第12話 真夏の肝試し④
先に東雲を救急外来へ送り届け、久保は東雲の付き添いで煙谷と別れた。煙谷は念のため翌日、見藤の様子を見に行ってやって欲しいことを伝えた。
それから煙谷が運転するレンタカーで事務所の前まで帰り着く。後部座席には適当に転がされている――、未だ意識が戻らぬ見藤の姿があった。
彼を担ぎながら、事務所の扉を開くと真っ先に飛び出してきたのは猫宮だった。見藤を担ぐ煙谷を見て、少し驚いた顔をする。
「見藤がここまでへばるとは珍しいな。お前がいるのも、なァ煙谷」
「全く、困ったものだよ。大方、そこに憑いてる怪異でも助けようとしたんじゃない?消滅しかけの怪異がうろついていたからな」
「相変わらず辛辣だな」
見藤繋がりで二人は顔見知りなのだろう。
煙谷は猫宮とそんな会話をしながら、事務所の奥の扉を乱暴に開く。そこは見藤の生活スペースだった。部屋には最低限の生活用品が揃っているだけの簡素なものだ。
煙谷は未だ意識の戻らない見藤を、容赦なくベッドに投げ捨てる。彼は「むしろここまで世話をしてやったんだ、感謝して欲しいね」と言い残し、怪異らしく煙となって消えてしまった。
ベッドに投げ捨てられた見藤の横にぴょんと華麗に着地する猫宮。一応、呼吸を確認しておく。よし、深い呼吸を繰り返している。猫宮の短い脚で、ぺしぺしと頬を叩いても反応はない。
やれやれ、と猫宮は首を振る。この男は出会った当初からそうだったのだ。
人に無害な怪異であれば無条件に助けようとする、その行動の裏に何があったのか、ある程度付き合いが長い猫宮でさえも知らない。
もしかしたら、初めから見藤の隣にいた霧子であれば何か知っているのかもしれない、猫宮はそう思いつつも今は見藤の様子を見守ることにした。
* * *
翌日、見藤が目を覚ますと見慣れた天井が目に入った。
しかし、鼻につく焦げた匂いは昨日の出来事を思い出させる。まだ意識がはっきりしないものの、久保と東雲は煙谷に任せたため、恐らくは無事だろうとぼんやり考えていた。
そして、自分を助け出したのは煙谷だろうとそのまま思考する。あの燃え盛る火の手から一体どうやって自分は助かったのか、見藤よりも体格で劣る煙谷がどうやって自分を運び出したのか、はたまた目玉の怪異が火の手を抑えてくれていたのか、疑問は尽きない。
だが、煙谷が自分を助けた、その事実は見藤にとって面倒なことこの上ない。次に顔を突き合わせれば必ず皮肉の嵐を浴びせて来るだろう。
「ちっ、」
容易に想像できることに、見藤は思わず舌打ちをする。
そして調査報告も残っている。あの目玉の怪異はもう長くはないだろう。考えることが山積みだ、と一旦そこで思考を放棄する。
「……とりあえず、風呂」
面倒くさそうに呟き、ベッドから立ち上がる。まずはこの砂埃と焦げた匂いをなんとかしたい。重たい足取りで浴室へ向かった。
砂埃や煤で汚れたスーツをおもむろに脱ぎ捨てると、雄偉な体格が露になった。
普段は着痩せするのか、スーツの下に隠された体躯が雄偉であると想像つかない。それも今は打撲した痕が痛々しく、鬱血している。そして、床に打ち付けられた際にガラス片で切ったのか、擦り傷が複数。
設置されている簡易的な浴室に入ると蛇口を捻り、シャワーの熱い湯に打たれる。そうすれば、少しは頭もはっきりしてくるだろう。
口に水分が入ると、砂の味がした。倒れこんだ衝撃で少し口内を切ったのか鉄の味もする。その不快感に眉を寄せ、もうついでとばかりに歯を磨き、髭を剃り始めた。前髪からポタポタと落ちる水滴が鬱陶しい。
しばらくそうした後、浴室を出ようと鏡の前を通りかかったとき自分の首に違和感を抱く。
「こりゃ、最悪だな……」
浴室内に設置された鏡をまじまじと見て呟いた。見藤の首には後ろから両手で絞められたような痕がくっきりと残っていたのだ。恐らく、あの霊障によるものだろうが、見藤は違った思惑で悪態をついていた。
――あの人は、自分に他の怪異や霊の痕跡が残ることを極端に嫌うのだ。どう言い訳をしようかと思いつつ、結局は何も思い浮かばなかったようだ。諦めて浴室から出て、水滴を拭き取る。
そうして見藤は普段のスーツ姿とは打って変わり、Tシャツにスラックスという比較的ラフな格好に着替え、事務所に繋がる扉を開いた。
すると――――、
「………………」
「………………」
腕を組みソファーに腰掛け、さらにローテーブルの上で足を組み、こちらを睨む長身の美女と目が合った。どうやら隠し事はできないようだと、見藤は困ったように眉を下げた。
見藤は助けを求めるように猫宮の姿を探すが見当たらない。彼は霧子の雰囲気に恐れをなし、どこかに出かけたようだ。沈黙が重い。
しかし、こうしていても仕方がない。見藤は意を決したように口を開いた。
「あの、霧子さん……」
「………………」
「えっと……、すまん、」
「……浮気者」
何をどう捉えればその解釈になるのか不明だが、少なくとも見藤と霧子の間柄では、そうなるのだろう。
霧子の拗ねたような口調に見藤は肩をすくませながら、いそいそと霧子の正面向かいのソファーに座る。
「油断した……、」
「でしょうね」
いつにも増して突き放すような声音は、もはや謝罪もいい訳も聞き入れてもらえない状況のようだ。
拗ねる霧子に、ほとほと困り果てた見藤がとった行動は。
ローテーブルに打ち上げられ、綺麗に組まれた霧子の長い足。見藤はソファーから立ち上がり片膝をつくとその足を手に取り、靴を丁寧に脱がした。
――そして、その足先に唇を寄せたのだった。
「!!??」
あまりの出来事に霧子は言葉を失い、わなわなと震えている。
足先に唇を寄せたかと思うと、次は足の裏、足の甲へと見藤は止まらない。その行為は崇拝心や服従といった従属的な意味を持つが、霧子にとっては羞恥心を煽るものでしかない。
恥ずかしさのあまり、霧子は手で顔を覆ってしまった。そんな彼女の反応に悪戯心が湧いたのか、見藤はさらにその綺麗な足にすりっ、と頬を寄せたのだ。
彼の短髪の毛先が、少しくすぐったい。
霧子は顔を覆った細い指の間から見藤をちらりと見る。髭を剃ったことで普段よりも幼く見える顔つきに、目が離せない。
自然と上目遣いになるその男の、熱っぽい眼差しと視線がかち合う。
「~~~~っ!!!!」
恥ずかしさのあまり耐えられない。これ以上ない程赤面し、見藤の頭をどかそうと手を伸ばしたが、その手も捉えられ最後は手のひらに口付けられた。その行為は相手に許しを請うものだと、霧子も知っていた。
「ちょ、調子にのらないでよ!?」
「ぶべっ、」
見藤はそのまま顔面を鷲掴みにされた。みしみし聞こえるのは空耳ではないだろう。
「らしくなかったか?」
「ほんとにね!!!!もう、いいわよ!!!」
「そうか、よかった」
照れたような、拗ねたような可愛らしい返事に、見藤はくすくすと笑っている。
あの廃旅館で倒れた時、薄れる意識の中で思い出していた走馬灯のようなもの。そこにはいつも霧子がいた。それが見藤に積極的な行動をさせることになったのだが、霧子は知る由もない。
「クソガキ……。可愛くないわ……」
「はいはい」
恨めしそうにつぶやく霧子と楽しそうな見藤。
一見、年老いているのは見藤だが、その見藤をクソガキ呼ばわりする霧子は一体何者なのか。二人の関係を知るのはもう少し先になる。
一方、二人の雰囲気を察知した猫宮はというと、
(あいつらの足止めをしておいて正解だったな……)
見藤の様子を見に事務所を訪れていた久保と東雲に猫缶を買ってくるように要求し、事務所から追い返したのだった。
人知れず苦労を物語る猫宮の哀しい後ろ姿があったことは誰も知らない。
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