第20話 檜山倫子という女


 都心に乱立するオフィスビルの中でも、一面ガラス張りの前衛的デザインで設けられたオフィスの一角。電話が鳴り止まない、喧騒の中。

 記者、檜山ひやま倫子みちこは上司から告げられた言葉に間の抜けた返事をする他なかった。


「はいぃ?」

「はぁ……、何度も言わせないで欲しい。君は政界部担当から移動だ。今度は週刊誌の担当。よかったな」


 告げられた部門移動は左遷ではないかと疑うものだった。―― 週刊誌の心霊特集。檜山はその言葉に眉を寄せた。

 近年、一部の層にオカルトブームや都市伝説の流行が顕著だ。それらが娯楽の一環として台頭しているのは事実。その影響か、事故・事件をありもしない怨霊の仕業などとうたい、過去の悪行による因果応報だと、著名人を暴くことがエンターテイメントと化している。世の流れを追っている檜山は、頭の片隅にあった情報を引き出した。


 檜山の中に渦巻くのは、享受できない感情だった。だが、己の目指した記者の姿に齟齬そごが生じてしまった現実を受け入れなければならない、不条理。


(まぁ……、出る杭は打たれる。いつものこと)


◇ 


 檜山は近所の居酒屋でひとり、酒をあおる。嫌でも思い出すのは、部門移動のこと。彼女はジョッキを片手に勢いよく、もう一度酒をあおった。


「だぁっ、あと少しで暴けた情報があったのに……もう、いいや。心霊特集ねぇ……まぁ、やるからには徹底的にやってやる」


―― 悔しさで酒の味なんぞ分かる訳もなかった。しかし、そこで折れるのは己への冒涜だ。住めば都、心機一転。心霊だろうが、なんであろうが読者に真実を伝えようと、より一層、彼女は己の信条を燃やすのであった。

 そうして、檜山は焼き鳥を一思いに頬張った。



 まず始めたのは心霊現象というと王道になるだろう、心霊写真だ。しかし、これは合成や偽物であるのが大半で情報の正確性に難があり、記事にするには檜山の信条が許さなかった。

 次は心霊体験だが、これは体験者の主観で語られる。そのため情報の統合性がとれず、か外れか、檜山には判断できなかった。


 そうして、ふと思いつく。自分の得意分野は腐敗した組織を暴くことではなかったか。かつ、オカルト特集の題材になるようなもの ――、それは宗教団体であると目星を付けた。


 昨今、新たに設立される新興宗教団体の数は多い。宗教であれば、何かしらの神をたてまつり、悪霊が取り憑いている、などの謳い文句で信者を増やせることだろう。悪霊が本物か、偽物か、どちらに転んでも檜山的にはのだ。

―― そうと決まれば、行動するのみ。檜山は飲んでいた酒を一気に飲み干した。




* * *


 檜山が取材を進めるうち、昨今の新興宗教。―― 五、六年前からだろうか。一つの大きな宗教団体が解体となり、その元信者が散り散りになったことで、発足された小さな団体が多いことに気付く――、一体なぜ解体されたのか。

 記者としての直感が、檜山にこの件は何かあると告げていた。彼女は記者としての運だけは持ち合わせている。


 まず、過去に解体された大きな宗教団体。やはり、宗教団体らしく病気を患う人や子育ての悩みを抱える人を主なターゲットにしていたようである。

 やれ守護霊の力が弱っている、やれ悪霊が憑いている、ご先祖様を蔑ろにしているだの、ありきたりな理由をつけ、高価な仏具を信者に購入させていたようだ。しかし、ここまでならいくらでもある詐欺のようなものだ。



 檜山はデスクに広げた資料を眺めながら、独り言を呟く。


「なのに一体なぜ、突然解体されたのか……、」



 高価な仏具を購入させられた被害者が訴訟を起こしたのか、はたまた何か事件を起こしたのか、檜山がいくら調べても情報が出てこない。出てこないということは、何か意図的に隠されていると考えるのが定石だ。

 檜山の取材は更に熱が入ることになった ――。



 それから数か月間、檜山は徹底的に元信者、または信者と思わしき人物と接触を試みようと取材に追わる日々を過ごした。そうした中で唯一、取材に応じたのは高齢の夫婦だった。日取り、場所を取り決め、ようやく彼らと接触することができたのだった。

 そして――。


「あの、大変失礼ですが……、その話は本当ですか……?」


思わずそう尋ねなければ、今しがた耳にしたことに理解が追い付かなかった。

 檜山は先ほど聞き及んだ情報を頭の中で整理する。


―― その話はこうだ。

 世の中、のろいを生業にしている者達がいる。その呪いとは人に悪霊や生霊を取り憑かせたり、心身の不調を助長したりとその内容は様々である。そして、その者の大半は詐欺師といった偽物だというのだが、稀にがいる。

 そう言った者達は宗教の傘を借り、一方は信者に病をおとし、もう一方は病を癒す。この相互関係を利用し、神なる存在の信仰心を強めさせて信者から莫大な献金を受けているのだという。


 取材を受けた高齢夫婦の娘は宗教にのめり込み、あるとき体調を崩してしまったのだという。その病を治そうといつくもの病院へ通うも、検査では異常なし、精神的なものであると診断されたのだ。

 しかし、体調は悪化するばかり。どうしようもなくなり風の噂で聞いた、とある事務所を探し出したというのだ。そうして、彼らはそこを訪ねた。

 事務所の主は中年男性だった。彼はいつも口癖のように言っていた。困ったように眉を下げながら「俺の仕事ではない」と ――。最初は門前払いだったが、他に頼れる場所もなく、何度も頼み込んだと話す。


 そうしたある日。珍しく、その日は門前払いを受けなかった。その場にいた女性が一言、助けてやるよう助言を呈してくれたのだ。

 そうすると彼は渋々ではあるものの、相談内容を聞いてくれることになったのだ。


 そうして娘の宗教依存、病といった事の経緯を話すと、彼は事もなげな様子で「明日から少しずつではあるが、いずれは普通に過ごせるようになる」と言うのだ。

―― のろいと癒しの相互関係の話は、この男から聞いたのだという。


 高齢夫婦は疑心暗鬼だったが、なんと――。娘は翌日から少しずつ心も、体調も回復していった。そうして一年が経つ頃にはすっかり健康的な生活を送れるようになった。

 そののち、いつの間にか宗教団体は解体されていたのだ。その詳しい経緯は知る由もないが、なんでも宗教幹部が次々と病に倒れたと風の噂で聞いたそうだ。元信者たちは、幹部たちの悪行が自身に返ってきたのだと口を揃えて言っていた。

―― そして、脱退せず残った信者達は、未だを信仰している。




 檜山は、思っていた心霊といった類の話ではないものの、大きな収穫を得たと考えていた。一先ず、話にあった事務所の場所を尋ね、メモを取ったのだった。



 それから数日後。檜山は編集部にあるデスクにて情報を整理していた。

―― のろいの存在。古から伝わっていた呪術が現代においても受け継がれ、人々を脅かすすべとして使用されている。それを扱う、

 オカルト記事にしては上出来だろう、と檜山は力強く頷いた。

 

(もう少し何か分かれば、記事にできそう…!)


―― そう息巻いていた時だった。檜山が苦手とする、例の好かない上司に声を掛けられたのだ。彼は檜山の目前にわざとらしく、一枚の紙ぺらを見せびらかして、デスクに向かう檜山の肩に手を置いた。そして、ようやく口を開いた。


「あぁ、檜山さん。これ、なんか特集にできない?適当に話をでっち上げでもいいから」

「まぁ、はぁ……」


彼女は適当な返事をする。じっと、肩に置かれた手を睨み付ける。


 上司は悉く嫌な奴だと、辟易とした表情をする檜山。上司は彼女の信念を否定するだけではない、ことある事に人の体を凝視するのだ。

 彼女の身長は高くない。むしろ女性の平均身長よりも低いのだが、見られる理由としてはそれに不釣り合いな豊満な胸部だろう。その胸の大きさは彼女自身のコンプレックスなのだが、今更それを隠した所でどうにもならない。それに加えて大人しそうな印象を与えるのが、大ぶりな眼鏡に泣き黒子だ。


 上司の視線、肩に置かれた手は不愉快極まりない、と檜山は唇を噛み、堪える。今度、巷でよく聞く縁切り神社にでも参拝してみようか、と考えていた。



 手渡された資料は、遺体安置業者で起きた遺体損壊についての訴訟に関する内容だった。話をでっち上げろ、というのは恐らく――、その訴訟を霊的な仕業だと謳い、流行に沿った記事に書き換えろというのだろう。

 檜山は今一度、その資料に目を通した。以前であれば、心霊現象など造り話だと考えていたのだが、例の宗教団体の一件を経て、彼女の認識に変化があったのだろう。


 そうして、その遺体安置所が元来どういった土地柄だったのか、徹底的に調べ上げた。調べていくうちに、昔は刑場であったことが分かったのだった。


「これだ…!」


―― これであとは明確な裏付けがあれば、記事にできるだろう。

 そして、彼女は思い出した。慌ててデスクからメモを取り出す、それはとある事務所の住所が書かれたメモだ。―― そうと決まれば、善は急げだ。

 檜山はカメラと鞄を手に取り、慌ただしくオフィスを後にした。


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