第4話 東雲あかり


 少女は思い出す。いつの頃だったか、祖父からもらったお守り。いつも肌身離さず持ち歩いていた筈のお守りを無くしてしまったのは。

 それから黒いもやのようなものが話しかけてくるようになった。祖父から聞いた、あれの類とは会話をしてはいけないと。だが、見知らぬ振りをするには少女の心は弱かった。

 恐怖心が勝り、ついにその日は小さな悲鳴を上げてしまった。黒いもやからだんだんと人の姿へと形を変え、その顔はおどろおどろしかった。

 その影が少女に手を伸ばそうとしたとき ――――、


「お嬢ちゃん、このお守りは君の?」

「あ……、」


少女の目線に合わせてしゃがみ、見慣れたお守りを差し出す青年。

 いつの間にか、恐ろしい影は消えていた。少女はこくこくと頷き、お守りを受け取った。


「そうか、よかった。じゃあね」


 そう言って青年は立ち去ってしまった。その優しげな目元と心地よい声が印象的だった。ぎゅっとお守りを握りしめて、少女はお礼を言えなかった事を後悔していた。


(また会えたら、ちゃんとお礼言わんと)


 その日から、黒いもやは視えなくなっていた。そして少女は拝殿に向かい、お守りを拾ってくれた青年にまた会えるようにお願いをするのが日課になった。

 危機的状況の中での幼い思い出というものは美化され、次第に初恋という病に修正されたのだが、それは後の話。



* * *


(と、いうこともあったけど……! 何よ、最近またお守りをなくしちゃうし、またもやもやした物がうろつくし、何なのよぉ……)


 女子大学生、東雲しののめあかりは自らの霊感体質に悪態をついていた。

 実家が神社ということもあり、幼い頃から祖父から神道、人魂や悪霊、そう言った類の話は聞かされていた。だが、聞くのと目で視えるのとは違う。怖いものは怖い。

 そして最近、お守りを持っていたとしても黒いもやが辺りをうろついているのが視えるようになっていた。そして、お守りを紛失させてしまう事態。


 霊感のせいか視たくないものが視えてしまい、性格が暗く俯きがちだった自分。都会の大学へと進学したことをきっかけに、話し方も髪色も明るく変えてみたけれど──。

 そんな思考もほどほどに。彼女は肩まで伸ばされた明るいグレージュの髪をなびかせながら、大学構内を闊歩していた。


(最悪だ。めちゃくちゃ怖い。もう一度、あそこの教室を探してみよう……!)


 東雲は人生一番の危機を迎えているように感じた。思い出すのは幼い日に視たあの恐ろしい光景、それは遠慮願いたいものだ。


 そうして東雲は目的の教室の前へと辿り着いた。自分とは異なる学科の生徒たちが授業を終えるのを待ち、教室に入る。ざわざわと生徒たちが退室して行く流れに逆い、自分が座っていた付近を見渡す。不思議とこの辺りにあるような気がしたのだ。

 そこでふと聞こえてきた会話があった。


「心霊スポットにでも行こか!」

「お断りしまーす」

「久保~~」

「まぁ、その辺で。さっさと帰るぞ。僕、バイトあるし」


(この人たち、あほなんやろか……?)


 思わず地元の言葉が出てしまいそうになった。東雲からすれば考えたくもないことを言っている人間は如何な人物かと、ちらりと見る。すると、会話をしていた男子学生の手に探していたお守りが握られていることに気づいた。


「ごめんなさい、それ私のです……」


気づけばそう声をかけていた。お守りを持つ男子学生は至って平凡だ、もう一人は利発そうだった。

 お互いぎこちなく挨拶を交わし、お守りを受け取ったのであった。


(あれ、この人何か……。というか、どこかで見かけたことあるような……)


東雲は不思議な感覚を覚える。

 その既視感に東雲は教室を退室するまでちらちらと後ろを振り返る羽目になってしまった。



 久保と東雲、そんな二人が再会するのに時間は掛からなった。


「あ。同じサークルだったんだね。私、東雲と言います。一応、自己紹介」

「どうも、久保です。まぁ、人数だけは多いから。顔だけ知っているっていうのは、よくある事、かな……?」


という、なんともベタな展開であった。

 大して活動もしていない形だけのボランティア活動を謳っているサークルだ。東雲はお守りを拾ってくれたことに再度お礼を述べる。そこから同学年ということもあり、二人の会話が弾んだ。


 こうして、何度かサークルで会話を交わすうちに久保と東雲は友人関係になっていた。大学生とて勉学だけでなく、同世代とのコミュニケーションの場でもあることには変わりない。

 そしてこの年齢ともなると、男女の恋愛に発展することを期待することもやぶさかでないのだが、なんせこの雰囲気の二人では無縁なことだった。



* * *


 春を終え、緑が豊かに生い茂り始める頃、ある日の事務所内。


「お守りが頻繁になくなる?」

「そうみたいなんです、僕の友達なんですけど……。どこかに置いた覚えもなくて、いつも鞄に着けてあるのに、気づかない間になくなっている事が多いらしくて」

「ふーん」

「僕がそのお守りを拾ったことがきっかけで、知り合ったんですけど、」

「ほーん」


久保は東雲から聞いた話を見藤に相談していたが、なんとも歯切れの悪い返事ばかりだ。

 見藤は眼鏡を掛け、新聞を読んでいる。少し眉間に皺を寄せてはいるが、あまりの興味なさげな態度に久保は苛つき始めた。彼はその眉間の皺を指で伸ばしてやろうかと、心の内で思った。


「見藤さん、」

「うちは慈善事業でもなんでもないからな」


久保が言い切る前に見藤が言葉を遮った。

 見藤の言葉は至極当然のことで、久保は口をつぐむしかなかった。「個人からの依頼は請け負いたくない」彼はそう言っていた。人助けなどするつもりは毛頭なく、それは現実主義で面倒事を嫌う見藤らしい言葉だった。


「君が友達思いなことは知っているが、それとこれと話は別だな」

「いいじゃない、減るものでもないんだから」

「……」


 そんな見藤と久保との間に、霧子が割って入ったのだ。黙っておいてくれ、と言わんばかりの見藤の表情を見ながら楽しそうに笑う霧子。

 最近、久保は気づいたのだが、こういった時。見藤は霧子の言葉にめっぽう弱かった。昔馴染みであるが故なのか、はたまた見藤が彼女に惚れているのか、その弱みなのか、一切想像の域を出ない話ではあるが、この二人の関係性もいい加減はっきりして欲しいところだ。

 久保は自身を平凡な人間の部類だと自覚していても、流石に霧子のような長身美人に会うと少なからず恋慕を期待してしまう自分がいるのだ。


 ところで、昔馴染みという割には霧子の方がずっと若いように思える、というのは不思議なものだ。見藤も霧子に対しては敬称をつけて呼び、丁寧な接し方をしている。女性に対して紳士的だというのであればそういうこともあるのか、と久保は自分の中で勝手に納得しておく。


 見藤は読みかけの新聞にさらに顔を近づけ、すっぽり隠れてしまった。その仕草が似合わず、思わず久保は笑ってしまった。すると、足元にいた猫宮が突然に口を開いた。


「本人が雑な扱いをしない限り、お守りなんて物はそうそう持ち主から離れないぞ。そいつはそのお守りを大事にしているんだろ?」

「そうなんだよ、又八」

「……はぁ、」


猫宮の援護射撃もあってか、深い溜息をつく見藤であった。

 彼は隠れた新聞から少し顔を覗かせて――。


「まぁ……、一度うちに遊びに来るといい」

「あ、ありがとうございます!」

「ただし、内容によっちゃあバイト代から依頼料天引きだぞ」


「まぁ、ちょっと酷いのね」

「霧子さん、ちょっと黙ってくれ……」


霧子のちくちくと刺さる攻撃を凌ぐ術を見藤は持ち合わせていなかった。


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