28.温もりに導かれて



 幸いなことに、舞白の容態は深刻ではなかった。養護教諭の話では疲労と寝不足が主な原因で、一日安静にしていれば快復するだろうとのことだった。

 疲労は昨日の巡礼で蓄積されたものらしく、アリサも改めて思い返してみると、確かに巡礼の時からぼんやりしている舞白を何度か目にした。

 寝不足については、ここ数日の過度な緊張やストレスから来たものらしい。先ほどの自分の言動にも非があるのではと考えると、やるせない気持ちがじわりと募っていく。


 アリサはしばらく保健室から動かなかった。このまま舞白の傍からたやすく離れてはいけない気がして、中々立ち去ることができないでいた。

 けれどベッドを仕切るカーテンの向こうから出てきた養護教諭は、アリサに保健室を出ていくよう諭した。


「夕方くらいまでここで休んでもらうつもりだから。清華さんはもう戻っていいわよ」


「いえ、わたくしはまだ」


「あなたがここにいても仕方がないわ。ああ、でも清華さんって、四年の清華セイラさんの妹さんよね? 稲羽さんのこと、お姉さんからなにか聞いているの?」


 アリサは返答に窮した。舞白とセイラにはスリーズという繋がりはあるが、養護教諭の示す『なにか』がなんのことかは見当がつかない。


「いえ、なんでもないの。もしもあなたのお姉さんを見かけたら、稲羽さんのことを話しておいてもらえるかしら。時間があるなら保健室にも来てほしいって」


 アリサは断ることができないまま、重い足取りで保健室をあとにする。


(お姉さまに伝えに行くべきかしら。先生は、もし見かけたらと仰っていたけれど)


 大事に至らなかったとはいえ問題が起きたことには変わりない。スリーズの伝統に従うなら悩むまでもなく伝えに行くべきだろう。

 微かな迷いを抱えたまま当てどなく歩いていたアリサは、曲がり角から出てきた生徒とぶつかりそうになった。偶然にもその相手は瑠佳で、アリサと同じく制服姿だった。


「る、瑠佳さま。すみません、考え事をしていて」


「いいえ、大丈夫よ。なんならそのままぶつかってくれてもよかったわ。抱き留めてあげる自信はあったから」


 淑やかな佇まいとは裏腹ないたずら心を含む声は相変わらずで、アリサは思わず苦笑いを浮かべた。アリサ自身はそれが不自然な反応だとは思わなかったが、瑠佳はどこか心配そうな顔つきになり、


「アリサさんも、どこか具合が悪いの?」


「え?」


「いつものアリサさんなら顔を赤くして、お決まりの手厳しい台詞を言うんじゃないかと思って。なんだか拍子抜けだわ」


「仰ることは分かりますが、別にお決まりにしたつもりはありませんから」


 呆れを隠せない声でアリサは指摘し、「そもそも自覚があるのでしたら、わたくしから手厳しく言われるようなことは控えてください。休みとはいえ学校の中なのですから、ほかの生徒に聞かれたら瑠佳さまのご評判が……」


「あら、真っ先に私の心配をしてくれるなんて。アリサさんは本当に優しいのね。ますます好きになってしまうかも」


「ですから瑠佳さま、そういうからかうような言動をお控えに」


「ふふっ、ごめんなさい。でもアリサさんも、『お姉さま』と呼ばないことは気をつけなくていいのかしら」


「~~っ……失礼いたしましたわ、お姉さまっ」


 わずかばかりの悔しさと嫌味を込めるようにアリサは言った。熱くなった頬を隠すようにそっぽを向きながら。


「それでこそアリサさんね。安心したわ」


 にっこり微笑むと、瑠佳は不意にアリサの手を取った。


「それじゃあ、一緒に行きましょうか」


「え、どちらにですか?」


「落ち着けるところ。私にぶつかりそうになるほどの考え事ですもの、通りすがりの方に聞かれるのは好ましくないでしょう?」


 茶目っ気たっぷりの言葉にあるさりげない気遣いに、アリサも少しだけ頬を綻ばせる。


「お心遣いは有難いのですが、手は繋がずともよいのでは……」


「私と手を繋いで歩くの、そんなに嫌なの……?」


「しおらしく訊かないでください。お戯れだとすぐ分かりますわ」


 演技を看破されると、瑠佳は「残念」と笑いながら歩き始めた。アリサは手を引かれるままついていき、結局誰ともすれ違うことがなかったため、自分を導く小さな温もりを握り続けていた。


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