第22話 吉兆か、凶兆か


 閑話休題。そう、まだまだ夏は終わらない。


 事務所の机にうつ伏せになり、つかの間の休息を取る見藤。その頭には先ほどまで使用していたであろう眼鏡が鎮座している。

 一方でローテーブルを埋め尽くす写真や書類に思わず天を仰ぎ、のけぞる様な格好でソファーにもたれかかる久保と東雲。沈黙が三人の疲労を表しているように思える状況だ。

 そんな重苦しい空気感の事務所に、なんとも陽気な声が響いた。


「やぁ」

「…………」

「え、何?なんで睨んでる訳?」

「……なんの用だ」


 煙谷だ。その声を聞き、嫌でも休憩は終わりを迎える。もぞり、と完全に体を起こすわけでもなく、ただ頭を動かし目線だけで煙谷の姿を確認する見藤の姿はなんとも怠惰だ。久保と東雲は律儀に姿勢を戻し、挨拶をしているというのに。


 煙谷はそんな二人に軽く挨拶を返し、見藤が突っ伏している机の前までゆったりと歩いてきた。彼の腕には何やら段ボールが抱えられている。

―― 既に面倒な予感がする。見藤は現実逃避のためか煙谷と視線を合わせない。


「いやー、今年の夏はすごいね。あの婆さん、容赦ないな」

「……お前はなんで、ぴんぴんしてやがる」

「珍しく、君がいい人材を紹介してくれたお陰かな?」

「はぁ?」


 犬猿の中である煙谷の為になるような事は死んでもしないであろう見藤にとっては不可解な返答だった。そして疲労困憊である己と打って変わり、意気揚々と事務所に現れた煙谷に対して、更に嫌悪感が募る。


 実際、煙谷は怪異であるがために人間ほどの強い疲労は感じない。以前、霧子との痴話喧嘩の際に煙谷の正体に気づく余地はあったのだが、あの時は霧子の機嫌をとることで精一杯だった為、見藤はすっかり忘れているようだ。


「あの檜山とかいう女記者だよ」

「ふーん」

「無自覚に霊を連れて来てくれるからさ。婆さんの依頼があった場所に取材に行かせて、帰ってきたら俺が祓えば手っ取り早いって訳。彼女も取材のネタになるってもんでギブアンドテイクかな?」

「ほーん」


 興味を示さない見藤の態度に「いつものことだね」と煙谷は肩を竦ませている。見藤の知らないところでなんとも珍妙なバディ結成がされていたようだ。

 一方、煙谷の口から出た「女記者」という言葉に、即時反応したのは東雲だった。


「な、なんですか、その女……」

「いや、何でも取材だの言っていたから面倒でな、煙谷の所に押し付けただけだ」

「取材!?事務所で?二人きり?」


全く聞く耳を持たない東雲に、見藤は疲労を感じるのか久保へ会話を代わるように言う。


「いや、もう……久保くん、会話交代」

「えー、嫌ですよ」


東雲の扱いにも慣れてきた二人だ。

 そんな三人の会話をうんうんと、珍しく機嫌よく聞いていた煙谷。


「で、その人材紹介のお礼」


と言いながら、見藤の机にドカッと置かれた段ボール。危うく見藤の後頭部に段ボールが振り下ろされる所だったが、悪寒を感じ咄嗟に体を起こした見藤。

 そして、嫌でも合う視線に辟易としながら目の前の段ボールを見やる。


「いや、いらん」

「まぁ、そう言うなって」


そう言いながら段ボールを開けていく煙谷。

 見藤からしてみれば、煙谷が機嫌よくこちらに何か施しをしようとする時は必ず裏があるのだ。この男はそういう男だ。


 じゃーん、とわざとらしく掛け声をつけ段ボールから取り出されたのだ、なんとも古風な釜だった。それもかなり年季が入っていそうだ。

 その釜を視るや否や、見藤は眉間に皺を寄せ、煙谷に突き返そうとした。


「嘘だろ、お前……これ、」

「いやー、これうちの職場に長年置いてあってさ。今度改築するもんで、ちょっとお払い箱になったんだよ。今までは祝い事があると、この釜と釜戸でお米を炊いたりしてたんだけど。そんなこんなでこれは縁起物だ、はい」

「いらん!!」


珍しく饒舌な煙谷、嫌な予感は的中するものだ。

 久保と東雲は、煙谷の後ろからその釜を覗き込んだが、普通の釜に見えた。しかし、見藤には何か視えているのだろうか。それとも、使い道のないゴミとなるものを処分先としてここに置いて行こうとしたことに腹を立てているのか。

 二人が顔を見合わせていると、煙谷はそそくさと事務所から出て行ってしまった。


「あの野郎……!!」


ぱたりと閉まった扉を睨み、悪態をつく見藤。そうして何やら電話をし始めた。


「キヨさん、急ぎで悪いが引き取ってもらいたいものがある。あの煙谷の馬鹿が押し付けて行きやがった。あぁ、恐らくだが付喪神つくもがみの一種だ」


 付喪神、その言葉に二人は再び顔を見合わせた。それはよく耳にする怪異の名前ではなかったか。

 付喪神と言えば古来より日本に伝わる、長らく使われた道具には精霊や魂が宿る、と言ったものが広く知られているだろう。


「釜戸?そんな昔のものが職場にあるなんて煙谷さんって……、」

「あぁ?適当に理由をつけて押し付けてきただけだ」


久保の独り言に、電話中だった見藤から横やりが入る。それもかなり機嫌が悪い。


 実際、煙谷が煙の怪異であることを知るのは久保だけだ。煙谷のいう職場とは一体どこを指しているのだろうか、と疑問に思う。

 また、煙の怪異である煙谷が釜戸を使い、煙をふかして米を炊く釜を使用していたなど、なんとも思うことがあるのだが、見藤にしてみれば関係のない話である。あるのは、この付喪神をどうするかだ。

 そして、見藤はまた電話に戻った。


「はぁ、三日か……。分かった、三日はこっちで預かる。あぁ、頼むよ」


見藤はそう言うと電話を切る。

 はぁ、と大きくため息をつき、眉間を押さえている。ここの所続いている疲労に加え、さらに面倒事を持ってきた煙谷を恨む。


「あ、あの、見藤さん……!!」

「これ……!」


眉間を押さえていると、久保と東雲の不安そうな声が聞こえてきた。


「……だから言っただろ、いらんって」


 久保と東雲は目の前の釜に釘付けになっている。なんと目の前の釜がひとりでに動き出したのだ。それも、釜を頭として毛むくじゃらな胴体、鶏のような細い足と手を生やしながら。釜に目や口は見られない、その釜は少し左右を確認し、自分を見ている久保と東雲を見上げた。

 すると――――、


「うわっ!」


突然、毛むくじゃらの釜の怪異は久保と東雲に向かって飛びつこうとしたのだ。

 ガァアアアアアアン!!と、鉄が反響する音が事務所に大きく響いた。あまりにもうるさい。二人に飛びつこうとした釜に見藤が金槌を振り下ろしたのだった。


 一体どこから取り出したのか、金槌を手に持ち、もう一発いくか?とでも言うように片手で金槌を空中で回し遊びながら見藤が釜を睨みつけている。

 飛びかかろうとした釜は見事に床に転がり落ち、頭の釜をごろごろ左右に転がしている。


「付喪神の鳴釜だな、こいつは。全く、あいつは……」


見藤ははぁ、と一層大きなため息をついた。久保と東雲は鳴釜の毛むくじゃらな胴体が気持ち悪いのか、一歩、また一歩と後ずさりしている。

 そんな中、東雲がぼそっと呟いた。


「う、気持ち悪い……」

『誰が気持ち悪いって??』

「うわぁ……しゃべりはったわ……」


なんとも素直な反応だ。

 東雲の呟きに少し怒ったように返したのは紛れもない鳴釜自身だった。目もなく口もなく、どこから喋っているのか分からない、なんとも不思議だ。

 ごろごろ転がっていた鳴釜は、ぴょん、と勢いよく起き上がると自身を見下ろしている久保と東雲を見上げた。


『お前、運がいいな。俺が占ってやろうか?』

「え、占いができるのか?」

『そうだぞ、占いといったら俺だろう。代わりに米をよこせ。』


「久保くん、相手にするな」


 鳴釜の提案に久保が興味を引かれていた所に、見藤が釘を刺す。怪異からの提案など、そう易々と乗るものではないのだ。


「そいつの言う占いは良い事も悪い事でも、必ず当たる。もし、悪い結果が出てみろ、必ず当たるんだぞ?回避のしようもない。それに、その占いの結果は俺達じゃ判別つかんからな、こいつが嘘を言っても判別つかん」

「え、」


『あ、おい、ばらすなよ!』


 久保が驚いて見藤の方を見るとより眉間に皺をよせ、心底嫌そうだ。足元から焦った鳴釜の声が聞こえる、見藤のいう事は確かなのだろう。しかし、最後の言葉を聞いて鳴釜は不服そうに鼻を鳴らし腕組みをした。もちろん鳴らす鼻など付いていないのだが。


『一つ違うな。俺達怪異は、嘘はつけないぞ。お前もよく知っているだろうに。』

「そうかよ」


見藤が素っ気なく返事をした時だった。どこからともなく猫宮の声が事務所に響いた。


「おーい、帰ったぞ」

「あ、お帰り又八」

「おう。……む、何だ。懐かしい匂いがするが……」


 猫宮がくんくんと鼻をひくつかせ、思い当たる匂いの元を探る。そして視線の先に鳴釜を見つけた。

 猫宮は一瞬目をぱちくりとさせたが、懐かしいと思った理由が分かれば、今度ははぁ、と大きな溜息をつき、見藤を見た。


「おい見藤、お前また姐さんの機嫌を損なうようなことを……、」

「今回は俺のせいじゃないだろうが!煙谷だ!前回は無傷だったろ、分かってくれる……はずだ」


最後の方は見藤らしからぬ少しくぐもった声だった。


「三日だ、三日我慢すればいい……」


 そう言い聞かせたのは見藤自身に向けられた言葉だったのか、霧子の怒りに触れるのを恐れて出た言葉か。

 久保と東雲には分からなかったが、すぐにこの言葉の意味を理解することとなる。

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