13.不思議の国のアリス



 全員の飲みものが尽きたところで、この日の茶話会はお開きとなった。

 夢見荘までの道中、アリサは舞白と並んで歩いた。入学式の日から今日までの間、自然とそうなるのはよくあることだった。


「あなたって、本当に物静かよね」


 道すがら、アリサは舞白に向けてからかうように言った。


「いつもの方々なのに、まるで初めて会った人のように怖じけづいているのはどうかと思うわ」


「ご、ごめんなさい。話すタイミングが掴めなくて」


 舞白は気恥ずかしそうに俯いて身を竦めたが、それでもアリサが見上げる構図は変わらない。二人にはそれだけの身長差がある。


「確かに悠芭さんは、話し始めると機関銃のようだけれど、出会ってもう一週間も経つのよ? いい加減慣れてもいい頃じゃないかしら」


「お話を聞くのは、慣れたんだけど、自分から話すのは……訊かれたりしたら、答えられると思うけど」


「確かに答えていたわね。まあ、稲羽さんらしい連想だとは思ったけれど」


「私、らしい?」


「『不思議の国のアリス』よ。アンがダイアナと友達になった時、初めて貸してもらった本だったでしょう? アンがクイーン学院へ旅立つ時にも、思い出の本として手渡されていたんじゃないかしら」


「うん……原作では、タイトルは出ていなくて、ただの本だったけど」


「そうだったかしら? じゃああれはアニメのオリジナルだったのね」


「私は、『不思議の国のアリス』は苦手で。読んだことはあるんだけど」


 少し意外な感想だった。アニメだけの演出とはいえ、『赤毛のアン』の中で思い出の一冊として登場する本が苦手とは。

 しかしよくよく内容を思い出してみると、『不思議の国のアリス』はどことなく不気味な展開ばかりが続くため、子供心には怖ろしく感じる部分もある。舞白が苦手と言うのも分からなくはない気がした。


「本のことはともかくとして、あなたは少し受け身過ぎるわ。悠芭さんはあなたのことが好きみたいだから、あなたの方から話しかけてあげればむしろ喜びそうなものよ?」


 アリサは励ますつもりで言ったが、舞白は顔を赤くしてかぶりを振るばかりだった。


「私、どうしてもダメで……許しもないのに、自分から話すなんて」


 同級生に対して『許し』とは大袈裟だが、これが彼女の本質なのかもしれない。

 はにかみ屋ながら、舞台上では完璧とも思える演奏を披露できる舞白――しかしそれは学院側から頼まれてのことで、いわゆる『許し』を得ていたからだったのかもしれない。

 きっと舞白は、自分の演奏がどれほど優れていても、自ら進んでひけらかすような真似はしないのだろう。


(わたくしなら、惜しみなく努力したことの成果は、誰かに見てほしいと思うけれど)


 謙虚さは美徳だが、同級生との何気ない会話でまで遠慮するのはいかがなものか。


「あなたが思っているよりも、周りはあなたの言葉を受け入れてくれるはずよ。いつかは自分から話せるようになるといいわね」


「そんな、自分からなんて」


「もう、どうしてそう悲観的なのよ。もっと自信を持って、ほら、歩き方だって」


 舞白の背後から両肩を掴み、軽く力を入れてやった。


「え――ひゃっ!」


 猫背気味だった背筋はびっくりしたように伸び、同時に小さな悲鳴が舞白の口から飛び出る。衆目が自然と二人に集まった。


「ちょっと稲羽さん? 大袈裟な声を上げないでくれる?」アリサが耳打ちで嗜める。


「ご、ごめんなさい、いきなりだったから」舞白は耳の先まで真っ赤にさせていた。


「背筋をピンとさせて歩かないとだらしがないわ。せっかくスタイルがいいんだから」


「あの、このままじゃ私、恥ずかしくて死んじゃう……」


「肩を掴まれたくらいで死なないでちょうだい。わたくしを殺人犯にするつもり?」


 冗談めかして言うと、アリサはまた舞白の隣に並んだ。


「いつまでも恥ずかしがってばかりいてはいけないわ。フランス語の宿題だって、そんな調子でどうする気よ」


「どうする?」


「お姉さまに教えていただく話よ。まだ上手く話せていないのでしょう? 一人でやるには難しいのではないかしら」


「それは、そうだけど。でも、たぶん大丈夫だと思う」


 舞白の顔はまだ赤かったが、口ぶりは意外にも前向きだった。


(大丈夫? まさか、お姉さまと打ち解けられたのかしら。だけどそんなそぶりは――)


 また励ますつもりでいたアリサは意表を突かれ、わずかな間だけ言葉を失った。

 問いただすべきか逡巡した末、微笑みを向ける。


「あなたがそう言うのなら、きっと大丈夫なのね」


 その笑みがどことなくぎこちないことには、自分でも気がついていた。


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