第28話 過去編 幽愁暗根②


 二人は食事を終えると、一服。

 少年は古びた湯呑を手に、浅く吐息をひとつ。―― こうして温かい茶を啜ると、自然とほっとした気持ちを抱くのは何故なのだろうかと、満たされた腹と共に考える。


 すると、牛鬼は先ほど言い淀んでいた少年の言葉の先を思い、少し考えながらゆっくり口を開いた。


「少し昔の話をしよう」



―― 人と妖怪が本当の意味で共存していた時代。まだ文明などと呼ぶには拙い時代だった。

 人々を導く者にその特徴は現れた。それは眼に特徴的な『色』を宿していた。その色は翡翠、藍、深紫こきむらさき。その眼を持つ者は呪いで正確に未来を占うことができた。

 また、別の時代では宗教の祖とされる者がその瞳に色を宿していた。彼の眼は過去を視ることができた。その者たちが興した国や宗教は大いに繁栄し、その結果大地に恵みをもたらしたとされている。


 そして、その眼は決まって妖怪に好まれた。妖怪がその眼を食えばその計り知れない力が、その妖怪の力になるという伝承があったからだ。

―― その眼は決まって人の子に現れる。それがいけなかった。

 人と妖怪の共存関係は壊れ、いつからか追い、追われるようになった。人が妖怪に食われることもあれば、人が妖怪を狩ることもあった。

 

―― 時代が移り変わり、人の認知によって生まれ出でる「怪異」と妖怪の境は曖昧になり、数を減らし、人は我らを視ることはなくなっていった。



「よってその眼は本来であれば、そのようなのろいに使われていいものではないのだ。まぁ、もちろん怪異がその眼を食えば、というのは間違いだ。食ったとしても、力など得られない。そして、本来のまじないとは神への祈りの言葉だ。

それがいつしか、人が人の不幸を願う、のろいの言葉になってしまった。まじないとのろいは表裏一体。自分の願いが、相手にとっては不幸となるやもしれん」


そう話終えた牛鬼はどこか昔を懐かしむような表情を浮かべていた。

 小さな破裂音を響かせ、火が燃える音が屋内に響く。


「どうして、そんな話を俺に?」

「君の眼は、まさにそれだからだ」

「そんな訳ないだろ、俺は未来も過去も見えない」

「それは時代と共に必要ではなくなったからだ」

「……よく分からん」

「今はそれでいい」


「まぁ、でも共存か……。こんな作り物じゃなくて、……ん、」

「眠るか?」

「うん。少し、疲れた……」


 少年が木の床に体を横たえると、牛鬼は「畳の間へ行きなさい」と優しくも少し困ったように声を掛ける。だが、少年の睡魔はすぐそこまで来ていたようで、うつらうつらと船を漕ぎ始めた。

 それを目にした牛鬼は奥の畳の間から綿の薄い掛け布団を手に、少年の元へ戻る。

―― まだまだ春先だ、少し肌寒い。

 少年は牛鬼のそんな優しさが、くすぐったく思えたのか。布団を受け取ると身を丸くしたのだった。


「全く……坊主はいつになっても、坊主のままだ」

「はは、」


 牛鬼は呆れたように呟くが少しだけ笑っていて、少年はその様子をみてはにかむ。―― それは十分に幸せと呼べる時間だった。


 そうしていると、少年はそのまま眠りについてしまった。その姿を確かめると牛鬼は少年を抱きかかえ、畳の間へ連れて行き布団に寝かせる。その様子はまるで本当の親子のようだった。


「視えすぎると負担が大きいのかもしれんな……」


少年を心配する牛鬼の言葉は囲炉裏の火が跳ねる音と共に消えた。



* * *


 そうして季節はしばらく経ち夏。

 

 その日、少年は軽トラックの荷台に揺られながら外の景色を眺めていた。山ばかりの同じ光景が続く。少年はその光景に暇だと言わんばかりに鼻を鳴らした。

 運転手は何やら声を荒げ、無線を片手にしている。少年はその運転手を一瞥する。


 最近、村に足を踏み入れてしまった怪異の話によれば、この村は四半世紀ほど機械化が遅れていて、一定の時代で止まっているらしいのだが、少年はその話を聞いても理解が及ばなかった。

 一度も村を出たことにない少年にとってはこの村で見た物、ある物が全てだった。



 そうして車は山道付近で停車する。すると助手席から男が降り立ち、少年も降りるように指示を受ける。

 この男は本家の人間だ。歳は三十代半ばくらいだろうか、陰湿そうな顔をしており、少年の身なりとは打って変わり上等な服装をしている。

 その男は手には紋様が描かれた札を貼った籠を携えている。その籠は天蓋に覆われ、中身を見ることはできない。そして、運転手の男の手にも、まじないに使うであろう道具が入った木箱を提げている。

 

 男は冷たい目で少年を見るや、手に持っていた籠を差し出し一言。


「これを」

「…………」


要するに荷物持ちだ。

 少年は仏頂面のまま、籠を受け取る。それに便乗して、運転手の男も木箱を持つように言いつけた。

―― 分家の人間として幼い頃より、付き人としての教育を施された少年には、沈黙が反抗的な意思を示す唯一の手段だった。


 そして三人は山道を徒歩で登り始めた。山道は急斜面が続き、悪路だ。それを登り終えると、遠目に巨大な鳥居が見えて来る。すると今度は、急斜面に設けられたとてつもなく長い石階段が姿を見せた。先頭を行く少年は息を少しも切らさず、依然足取りは軽い。


 少年が後ろを振り返ると、息は絶え絶え、額に汗を浮かべた大人二人が足取り重く階段を上っていた。その様子を目にした少年は気付かれないよう、鼻で笑う。

 普段から山を駆けている少年にとって、この程度の山道など朝飯前なのだろう。


 そうして少年は一番に鳥居に辿り着いた。すると、籠の中から「ぴぃ」と鳥のような鳴き声がしたのだ。天蓋に覆われた籠と怪しげな札。どう考えても怪異が封じられているだろう。

 少年はもう一度後ろを振り返った。あの大人達は随分と離れている。


(今ならまだ間に合うか……?)


 そう思い至り、すぐさま地面に籠と道具を置く。急いで必要な道具を取り出し、札を書き換える。そうすると、その効力が書き換わったのか、かちゃり、と小さな音を立てて籠の鍵が開いた。

 すると中から出てきたのは、三つの目を持つ白いカラスだ。


「……こいつを一体どうしようとしてたんだ、あいつら。白い烏なんて神聖な、」


―― 今は考えても仕方ない。

 少年はもう一度後ろを確認する。まだ十分に距離はある、と猶予を確認する。――幸いなことに、ここは村外の山だ。

 少年は烏に向き直り小声で伝える。


「今なら行ける、飛び立て」


少年の言葉に返事をするように、烏は小さく鳴くと、その白い翼をはためかせ空へ飛び立った。―― それはあまりに優雅で自由だった。

 その光景が少年には少し、羨ましく映ったのは必然だろう。烏を見送った少年はすぐさま証拠を隠滅する。札を再び書き換え、道具を元に戻すのだ。



 それから少し経ち、ようやく大人達は鳥居の前に辿り着いたのだった。そして彼らが向かうのはそこから更に奥地だ。

 鬱蒼とした木々の中、昼間だというのにその地は薄暗い。そして何より、の巡りが悪かった。少年の目には有象無象の霊魂、そして生霊、黒いもやが漂う光景が写っていた。

 そんな中、この大人達は平然と進んでいく。幾度となく目にしたその光景に見慣れてしまったのか、はたまた元より淀みなど視えていないのか、想像の域は出ない。


(視えない奴は幸せだな)


 少年は胸の内に、そんな皮肉を呟きながら従順な振りをする。

――烏の怪異を逃がしたことは、まだばれてはいない。どこまでもこの少年は聡く、強かだった。


 道中、意図的なのか風化なのか不明であるが、首がない地蔵が数体並んでいた。少年の心臓が思わず跳ねた。それが何を意味しているのか分からない訳ではない。

 その地蔵が祀られている地点から更に足を進めて行くと一層淀みが酷くなり、少年は気分が悪くなるのを耐えることしか出来なかった。


 そして一行が辿り着いたのは、これまた風化した祠だった。祠の目前に佇む、本家の男と運転手。そして、その背後に控える少年。


「あれを」


男に短く指示され、少年は反抗的な感情を押し殺す。少し頭を下げ、籠と道具を本家の男に渡した。

 男は受け取った道具を運転手に持たせると、籠の札を無理やり剥す。

―― 当然、その籠の中身は空だ。

 それを目にした男は、わなわなと肩を震わせている。少年が心の内で嘲笑うのと同時か、男は運転手を怒鳴り散らした。


「贄はどこに行った!!!」

「私は知りませんよ!」


そこからは責任の擦り付け合いだ。責め立てる男と言い訳を重ねる運転手。

 少年は我関せずと無言を貫いた。その態度が運転手の目に留まったのだろう、なにやら男に入れ知恵をしている。

 すると、男は道具箱から小さな刃物を取り出した。何をしようと言うのだろうか、と少年は訝しげに刃物を見つめていたのだが ――――、


「いっ、!!??」


少年は突然に男に左腕を掴まれ、前腕を刃物で切られたのだった。

 少年の腕には数センチにも渡る傷が生まれ、そこから血が滲んでいる。次第に血が滴り始めた。どうやら傷は深い。

 

 男は滴り始めた血を確認すると無理やり少年の腕を引き、祠に置かれている盆に血を注ぎ始めた。

 従順な振りをしていた少年だが、あまりの暴挙を受け、声を荒げて抵抗しようとする。だが、所詮子どもの力だ。男の腕は振りほどけず、動かぬよう更に拘束を強められてしまった。


「く、そ野郎がっ!!!」

「責任は取るものだろう」

「はっ、」


 少年は浅く吐息を漏らす。切られた傷の痛みと、力任せに腕の痛みで、頭が金槌で打たれたように痛い。それだけではない、血が失われる感覚で意識が朦朧とする。

 それに加え――、少年は一層の淀みを感じ取り、視線を上げた。祠を呑み込むようになだれかかるのは、土地神や山神と呼ばれる類の怪異だろう。だが、「神」と言う名には程遠い姿を、少年の目に晒していた。


 その姿は筆舌に尽くしがたく、惨憺さんたんたるものだった。動物や人をかたどった姿とは程遠く、皮膚は裂け、ただれている。淀みによって悪臭を放ち、無いはずの目に視線で射抜かれているような感覚が少年を襲う。

 

 この地に祀っている存在に、こうして贄を捧げていたのかと、あの白い烏を連れてきたことに少年の中で合点がいったのだった。

 白い烏というのは神聖な鳥であり、さらに三つ目ともなると神の使いにも等しい。そんな怪異を贄として捧げ、血を祠に吸わせるなど良き神を悪神へと貶める行為だ。

―― いや、寧ろあの大人達であればのろいの効果をより強力にするため、この愚行を良しとしているのかもしれない。


(まさに因習ってやつか……。この山神はもって一年程度。その前に牛鬼を連れてこの村を出ないと ――、猶予はまだ、ある)


少年は痛みに耐えるように眉を寄せながらも、その頭は冷静だった。

 不意に拘束されていた腕が解放される。振り切るように腕を引き、少年は男を睨み付ける。すると、男は呆れたように溜め息をつき、運転手に言づけて布を持って来させた。


「これで止血しておけ。荷台が汚れる」

「……、」

「今日はこれくらいにしてやる。本来なら、その眼を贄とした方が喜ばれるだろうが……まだ早い」


 少年は投げられた布を傷口に当てながらも、更に男を睨みつける。傷口は熱を持ち、鈍い痛みが続く。気分が悪い、淀みのせいか、傷口のせいか。はたまた、この村の因習を知ったためか。全てがごちゃ混ぜになり嘔気を催す。しかし今は耐えろ、と足を踏ん張る。


(どこまでも腐ってやがる……)


その悔しさと怒りを糧になんとか持ち堪えたのだった。



 そして、少年は足取り重く、離れ座敷に帰宅する。少年の腕の傷を目にした牛鬼はまさに鬼のように怒りを露にしたのだった。少年はなだめるのに苦労した。

―― 腕の傷は、痕に残るだろう。


「祟るな!祟るな!面倒なことになるから!」

「もう我慢ならん、」

「俺は大丈夫だから!」

「む、」

「はぁ……」


 牛鬼は手当てしているときも鼻息荒く、村を祟ろうとするものだから、反対に少年の方が冷静になるというものだ。少年が素直に礼を口にすれば、牛鬼の怒りは少し落ち着いたようだ。少年の頭を優しく、労わるように撫でている。

 それは少しばかり、心がむずがゆい。少年は咄嗟に話題を変えようと牛鬼を見上げた。


「なぁ、牛鬼には名前はないのか?種族の名だろ、牛鬼って」

「そうだな。怪異は自ら正体を名乗らない。その分、個の名も持ち合わせていない」

「だったら、」

「ここには儂と坊主だけだからな、特別困っておらんだろう」


牛鬼にそう言われてしまえば、後に続く言葉はひっそりと少年の胸の内にしまわれる。

 名は体を表す、文字通り牛鬼に贈りたい名があったのだが ――。それはまたの機会に話すとしよう、と少年は口を閉ざす。そして、その名を贈る頃にはこの忌々しい村を、牛鬼と共に出るのだと決意を胸に抱く。


(逃げ道の算段はもう少しでつくはずだ……)


 牛鬼は満足するまで少年の頭を撫でた後しばらくして、薬箱を棚に戻そうと立ち上がる。その姿を見た少年は自身の計画を遂行するために密かに考えを巡らせるのだった。

 しかし、流石に疲れたのか瞼が重く、少年はいつものように床に丸くなる。また牛鬼に小言を言われるだろうか、薄れゆく意識の中でそんなことを思いながら少年は眠りについた。


 片膝から崩れ堕ち脇腹を押える牛鬼は、咄嗟に後ろを振り返り、眠っている少年を見ると安堵した。見られなくて助かったと、苦し気に息を吐く。

 着物を少しはだけさせ、痛む場所を見れば赤く血が溶けだすように滲んでいた。


「掟とは面倒なものよ……」


独り呟いた言葉は蝉の鳴き声にかき消された。

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