第5話 東雲あかり②


 後日。ことの詳細は省き、見藤の事務所へ遊びに行くことを東雲に提案した久保。

 その提案に初めは驚いていた東雲だが、事情を話すと彼女もお守りを度々紛失することに頭を悩ませていたのか。遠慮がちに口を開いた。


「え、久保君のバイト先にお邪魔してもいいの?」

「うん。お守りの件、相談したら遊びにおいでって。見藤さんも構わないって言ってくれたから」

「見藤さん……って言うんだ」

に詳しい人みたいだから、きっとなんとかしてくれるよ」

「へ、へぇ……」


久保の最後の言葉は東雲の顔を引き攣らせた。

 聞こえようによっては、久保は霊感商法を行っている悪い大人に騙されている大学生アルバイトだ。

―― しかし、背に腹は代えられない。

 東雲は久保の提案に承諾した。世にも不思議な体験をした久保と、霊感体質の東雲。この二人がお互いに隠した秘密を知るのはもう少し先の話である。




* * *


 久保と東雲が見藤の事務所に到着し、扉を開いた後のことを、誰が想像できたのだろうか。

―― 阿鼻叫喚という言葉がその状況を提言するには最も相応しかっただろう。


 扉を開き、見藤を見るや否や。東雲は耳をつんざくような悲鳴をあげ、気絶してしまったのだ。

 その場にいた猫宮はその声の大きさに驚いて脱兎のごとく逃げ出し、その脚力の犠牲になった書類が辺りに散乱した。


 見藤は驚き慌てて東雲を抱きとめようとしたが、扉までの距離が遠すぎて間に合わず。久保の愚鈍な反射神経では間に合わず。結果、近くにいた霧子が持ち前の反射神経で東雲を抱きとめたのだった。

 それから、意識のない東雲を事務所のソファーへ寝かせた。ぐったりと青白い顔をしていて、何かにうなされるような素振りを見せている。


「……、どうしてこんな事になったんだ?」

「分かりません……」

「一体どうしちゃったのかしらね、この子」


皆、心配そうに東雲を見つめる。猫宮だけはソファーの下に隠れたまま、少しだけ顔を覗かせていた。

 すると、何かに気づいたように見藤は久保へ声をかける。


「なぁ、久保くん。この子のお守りはあるか?」

「お守りですか?」

「あぁ、」


―― そうだ、先ほどの出来事が衝撃過ぎて忘れていたが、そもそも、件のことで見藤の元を訪ねたのだ。

 持ち主の意識がないときに、私物に触れる事を申し訳なく思いつつ。久保は東雲のお守りを探し出して、見藤に手渡した。あらかじめ鞄のどこにお守りが提げられているか、東雲から場所を教えられていたのだ。


「ん、」


 見藤は短く返事をし、受け取る。すると、お守りの周囲を何やら指で弾く仕草をした。久保には視えない何かがいるのかもしれない。

 そして、見藤はお守りの袋の口紐を緩め、中身を出し始めたのだ。思わぬ見藤の行動に久保は驚きの表情を浮かべる。


「え、ばちが当たりそう……」

「俺には当たらん」


久保の率直な感想に軽口を叩き返すと、見藤はお守りの中身を完全に出してしまった。

 それは御神璽ごしんじと呼ばれるもので、神が宿るお札とされている。中身はお守りによって様々だが、このお守りの中身は数回折られた紙だった。その紙を開くと文字が書かれていた。


「……?」


それを目にした見藤は一瞬、怪訝な顔をする。それは見覚えのある文字だったからだ。

 それはさておき。異変と言えば、その御神璽(ごしんじ)の一部が黒く滲んでいたのだ。そして紙の端には、所々にかじられた痕がある。


「これか」

「見藤さん?」

「まぁ、まじないは得意な方でな。なんとかなるさ」


―― まじない、その言葉に久保は首を傾げる。

 のろいと言うと聞き覚えはある。しかし、それはどちらかと言えば、人が人の不幸を願う、という印象が強い。久保は持ち前の好奇心をくすぐられたが、見藤はそう言うと事務机へ向かい、何やら作業をし始めたため聞くことはできなかった。

 すると、作業はものの数分で終わり、見藤は新しくなった御神璽(ごしんじ)をお守りの袋へ入れる。


「はっ……!!??」


丁度その時、東雲が目を覚ました。彼女は髪の毛をぼさぼさにしながら、勢いよく起き上がる。


 東雲は今、自分がどこにいるのか再確認するように周囲を見回した後。しばらくの間、放心していた。そして、そのまま数分が過ぎた頃。

 彼女はようやく意識がはっきりしてきたのか、今度は久保の顔を見て、あ!という表情をする。どうやら、気絶してしまった事を思い出したようだ。そして、その視線を動かすと、席を立ちこちらへ向かってくる見藤を目にすると、再び顔を青くしていた。


 よく東雲の目線を追ってみると、見藤の背後を見ているようだ。そんな東雲の様子に、見藤は申し訳なさそうに眉を下げ、困った表情を見せたのだった。

 そうして、見藤は東雲の元へたどり着くとソファーの傍でしゃがみ、お守りを手渡す。


「すまんな、これで大丈夫だ。お嬢さん、君のお守りだ」


 それは何に対する謝罪なのだろうか。一方の東雲は、なぜか既視感のある光景に目をぱちくりさせている。そうしてお守りを受け取ると、彼女の顔は血色よくなっていた。

 そして、東雲はその既視感に確信を抱こうと、ぽつりと言葉を溢す。


「おにいさん?」

「はは、俺はお兄さんという歳じゃないな」


東雲の呟きに冗談まじりに返すと見藤は一呼吸おき、口を開いた。


「君は、視えるんだな」


東雲は小さく頷く。他者に霊感体質を言い当てられたのは初めてだった。


 見藤から手渡されたお守りを握っていると、もうあの恐ろしいものは視えなくなっていた。そのことが、東雲に確信を抱かせることになる。

 幼い頃、実家である神社の神さまに祈った願い。お守りを拾ってくれたお兄さんへお礼を言いたい ――、それはえにしを繋ぎ、彼女の願いを叶えたのだ。


 見藤と東雲、彼らが縁による再開を果たしているなど見藤自身は知る由もなく,、時間が経ち。東雲の奇声に驚いた猫宮だったがようやく気分を落ち着かせ、ソファーの下から出て来たときだった。


「それで見藤に驚いたのか。こいつには憑いてるからな。あーー、声が大きすぎて、耳がいかれるかと思ったぞ」

「…………ひっ!!!??」

「げ、こっちも視えるのか、この小娘」


「猫宮……」「あら、また寝ちゃったわね」

「いやぁ、悪い……」


 猫宮の軽口により、冒頭の再現となってしまったのだった。見藤に諫められ、珍しく縮こまる猫宮だった。




* * *


「本っっ当に、申し訳ありませんでした!!!」

「いやぁ。流石の見藤も小娘に、顔を見ただけで気絶されたら傷つくだろうな、くはは!」

「いや、さっきのはお前のせいだろうが……」


 それから目を覚ました東雲に事情を聞いた。実家が神社であること、霊感体質であること。お守りをくれた祖父のこと、頻繁にお守りをなくしていたこと。

 東雲は話の折々で、ちらちらと見藤の方に視線を送っていたのだが、まだ怖がられていると思ったのか、見藤は申し訳なさそうに眉を下げるだけだった。


「霊感体質の人間は、霊にも怪異にも好かれやすいからな。気を付けるといい。お守りを頻繁に紛失していたのも、その守りが邪魔だったんだろう」

「怖かったわね、もう大丈夫よ」

「霧子さん……!」


 冒頭、頭から地面に倒れこみそうになった東雲を抱きとめ、目覚めるまで介抱した霧子に東雲はすっかり懐いていた。綺麗なお姉さんを嫌いな人間はいないということだ。女性同士の安心感もあるのか、霧子と東雲はすっかり打ち解けている。


「まぁ、これでこの件は解決だな」

「そうですね。ありがとうございます、見藤さん」

「久保くんは依頼料天引きだからな」

「えぇー……」

「当然だ」


 ソファーの向かいに座っている男二人の会話に霧子はくすくす笑っている。そして、そんな様子を見ていた東雲が、意を決したように口を開く。

―― その先の爆弾発言を予測できないのは、当然のことであった。


「あ、あの、失礼を承知でお聞きしますが!!! 見藤さんは、ご結婚されていますか!!?? いえ、この際、恋人とか!!??」

「…………………………はい?」


東雲の言葉に一同、目を丸くするのだった。

 それから捲し立てるように喋り始める東雲を誰も止められなかった。


「いや、あの、うち実家が神社なんですけど、私一人っ子なものでして……。神社を継いでくれそうな人を探しとるんです!! できれば、霊なんてのが視える人がいいなぁ思うてて!!! お祓いとかあるんで!? どうですか、見藤さん!! お婿に来てください!!!」


―― なんとも頓珍漢で、熱烈なアプローチだった。

 最後の言葉は、どうですかと聞いておきながら断定的な物言いだ。あまりの熱の入りように、方言が出ていることに東雲は気づいていない。

 一同が東雲の剣幕に圧倒され、何も言えずにいる中――。


「どうですか、見藤さん!!!!」


ダァン!!! とこれまた物凄い勢いで前のめりになり、見藤と東雲を隔てるローテーブルを両手で強く叩いた。

 見藤も霧子も、久保でさえ、その出会った時の怯えた印象と全く異なる東雲。その姿を目にして、本当に同一人物かと混乱しているようだ。


 霊感体質により、暗く俯きがちになっていたために抑圧していた、東雲の本来の行動力。その抑圧が解き放たれ、爆発した彼女の行動力は恐ろしい。

 しばらく放心していた一同だったが、真っ先に東雲の言葉を理解したのは見藤だった。あまりの内容に珍しく、慌てふためいている。


「…………え、えぇ!? お断りします!!!」

「なぜですか!!!」

「いや、駄目だ……!!! 俺は犯罪者にはなりたくないぞ!!」

「私、とっくに成人していますよ!!」

「そういう問題じゃないデス……! そもそも俺には――、」


 その先の言葉を噤んでしまった見藤は霧子に助けてくれと目線を送るが、彼女は目の前で何が起こっているのか理解できておらず、放心状態で助け船は期待できない。

 怪異に遭遇しても、その平静さを失わない見藤が、東雲の爆弾発言によって右往左往している様子はあまりにもおかしかったようだ。猫宮がケタケタと笑っている。

 そんな猫宮を恨めしそうに見やりながらも、見藤は東雲にはっきりと断りを入れる。


「いや……いやいや!! 君の幸せを第一に考えなさい!! 若い行動力が怖い!」

「正直言って、見藤さん。私の好みです!」

「いや、お断りさせて頂きます!!!!」


見藤がはっきりと断ってもこの押し様で、おっさん年甲斐もなく渾身の悲鳴である。


「き、霧子さん!!!」

「はっ……!!?そ、そうよ!そういう問題じゃないのよ!」


会話の内容がワンテンポ遅れているが、ようやく覚醒した霧子の参戦である。


「と、とにかく、こいつは駄目よ……!!??」

「どうして霧子さんの方が動揺してるんですか……」


霧子の慌てた様子に、久保の率直な感想は誰も聞いていなかった。

 この一連のやり取りをみれば、もう見藤と霧子の関係性は示されたようなものだが、行動力の化身である東雲には通用しなかった。


「見藤さんと霧子さんはどういったご関係で!!??」

「それ聞いちゃうんだ!!??」


 空気を読まない東雲に久保は突っこみを入れるが、そもそも気になっていた見藤と霧子の関係。久保の好奇心も相まって東雲の追及を本気で止める気はなかった。薄情者である。


 白黒はっきりと答えを求められた二人だが、見藤は現実逃避をしているのか目を瞑って眉間を押さえている。一方の霧子は顔を赤く染めて、えっと、あの、とその後に言葉が続かない。

 すると、見藤は深いため息をつき――。


「まず、そういうことなら君のお眼鏡には敵わない。……残念ながら、霊の類は視えない。視えるのは怪異の類だけだ」

「え……、でも、お守りのお兄さん……。どうしてですか……?」

「何でかって言われてもな……」


食い下がる東雲に、説明するのが面倒になった見藤は霧子に視線を送る。


「えっ、それは、その、こいつのことは私が一番よく知っているけど……」

「その言い方は勘弁してくれ……」


再び頭を抱えることになった見藤。

―――― こうして、怪異相談事務所に賑やかな面子が一人、増えたのだった。


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