第3話 依頼人


 平凡な大学生活を送っていた久保だが、数週間前ひょんなことから不思議な体験をした。目の前で起こっていることに一時は恐怖したが、過ぎ去ってみると好奇心が湧いてくるのは若さ故でもあるのだろうか。

 久保はそのきっかけとなったアルバイト先へ今後も通うことを望んだ。それは、この未知の世界への興味と探求心。そして少なからず見藤への恩義を感じてのことだった。

―― そう、久保がいなければ見藤の書類仕事は溜まる一方だ。


「こんにちは」

「お、いらっしゃい」


 久保は大学の講義が午前中で終わった日などに、こうして昼から見藤の事務所に顔を出している。


「見藤さん。機器類、壊していませんか?」

「大丈夫だ、…………多分な」


 まよの一件から、こうして久保と見藤は軽口を叩く程度には距離が縮まったようだ。やはり、共通するカテゴリーの中に居れば自ずと距離は縮まるものである。

 そして ――。


「新人のくせに生意気だな!」

又八またはち~」

「そんな適当につけた名で俺を呼ぶな!」

「又八の方が猫っぽくていいだろ」

「シャーっ!」


又八、もとい猫宮は事務所に住みついた怪異らしい。

 猫宮が本当の名前らしいが久保が事務所へ通うようになり、まだ日が浅い時期。久保に猫の名前を聞かれ、見藤が咄嗟につけた猫らしい名前が又八だったのだ。そのことを、猫宮は根に持っている。―― なんでも、猫が苗字のような名では怪しまれるかと思った、らしい。久保にはその見藤の考えがよく分からなかったが、適当に流しておいた。


「怪異にとって名は重要なんだぞ!」


 猫宮はわめき散らしながら、ぴょんっと事務机から戸棚へ登り、そこから一呼吸おいて床に着地した。せわしない猫である。やや小太りな体型に短い脚をしているにも関わらず、意外と俊敏な動きができるものである。

 すると、久保は猫宮が口に何か咥えているように見えた。それを捕まえていたのかと、よく視ようと目を凝らす。だが、久保にはもやがかかりはっきりと視えない。


「あぁ。猫宮はうちに入ってきた、認知が浅い怪異の成りそこないを喰ってる。猫宮は猫又だ。尻尾が二股に分かれている」


 見藤は事務所で給湯室の役割を果たしている小さいシンクへ向かいながら、猫宮の尾を指差し、そう説明した。残念ながら、久保には猫宮の尾は分かれているようには視えない。

―― 怪異が怪異の成りそこないを喰らう。

 それを聞いた久保の口から出た言葉は、なんとも率直な感想だった。


「……共食い?」

「違うわ! 一番効率がいいんだよ。こうすればここに妙な怪異も湧かない。怪異は集団認知から生まれるからなァ。その残滓を喰らうのが俺の仕事だ。……まぁ、もっと美味そうなのはいるけどなァ」


 そう言うと猫宮は久保を見上げる。目が合った久保は思わず眉をひそめた。なんとも意味深に呟かれた猫宮の言葉が引っかかったのだ。

 猫又と言えば、長寿の猫が怪異 ―― もとい妖怪に転じた存在でもあり、また人間を食らう妖怪としてもその伝承を多く残す。久保は子どもの頃に流行した妖怪物語を思い出したのだった。


「え、人間も食べるのか?」

「誰がお前みたいな貧相でまずそうな奴を喰うかよ」


ペっ、と悪態をつかれた。なんとも態度の悪い猫である。

 一方、見藤はシンクで何やら準備をしている。来客でもあるのだろうかと、久保はそちらを見やった。




 こうして最近は、見藤の仕事の一端を垣間見ることが増えた。彼は「怪異を相手に仕事をしている」そう言っていた。大体は依頼を受け、内容をこなす。単純そうに聞こえるが、危険は伴うだろう。先の久保の体験からも想像に容易い。

 久保はそれとなく、どのような依頼が持ち込まれるのかと尋ねたことがあった。見藤は少し考えて――。


「まぁ、そうだな……色々だ。俺はあまり、個人からの依頼は請け負いたくない。面倒だからな。君を迷い家から連れ戻したのは、君がうちのバイトくんだったからだ。顔も知らぬ他人だったのなら、放っておいたかもしれない。……その手の関係者から割り振られた依頼をこなしている」

「えっ……」

「俺としては ――、怪異からの相談を請け負うつもりでこの事務所を始めたからな。なるべく、敵対はしたくない。灸を据えるくらいはあるだろうが……」


 その時、久保はとんでもなく驚いた顔をしたのだろう。申し訳なさそうに眉を下げた見藤の表情がとても印象に残っている。

 見藤はあまり自分のことを話そうとしない、しかし彼に助けられた久保は「見藤は善人である」と信じて疑わなかった。それ故に、人に関心を寄せない彼の言葉は衝撃的だったのだ。―― 時に無関心ほど残酷なものはない。

 そして、見藤は久保を迷い家から連れ戻したが、肝心の迷い家という怪異自体に何をする訳でもなかった。言わば、放置である。その理由は先程の言葉に繋がるのだろう。


 そして見藤が言う、その手の関係者から割り振られた依頼。それは怪異によって引き起こされる事件や事故を調査する一端を見藤が担っているということらしい。

 しかし、どうやら見藤の様子からしてみれば、そちらの依頼はあまり気が進まないようだ。だが、その依頼をこなさなければいけない理由でもあるのだろうか。

 その一方、怪異が見藤に依頼を頼む、というのは奇想天外な答えだった。


(だから、怪異相談事務所……? とても……安直だ)


などと、失礼なことを思った久保の考えはお見通しだったようで、見藤の鋭い眼光に睨まれたのだった。


 見藤は言葉通り「怪異と共存する」という形を取っているように見える。まず、この事務所内がそうだ。猫宮の仕事でもある、浮遊する認知の残滓を捕まえやすいよう、綺麗に整理整頓されている。まぁ、散らかされるよりもこちらが先手を打って整理しておけば、片付ける手間が省かれるというものだろう。


(この前、クリーニングから返ってきた見藤さんのスーツを速攻で又八が踏んで、しわくちゃにしてたな)


 猫宮も所詮は猫である。念入りに皺をたくわえられたスーツを見て、深い溜息をついていた見藤の姿を思い出し、少し笑ってしまったのだった。どうやら見藤のスーツが皺だらけであるのは猫宮の仕業らしい。

 また、依頼がなければ怪異と関わる必要はない、とも言い切れないらしい。久保のときのように偶然、怪異と遭遇し襲われることもあるそうだ。

 あの時は ――。


「久保くんが時間になっても事務所に来なかったからな。まぁ、変だとは思ってた。それで、うちの近所のコンビニに寄ったついでに、どうにも気になって裏路地を視たら、例の迷い家があってな。はは、運が良かったな、久保くん」


と、本当にコンビニの帰りだったようだ。その偶然が、久保を救ったのだろうか。




 久保はここ最近の出来事を思い出しながら、見藤を手伝いに向かう。すると、見藤が久保を振り返る。


「なぁ、久保くん」

「はい?」


「ごめんください」


見藤の問いかけと、事務所の入り口から声がしたのはほぼ同時だった。

 久保と見藤が扉の方を振り返る。事務所の入り口に佇んでいたのは、小柄な女性だった。もうすぐ初夏が近づいてきているというのに、ベージュのトレンチコートを着ている。そして黒髪は腰まで長さがある。

 そして何より特徴的なのは、小さな顔に見合わず着けられた、大きな白いマスクだった。


「どうも、いらっしゃい」


 見藤は客人に声をかけ、応接スペースへ案内する。久保は茶盆を手に後へ続いた。

 女性がソファーに腰を下ろしたタイミングで、見藤も座る。久保はお茶と、茶菓子であるべっこう飴を出した後、同席した。


「霧子さんから聞いてるよ。いい茶菓子がないもので、すまんね」

「大丈夫よ。お茶、頂くわ。それに、私。べっこう飴は好物なの」


彼女は短く返事をし、慣れた手つきでマスクを外す。

―― その顔を見て、久保は言葉にならない悲鳴をあげたのだ。


「…………!!!? 痛っだい!!」

「あら、失礼ね。まぁ……もうその反応も、懐かしいわ」


 久保は驚いたその拍子にソファーから反射的に立ち上がってしまったが、見藤が持つバインダーで頭を叩かれ、今度はその反動でソファーに座った。相変わらず、見藤は平然としている。


 マスクを外した女性の両頬には大きく縫合された痕があり、抜糸されていない。その縫合の仕方はまるで口が裂けた後、これ以上裂けないよう傷口を縫い合わせているかのようだ。皮膚の部分はただれており、痛々しい。

 見藤はこの事務所は怪異からの依頼を受けることがある、と話していた。と、するとこの女性は ――。


「口裂け女…………?」

「本当に失礼な子ね。その呼び方は好きじゃないのよ」


 女性はぶっきらぼうにそう返し、久保をキッと睨んだ。その迫力は凄まじい。久保はその迫力に思わず体がすくんでしまった。


「いや、ほんと……うちのがすまんね」

「別にいいわ」


 久保のあまりに素直な反応に、見藤は彼女に謝罪を入れておく。


「でも、まぁ……まだ私のことを知っている人間もいるのね」


そう呟くと、彼女は少し表情が柔らかくなったように感じた。


 口裂け女は都市伝説における怪異の一種だ。怪談やオカルト話に興味をもつ頃合いの小学生時分、誰もが聞いたことがある有名な話だろう。


── 口元を隠すほど大きなマスクをした若い女性が通りすがりの人間に声をかける。するとその女性は、「私、綺麗?」と尋ねてくる。「きれいですよ」と答えると、「……これでも?」と、マスクを外す。

 すると、その口は耳元まで大きく裂けている。驚いて逃げ出してしまったり、「きれいじゃない」と答えると鋏で切り殺される、というものだ。

 当時は社会現象にまで発展したが、現在ではその話は噂にも聞かない。


 久保が口裂け女の都市伝説を思い出していると、見藤が説明を入れる。


「君が認知で怪異を視ることができるように、例えば都市伝説に由来する怪異は人々の認知によって存在を左右される。この場合『認知』は、大衆にどれだけ名前、その存在が知られているのか、だ。集団認知だな。よって時代とともに生まれる怪異もいれば、今度は逆に消滅する怪異もいる」

「だから名は重要なんだぞ、新人」


 見藤の説明の後、もったいぶった様子で猫宮が割って入ってきた。その話を聞いた久保は、故に猫宮が飼い猫のような名前で呼ばれることを嫌うのか、と腑に落ちた。

 そして猫宮は久保を見据えながら、言葉を続ける。


「怪異が消滅することは人間でいう死ぬことと同じだな。ただ、その肉体は遺らないし、名前も存在自体も忘れ去られていく。だから、そうなる前に助力を求めて、見藤の所へやって来る怪異も少なくない。後は怪異の方から人間と関わりを持ち、人間社会に溶け込んで生活する奴もいるけどな。まァ、それか躍起になって色々問題を起こす奴らもいる」


猫宮は一旦そこで言葉を切ると、見藤の隣に寝そべった。

 猫宮の小太りな肉体は少し見藤を押しのけたが、彼はあまり気にしていない様子だ。


「それから──、」

「喋りすぎだ、猫宮」


見藤は猫宮の言葉を遮った。猫宮のそれは、さながら飼い主を自慢したいだけの語りである。

 解説を終えた猫宮は満足そうにソファーに寝転び直し、短い前脚で顔を洗っている。すると、そんな猫宮の説明が終わるのを待っていたように、口裂け女は口を開いた。


「そうね、だから私。向こう側へ渡ろうと思うの。存在が消えてしまう前に。友達に会えなくなるのは寂しいけれど……消えてしまうよりいいもの」

「霧子さんには?」

「最後に会ってきたから大丈夫。優しいのね」


 会話から察するに霧子と口裂け女は知り合いなのだろうか、と久保は考える。口裂け女という怪異と知り合い、ということは霧子も見藤の同業者なのか ――?と、口裂け女と見藤の会話を聞いていた久保は気になることが次々に浮かんできた。だが、それは水を差すようで口にはできなかった。





 そうして、夕刻が近づいてきた頃。事務所に夕陽の光が差し込み、皆を照らす。すると、見藤はローテーブルに一纏めにされた小冊子を置いた。そして彼女にペンを手渡す。


「それじゃ、ここに名前を」

「分かったわ。私の名前、預けるわね。夕子よ、よろしく頼むわ」


口裂け女 ――、彼女の名は『夕子』と言った。

 彼女はそんな大切な名を、見藤に預けたのだ。怪異が望めば、常世とこよに移り住むことができる。常世は不変的な世界であるとされ、人の認知の力は及ばない。常世は現世から逃れた怪異達が行き着く場所である。

──そして、常世というのは人があの世とも呼ぶ場所だ。


 テーブルの上に置かれた小冊子に口裂け女は自らの名を書いてゆく。それは可愛らしい字だった。ふと、彼女の表情が柔らかくなる。


「この名前を貰ったときのことを思い出したわ。向こうに行けば、その人に会えるのかしら」

「さぁ……、探してみるのもいいかもしれない」

「そうね、ありがとう」


 彼女はそう言うと柔和な笑みを浮かべていた。

―― 怪異は個を示す名を持たないのが定石だ。怪異は怪異としての名によって存在を表す。

 しかし極稀に、彼女のように怪異の中にも人と同じように名を持つものが存在する。それは『真名』、すなわち本当の名のことだ。その名は、人によって贈られることが多い。人と怪異、異なる存在が交流を持つことも稀にあるのだ。

―― 彼女には、親しい人がいたのだろう。こうして、柔らかな表情を浮かべる程の相手が。

 常世へ移るには真名を捨てなければならない。常世は不変的な世界であるために、人によって贈られたものは常世へ渡ることができない。これは常世の理だ。

 

 そうして彼女は名を書き終え、ペンを置いた。その様子を見守っていた久保と見藤。すると、久保は見藤が角印のようなものを手にしている事に気付く。

 見藤が書かれた名の上から角印を押す。すると、不思議なことにペンで書かれていたはずの名は消えてしまった。久保が驚き、目を見開いていると理解が追い付かぬまま、ことは進む。


「はい、確かに。猫宮」

「はいよ。送り届けて来るぞ」


 見藤に促され、猫宮がのそりと立ち上がる。怪異達が行き着く先、常世の入り口まで案内するのだ。それも猫宮の仕事なのだろう。

 口裂け女が事務所を後にしようと、立ち上がるが不意に見藤を見やる。


「ふふ、あの子があんなに話すから。全く、どんな奴にひっかけられたのかと思ったけど、悪くないわね」

「いや、寧ろ逆だな」

「それもそうね」


二人の間にそんな会話がされていた。その内容は、久保には到底理解できなかった。

 見藤が事務所の入り口の扉を開け、口裂け女を見送る。彼女は軽く会釈をして一歩を踏み出した。その足元をのそのそ歩く小太りの猫。

―― よって一つ、都市伝説と怪異が研文から姿を消した。


 彼女を見送った見藤と久保は扉の前に佇む。


「まぁ、これが本来の仕事だと思ってくれ」

「はぁ……、不思議ですね」

「ふっ、そうだな」


久保はこうしてまた一つ、奇妙な世界のことを知った。

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