第21話 檜山倫子という女②


 檜山が向かった場所は、雑居ビル街だった。目的のビルは都市に建つものの、些か古い建物のようだった。

―― ここだ。

 彼女が見上げたビルの外壁は所々塗装が剥がれ落ち、小さなひびが入っている。それを隠すような、テナント募集中の広告。その光景は陽が高いにも関わらず、どこか薄暗く不気味な雰囲気を醸し出している。

 このビルの一角に奇々怪々な依頼を請け負う、謎めいた男が事務所を構えているらしいのだ。檜山は片手に握りしめたメモを乱雑にポケットへしまい込み、ビルの中へと足を踏み入れた。



 ビル内に佇む、比較的真新しい扉。古いビルに取り付けられたにしては些か不自然な光景だ。

 檜山は緊張した面持ちでインターホンを押した。ピンポーン、事務所内に響く音が外からでも確認できた。しかし、余韻を残して消えた音からしばらくしても何も反応はなかった。それどころか、物音ひとつしない。檜山は首を傾げる。


(いない?それとも居留守?)


 彼女は何度もインターホンを押す。流石に迷惑行為であるが、特集ノルマを終えていない檜山は切羽詰まっていたのだろう。そのまま、インターホンを押し続けた。


 そうして、目の下に濃い隈を蓄えた睨みつける体格のよい男が、扉の隙間から覗くという、なんともホラー的構図に相対することとなったのだが――。



「いやー、事務所違いだったけど結果的に助かったぁ!情報をもらえたので、よしとしよう!!それにしても……、」


 独り言を呟きながら、意気揚々と見藤の事務所を後にする檜山。しかし、彼女は不思議な感覚に浸っていた。


 檜山の経験上、低身長ながらも目を引く豊満な胸部に集まる視線は不愉快極まりないが、使える物は使う、と割り切った上で取材を続けてきた彼女にとってはそれが己の体だろうと関係ない。もちろん、一線は超えるつもりはない、あくまでも見せかけだけの範囲である。


 口を固く閉ざした人間であっても男など単純な生き物だ、少しこちらが目配せしてやれば、簡単に口を割る。

―― 檜山はだった。この仕事で信念に重きを置く上で自尊心など、とうの昔に捨てたのだ。


 しかし、先ほどの事務所の男はどうだ。そんな檜山に嫌悪感を隠しもしなかった。檜山の知らないところで、この見藤という男には傾倒する存在がいる。そのため、色仕掛けなどそれにすら気付かず、興味のきの字もないというのが事実なのだが、彼女は知る由もない話だ。


 なんとも勘違いな女ではあるが記者として、真実に繋がる情報を手繰り寄せる運というのは確かなようだ。煙谷は死霊に関する事件・事象を専門とする祓い屋にして、檜山の担当する特集には持って来いの逸材だったのだ。



―― そうして、檜山がメモに書かれた住所に辿り着いた頃には、既に夕暮れ時だった。


「遠すぎる……、偽の情報を掴まされたかと思ったわ……」


彼女はもらったメモを片手にぼそっと呟いた。


 その場所は昔ながらの下町の商店街の一角に佇む、これまた昔ながらの商店、といった店構えだった。インターホンはなく、檜山は遠慮がちに大きな扉を開いた。


「ごめんください ――」


扉を開くと煙草なのだろうか、特有の匂いが鼻を掠める。

 事務所内は簡素な造りだが、和風な家具や小物が所々置かれている。そこで一際目を引くのは、季節外れに生けられた彼岸花だ。

 檜山は独特な雰囲気を少し不気味に思いながらも、足を一歩踏み入れたときだった。―― 背後から、不意に声を掛けられた。


「君、どうやってここまで来たの?」


いつの間にそこに佇んでいたのだろうか ――、檜山は慌てて振り返る。

 この人物が煙谷だろうか ――、と考えるよりも前に、その男は檜山の手に握られたメモ用紙を悪戯な仕草で取り上げた。


 その男はすらりとした体格と、気だるそうな雰囲気がなんともミステリアスで如何にも心霊現象の類に詳しそうだと、期待に檜山の胸が膨らむ。

 しかし、それとは対照的にメモに書かれた文字を目にした煙谷は少し眉を下げた。訝しむように、檜山を見やった煙谷。彼女は慌てて、事情を説明する。


「紹介を受けまして……、こちらの事務所に伺いました」

「紹介ぃ?どうせ、見藤でしょ。こないだの仕返しか、全く」


檜山はここで初めて朝に訪れた事務所の主の名を聞いた。そのため、そうかと聞かれても分からないのだが、この男の中では既に答えはあるようだ。

 煙谷は取り上げたメモを、くしゃりと握り潰した。そうして、彼は応接間としての役割を持つソファーに腰かけた。それに続くよう促され、檜山も向かいのソファーに座る。


「ふーん。で、何の用?」


 そう尋ねられ、檜山の記者としてのエンジンがかかった。彼女は見藤の事務所で披露したマシンガントークをここでも繰り広げた。

―― 自らは週刊誌に掲載する心霊・オカルト特集の記事を書いていること。そして、その取材の折に得た、遺体安置所における遺体損壊事件。

 独自の調査の末に得た情報。その遺体安置所は過去、刑場であったというのだ。辿り着いたのは、刑場で処刑された罪人の怨念によって引き起こされた事件ではないか、という憶測。


 早口で捲し立てる檜山の説明を、煙谷は黙って聞いていた。しかし一方で、自ら要件を聞いておきながら、興味がないとでも言うような態度だ。彼は少し面倒くさそうに頭を掻くと手首に着けられた深緋こきあけ色の数珠が小さく音を立てた。


「うーん、ね。そこは、とっくの昔に除霊は済んでる。僕の仕事じゃないね。君、なんで来たの?」


 なんとも突き放すような言葉だが、檜山にとっては心霊現象を解決する事務所であることを裏付ける言葉だった。それだけでも大きな収穫だったと言えるだろう。

 檜山はさらに今後、心霊・オカルト特集記事になるような依頼の取材をさせて欲しい旨を伝えた。勿論、きっちり取材料を提示することも忘れていない。すると、あまり気乗りしない様子だった煙谷はに、やりとその表情を変えたのだ。


「あぁ、あと取材の協力の件。それはどれくらい貰える訳?僕としては割増希望だなぁ……。この事務所はだから、その価値はある」

「ぐ……、帰って上司に交渉してみます……」


打算的な煙谷の言葉に、檜山は呆れたように返事をした。

 檜山の最も大きな収穫は、煙谷に心霊特集記事の取材協力を取り付けたことだろう。彼を取材していけばきっと面白い記事が書ける、という檜山の魂胆だ。そのためには、先方の要求には応じる他ない。それも、彼自身が「本物」と口にしたのだ。

―― 実のところ煙谷にも謝礼以外にメリットはあったのだが、檜山に知る術はない。


 煙谷はソファーにもたれかかり、足を組み膝に手を添えた。そして、檜山を見据えて挑発的な笑みを浮かべたのだった。


「君は霊感とか、そういうの。皆無なんだ?」

「えぇ、まぁ……はい」

「なのに、心霊特集担当とかやってるんだ。おもしろいよ」

「馬鹿にしてません?」

「ははっ!してない、してない」


楽しそうな声を上げた煙谷は、その目を細めたのだった。

 その後、檜山は煙谷と少し話をした。


―― 煙谷の口から語られる、魔訶不思議なこの事務所について。

 煙谷は死霊によって引き起こされる問題を解決していると語った。心霊現象、心霊写真、霊障による身体的不調などを解決して欲しいと依頼が来る、故に煙谷は祓い屋であるという。


 謝礼は必要ではあるものの、ようやく見つけた協力者に檜山は普段祈らない神に感謝した。実のところ、煙谷の一言によって彼女が調査した遺体安置所の事件の記事はお蔵入りとなってしまったのだが、その件はすっかり頭から消えているようだ。


 檜山は得も言われぬ達成感を抱きながら、意気揚々と立ち上がった。


「では、また後日伺います。その時に謝礼の返答はできるかと」

「そ」


短く返事をする煙谷に軽く会釈をし、事務所の扉を開こうと手を掛けた時。

 別れ際、軽快に肩を叩かれて振り返る。すると、煙谷から「それ」と指で示された先には檜山ご自慢の豊満な胸部があった。

 煙谷は呆れたように眉を下げながら――。


「その、みっともない物。しまった方がいいんじゃない?僕的にそっちの方が印象いいよ」

「はぁ??失礼なですね!!」


最後になんとも失礼な指摘を受けた檜山であった。




* * *


 檜山が事務所を後にしてから、煙谷はソファーに腰かけて一服していた。彼の足元には、煙によって拘束されている霊が数体転がっている。その光景を視ることができるのは煙の怪異であり、獄卒である煙谷だけだろう。


「癪に障るが、今回だけはあいつに感謝だな。結果的にいい人材だった。今度、礼にを持って行ってやろう」


ふーっ、と煙草の煙を吐き出す。その煙は空気の流れに逆らい、彼の足元に漂い、停滞する。

 霊感はないと言っていた檜山だったが、煙谷からすれば東雲以上に興味深い存在だったのだ。


「こんな数の霊に取り憑かれても平気なんだ。ほんと、人間は面白い」


 そう、檜山は数体の霊に取り憑かれていたのだが、本人は全く霊障を自覚していなかった。彼女の身の回りで起こる不可解な事象もないという。

 霊を呼び寄せやすい、霊に取り憑かれやすい体質というのは、現世に残る霊を回収するといった役目を持つ煙谷にとっては、手間が省けるため大いに好都合であったのだ。


「撒き餌としては申し分ないよ」


ただその思考はやはり怪異なのだが、檜山には到底関係ない話であった。


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