Epistle V — Advice from a Principal
22.シクラメンの花言葉
†
純桜に入学して以降、最も上機嫌な夜かもしれない。
アリサは机に向かい、日課である『手紙』にペンを走らせながら、ふと机の端に置かれた硝子瓶に目をやる。
たった一輪の白いガーデンシクラメンがあるだけだが、アリサにとっては幾百の花束にも勝る代物だった。
(まさかお姉さまが、こんな素敵な贈りものをくださるなんて。覚えている限りでは初めてのことだわ)
シクラメンはこの日の夕方、茶話会の帰り際にセイラからもらったものだった。
感無量のアリサは、言いつけ通り環境美化係の同級生のもとへ赴いた。残念ながら花器は余っていないとのことだったが、ほかならぬアリサの頼みということもあり、空になっていた硝子瓶を一つもらうことができた。
元は蜂蜜の容器で、リサイクルのために家庭科クラブから回収したものだという。背丈の低いシクラメンならこれでも充分らしく、柔らかいために傷つきやすいシクラメンは色々な花と活けるよりは一輪挿しのまま楽しむのが一番よいとのことだった。
もちろんアリサも、別の花を瓶に加える気などさらさらなかった。
(間近で見ると、シクラメンの花びらってなんだか羽根みたい。白いシクラメンだからそう思えるのかしら。ふわりとしていて、小さな天使の羽根みたいな――なんて、少しロマンチックが過ぎるわね)
「あらあら、随分とご機嫌なのね」
頬杖をついてうっとりしていた時、後ろから瑠佳が声をかけてくる。
「そんな、ご機嫌というほどではありませんわ」
取り繕おうとするも、アリサの顔にはまだ夢見心地の笑みが浮かんだままだった。
「アリサさん、気づいていないでしょうけど、顔がにやついたままよ」
「に、にやっ――そんなことは、全然」
「あると思うわよ。それに鼻歌も」
「鼻歌? まさか、そこまでは」
「あら、そうじゃないとしたら、ずっと自分の机に向かって勉強をしていたはずの私が、どうしてあなたのご機嫌な様子に気づけるというのかしら」
「――っ、も、申し訳ありません。耳障りだったでしょうか?」
赤面し、しゅんとなる。今すぐ机に突っ伏したい気分だった。
瑠佳は席を立つと、リスのように縮こまった妹の両肩を軽く抱き、
「耳障りなんてとんでもないわ。まるで天使の歌声かと疑ったくらい」
「て、天使だなんて。瑠佳さま、またお戯れですのね」
「ちょっと褒め過ぎたかしら。でも本当に、聴いていて不快というわけではなかったの。あんまり嬉しそうだったから、声をかけないわけにもいかないと思って」
「なんだか、瑠佳さまにはすべてお見通しのような気がいたしますわ」
「すべてではないけれど、少しは分かってきたかもしれないわね。たとえば今、アリサさんの心臓が凄くドキドキしていることとか」
「それは、体に触れていらっしゃるからお分かりになることで、わたくしの言うお見通しとは……」
「体といっても、肩に手を置いているくらいよ。これで心音が伝わるなんて、よっぽどの動悸があるからじゃない?」
「ですから、そんなことを言っているのではありません! もうっ、最近の瑠佳さまは、隙あらばお戯れという感じですわ」
「ふふっ、ごめんなさい。アリサさんの反応があんまり可愛らしいから、ついね」
悪びれる様子もなく言うと、瑠佳は少しだけ身を屈ませ、硝子瓶に活けられたシクラメンの花びらに優しく触れる。
「セイラさんも、やっぱりアリサさんのことが可愛いのね。下級生にお花を贈るなんて、私が知る限りでは記憶にないわ」
「そうなのですか?」
「ええ。逆はよく見かけるけれど。セイラさんなりの入学祝いのつもりだったんじゃないかしら。なにかお言葉はなかったの?」
「花言葉を教えていただきましたわ。白いシクラメンは『清純』だと」
「『清純』……そう、セイラさんは博識ね。花言葉が色によって違うことまで知っているなんて」
花から手を離し、瑠佳は自分に机に戻ろうとする。
が、なにか思い出したようにまた振り返り、
「そういえばアリサさん、セイラさんと稲羽さんの仲を取り持つために伺ったのよね? そちらの方はどうだったの?」
幸せそうな笑みから一転、アリサはバツが悪い顔になる。
「恥ずかしながら、上手くいきませんでしたわ。わたくしばかりがお姉さまとお話しする形になってしまって」
「あら。やっぱり仲を取り持つのは建前で、本当は……」
「ち、違いますわ! わたくしは持てる力を最大限尽くして――そうです、思い出したら少し腹が立ってきましたわ。聞いてくださいますか? 稲羽さんたら、ほんっとうに恥ずかしがってばかりで」
一度湧き上がると、不満の言葉は留まることを知らなかった。瑠佳は再び椅子に腰かけながら、ぷりぷりと話すアリサをにこにこと見つめていた。
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