24.白い彼岸花の謎
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翌日、一年A組では三・四校時目の道徳を利用して、学校敷地内の宗教的な場所を巡礼する授業が行われた。
タブレットを持って決められた範囲の敷地を自由に回り、宗教的だと感じたオブジェや施設の写真を撮影してレポートを作成するという授業である。
レポートの作成は個人ごとだが巡礼はグループ単位が推奨され、アリサは小雛と菊乃、舞白たちと共に行動していた。全員、いつもの制服に加えて夏服用のつばの広い白いハットを被って敷地内を探索している。
(改めて歩いてみると本当に広い学校だわ。あの牧草地なんてどこまで続いているのか、果てが分からないほどだったもの)
竹林の隙間を縫うように作られた『十字架の道行』と名づけられた舗道を歩きながら、アリサは密かな感心と驚きを感じていた。
純桜女学院は深い山の中の豊かな自然に囲まれており、その敷地面積はおよそ二十万坪と言われている。巡礼を始めてからすでに一時間近く経過していたが、まだすべての場所は回り切れていない。
その広大さの象徴である二つの牧草地を眺めてきた帰りだが、今回の目的は宗教的な場所を取り上げることにある。牧草地の清々しい景観と広さは感嘆に値するものだったが、宗教的と捉えるのはいささか難しい。
「あそこは昼休みに遊んだり、ゴルフ実習の授業で使われるところみたいね。レポートのことを考えると徒労だったかしら」
「まあいいんじゃない? この道は宗教絡みっぽいし、ここをたどった先があのだだっ広い原っぱだったってことで」
前向きに答えつつ、菊乃は竹林とウッドチップ舗装の細い道を写真に収めている。
「菊乃さんは『十字架の道行』をレポートにするの?」
「まだ迷い中。まとめやすさ的には『ルルド』の方が無難かも。ガイドの文章をそのまま活用できるし」
菊乃はサブバッグにタブレットをしまい、代わりにキャンパス巡礼用のハンドブックを取り出した。学院の創基百年を記念して制作された冊子で、純桜の歴史や巡礼スポットに関する簡単な紹介が記されている。
ハンドブックによれば、『ルルド』とは元々フランス南西部にある町の名前で、現在はカトリックにおける世界的な巡礼地になっているという。その理由は十九世紀半ば、ルルドのとある岩窟に『無原罪の御宿り』、すなわち聖母マリアさまが現れたことに起因し、今日では世界中に本家ルルドの岩窟を模した巡礼スポットが造られている。
純桜のルルドもその一種で、敷地内に二箇所存在している。いずれもひっそりとした森の中、緑に覆われた岩屋の窪みに小さなマリア像が設置されている。
ルルドの伝承は聖書とは違って比較的近代のエピソードであり、聖女ベルナデッタのストーリー性も相まってか、ハンドブックの記事に興味を持つ生徒が多く見受けられた。
「ねえねえ、菊乃ちゃん」同じくハンドブック片手に歩いていた小雛が菊乃の袖をくいくいと引っ張り、「ここのね、『処女懐胎』ってどういう意味?」
「それは……あれでしょ、なにもしてないのに子供ができたっていう」
「なにも? 普通はなにかするの? 子供ってなにしたらできるの?」
「いや、それはまあ……」
答えにくそうに目を逸らす菊乃。仄かに頬が上気しているようにも見える。
「そういう話はあたしじゃなく、小花衣の家の人に訊いてほしいね」
「なんで? 菊乃ちゃん、知ってるんじゃないの?」
「知らないわけじゃないけど。あ、アリサなら教えてくれるかもよ。訊いてみれば?」
「アリサちゃん? 知ってるの?」
「ええ、もちろん――普通はキャベツ畑から拾ってくるのよ。アハカシコウという鳥が運んでくるケースもあると聞くから、マリアさまの場合は後者だったんじゃないかしら」
「は……?」菊乃が口を開けてぽかんとなる。
アリサが自信満々に答えたのは、かつて同じ命題について母親に問いただした際に得た回答だった。まだ幼かったアリサはその時こそ疑うこともなく納得し、今の今まで深く考えることもしてこなかった。
しかし改めて思うと、なぜキャベツ畑や鳥から人間の子供が得られるのか、納得がいかない気もしてくる。
「へー! じゃあヒナたちも、キャベツ畑でできたんだ。それかその鳥さん?」
「いえ、待ってヒナさん。よく考えてみると変だわ。そもそも赤ちゃんはお腹の中から生まれてくるのに、どうして畑や鳥が関わってくるのかしら……あら菊乃さん、なにがそんなにおかしいの? わたくしの顔になにかついていて?」
「いや、お嬢さまの純粋培養もここまで来ると、ちょっとどうなんだろって」
菊乃は噴き出すのを必死に堪えるような顔だったが、その笑みの理由については遂に明かしてくれなかった。小雛もしばらくは気になっていたようだが、竹林を抜けた先の開けた場所に見事なユキヤナギを見つけると無邪気に駆け出し、以降はすっかり話題に出さなくなった。
一方、一度疑問を持つと中々手放せないアリサは気になり続け、隣を歩く舞白に訊ねてみようかと思いもした。
けれど遂に諦めたのは、何度呼びかけてみても舞白の返事が上の空気味だったからで、これまでの雑談もほとんど聞いていないようだった。
(この子がぼうっとしているのはよくあることだけど、今日は輪をかけて酷い感じだわ。朝食の時からずっと心ここに在らずという感じだったし……昨日のお茶会のこと、まだ気にしているのかしら)
牧草地の小道を抜けると分かれ道に差しかかり、右に下れば校舎、左にのぼれば旧寄宿舎に続いている。アリサたちは校舎に戻るため右の道を下った。
「あっちって、前の寄宿舎があるんだよね」道すがら、小雛が思い出したように言った。「悠芭ちゃんから聞いたんだけど、実はまだ使われてるんだって」
「使われてるって、なにに?」菊乃が律儀に訊ね返す。
「えっとね、『さ……なんとか』って、言ってた」
「なんだって?」
「だから、『さ……なんとか』!」
「それじゃ分からないから訊き返したんだけどね」
その後も小雛が思い出すことはなく、小さな謎が残されただけだった。
校舎まで戻ってきたアリサたちは、終着点に定めていた篝乃庭を訪れた。巡礼が始まって一番にこの庭園へ来るグループが多い中、アリサたちは閑散とする頃合いを見計らって後回しにしていた。
その判断は果たして功を奏したようで、現在の篝乃庭はほとんど貸し切り状態だった。ベンチで三人ほどのグループがタブレットで撮った写真を見せ合っているばかりで、マリア像の周りは随分空いている。
「ねえ菊乃ちゃん。マリアさまって全部おんなじ顔だよね。ルルドも、修道院のお庭のも、すっごい優しく笑ってたけど、怒ったり泣いたりしてるマリアさまっていないのかな?」
「いないんじゃない? こういう像って怒ったり泣いたりする表情より、目を細めて微笑んでる顔の方が造りやすそうだし。マリアさまといえば微笑みなんだから、わざわざ面倒くさい表情パターン造らないでしょ」
「へえ、やっぱり物知りだね、菊乃ちゃんって」
「いや、冗談のつもりで言ったんだけど」
タブレットでマリア像を撮り始める小雛と菊乃。会話の内容は相変わらず微笑ましい。
一方、舞白はタブレットを取り出すこともせず、別のグループがたむろしているベンチをぼうっと見つめている。
「稲羽さん? 彼女たちに、なにか気になることがあって?」
「う、ううん。そうじゃ、なくて」
舞白の視線をさまよわせた挙げ句、雪のように白い頬をほんのり赤く染めて俯いた。
「じゃあ、ただぼうっとしていたのね。その理由を説明できる?」
「せ、説明?」
「そう、たとえば、まだ昨日のことを気にしているとか」
「あ、あれは……ごめんなさい。せっかく、清華さんが気を遣ってくれたのに」
消え入るようなか細い声。
アリサは「別にいいわよ」と宥めるように言って、
「あなたのはにかみぶりが筋金入りなことはよく分かったから。でも焦ることないわよ、スリーズは三年も一緒なんですもの。いつかは慣れる日も来るでしょう」
「あ、あの、私ね……昨日、本当は、セイラさまと」
「分かっているわ。本当は仲よくしようと努めたのでしょう? でも上手くいかなかったから、そうやって申し訳なさそうにして」
「えっと、それも、あるけど。そうじゃなくて――ううん、ちょっと、お花を摘みに」
ほとんど吐息のような声を残すと、舞白は校舎の方へ小走りして行った。
(なによ、お手洗いに行きたかったのならもっと早く言えばよかったのに)
呆れたアリサがふと庭園の入り口に目を向けた時、日傘を差した修道服姿の女性が来ているのに気づき、ハッとなった。
向こうもアリサに気づいたらしく、少しだけ驚いた顔をしたのち、優しく微笑み返しながらこちらへと近づいてくる――彼女は入学式の日、アリサが坂の途中で出会った老年のシスターだった。
「ごきげんよう。また会えたわね、未来のアリスさま」
「まあ。お戯れですわ、シスター」
アリサは自然と頬を綻ばせた。以前に会った時も、このシスターはアリサを得意げに微笑ませる語彙に富んでいた。
「今日もまた修道院に?」
「ええ、黙想の方に。あなたたちは、授業は?」
「今がまさしくそうですわ。道徳の授業で、学院内の宗教的な場所を巡礼していますの」
「そう……そういえば、修道院でも何人か生徒を見かけたわ。彼女たちもきっと巡礼だったのね」
シスターは納得したのち、思い出したように『アンナ
「なにかと縁のある会い方をするわね。入学式の日とか、巡礼の日に篝乃庭でとか」
嬉しそうに話す伊緒の言葉に、アリサは微かな疑問を持った。
「伊緒さんも、その呼び名をご存知ですのね。篝乃庭、学院の中だけの名前だと思っていましたわ」
「純桜の修道院にはよく出入りしているから、それで自然と覚えてしまったの。私と同世代くらいのシスターも多くて、このお庭のこともよく話すわ。今でこそマリアさまの花壇にはシクラメンだけど、昔は白い曼珠沙華が咲いていたとか」
「曼珠沙華……あ、彼岸花のことですわね。お墓でよく見かけますから、どちらかといえば仏教的なイメージがありますけど」
「元々は、害獣除けで植えられたと聞いているわ。曼珠沙華は球根に毒があるから、イノシシやモグラが近づきにくくなるらしいの。お墓でよく見かけるのも同じ理由みたいよ」
今でこそひとけが多いため山の動物が寄りつくことはないだろうが、かつては被害が出ていたのか、あるいは初めから予防のためにと植えられたのかもしれない。
「わたくしは白い彼岸花を見たことはありませんが、この庭園にはよく似合うような気がします。マリアさまが白のイメージですから」
「そう、多くの場合は純白のヤマユリね。初めに植えた方も、きっとマリアさまを慕う気持ちを持っていたのでしょう。ただ害獣除けのためだけなら、よく見かける赤い曼珠沙華でもよかったでしょうから」
「それが今では、同じ純白のシクラメンに変わってしまったのですね。どうして彼岸花ではなくなったのでしょう?」
「さあ……ただ、純桜では前に小火騒ぎがあったらしくて。その時にいくつかの曼珠沙華も焼けてしまったとは聞いたわ。それが原因かは分からないけど、シクラメンに変わったのは二十年くらい前、創立七十五周年を記念した改装の時だったと思うわ。シクラメンは父母の会からの強い要望で決まったそうよ」
なんでもない雑談のはずだったが、アリサは不思議なほど興味深く感じていた。
(巡礼のレポート、この庭園のマリア像を取り上げるのだけは避けようと思っていたけど……白い彼岸花の話は面白いかもしれないわ。少なくとも二十年以上も前のことのようだし、きっと誰も知らないはずだもの)
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