第26話 百足の虫は死して僵れず③
仏間を後にした来栖と久保を見送った見藤は、溜め息をつきながら振り返る。誰もいないはずの仏間に向かって、声を掛けた。
「何か用か」
返答はない。
聞こえてくるのは何かがが這う音。それは仏壇が鎮座する収納戸の中から聞こえてくる。
そして、それは突然姿を現した――。暗闇から這いずり出て来きたのは、老人の顔だった。その顔はやつれ、青白い。そして、その顔から下は大きな百足の体躯だった。その姿はまさに異形だ。上半身にあたる部分に生えた腕で頭を支え、そこから下の節足動物特有の足で百足の体を支えている。
見藤は老人頭の怪異にもう一度問うた。
「俺に、何か用か」
『視える者よ。儂は元の姿に戻れるのか、』
この怪異は一体、何を言っているのか ――、見藤は眉間に皺を寄せて首を傾げる。
だが、見藤の様子など気にも留めない素振りで老人顔の怪異は言葉を続ける。
『教えを乞うた。人を喰らえばよいと
「……何の話だ」
『人を喰らった罰なのか……、儂は喰い続けねば存在できない』
悲壮感を漂わせながら話す内容には到底聞こえない。
しかし、見藤にはこの怪異が話すことに少し思い当たることがあった。煙谷と巡った例の夏の怪異調査だ。
認知の浅い怪異が霊魂を喰らい、急速に力をつけ実体を得るという話。その話と酷似している。―― 時に、怪異や妖怪が人を喰らうこと自体は珍しくない。己の力の誇示か、人の命を糧にするような怪異や妖怪と言った部類も存在する。しかし、異形の姿へ変貌を遂げる、というのは初耳だ。それは、まるで悪神に身を堕とした神のようではないか。
(怪異が、教えを乞う……?一体何に)
見藤が最も引っかかったのは、そこだ。
「おい、」
『早く次を探さねば……、』
老人頭の怪異はそう言い残すと、その百足の体を引きずりながら仏壇上の天井へと消えてしまった。
「くそ、」
見藤は悪態をつき、頭を掻いた。
―― あの夏から一体何が起こっているというのか。いや、厳密に言えば、この家に居憑く怪異の状態や話から、随分前から異変は始まっていたのかもしれない。それが何なのか、分からない。分からないことに対して抱く不快感。
見藤は大きな溜め息をつくと、帰ったら別件の調査が必要だと、思い至る。
「猫宮にでも協力させるか……」
そう呟き、屋内を後にした。
◇
見藤は玄関先で待機していた久保と来栖と合流する。三人が門を通ると、物件脇に駐車していた車を不自然に覗く一人の初老の女性がいた。明らかに怪しい挙動に、見藤と来栖は少し警戒する。
しかし、その女性の顔を見た久保は「あ!」っと声を上げ、その次には声を掛けていた。すると、その女性も久保の顔を見るや否や何かを監視するような目つきではなく、穏やかな目へと変わったのだ。
「あら、あなた。いつもボランティアの!」
「あぁ、鈴木さん!この辺りにお住まいだったんですか?」
「そうなのよ。いやぁ、ほんと奇遇ねぇ」
久保と親しげに話すこの女性はこの地域の住民なのだろうかと、見藤と来栖はその光景を少し離れた場所から眺めていた。
見藤は人を監視するような女性の行動に嫌悪感を抱いたのだろう、眉間に皺を寄せながらぽつりと呟く。
「誰だ」
「さぁ、助手さんは意外と顔が広いんですね」
「知らん」
「貴方って人は本当に他人に興味がないと言うか……」
来栖の呆れた声音と表情を無視しながら、見藤は女性と話し込む久保に視線をやる。
いつも事務所を訪れて事務作業を手伝いながら、東雲と楽しく談笑している久保の姿しか知らない見藤にとって、彼が持つ外の繋がりというのは初めて目の当たりにしたのだった。
一方の久保は、事もなげな様子で会話を進めていた。
「いやぁ、清掃ボランティアの依頼があって。あそこのお宅の荷物の片付けを依頼されたんです。その事前の打ち合わせで」
「へぇ……、そうなの。…………気を付けてね」
「どうかされたんですか?」
「私、この歳になって義両親の介護のためにこの地域に越してきたけれど……。噂では、あのお宅。なんでも住む人が次々に亡くなっているんですって。だから、その荷物の片付けも遺品整理か何かじゃないかしらと思って心配で」
「そうなんですか……」
「そんな家には誰も住みたがらなくて……。もったいないわよね、この辺りは住みやすいのに」
――思わぬ情報だ。あの物件で亡くなったのは依頼者の親族という申告だったのだが。
そして流れるように自然な嘘を交えることで情報を聞き出している久保に見藤は驚き、目を丸くしている。―― 久保の意外な一面を見たのものだ。
聞き耳を立てていた来栖は、その会話の内容に目を細めながら困ったように呟く。
「それら全てが自然死であれば告知義務は曖昧になりますからね……」
「はぁ……ちゃんと調査しとけよ、来栖」
「いやぁ、すみません」
見藤は思わず、来栖の腕を肘で小突いた。
そうしてしばらく雑談をしていた久保と女性は会話を終えたのか、軽く手を振りながら別れていた。すると、先ほどとは違った声が聞こえてきた。
見藤と来栖が声がした方を見やれば、そこには散歩中であろう老夫婦がにこやかに久保と会話をしている。
「早くそこの空き家に住んでくれる人がいるといいけどねぇ」
「この地域は過疎化しているから、少しでも人が住んでくれればと思うよ」
過疎化、その言葉に違和感を覚えたのは見藤だけではない。来栖の話では、この地域住民は住居を手放したり転居したり、あまり離れる住民がいないと言っていた。それに、この狭い住宅街であればこの物件で起きたことが、噂であっても広まらないはずはない。そんな物件に誰か住まないだろうか、と言うのはなんとも理解しがたい。
見藤は眉間に皺を寄せ、来栖を見やる。すると、彼も同じような違和感を覚えたようだ。
「……妙だな」
「そう、ですね」
二人はそう言葉を交わした後、抱いた疑問と違和感を持て余してしながら帰路についた。
そうした
* * *
それから数日、見藤は例の物件の調査に追われていた。あの日、法務局へ出向いたのもそのためだ。
その結果、得た情報としては ――。例の物件、と言うよりも過去数十年間であの土地に建った物件で死者が数名出ていた。あの近隣住民の言葉は確かだと、そこに血縁関係はなく購入した時期も人も、ばらばらだということに辿り着いたのだった。そこに更に確証が欲しい。しかし、人の情報には限度があり、見藤は猫宮にも協力を仰いでいた。
事務机に向かって作業をしていた見藤。すると、ふらり、と現れる猫宮。どうやら、頼んでいた調査が終わったようだと確信した見藤は目を据えた。
すると、姿を顕現させた猫宮は辟易とした顔で口を開く。
「昔、あの辺りをうろついていた怪異に聞いて来たぞ」
「ご苦労様」
「ったく、人間ってのはいつの時代も馬鹿なことに手を出す。見藤、大方お前の予想通りだったさ」
「そうか、」
見藤は短く返事をすると来栖に連絡を取り始めた。
その連絡を受けた来栖もどのような調査結果であるのか、予測していたのだろう ――、例の物件買取は取り止める方針となった。
そして持ち主も相続放棄をする予定となっている、とのことだった。相続放棄された物件は国庫に帰する、何もなければ長らく空き家だ。
猫宮が話を聞いた怪異によれば、数十年に一度の周期で例の物件、というよりもあの土地に建てられた物件から死者が出ていたそうだ。死因は様々だが、不慮の事故死、自然死、病死など。
一見してみれば事件性はないように思える。だが実のところ、何らかの存在が影響している、と話していたそうだ。それが怪異の類なのか土地神の類によるものか、その怪異にも分からないらしい。
ただ、話を聞いた怪異はその存在に喰われる事を恐れ、
―― 目前に大きな川があるにも関わらず、水害に見舞われることのない土地。人が住みやすく、代々受け継がれていく家と土地。
答えを口にした見藤の声は掠れ、嫌悪感に充ちていた。
「人柱を立てたな」
「ほんと、人間は
見藤の言葉を聞いた猫宮は、呆れたように大きな欠伸をひとつ。
―― 災いを恐れ、人が人を生贄として捧げる。その祭壇となっていたのが、恐らくあの物件なのだろう。仏壇を置いてある場所に書かれたものは、その祭壇となるように施された
そして、老人顔の怪異はその贄を受け取ったのだ。―― 何者かによる教えに従って。それは契約が成立したことになり、一方的に破棄することはできない。よって、老人顔の怪異は贄を求め続ける。
見藤はあの時、久保と話していた地域住民の会話を思い出していた。
「あそこの住民は、全て知っている。特に年配層の住人は」
「だろうなァ。そこの連中が全員、
見藤が調べた所、あの物件の改築や修繕を行っていたのは地域の工務店だ。事情を把握しているのであれば、あのような仏壇や写真を保管しておく場所を設けることも容易いだろう。
例の物件に人が住まなければ、あの地域全体に不幸が振りまかれるとでも言うのだろうか。災いを一身に受ける人柱として、そこに住まう人間が選ばれるのだろう。
そして、その物件に住まう人間は必ず『よそ者』だ。それ故にあの土地に建った物件は何度も売りに出されるといったことが繰り返される。
―― それこそ、来栖に物件売却の依頼が舞い込んだように、人から人へ掛け渡された撒き餌は、事情を知らぬ者をおびき寄せる。
見藤は眉間を押さえながら深く溜め息をついた。
「はぁ……。少し……気分が悪い」
「おう、」
そんな見藤の様子を見た猫宮は、せめても慰めなのか見藤の頬を尻尾で撫でた。
「ん、すまん……」
「まぁ、次は自分の番かと怯えながら暮らすといいさ。それが報いだ」
猫宮の言葉に見藤は「次を探す」と言い残した老人顔の怪異の言葉を思い出す。
「あぁ……、そうだな。
「はっ、上手いもンだなァ。そこの住民が望めば人柱の因習も、その怪異も滅びはしないってか」
皮肉に笑った猫宮の言葉に、見藤は頷く。
―― 『贄』その選別は既に始まっているのかもしれない。あの老人顔の怪異は己の存在をかけて、人の命を糧にするのだ。
ふと、猫宮は見藤の異変に気付く。
「おい、見藤。顔色が悪いぞ」
「ん?……あぁ、問題ない」
最近、人間の負の部分に触れることが多かった。それは見藤にとって相当な精神的負担だったのだろう。
裏表がなく、心のままに移ろう表情を見せる久保や東雲がいてくれたことが、少なからずその負担を中和していたのだ。だが、この一件の調査で多忙となってからは、少し事務所へ顔を出す頻度を減らしてもらっていた。
猫宮は肉球でぽんぽんと見藤の頬を押す、その頬は少し冷たい。少し休めとばかりに猫宮がソファーに行くよう促し、彼はそれに従う。仰向けに横たわり、視界を遮るように目を腕で覆った。
猫宮はそんな見藤の腹の上に乗り、丸くなる。猫特有の少し高い体温が心地いいのか、彼は目を細めた。
猫宮は見藤に背を撫でられながら、話を続ける。
「にしても本物の土地神の類なら、人間の生贄なんぞ無意味だろうに」
「だが、現に死者は出ていた……、」
「なら、その百足の怪異は土地神に転じたのか?ん、逆に土地神が悪神に堕ちたのかァ?」
「もう、何が起こっても可笑しくない。もし、それを誘導しているような怪異がいれば、な」
「あの鳴釜の話か」
「そう、だ……」
そう答える見藤の声は徐々に小さくなって行き、それは次第に寝息に変わった。
そうしてしばらく経つと、どこからともなく霧子が現れた。猫宮は耳を少し動かすと、霧子にこっちに来るように短い脚で手招きする。
霧子はソファーの近くまで来ると、眠る見藤を心配そうに覗き込んだ。彼女はおずおずと小声で、猫宮に尋ねる。
「眠った?」
「あぁ、顔色が大分悪いぞ。なんでもっと早く出て来てやらなかったんだ?」
「……あまり私に弱ってるところを見られたくないのよ。前に散々怒られたわ」
「はっ、珍しいこともあるもんだ」
「そうね、」
霧子はソファーに横たわる見藤の前髪を梳いた。すると、すぅっと整った寝息を立て始めた。その見藤を見つめる霧子の表情はなんとも憂いを帯びていた。
「……多分ね、少し……昔を思い出したのよ」
そう話す霧子の表情が物語るものは一体何なのか。
窓際に置かれた竜胆の花の先端が少し枯れていることには誰も気づいていなかった。
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