44.『あや』と『アリス』



『御宿りの祈り』のあとは普段より早く下校時間を迎えたのち、生徒にとってのメインイベントと言うべき聖母祭が夕方に催される。『花篝の礼』と同じく参加は自由だが、例年ほとんどの生徒が講堂に会するという。


 内容は文化系クラブの発表が主で、新入生が入部してから初めての大々的なクラブ活動にも当たる。中高の交流を盛んにしようと篝乃会が独自に始めたイベントだが、多くの生徒にとってのお目当ては、篝乃会の演目であるダンスパーティー――新たな篝乃会役員のお披露目にあることは言うまでもない。


 新入生の誰が篝乃会に加わるのか、聖母祭はその正式な発表を兼ねているものの、すでに周知されているのは例年通りの傾向で、新聞部が制作する聖母祭前の学内新聞で発表紛いの推測記事が出るまでが通例だという。


 今年の学内新聞もそのたぶんに漏れず、すでにアリサと舞白の名前が紹介されていたが、それと同等に生徒の関心を集めている記事が一つあった――見出しには『初代アリスさま、明かされる秘密』とあり、その文末には小さく『Down the Garden-Past』という英文が添えられている。


「想像以上の反響でございます。やはりみなさん、初代アリスさまの伝承にはご関心をお持ちだったようで」


 学内新聞が貼り出された掲示板の傍で、アリサは悠芭と顔を合わせた。悠芭は思いのほか神妙な面持ちで掲示板前の人だかりを眺めている。


「意外な反応ね。もっと愉悦たっぷりにほくそ笑んでいるかと思ったけど」


「そうしたいのは山々なのですが、私としては少々消化不良な部分もございまして…… それはさて置き、少々消化不良って語感よくないです?」


「さて置くほどのことではないわね。それで、記事になにかご不満でも? この前の披露会から更に説得力が増していたように見えたけど」


 記事には新たに、当時の細かな時代背景――取り分け、女性解放運動についての補足が追記されていた。吉野礼と染井美代の話は友愛の美しさに感銘を受けるだけでなく、女性としての自由や権利の歴史を追う上でも価値のある史料の一つにもなるのではないか――記事の終わりではそう結論づけられている。


「補足の部分は私のお姉さまが追記したものです。私もその辺りの時代背景は不勉強だったので大変参考になりましたし、フォーマルに結論づけるライティングも見事なものでした。しかし個人的には、見出しは英文の方を主題にしていただきたかったなと」


「あれのことね、『Down the Garden-Past』――小道Pathじゃなく、過去Pastともじってある」


「さすがはアリサさん、よくお気づきで。井俣結さんが記されていた見出しのオマージュのつもりだったのですが、分かりにくいと却下されまして。まあこれは副題に残していただけただけでも有難いと言うべきなのですが……ほかにもいくつか、調べておきながら載せられなかったこともありまして。例えば、あの部誌のタイトルについてなのですが」


「タイトル――確か、『ALBI』だったかしら」


「そうです。あのタイトル、当初はフランスの都市名と申し上げておりましたが、どれだけ調べても関係性が見つけ出せず、もしかしてまったく思い違いをしているのではと自分を疑いまして。それでもう一度部誌を読み込んでみまして、今度は表紙や裏表紙に描かれているイラストに着目しました。なにが描かれていたか、アリサさんは覚えていますか」


「確か、お花畑のような場所に、マリアさまの像が描かれていたと思うけど」


「はい、それが表紙なのですが、実は裏表紙にもイラストがありまして。そちらには花畑の中で眠っている一匹の兎が描かれていました」


「兎? もしかして、『不思議の国のアリス』に出てくるような擬人化された兎?」


「いえ、普通の動物的な兎です。私も一度は『不思議の国のアリス』との関連性を考えましたが、表紙のイラストと合わせて考えるとまったく異なる考えが浮かび上がってきました――もしやあの『ALBI』というタイトルは、吉野礼さんが『アリス』と呼ばれるようになった真の理由について暗示しているのではないかと」


「真の理由って、吉野礼さんが『アリス』という愛称なのは、当時のアリスの和名からという話ではなかったかしら」


「確かにそう申し上げましたが、理由としてはやや弱いともお話ししましたよね? 名前の読みが『あや』だから『アリス』になるのでは、ほかにも該当者が出てくるはずです。なぜ吉野礼さんだけが『アリス』だったのか……私は容姿などに類似点があったのではと推測しましたが、外国人の『アリス』と容姿が似ているというのもおかしな話です。吉野礼という名前からして生粋の日本人でしょうから、『アリス』のような外国人の女の子らしい風貌だったとは中々考えられません――極めて稀な例外を除けば、ですが」


「稀な例外?」


「はい、それを示す鍵があの『ALBI』というタイトルです――実はあの部誌に描かれていたイラストには、一つの共通点がありました。それに気がついたきっかけが、アリサさんが巡礼のレポートにまとめてくださった白い彼岸花の学名です」


 悠芭はまたいつものメモ帳を取り出し、


「よく見られる赤い彼岸花の学名は、英語で『Lycoris Radiata』です。しかし白い彼岸花の場合は『Radiata』の部分が変わり――『Albiflora』となります」


「アルビ、フローラ――『ALBI』と同じ綴りが入っているのね」


「そうです。表紙のイラストはマリア像のある花畑というモチーフから、恐らく篝乃庭を描いたものと考えられます。『ALBI』が発刊された当時はまだガーデンシクラメンではない時代でしたから、表紙に描かれている花も白い彼岸花、『Lycoris Albiflora』のはずです。この気づきによって、部誌に描かれているイラストすべてが『ALBI』と関連しているのではという発想に至りました」


「すべてって、マリアさまや兎も?」


「そうです。あの部誌に使用されている紙は白色で、表紙や裏表紙にも色は付いていません。イラストも黒ペンのみで描かれており、マリアさまの像にも花畑にも、裏表紙の兎にも色は塗られていません。これが単に色塗りの手間を省いたのではなく、塗る必要がなかった――すべてが白色なのだとすれば、裏表紙に描かれている兎は白兎、いわゆるアルビノ種と読み取れます。このアルビノも、英語にすれば『ALBI』を含んでいます。


 更にこのアルビノですが、辞書で引くと『Albinism』――『遺伝的に目や肌、髪の色素が欠損していること』を示す単語がヒットします。いわゆる白皮症と呼ばれる遺伝病で、こちらもアルビノと呼ばれることがあるらしいのですが……イラストの中で最後に残ったマリアさまの像は、肌や髪などが真っ白な大理石の彫刻です。白い彼岸花と白兎の共通点に鑑みると、マリアさまの像は『Albinism』の象徴として描いているのではと」


「ちょっと待ちなさい。さすがにそれはこじつけが過ぎるんじゃないかしら。マリアさまの像が真っ白なことを、実在する病気と重ねるなんて」


「不敬なことは承知ですが、これ以上に『ALBI』と結びつく点が見出せず……仮に白皮症の暗喩だとすれば、先ほど申し上げた吉野礼さんの容姿についても、一つの仮説が立つのです――もしや礼さんは、この白皮症だったのではないかと」


「礼さんが、白皮症……?」


 怪訝な顔つきになるアリサに、悠芭はまたメモ帳のページをめくって見せ、


「こちらをご覧ください。柳田やなぎた國男くにおさんという民族学者が一九一〇年に発表された説話集『遠野とおの物語ものがたり』に登場する一節です」



 ――『土淵村の柏崎にては両親とも正しく日本人にして白子二人ある家あり。

    髪も肌も眼も西なり……』



「ここにある『白子』というのが、現代で言う白皮症の方を指しています。これは当時の日本において、白皮症の方が西洋人のような外見に見えていたことを示す記述です。実際、白皮症の方の髪や瞳などは色素が乏しくなることから、日本人離れした容姿になることがあります――もし吉野礼さんも、そうだったとすれば」


「名前の読みも含めて、『アリス』という愛称になってもおかしくないということ?」


 神妙な顔で悠芭は頷く。いつもなら喜々としてひけらかすはずの彼女が、どうしてか浮かない面持ちだった。


「記事として取り上げてもらえなかったのは、裏づける資料が見つからなかったから? それとも、マリアさまに対する不敬を注意されたから?」


「どちらかと言えば前者でしょうか……この話は私のお姉さまにもお伝えして、興味深く思っていただけたのですが、同時に掲載は難しいかもとも言われまして。情死については当時の新聞記事から事実として取り上げていますが、今回の白皮症に関しては憶測の域を出ません。情死だけでもセンシティブな問題ですので、実在する病気を安易に扱うようなことは避けたいと……念のため、篝乃会の役員にもご意見を伺われた上での結論ということでしたので、私も取り下げる以外の選択肢はございませんでした」


 珍しく気落ちした様子の悠芭だったが、二秒と経たないうちに「いえ!」と顔を上げ、


「これはまだまだ、調べる余地が残されているということ、まだ私と叔母の闘いは終わったわけではないのです。初代アリスさまの謎を完全に解き明かすこと、それを達成した時こそ、叔母を完全に超えたと胸を張れるのです。いわゆる『俺たた』です!」


「俺たた……? よく分からないけど、あなたの情熱が尽きていないことだけは伝わったわ。叔母さまに対する対抗心も相当なものね」


「ジャーナリズムの灯火は絶やすわけにはいかないのです――というわけでアリサさん、ダンスパーティーではどのようなドレスをお召しに? 色形など詳しく……」


 翻然と身を寄せてくる悠芭。きらきらと輝く瞳に意表を突かれたアリサは後ずさり、


「な、なにが『というわけで』よ。初めからそれを聞き出すつもりだったの?」


「いえいえそんな、お姉さまから友人の誼でどうにか、と頼まれたわけではなくですね」


「やっぱりそう頼まれたんじゃない。あと数日もすれば拝めることなのに、どうしてそう気を逸らせるのかしら」


「隠されれば暴きたくなるもの。それがジャーナリズムです」


「なんでもかんでも格言のように言わないでくれるかしら……でもそうね、悠芭さんには少しだけ教えてあげても構わないけど」


 アリサの言葉が意外だったのか、悠芭が目を丸くさせる。


「てっきり、断固として拒否されるものかと」


「ただし条件つきよ。前にあなたがお話ししていたノートを見せてほしいの。ほら、学院のお嬢さま方について書いているとかいう」


「ああ、『必見! マル秘お嬢さまノート』のことですね」


「……改めて聞くと、必見なのか秘密にしたいのか本当によく分からないネーミングね。だけどそう、そのノートよ。見せてもらえるのかしら」


「構いませんが、アリサさんも純桜のお嬢さま方にご興味が? それともまさか、アリサさんご自身の情報が書かれているページを、密かに抹消されるおつもりでは!」


「内容如何ではそうしたいところだけど、今回はいいわ。篝乃会のお姉さま方、特に五十鈴川さまや姫裏さまのことについて知りたいの。どんな情報でも構わないから」


「はあ、五十鈴川さまと姫裏さま。披露会の時も、そのお二方についてお訊ねだったかと思いますが、なにかわけでも?」


「少なくとも一年は一緒に過ごすことになるわけだから、どんな方々なのか知っておきたいと思って。長妻さまはフレンドリーな方だからお話しする機会も多いけど、五十鈴川さまや姫裏さまとはまだその機会に恵まれていないのよ」


 とっさに出た口実の割には上手く誤魔化せたらしく、悠芭も「そういうことでしたら」と納得してくれた。早速一年B組の教室まで移動し、スクールリュックから取り出されたノートを見せてもらう。


「篝乃会の方々についてはこの辺りのページにまとめております。あ、アリサさんや舞白さんについてはまだほかのページですが」


 それも多少気になりはするが、今回は本来の目的に専念した。


(よくまとめてはあるけれど、どれも表面的な情報ばかりね。少し期待し過ぎたかしら)


 ノートに記載されているのは名前や生年月日、簡単な外見描写、家柄や以前に所属していたクラブ活動やそこでの実績程度だった。

 例えば美弦について、篝乃会に所属していながら現在も弓道部に籍があるらしく、弓の腕前は全国でも名を馳せるほどと記されている。入学してわずか一ヶ月でここまで調べ上げているだけでも大したものだが、お茶会での一件に関係があるとは思えない。


 やはり目ぼしい情報は得られないか――嘆息しかけた時、何気ない記述が目に止まる。


「ねえ悠芭さん、これは本当なの?」


「はい? ええ、間違いないことです。私のお姉さまからお伺いしたことですので」


 どこか不思議そうな悠芭の返答に、アリサの中で一つの疑念がよぎる。

 不可能ではないかもしれない。確かめる価値はある――アリサはノートを閉じた。


「ありがとう、助かったわ。申し訳ないけど、急用ができたからちょっと失礼するわね」


「え、あの、ドレスについては……」


「安心して。あとできちんとお話しするから。今はどうしても確かめたいことができたの――に、直接お伺いして」


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