第11話 真夏の肝試し③


「おあつらえ向きだな、こりゃ」


 廃旅館に到着した見藤はその外観を捉え、そう呟いた。

 その場所はとてつもなく、おぞましい雰囲気が漂っている。怪異の発生源となりそうな認知の残滓がうようよ存在している。

―― ということは、煙谷には数々の霊が視えているだろう。

 これらの認知の残滓は、その漂う霊魂を喰らおうと、この場所に引き寄せられたのかもしれない。


 見藤が辺りを見渡すが、久保たちの姿はない。元は旅館と言えど、もう入り口などあってないようなものだ。もしかすれば、彼らは反対側から足を踏み入れたのかもしれない。

 そう思い足を踏み出したその時、悲鳴が聞こえた。


「おーおー、やってるねぇ」

「他人事じゃないぞ」


 のんびりとした煙谷の感想を諫め、速足で廃旅館へと足を踏み入れる。そこで運がよいのか悪いのか、見藤たちが到着した場所の反対側からエンジン音がした。


 久保が言っていたクラスメイトだろうか、そのエンジン音は徐々に遠ざかっていく。

 人間というものは、咄嗟の行動で本質が浮き彫りになるものである。要するに、彼らは久保と東雲を置いて逃げたのだ。


「まぁ、目撃者はいない方がやりやすいが……。友達は選べよ、久保くん」


ここにはいない久保にアドバイスを送った時だった。


「見藤さん!!!!」

「うあーーーーん、見藤さぁぁん!!!」


 大声で自分の名を呼ぶ聞き慣れた声に振り返った途端、体に衝撃が突き抜けた。久保と東雲の猪突猛進タックルだ。流石に体格がいい見藤と言えど、二人分の衝撃を受け止めるのは無理な話だ。耐え切れずそのまま床に倒れこんだ。辛うじて頭を打つことは避けられたか。

 煙谷はというと砂煙を被らないよう、さっと脇に避難していた。


「君らなぁ……」


何してんだ、と見藤が口を開こうとした瞬間、鼻につく匂い。何かが燃えている匂いだ。

 倒れ込んだ姿勢のまま、久保と東雲は顔だけを上げて、見藤に目にしたものを訴える。


「煙草の火が勝手に……!!!」

「はよう、消防に通報!!!」


 パニック状態に陥っている二人には何が起こったのか説明する余裕はない。見藤は久保と東雲を引きはがし、体を起こす。焦げ付いた匂いは徐々に強まっている。あまり悠長に寝ている場合ではないのかもしれない。

 見藤は少し離れた所に立つ煙谷を見やった。すると、煙谷は事もなげに口を開く。


「火元は二階、突き当りの居間だね」


 煙谷は何を根拠にそう思ったのか不明だが、火元の場所を言ってのけた。いがみ合っている二人だが、何だかんだで煙谷の言うことは当たっていることが多い。と、見藤も煙谷が示した場所が間違いではないと直感的に感じている。

 見藤は久保と東雲に立つよう促し、自分も後に続く。そして、煙谷を指差した。


「二人はこいつに着いて行け、胡散臭い奴だが俺の知り合いだから大丈夫だ。それと念のため消防へ通報しておいてくれ」


 見藤はすぐさま指示を出し、久保と東雲を残して二階へ向かうため駆け出した。残された煙谷は二人を連れ出そうと機微を返す。


「こっちだよ」


煙谷の言葉に、久保と東雲は戸惑いながらも指示に従った。



 久保と東雲を煙谷に任せた見藤は、火元と推測される二階の居間へと駆けていた。

 焦げ付いた匂いは濃度を増し、白い煙が徐々に立ち込め始めている。だが、不思議と火の手はあまり回っていない。―― 今ならまだ鎮火できるかもしれない。

 駆けて行く見藤の足元。うごうごと地面を這う複数の手が、彼の行く手を阻もうとする。しかし、それは適わず、手の存在は彼の目には視えていない。


「っ、ここか……!」


 その煙たさに鼻と口元を腕で覆いながら進んで来た。しかし、やはり不思議なことに火の手の回りが遅い。

 見藤が火元にたどり着き、そこで視たのは ―― ゆらめく火を必死に食い止めようとする怪異の姿だった。


 しかし、その怪異の姿は見るも無残な姿だった。

 両手はもげそうなほど細切れで、もたげるので精一杯。顔と認識できる部分は既になく片方だけ、目玉が付いている。足はなく、ただ肉塊のように地面にその体を置いている。人間で言うところの瀕死の状態だろうか。


 目玉の怪異は何を思ってこの火を食い止めているのか、見藤には分らなかった。だが、その顔であったと思しき部分に唯一残った目が、悲しみの感情をたたえていることだけは理解できた。


「くそっ……!」


 見藤は悪態をつくと、ここが廃旅館であることを思い出す。一旦、火元を離れ、放置されていた布団や毛布を抱えて戻って来た。布団を重ねて行き、酸素をなるべく遮断し消火を試みる。しかし、無情にも煙は白いものから徐々に黒い煙へと変わって行く。

 

 煙草の火、と久保は言っていた。恐らくこの火元は久保が心配で同行したというクラスメイトだろうと結論付け、見藤は心の中で大きく悪態をつく。


(まずいな……!! ふざけやがって、あのクソガキ共……!!!)


焦りと苛立ちから、無意識に奥歯を食いしばる。ふと、視線を下に向ければ、目玉の怪異が必死に火元を抑えようと片腕をもたげている。

 目玉の怪異はおそらく、昔は人々から祀られた神の類であったのだろうか。怪異であっても、人々の信仰に応えようと健気に人を守り、神と称される怪異もいる。


 しかし、ここは既に廃旅館となってしまった。彼は認知や信仰の力を失い、消滅を待つだけの怪異なのだろう。

 現在に至る不幸の経緯に、目玉の怪異以外の存在がいたとして。その存在が悪霊の類なのだとすれば ――、この怪異が昔得ていた人々の信仰に応えようと、最後の抵抗をしている事にも頷ける。


 見藤が必死に鎮火しようとするが、上手くいかない。それどころか、煙によって徐々に意識が朦朧とし始めた。

 そのときだった ――。


「かはっ、」


突如、後ろから首を掴まれた感覚が見藤を襲った。

 そして、そのまま後方へと引きずられ、強烈な力で床に叩きつけられる。ガラスの破片が散らばる固い床に体を強く打ち付けた。受け身など取れるはずもなく、見藤は全身に広がる鈍い痛みに呻く。


 目玉の怪異も突然のことに驚き、慌てて見藤の元に這いずって行く。霊の類が視えなくとも、普段であれば見藤にとって霊障など取るに足らない事象である。だが、このときの見藤は煙によって意識が朦朧としていた、悪霊達はその瞬間を狙っていたのだろう。


 傍に近寄ってきた目玉の怪異がピーピーと、か細い声をあげながらわめている。おおかた、気を失うなとでも言っているのだろうか。自身が消滅しかけていても、人の身を心配をする目玉の怪異。そんな彼に見藤はふっと目を伏せて、少しだけ笑った。

―― そうして、見藤は意識を手放した。



* * *


 三人は無事に廃旅館の外へと避難していた。だが、徐々に煙が広がっていく光景を目の当たりにし、久保と東雲は更なる焦燥感に陥っていた。


「見藤さん……!」

「どないしよう……」


 心配そうに二階を見上げる二人をちらりと振り返る煙谷。そして、視線を戻して二階の出火元と思われる部屋を見る。

―― 煙谷の目には、視えていた。

 火の手を広げようと画策する悪霊の数々が。ここが廃旅館となった一因の霊なのか、それは定かではない。そうしている間に、更に煙が立ち込めてきた。ここも時間の問題だろう。


「うーん、少し……まずい状況かな?」


どこか他人事であるかのように呑気な煙谷の呟き。

 すると、東雲が少し煙を吸い込んでしまい大きく咳き込んだ。煙谷は彼女にレンタカーに乗るように指示し、休むように言っておく。すると、やはり体調が優れないののか、東雲は目を閉じてじっとしていた。


 残った久保は見藤を助けに行こうか、否か。判断することも、他にどうすることもできず狼狽えていた。そして、意を決したように口を開く。


「やっぱり、僕……!!」

「待ちなよ」


燃え盛る炎に覆われた廃旅館に見藤を残した罪悪感からなのか、居ても立っても居られず。無謀なことをしようとする久保を煙谷が制止する。


「で、でも、」

「まぁ、いいから」


そう言われ、何がよいの分からず更に久保は狼狽える。―― もう、時間は残されていないのだ。


 そして、次の瞬間。久保は目を疑う光景を目の当たりにすることになる。

―― 煙谷が立ち込める煙を喰らったのだ。まさに、喰らうという表現が似つかわしい。

 気が付くと周囲の煙はすっかり消えていた。あまりの出来事に驚く久保、呆然とその場に立ち尽くすだけだった。


「見藤には内緒だぞ」


そう言って煙谷は、にやりと笑った。―― 祓い屋、煙谷は怪異であったのだ。


 

 呆然とその場に立ち尽くした久保をその場に残し、煙谷は再び廃旅館へと足を踏み入れた。

 煙谷の足が地に着くと、その瞬間から煙は彼の体内へと吸い込まれていく。黒く立ち込めていた煙は徐々にその範囲を狭めていく。

 これで周囲の煙害は抑えられただろう。しかし、煙谷はその顔を渋いものに変えた。


「うぇ……にしても。まっずいなぁ、この煙。悪霊の糞みたいな味だ」


 それは煙を喰らう煙谷の率直な感想だった。するとポケットから、ソフトパックを取り出して煙草を吸い始める。ふぅーっと、息を吐き一服する。煙を喰らう煙谷にとって人間社会の煙草は美味のようである。咥えた煙草を口元で遊ばせながら、歩いて行く。


 煙谷がゆったりとした足取りで火元までたどり着く頃には、周囲の煙はすべて消えていた。そうして、火元から少し離れた所に転がる見藤を確認し、やれやれ、と肩をすくませる。

 彼は大きくなりつつあった火元へ向かい直り、両手をかざした。すると、火元は徐々に小さくなり、遂には消えてしまったのだ。燃え切らず炭化したものが、がらりと崩れ落ちる。


「おーい、生きてる?」


 鎮火を確認すると、煙谷は床に転がる見藤に声を掛ける。もちろん、意識を失っている見藤に反応はない。煙谷は見藤へ近寄り、うつ伏せになった見藤の顔をのぞき込む。

 恐らく軽い一酸化炭素中毒だろうか、と首を捻る。そして、見藤の背中に手を触れた。


 煙の怪異である煙谷は、空気中のガスであっても操ることができるようだ。それは人間の呼吸によって交換された空気であっても例外ではないらしい。

 見藤は苦しそうに呻いたものの、煙谷がその手を離す頃には顔色が徐々に戻っていた。


「世話の焼ける奴だな、まったく」


煙谷はよいしょ、と見藤を肩へ担ぎ上げる。その細身の体格に見合わず、体格のよい見藤を軽々担ぎ上げたのだ。どうやら、怪異というのは人知を超えるものを持っているようだ。

 すると、ふと視線を感じ、煙谷は足元を見やる。そこには、心配そうに見藤を見上げる、目玉の怪異の姿があった。


「こいつは大丈夫だ、あんたは?」


そう尋ねるが、この怪異は答える口を持ち合わせていない。

 見藤が無事だと分かったのか、目玉の怪異はずるずると体を引きずって、どこかへ消えてしまった。


 煙谷はふぅ、と鼻で息を吐き出し、周りを見渡す。彼の目に映るのは有象無象の悪霊。その醜悪さと多さに辟易としながら、まずは見藤を連れ出そうと足を進めたのだった。


(仕事は後回し、だな)


咥えたままの煙草を遊ばせながら、煙谷はこれから起こるであろう面倒事に溜め息をついた。

 煙谷が廃旅館から出るや否や。彼の肩に担がれた、意識がない見藤を目にした久保は慌てふためき、宥めるのに苦労した。そして、見藤を車内に転がそうとすれば、今度は泣きつく東雲を宥める羽目になったのだ。

 どうにも、このいけ好かないライバルは知らぬ間に人との繋がりを得たようだと、煙谷は少し苦笑しながら天を仰いだ ――――。



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