだろうと、後悔した。



 部屋の中にはいつものように呪いの道具もなければ、見張り役もいなかった。溜め息をつき、言われた通りに部屋の中で待つ。

―― そして訪れたのは強烈な違和感だ。

 意識が朦朧とする、心拍は上がり呼吸は粗い。その時を見計らっていたかのように部屋に誰か入ってくる。


「なん、」


言い終わる前に腕を後ろで縛られ、口には舌を噛まないように布を噛ませられる。

 ここまで酷い扱いを受けるのは初めてだと、朦朧とする意識の中でも憤慨する。その人物は少年を縛り上げると部屋から出て行き、交代するように女が一人入ってきた。


 そこから先は意識を失った方がよかったと思うような光景だった。強制的に植えつけられる快楽と、人の欲にまみれた本音が視える。必死に拒絶したい心と香の作用で朦朧とする頭では、体が誤作動を起こしたかのように噛み合わない。


(くそ、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、)


心の内に早く終われと懇願した。

 香の作用だろうか、酷く体が熱かった。熱さに魘され、望まない出来事に、悔しさと屈辱で目に涙が浮かぶ。なぜ、どうして、そう繰り返される疑問に答えは出てこない。

 そうして解放されたのは、あまりの精神的負荷によって意識を手放してからだった。






「…………、」


 少年が目を覚ますと、外から朝日が差し込んでいた。秋も終わりに近づき、朝方の空気はとても澄んでいる。その澄んだ空気の清涼感を感じ、昨晩の出来事が嘘のように思えた。

 しかし、手首を見れば、自分は無意識に抵抗しようとしたのだろうか、絞痕こうこんがくっきりと残っていた。


「っうぇ、」


思い出してしまいそうになり、嘔気を催す。しかし、出るのは胃液だけだ。

 それからは気が済むまで吐いた。喉がひりひりとして痛む。


「は、」


やっと呼吸をした。澄んだ空気が肺を冷やす。

 その冷たさが平静さを取り戻させるが、昨晩の出来事を思い起こさせ、また嘔気つく。その繰り返しだ。


 そうしていると、少年が目を覚ましたことに気付いたのか、部屋の襖が開けられ、使いの男が現れた。

 少年はその男を睨みつけながら、胃酸でひりつく喉からやっと声を捻り出す。


「おれに、何を、させたいんだ……」

「その目は金の成る木だと奥方は仰っておりました。故にその目を持つ子を増やすのだと。これからはこれもお勤めになります故」

「はっ、……」

「大人なら誰しも通る道です。それに、今後は作法も ――」


 ―― だから何だというのか、己は望んでいない。その尊厳さえも踏みにじられるというのか。いっその事この目を潰してしまおうか。

 少年の頭に一抹の選択がよぎったが、そう易々できる事ではなかった。彼は悔しさで唇を噛む、口の中には血の味が広がった。



 少年が母屋から戻ると、まだ早朝だったためか。幸いなことに牛鬼は起き出していない。離れの水場に行き、頭から思い切り水を被った。早朝の空気は少し冷たく、肺と体を冷やし、水に濡れた肌を少し赤くする。

 少年は着ていた服を脱ぎ、水で濡らして体を擦る。その体に汚れはついてない。だが、そうせねば錯乱してしまいそうだ、と唇を噛む。


「くそ、くそっ……」


悪態をつきながら何度も体を擦る、擦られた肌は真っ赤になっていた。


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