第19話 猫宮、想起する


 猫宮は元来、であった。いつの時代であったか、随分昔だ。ただの猫であった頃、彼は人と共に暮らしていた。その頃だ、『猫宮』という名がつけられたのは。

―― 名を呼ぶ声音がいつも温かだったことを覚えている。


 何もない時代だったが、その人と過ごす時間、温かさがあれば他には何もいらなかった。―― だが、時代だったのだろう。


 ある日突然。野盗に襲われ、その人は命を落とした。

 猫宮が外回りから帰ると、見るからに荒らされたあばら屋。そこに横たわるその人の姿。―― 怒りの激情、忘れたことはなかった。

 近隣で戦があったのだ。戦に敗れた武者の残党が野党と成り果て、その人の命を奪ったのだろう。弱い人間は命であっても搾取される、人間に慈悲の心などない。


―― 猫宮は悲しみのあまり、その人の死体を喰らった。

 動物の母親が、幼くして死んだ我が子を食らうのと同じだ。他の動物に食い荒らされてしまうのであれば、己が食らってしまう方がいい。彼の行動原理はと似たものだろう。


 そこからだ。随分と時が経ち、猫宮がふと気付いた時には妖怪へと転じ、尾は二股に割けていた。しかし、彼の人間に対する怒りは収まらなかった。

 次第に人間の死期が近いと匂いで分かるようになり、死体を漁るようになった。

―― そうして、猫宮は火車と成った。


 時代が移り変わり、妖怪が人々に認知され始めると、人々は埋葬した死体を妖怪に食われないよう、何かしら策を講じるようになっていった。

 猫宮にとって、そのような小細工。策などあってないようなものだったのだ。


(ほんと、馬鹿だよなァ)


人間をせせら笑いながら、彼は未だ燻り続ける怒りを持て余していた。

 その時代は、まだあの世とこの世の境が曖昧だった。曖昧故に、人間によって住処を追いやられた妖怪達の縄張り争いは活発化し、ひょんなことから煙谷と出会った。

 煙谷や獄卒達と行動を共にしていた時期は、少し楽しかったようにも記憶している。


 そうして更に時代は移り変わり、猫宮は再び現世で暮らすようになっていた。

―― やはり、共に暮らしたあの人との思い出があるのは、この現世なのだ。


 飼い猫として暮らしたこともあれば、野良猫として暮らしたこともあった。その頃には同族である猫も数を増やし、猫宮は野良猫のボスをはっていた。しかし、悲しいことに同族と言えど所詮、猫はだった。


「おい、それは食うな!」


 彼がそう知らせても、人間の悪意によって撒かれた毒餌を食べてしまい、命を落とす同族を何匹も目の当たりにしてきた。更には車に轢かれてしまい、命を落とすもの。虐待を受け体に障害が残るもの、挙句死に至るもの。


 それだけではなかった、自然でさえも猫宮には厳しく思えた。餌を見つけられず餓死すもの、冬の寒さに耐えきれず短い命を終える子猫、カラスによって悪戯に弄ばれる子猫、同族の死を幾度となく目にしてきた。弱肉強食という世界。

 そんな中、なぜ己は妖怪なのだろうか、なぜ望みもしない長い生を過ごしているのかと、自問自答する日々が続いた。その頃には同族とも、離れて生きていた。


 しかし、十数年前だったか。季節は冬だった。

 猫宮は裏路地に放棄された子猫を見つけた。あまりに幼かったその子猫達に、なんの気の迷いか、彼は世話を焼いたのだった。その子猫達が自力で歩く頃には、少なからず情が湧いたのだった。

 

 その日は、残飯を漁りに出かけた日だった。猫宮は視線を感じ、ふと路地の向こうを見た。そこには人間が佇んでいた。

―― 野良猫が残飯を漁るのが気に食わないとでも言うのだろうか、こちらに危害を加えようものなら祟り殺してやると、彼は息巻いていた。


(なんだ人間か、こっちを見やがって)


しかし、その人間は何もすることなく立ち去ったのだ。


 それから偶然であるのか ――、その人間をよく見かけるようになった。猫宮が視線を向けていると、その人間は必ずこちらを振り返るのだ。


(まさか、俺が猫又だと視えている訳じゃないよな……、最近じゃァ、怪異や妖怪なんぞ視える人間の方が少ないし……、気のせいだろう)


猫宮はそう思うことにした。


 そうしたことが続いたある日。無情にも、自然は子猫に牙を向けた。子猫が猫風邪に感染したのだ。一匹、また一匹と淘汰されていく。その度に成す術もなく、冷たくなった小さな体を運ぶ。

 いつか経験した、繰り返される同族の死が、猫宮の心に暗い影を落とす。残ったのは二匹の子猫だ。その子猫達も、もう長くはないかもしれない。白黒の牛柄の子猫と、白黒の八割れの子猫だ。


(どうして俺は妖怪なんだ……)


 また独り残される、そう思ったとき ―― ふと、あの人間が頭に浮かんだ。

 一か八か、あの人間に助けを求めてみようか。だが、散々人間は同族を殺してきたではないか、猫宮の中で相反する感情が渦巻く。

 しかし、横たわる子猫を見れば ――。


(くそ……)


気付けば、駆け出していた。


―― 最近あの人間は、この付近のコンビニによく足を運んでいたはずだ。上手くいけば、何か手立てがあるかもしれない。雪だ、雪が降ってきた。早く助けを呼び、子猫たちの元へ急がねば。

 猫宮の焦る気持ちとは裏腹に、コンビニ店員は店前をうろつく小汚い野良猫をよしとする人間ではなかった。箒を手に取り、猫宮を追い払おうとする。


「すみません」


突然、店員の後ろから声がした。あの人間だ。


「こいつ、ご近所の迷子の猫だ。見つかってよかった。飼い主に連絡しておくから、危害を加えないでくれ」


 人間はそう言うや否や、着ている物が汚れることなど気にも留めず猫宮を抱きかかえたのだ。じんわりと、体温が分けられていく。それは大昔に突如として奪われた、人の温かさを思い起こさせるには十分だったのかもしれない。

 人間は猫宮を抱きかかたままコンビニを少し離れた所で、こそっと口を開いた。


「お前、あの時の猫又だな。どうしてこんな所に……」

「やっぱり、俺が視えるのか」

「まぁ、目はいい方なんでな」

「……頼みがある」

「あの子猫か?」


猫宮は小さく頷く。

―― やはり、この人間には己の猫又としての姿が視えていたのだ。


「知ってたんだな、」

「いや、猫又がうろついてるのが気になってな。少し、覗かせてもらった」


そう言うと人間は、足を速め子猫達の元へ向かった。

 雪が強まってきた。猫宮は降りしきる雪に一抹の不安を覚え、人間の腕の中から飛び降りる。そして、案内するように道を駆けた。


 子猫たちの元へ辿り着くと、人間はすぐに身に着けていたマフラーで子猫を包み込む。それから、近所の動物病院へ連れて行くと言い残し、その場を後にした。

―― 子猫たちが助かれば良いのだが、そう思う。猫宮は独りになってしまった。


 それから、どの程度時間が経ったのか。路地裏には雪が積もっていた。

 己は妖怪であるが故、死にはしないが、寒いものは寒い。雪が積もった地面ではなく、建物の屋根がある場所に移動した。少し高い位置にある、室外機の上に身を寄せた。そして、自身の体を寄せて暖を取る。そうすれば、心もとないが少しは温かい。

 すると、路地の方から足音が聞こえてきた。目の前に現れたのは、先ほどの人間だった。その人間は、室外機の上に丸くなっている猫宮を見上げ、声を掛けた。


「いたか」

「なんの用だ」

「お前はどうするんだ?外は寒いだろう」

「別に。何もしないし、何もない。ただ、なんとなく……生きているだけだ」


 猫宮はそう言うと、そっぽを向いた。

―― そうだ、己は特に理由もなく生き長らえているに過ぎないのだ。あの頃から、長らく独りで生きてきた。あの子猫たちのように懸命に生きようとしている訳ではない。その姿が少しだけ、羨ましかったのかもしれない。

 猫宮が物思いにふけっていると、人間が口を開いた。


「それならお前、うちに来ないか?丁度、猫の手も借りたい」

「俺は人間も喰うぞ。そんな化け猫を手元に置くのか?馬鹿な奴だ」

「それよりもいい餌を知ってる」


そう不敵に笑った人間は ――。


「見藤だ、よろしく頼むよ。又八」

「あァん?俺には『猫宮』という名があるンだ!生意気に名付けなんてしやがって、喰うぞ」

「そうか、分かった猫宮」

「お、おうよ」


こうして、偶然にも猫宮は再び温かな場所を見つけたのだった。

 見藤に案内された事務所には――。


「なに、あんた。浮気?」

「どうしてそういう解釈になるんだ!!いや、猫又だよ……霧子さん」

「猫……、猫又ねぇ……?」


長身の怪異が居憑いていた ――。というより、この人間に取り憑いていたのだ。

 彼女との力の差に猫宮の快活な態度はなりを潜めてしまったようだ。見藤の足元に、身を隠しながら調子のいい言葉を並べる。


「いやァ……こいつのことを喰ったりしませんて、姐さん」

「ふーーーーん、ほんとに?」

「う、味見くらいは考えるかも……、」

「駄目に決まってるでしょ。そうなったらその可愛い柄をした皮を剝いでやるわ」


正直な思惑が漏れ出した猫宮。

 ギロリ、と猫宮を睨みつける鬼の形相をした霧子の姿があったのだ。


(おっかねぇ……!!!あの野郎、とんでもねぇ奴が憑いてやがる……)


猫宮は恐れおののいたのであった。

―― しばらくして。あの二匹の子猫は見藤の知り合いの老婆と、彼が駆け込んだ動物病院の院長がそれぞれ引き取ってくれることになったと聞かされた。




* * *


(あのとき、俺は妖怪でよかったと思えた)


少し昔を思い出してしまったが、感傷的な気分ではない。むしろ晴れやかな気分だ。


「いやァ、そンな事もあったもんだ」


彼は夜風をきり、駆ける。楽しげに呟いた猫宮の独り言は、夜の空に消えた。

 そうして、猫宮の濡れ衣が綺麗さっぱり晴れたかと言うと ――――。


「帰りが別々なのは怪しいぞ、又八」

「こんのクソガキが!!!」


久保のもっともな指摘に立腹する猫宮。

 東雲から差し出された、見覚えのある茶封筒に眉を顰める見藤。


「見藤さん。言いにくいですけど、またキヨさんから……」

「もう、ほんと、勘弁して……」


まだまだ、夏は終わらないらしい。






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