第13話 機微に疎い男は許しを請う


 事務所内に二人だけの雰囲気が流れてからしばらくして。

 自分らしくない行動を取ったことが突然気恥ずかしくなったのか、見藤はポリポリと首の後ろを掻き、ゆっくりと霧子から離れた。ただ、少し名残惜しい 。

 見藤の心の内を知ってか知らずか、まだ霧子は顔を赤くし俯いている。その様子がまた可愛らしいのだが。


「と、というか、それ!」

「ん?」


 それ、とは首の絞痕こうこんのことだろうか。見藤は首をさすった。


「違うわよ、その打った痕の方よ」

「あぁ、……大丈夫だ」

「どこがよ!」


見藤からすれば、霧子の機嫌を損ねる霊障などよりもずっと意識の向かない怪我なのだろう。放っておけば治る、程度に考えていた。


 少し離れた距離を今度は霧子が詰め寄り、べりっと、容赦なくTシャツを捲る。霧子の方が見藤よりも背が高いため、余分に捲りあがるTシャツ。見藤の脇腹や背中に鬱血した痕が痛々しく残っている。霧子はそれを見て、むむむ、と眉を寄せた。


 そして、事務所内の戸棚の引き出しから何かを探している。目当ての物を見つけたのか、得意気に戻ってきた。手に持っていたのは市販の貼付剤だ。


「座りなさいよ」

「え、いや、自分でできる……」

「いいから!」


 先ほどの仕返しだろうか、有無を言わさない霧子の気迫に、見藤は大人しくソファーに座るのだった。



* * *


「ただいま戻りましたー」

「又八、猫缶買ってきたよ」


「~~~~~っ……!!」

「ちょっと、動かないの!!!これで最後なんだから!」


 丁度事務所の扉が開いたところに、見藤の言葉にならない叫びが木霊した。久保、東雲の目に飛び込んできたのは、湿布を片手に見藤へ襲い掛かる霧子の鬼の形相だった。

 流石の見藤も、手当と言う名目の報復に涙目だ。既に何か所かは湿布が貼られているが、その度に容赦ない力で湿布を体に押し付けられていたのだろうか。


 ソファーと並行して座り前かがみの姿勢で痛みに耐える見藤を見れば、久保と東雲の中に多少の哀れみが浮かんでくる。


 よく見ると、湿布を貼るために中途半端に脱いだTシャツが首に引っかかっている。その下はもちろん上裸なのだが、見藤の雄偉な体を見たことがなかった二人は目を点にしている。

 さらに普段は分けられている前髪は下され、蓄えられた髭も綺麗さっぱりなくなっている。それ故に、いつもより若々しく見える、というよりも幼く見える、と言ったほうがいいのかもしれない。


 見藤は実のところ童顔なのではないか。仕事柄だろうか、相手に与える印象の為に強面に見えるよう見藤なりに繕っていたのか。これは新たに見た見藤の一面だ。


 見藤を見つめていた東雲は、途端にぷいっと視線を逸らしてしまった。流石に見藤と霧子の様子を見ていられなくなったのか、久保は心配そうに東雲へ視線を向けるが。


「あかん、顔と体が良すぎて直視できひんわ」

「ほんと、流石だよね」

「褒めてる?」

「多少」


この掛け合いも慣れてきたころだ。

 二人の存在に気づいたのか、見藤は慌ててTシャツを着る。しかし、二人はあの湿布の下には鬱血痕があることを知ってしまった。自分たちの軽率な行動が見藤の体に怪我を負わせてしまったと、今更ながら大いに後悔している。

 そして、Tシャツを着たことにより隠されていた首元が露になる。しっかりと残された、絞痕こうこん


「その痕……、見藤さん、病院へは!?」

「いや、こんな痕見られたら事件性ありと見なされて大騒ぎになる。時間が経てば消えるさ、気にするな」


帰ったら説教してやると息巻いていた見藤だったが、久保と東雲の落ち込んでいる様子を見て、あまり強く言えなくなっていた。


「まぁ、俺の忠告を無視したことは反省しろ」

「はい……」「はい、」


 厳しい一言だが、それだけで効果はあるだろう。向かいのソファーに座り、肩を落とす二人に見藤は深いため息をついた。霧子は反省中の二人の様子を心配そうに見つめている。自分に対しては厳しいがこの二人には甘いというのは、やや解せない見藤であった。


「で、君らは大丈夫そうか?」

「はい。あの後、煙谷さんが色々してくれたので、何事もなく」


 煙谷の名前を聞いた途端に、ぎゅっと見藤の眉間に皺が寄った。二人の仲を知らない、久保と東雲からすればあの危機に駆けつけた二人はコンビを組むほどの仕事仲間だと思うだろう。


「はぁ……、どうせあいつだろ。……煙谷だろ」

「???」


俺を助けたのは、その言葉だけは言いたくない。自分が気を失っている間のことは久保が知っていると考えるのが当然で、状況を聞こうかと思ったが、煙谷への嫌悪感が邪魔をする。しかし、何かを察知したのか久保はこくこく頷いた。


 煙谷が怪異であるというのは一応、久保だけが知る秘密なのだ。怪異は自らの正体を名乗らない。正体を知った者には無条件で制約が生まれるのだが、内緒だと言われれば正直に従う久保にはあまり関係のない話だった。


 久保と東雲の二人は既に面識があるため、癪に障るが簡単に煙谷について説明しておいた。

 煙谷は祓い屋であり、霊を祓うことを専門としている。怪異を専門とする自分とは折り合いがものすごく、悪い。以上だ。

 すると、そこで事務所に新しい声が響いた。


「何か呼ばれた気がしたけど、合ってる?」

「呼んでねぇよ」


煙谷だった。

 ふらりと煙谷が現れたのだ。咥え煙草をして、こちらへ歩いて来る。辺りに煙草特有の臭いが立ち込めた。その臭いに見藤は更に眉を寄せ、少し咳き込んでいる。


 助けられたことがよっぽど気に食わないのか見藤は煙谷を一瞥もしない。普段は聞かない見藤の少し乱暴な言葉遣いに目を輝かせる東雲は置いておこう。


「おい、うちは禁煙だ」

「まずは感謝の言葉のひとつや二つ、僕に言うのが先じゃない?」


煙谷の要求は至極当然だ。しかし、見藤の様子は変わらない。

 すると、煙谷は咥えていた煙草をつまむように手に持ち、ふっと、悪戯に見藤の顔に軽く煙を吹きかけた。

 突然のことで避けようがなかったためか、少しの煙だったが、肺に深く吸い込んでしまい、見藤は激しく咳き込み始めた。ゲッホ、ゲホゲホッ、ひゅーっと気道が狭まる音がした。流石に苦しいのか涙目だ。


「こいつ、暴行罪で突き出してやる」


 涙目になった見藤が面白いのか相変わらず飄々としている煙谷の態度。まさに一触即発だ。すると、ダァアアン!とローテーブルを叩く音が二つ同時に事務所に響いた。


「流石に今のは、あかんことやと思いますけど」

「煙谷、あんたねぇ……」


ぎろっと煙谷を睨みつける東雲と霧子。

 霧子に睨まれた煙谷は流石に一瞬たじろいだのだが、東雲の方を見ると何か面白いものを見つけたとでも言うのか、にやりと笑い、もとの飄々とした態度に戻ってしまった。


「へぇ、君、面白いね。助手としてうちの事務所に来ない?」

「お断りします。助けてもろたんは感謝しますけど。さっきの、見藤さんにしたことは許せません」

「ふーーーん、」

「そもそも、あんさん、うちのタイプと違います」


断固とした態度をとる東雲の強さに、久保と見藤は呆気にとられていた。

 そして霧子も同様に怒りを露にしている。このとき、霧子と東雲の怒りの根源は若干異なっていたのだが、それに気づく者はこの場にはいない。


 見藤はそれと同時に理解した。冒頭、自分がせっかくとった霧子の機嫌を煙谷がすべて無駄にしてくれたことに。霧子は、見藤に怪異や霊の痕跡がつくことを極端に嫌がる。そしてそれは恐らく煙谷にも当てはまっている。その先の答えは、今はどうでもよかった。

 恐る恐る霧子を振り返り見上げると――やはり、その目は怒りに燃えていた。


(嫉妬深いのはいいんだが……、)


 これまで見藤と霧子のやりとりを見れば、彼が霧子に懸想しているのは言わずもがな。ただ、見藤も人間だ。少しばかり、それが報われてもよいだろうと思ってしまう時があるのだ。

 そのため霧子の怒りに少し嬉しさを抱いてしまう自分は器量の狭い人間なのかもしれない。だがしかし、彼女の機嫌をとる自分の身にもなってみろ、煙谷の胸倉を掴んで叫んでやりたい、と煙谷を睨む見藤。


「まぁ、そこまで抗議されたのなら仕方ないね。からかうのは止めるよ」

「そう、なら早く消えることね。私、今とても機嫌が悪いのよ」


 低い声で話す霧子はその場を凍り付かせるような雰囲気を纏っていた。そんな霧子に負けたのか、煙谷は肩を竦めながら一枚の紙をローテーブルへ投げた。


「これ、調査報告。あの婆さんに送っといて」

「はぁ!!??」


紙には一言、「特記すべき事象なし。以上」とだけ書かれていた。流石に呆れた見藤にどやされる煙谷だったが、それに取り合う訳もなく、事務所の扉を開け出て行ってしまった。

 煙谷が事務所を出た後、残されたのは冷え切った雰囲気を纏う霧子とそれに頭を抱える見藤、なぜそういう雰囲気になったのか理解できない久保と東雲だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る