第10話 真夏の肝試し②


 どこか山間の一角、事務所を離れた見藤は一人の男と行動を共にしていた。このような、あまり手入れが行き届いていない山間にレンタカーで訪れる来訪者など他に見ないだろう。


「本当にこの時期はだるいな……」


 見藤のぼやきは夏の暑さに対してなのか、それとも少し離れたところに立つ、この男に対して発せられたのか。


 見藤は額に汗を浮かべながら地面にしゃがみ、ある程度の大きさがある紙に丁寧に文字列と図を描いていく。それが書き終わると紙の中央で破く、その作業を繰り返し続ける見藤を遠目に見つめているその男。

 男は気怠そうにレンタカーに寄りかかり、作業が終わるのを待っている。すると、男が口を開く。


「それには珍しく同感だね。僕もこの時期じゃなければ君と同行して怪異対策なんて真っ平ごめんだよ」

「死霊の類はお前の専門だろうが」

「だからって同行は最悪。まだ終わらない訳?」

「黙ってろ」


 この男 ―― 煙谷たばたにと見藤は、とてつもなく馬が合わなかった。見藤が右と言えば、煙谷は左という。思考、行動、すべてが正反対だと本人達は言う。


 煙谷は顎の辺りまで伸ばしたソバージュヘアを少し振り払いながら、見藤に作業を終えるよう催促する。その際、左手首につけられた深緋こきあけ色をした数珠が少し鳴った。

 彼の風貌は黒髪のソバージュヘアが白い肌を際立たせ、その肌に咲くような、そばかすが印象的だ。細身の長身であり、見藤よりも若いようだ。

 細身の体格に似合わず、袖ぐりが深くゆったりとした黒い服を着ている。その黒色は視覚的にも夏の暑さを助長させる。


 そのことにも見藤は少なからず苛ついていた。かく言う見藤もネクタイこそしていないが、いつものスーツ姿で、実のところ人のことは言えない。


 見藤が怪異を専門とする傍ら、煙谷は霊を専門とする祓い屋だった。怪異という認知次第で実体を得る存在とは異なり、霊とはそのままの意だ。


 死後の世界へ旅立たず、現世に留まり続ける者達。未練が故に長く現世に留まり続けた末に悪霊となる者、自殺や他殺による負の感情に呑まれた者、そう言った者たちを成仏させ、祓うことが煙谷の仕事だという。

 怪異と霊、似て非なるものであるが、それ故にこの二人はライバル関係であった。


「にしても、怪異に喰われる霊も可哀そうだよねぇ。成仏せず、言葉通り消滅するんだから」

「知らん」


―― 問題はこれだ。


 多発した災害によって犠牲者が増え、その災害に恐れを抱いたが故に集団的な認知が働き、そこに新たな怪異が生まれる。生まれたばかりの怪異は力が弱く、認知が薄れると消えてしまう。

 若しくは猫宮のような生物から妖怪へと転じた、特殊な生まれを持つ怪異に喰われる。そのバランスが成り立っていれば、そうそう人里に過大な害を及ぼす怪異は生まれない。


 だが、その均衡が破られ始めたのだ。何をきっかけにしたかは不明であるが、生まれたばかりの怪異が霊魂を喰らうことで存在を維持し、実体を持ち始めたのだ。

 煙谷曰く、人間の魂というのはエネルギーの塊だというのだ。詳しい事は話半分でしか聞いていないため見藤には分らない、自分の依頼をこなすだけである。


 もちろん、煙谷も依頼を受けここにいる。過去になかった現象が起きているため、馬の合わない見藤と渋々行動を共にしているのだ。仕事であればきっちりこなす、どこか似た部分がある二人だ。


「ねぇ、僕の話聞いてる?本当に嫌な奴だよ」

「お前ほどじゃないさ」

「いちいち腹立つなぁ。って、君の携帯?」


 煙谷が見藤のズボン後ろのポケットに差し込まれたスマートフォンを指さす。着信だ、久保が設定したメロディが周囲に流れる。見藤がある程度スマートフォンを使えるようになったのも久保の指導の賜物だ。


「君、機械に疎かったんじゃなかった?」

「うちの助手は優秀でな」

「ふーん」


 久保はただスマートフォンの操作を根気強く教えただけなのだが、煙谷にも見藤が機械に疎いのは共通認識であるらしい。

 しかし電話に出るや否や、先ほどの見藤の言葉は覆されることになる。話が進むにつれ、彼の眉間に皺が寄っていく。

 見藤が困っている様子が面白いのか、煙谷はにやにやと笑っていた。


「君なぁ……」

『本当にすみません!!!!』

「ったく……、その場所は?」

八十やそヶ岳の麓の廃旅館です……』

「…………」


帰ったら説教してやる、と心に決めた見藤である。

 久保から事情と場所を聞いた見藤は、レンタカーの車内に乱雑におかれていた書類を捲り始めた。その場所に心当たりがあったからだ。


「君は本当に運がいいな」

『え?』

「次の仕事場だ。……明後日には間に合いそうだな」


 どこぞの誰が遊び半分で心霊スポットへ赴き、何かしら被害を被ろうが見藤には関係のない話である。が、知ってしまった以上放置はできず、また久保の同行理由も無下にはできない。

 決まってしまった事は仕方がない。見藤はただ溜め息をつく他なかった。



 見藤と煙谷の次の仕事場、ということはその廃旅館は言わばホンモノ、ということになる。そして、八十やそ、と名の付く地名には少なからず八十神やそがみに由来するものがある。


 八十神とは数多の神々を表し、その神々の中には悪神も含まれている。そして、その神々というのは人が祀り上げ、神にも似た力を得た怪異のことである。ただ、悪神はその名の通り、悪戯に厄災を振りまく。


 悪神は大昔であれば人を贄として要求したり、現代であればその地に足を踏み入れた者を死へ誘ったり、そのやり口は様々である。

 或いは元々善良な神――、のように祀られた怪異であってとしても、人の信仰心や認知によって悪神へと堕ちる場合があるそうだ。


 よって見藤や煙谷たちのような、怪異に引き起こされる事件や事故を調査する者や、祓い屋達により、そういった場所は定期的に調査が行われるのだ。

 その調査結果は同業者への情報としてキヨの店で売買されるか、危険を伴うものは自衛策として情報共有される。


 電話越しに聞こえきた地名を耳にした煙谷は、ふと物思いにふけった表情をしながら口を開いた。


「地名に隠された真実なんて、現代ではほとんど意味を成さないからなぁ」


 現代へと時代が移り変わって行くにつれ、地名はその場所がどういった意味を持っていたのか、後世に伝える役割も薄れてきた。そうすると認知により存在を得る怪異たちは、存在を維持しようと行動するようになる。不幸をばら撒き、きっかけを作る。

 そうして死の連鎖へと誘い、霊魂の捕食へと至る。もちろん、霊の中にも悪霊としてその地に留まり、死の連鎖を生み、生きた者を道連れにしようとする存在もいる。


 煙谷は廃旅館と聞き、そこで起こった事件を思い出したのだった。


「八十ヶ岳の廃旅館って、あれかぁ。数十年前に起こった一家心中の」

「あれだな、宿泊客を惨殺した後の一家心中。その後、心霊スポットとして名を馳せ、二次的死者多数。お前の仕事が沢山ありそうだな」

「…………面倒になってきた」

「きっちり働け」


資料内容を簡単に確認した後、二人は車に乗り込んだ。



* * *


 そうして、瞬く間にその日を迎えてしまった。久保と東雲は強張った顔を見合わせ、深い溜め息をついた。

―― 深夜、クラスメイトが運転する車に乗り合い八十ヶ岳の麓へ向かう。


 実のところ、集合場所にいたのは久保、東雲を含めて四人だけだった。初め数人は乗り気だったのだが、やはり尻込みし行けなくなったと連絡が来るのが関の山だった。だが、この状況ではそちらの方が有難いのだが ――。


(逆にどうして、この二人は来てるんだ……帰ってくれよ)

(正直、帰ってほしい……)


 友人を通して集められたためか久保と東雲にとって、ほぼ面識のないクラスメイトが二名残ってしまったのだ。気まずい事この上ない。珍しく、久保と東雲の意見が合致した。


「いや、逆になんで発起人が来てないんだよ」

「それな」

白沢しろさわの奴……」


 その二人がぼやく。正にその通りなのだ。発起人である久保の友人、名を白沢しろさわというが、どういう訳かこの場に来ておらず、久保にも欠席を伝える連絡はない。

 そして、久保が何度スマートフォンを見ても、頼みの綱である見藤からの連絡は入っていない。目的地へ向かっており、運転中であるからなのか ――、これは腹を括るしかないのか。スマートフォンを握り締める手に力が籠る。


「ばっくれやがったな」

「だな。あいつはそういう奴だしな」

「次に会ったら締めとけよ、久保」

「え、僕?」

「なんだかんだで、白沢と仲いいだろ?」


車内でだだ下がりする白沢の評判。彼を咎める役割を押し付けられた久保は、これまた渋い顔をしたのだった。


 そうして目的地に到着したはよいものの、ただでさえ気まずい雰囲気だ。先陣を切って下車するものはいない。東雲は既に何かを感じているのか、完全に沈黙していた。


「軽く探索して帰るか」


―― 誰かがそう声を発した。

 そうなると集団心理なのだろうか。皆、渋々下車し始めた。ただ単に建物を見て帰るだけだ。いつの間にか、そんな楽観的な思考が広がっていた。


 目の前に立つのは噂に聞く廃旅館。暗闇の中に佇むその造形を確認しようとすれば、月明りだけが頼りだ。窓ガラスが割れていたり、壁は崩れ落ちていたり、全体的に風化によってボロボロだ。いかにも廃墟という風体だ。


 カチッとスイッチを入れる音が響いた。クラスメイトが持参した懐中電灯だ。

 懐中電灯の一直線に伸びる光の先には、赤黒く錆びついた門が口を開き待ち構えていた。それだけでも不気味さを助長させる。


 先陣を切ってクラスメイト二人が建物内へ足を踏み入れる。その後を追うように、久保と東雲は続いた。

 東雲の顔は険しく、見藤のお守りに守られているとはいえ全く影響がない訳ではないらしい。


 廃旅館は三階建てだった。足の踏み場が少なくなるほどの廃材、そして廃旅館という背景もあってか、座布団や布団と言った生活品が所々見受けられた。

 そして、久保達のように肝試しで訪れた者達の痕跡だろうか。まだ新しいビニール袋や菓子の袋、酒の空き缶が放置されている。そして、三階から二階へと引き返したところで立ち止まる。


「まぁ……そんなものだよな、心霊スポットって言っても」

「だな、帰るか」


 そう呟き、このクラスメイトは何を思ったのか。ポケットから煙草とライターを取り出し、喫煙を始めた。少なからず非日常的な状況下で、この緊張を解きほぐそうとしたのか。

 すると突然、どこからともなくガラスを踏む音ようながした。


「「「!!!???」」」


もちろん、この場の誰一人その場からは動いていない。

 そのことが、あの音は異常だと認識させるには十分だった。久保は一瞬、見藤が到着したのかと期待したが、連絡がなかった上、この緊迫感ではその考えもすぐに放棄される。


「出るぞ!!!!」


 そうなれば、人間やることは同じである。クラスメイト二人は悲鳴を上げながら、一目散に駆け出していた。手から離れた吸い始めの煙草の火など、気にも留めずに。


 長年雨風に晒され続けたためか所々雨漏りした痕跡があり、そういった水溜まりが存在するこの場所であれば、その程度の火元ならば簡単に消えたであろう。


 しかし、ここは八十ヶ岳の麓。神々の名の意味を持つ山の麓だ。少なからず、そう言った場所にはいいものも、悪いものも集まるというのが定石だ。

 久保と東雲は視ていた。消えかけていたはずの煙草の火が、水溜まりなどものともせず、大きく育った瞬間を。


「やばい……!!!!」

「は、はよう、消防!!!」

「まずは逃げる!!!!」


久保は咄嗟に東雲の腕を掴み、駆け出していた。


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