第25話 百足の虫は死して僵れず②


 そうして、久保は約束の明後日を迎えた。

 見藤の話を聞くに今回の依頼人は不動産会社の職員らしいのだが、事故物件を好き好んで担当しているらしい。「事故物件を好んで」というからには、霊や怪異といった人ならざる存在に理解のある人物のようだ。

―― 久保は、怪異に心を砕く見藤がその人物からの依頼を受ける理由わけを悟った。


 久保からすれば、奇々怪々なものに自ら近付くなど、到底理解が及ばないようで驚きのあまり目を見開いている。


「え、事故物件担当……?」

「言ったろ、変わった奴だって」

「でも、見藤さん。霊は見えないんじゃ……」

「そうだ。だが、どういう訳か……あいつが寄こす依頼は怪異絡みである場合が多くてな」

「へ、へぇ……」


 見藤と久保はそんな会話をしつつ、事務所から数駅離れた場所でその人物と待ち合わせをしていた。

 待ち合わせ場所となった駅周辺は閑散としていて、都会からほど近いという割にベットタウンを謳うには大方かけ離れているような土地だった。その分、住宅が多く古い外観の家も多く見られる。


 すると、見藤と久保の目の前に一台の車が急ブレーキを掛けながら突然止まった。その光景を目にした見藤は眉を下げて、蚊の鳴くような声で呟く。


「最悪だな……。移動は車か……」 

「え?」


 久保は見藤が呟いたその意味を尋ねようとしたが、車から男が降りてきたためそれは遮られる。

 男は体格こそ標準だが天然パーマのような少し癖のある髪質で、それは程ほどの長さで切り揃えられており、黒縁眼鏡が印象的だ。その顔は精悍な顔立ちをしており、見藤よりも年下だと分かる。そして、なんとも掴みどころのない雰囲気を醸し出していた。


「イケメンだ」

「まぁ、否定はしない」


久保の率直な感想に見藤が乗っかる。


 その男は不動産屋の営業らしくスーツ姿だ。しかしながら、なんともネクタイが個性的で可愛らしくデフォルメされた幽霊が散りばめられたイラストが描かれている。

 そんな男は満面の笑みを浮かべながら、陽気に話し掛けてきた。


「わぁ!見藤さん、ご無沙汰しています。今回は助手さんもご一緒なんですね」

「お前……、車移動なら事前に言っておけ……。現地集合にした方がマシだ」

「まぁ、そう言わずに」


見藤と親しげに話す男は、隣に立つ久保に視線を向けると右手を差し出した。


「どうも、助手さん。僕、来栖くるすと言います」

「あ、ありがとうございます。久保です」


 お互いに簡単な挨拶を交わし握手を終え、三人は車に乗り込む。運転はもちろん来栖なのだが見藤は後部座席に座ると、どうにも顔を青くしている。

 久保は心配になり声を掛けるが、見藤は視線を合わせない。


「大丈夫ですか、見藤さん?」

「いや、こいつの運転技術を考えるとな……今から吐きそうだ」

「え、」


 見藤の言葉通り、目的に到着するまでの三十分間。久保が今までに経験したことのないドライブだった。大学の講義がある平日は、毎朝満員電車に揺られている久保でも耐えかねるような運転技術だった。走行中左右の揺れは大きく、突然前のめりになることもしばしば。


 見藤は車酔いを起こしているのか、目を閉じて天を仰いでいる。彼の手はアシストグリップをしっかりと握っていた。そんな見藤の様子をバックミラー越しに目にしたであろう来栖は――。


「いやぁ、あはは。僕、運転は苦手なんですよ。にしても、弱っている見藤さんなんて新鮮ですね」

「その口塞ぐぞ……。うっ、」


来栖の軽口を心底嫌そうに返す見藤に、久保も同意したくなった。



 そうしてやっと到着したその場所はさらに閑散とした住宅街で、その一角のなんとも平凡な一軒家の前に車は停まった。外観からは特にが起きたとは到底思えず、最近まで人が住んでいたような雰囲気だった。


「この物件の買取査定依頼があったのですが、この物件は心理的瑕疵しんりてきかひ物件でして ――」

「心理的瑕疵物件?」


聞きなれない言葉に久保は首を傾げる。

 来栖の説明を引き継ぐような流れで見藤が久保の疑問に答えた。


「要するに、物件内外で事件・事故による死者が出たか、近隣に嫌悪施設がある ――、とかだな」

「おおよそ、そのような感じです。相談者の申告では、ここに住まわれていた高齢親族の孤独死だと。その人が亡くなったことで、この物件を相続するかどうか、悩まれていて……査定次第では、売りに出すと。その昔は家族向けの売り物件だったようです。当時それを買われたのがその亡くなった親族の方だと ――」


そこで来栖は一度言葉を切り、考え込むような仕草をした。


「と言っても、僕が聞く限り、高齢と言ってもそこまで高齢という年齢ではなかったんですよ。自然死と言うには少しおかしな点が……、」


そして、来栖は神妙な面持ちで後部座席に座る見藤を振り返った。


「僕としては、あるような気がして」

「と、言うと?」

「中に入って見てもらった方がいいかと」


見藤の問いに来栖はそう答える。

 来栖は鞄から、持ち主から預かっているのだろう、家の鍵と白い布手袋を取り出す。その手袋は見藤と久保にも手渡された。


「では、行きましょう」


来栖の言葉を皮切りに、三人は車を降りて玄関先に向かう。


 久保が慣れない手つきで手袋をはめていると、二人は既に玄関前まで到達していた。慌てて追いかける久保は玄関先へ向かう途中、視線を感じ振り返る。

―― しかし、特にがいる訳ではなかった。気のせいか、とひとつ息を吐き、見藤と来栖の元へ向かった。


 がちゃり、と鍵の開く重い音がした。昔ながらの玄関扉を開けると、生前使用していたであろう荷物は遺品整理もされず、そのままの状態であった。


「お邪魔します」


 見藤が誰に向けて言う訳でもなく挨拶をする。それに倣い、久保と来栖も続いた。すると、少しだけ空気が和らいだと感じるのは気のせいだろうか。


 こちらです、と言う来栖の案内に続き、二階へ上がる。二階へと続く階段脇にも荷物が積み上げられていた。ここの元々の持ち主は物が捨てられないたちの人だったのだろうか。―― そんな事を考えながら見藤と来栖の後をついていく久保。


「ここです。前回、ここが少し気になって……許可を得たので、今日は来たんです」


来栖はそう言うと、二階の一部屋で足を止めた。

 畳には所々痛んだ個所が見られ生活用品が無造作に転がり、昔ながらの妙な和風の置物が置かれている。そして、奥には戸があった。戸と言っても人の腰の位置に設置されており、それは埋め込み収納の扉だろうか。

 しかし、扉の周囲の壁には何やら釘を打ち付けた痕が残っていて、床には板が放置されている。床に転がる板は収納戸を塞ぐように取り付けられていたのだろうか。


 来栖は収納戸を目にすると、訝しむように眉を寄せた。


「あれ……前に来たときは、ここは塞がれていたはずじゃ……」


彼の言葉に間違いがなければ、なんとも不気味な話である。

 見藤と久保はそう言った不可思議な現象は身近である為に、もはや何も言うまいと口を閉ざしている。そして、来栖はその戸に手を掛けた。


「少し崩れるかもしれないので下がっていてください」

「ん、」


来栖の言葉に見藤は短く返事をすると、久保を背に庇うような形で足を一歩引く。

 来栖がゆっくり戸を引くと、中から大量の写真立てが転がり落ちてきた。予想外の多さに久保と来栖は思わず後退り、見藤がその写真立てを覗く。

 それらは、はなかなかに古い物らしく色褪せているものがほとんどだ。時代はばらばらで、中には着物姿の写真や白黒写真まで混ざっている。


 重なる写真立てを眺めていた見藤はしゃがみ込み、じっと何かを凝視している。それに倣い、来栖も見藤の隣にしゃがんだ。そして、来栖は見藤に疑問を投げかける。


「親族の方々の写真でしょうか?」

「いや、恐らく血縁関係はないな……。だが、ここで亡くなった人の写真を集めているんだろう。……悪趣味だ」

「どうして言い切れるんです?」

「まぁ、んでな」


見藤はそう言うと、更に何かを凝視している。

―― 確かに、高齢親族が若い頃にこの物件を購入していたとしても、ここまで時代の異なる写真を集めるだろうか。だとしてもなぜ、この収納に押し込んでいるのか、誰がそれを行っていたのか、なんとも疑問は尽きない。


 そもそもなぜ見藤はそう言い切れるのだろうか。久保は不思議に思い、ふと見藤を見た。すると、日の光に反射して見藤の紫黒しこく色の瞳が、少しだけ深い紫色に見えたのだ。見間違いかと思い瞬きをし、もう一度見藤を見るといつもの瞳の色に戻っていた。


(見間違いか……)


久保はそう思い、写真立ての山に視線を戻す。

 すると、見藤は大量の写真立ての中に混じる物をちょいちょいと指さした。写真立てに埋もれた中に、黒く光るものがあった。それは位牌だ。


「それも一本じゃないぞ」


見藤が言うようによく見ると、床に散らばる写真立ての下敷きになった位牌が数本あった。

 ということは、この埋め込み収納は元々仏壇を収納する場所だったのだろう。皆がふと、視線を収納戸へ戻すとやはりと言うべきか、長年放置されていたであろう仏壇が鎮座していた。その仏壇の隙間という隙間にも写真立てが詰め込まれている。

 その光景に眉を寄せ、口を開いたのは来栖だ。


「仏壇を仕舞う場所にこんなに写真を入れて……」


気味が悪い ――、その場にいる皆が得も言われぬ不快感を抱いた。


 一体何故、何の目的でそうしているのかなんとも不可解だ。見藤は床に散らばった写真立てを避けながら仏壇に近付ていく。収納戸まで来ると、何やら内部の天井を見上げたり、仏壇の内陣や外陣を開閉したり。更には、その裏を覗き込み、壁を見ている。

 そんな県道の様子に、久保は背中越しに声を掛けた。


「何してるんですか……?」

「ん?……あ、あった。来栖の見立ては当たりだな」


見藤はそう呟くと、手招きをする。

 久保と来栖は見藤に指示された個所を見やる。天井に貼られたリノベーション素材だろうか、木目のシートが少しだけ剥がれている。その剥がれた個所から覗くのは、何やら赤褐色に黒ずんだ文字だ。これは何の文字で、何を意味しているのかは分からない。

 見藤はその文字を目にして、何か思い当たることがあったのだろうか。


「来栖、この件は一旦持ち帰る。大方見当はつくが……下手をすれば俺でも対処は無理だ。この物件は諦めたほうがいいかもしれない」

「そうですか……。この地域の物件はほとんど売りに出されることがなくて、珍しかったんですけどね」

「そうなのか?」

「はい。なんでもここは気候もよく、大きな川が近くにあるのですが水害もない、住みやすい地域だそうで。ほとんどの方は昔からこの地域に住み続けている方々が多いと」

「ふーん……」


来栖の言葉に見藤は間の抜けた返事をしたが、その眼光は鋭く思考を巡らせるように腕を組んでいる。

 だが、来栖はふと腕時計に目を落とすと「そろそろ」と声を掛ける。どうやら、時間のようだ。三人は屋外へと移動しようとしたが、見藤は殿しんがりに立つと後ろを振り返った。


「来栖、二人で先に行っておいてくれ。少し様子を見ておきたい。立会い人不在でここに残っても大丈夫か?」

「それは、大丈夫ですが……」

「そうか」

「見藤さん、」

「大丈夫だ」


心配そうに見藤を見る来栖を安心させるように、見藤は困ったように笑う。

 見藤がこの笑い方をするときは、大抵ある時だと久保は経験則で理解していた。そして怪異から自分たちを遠ざけようとしていることも。


 見藤の申し出により、久保と来栖は先に外へ移動することとなった。

 

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