12.おとぎ話の謎



 一頻り語り終えると、悠芭は紅茶を一口飲み、再び話を続けた。


「つまりこれは、危篤に陥った親友を救うため、アリスさまが自らの命を代償にしたというお話です。純桜の生徒の間でまことしやかに話し継がれ、アリスさまの深い友愛の心を伝えるエピソードとして知られています」


 確かに涙ぐましい物語だとは思ったが、アリサにはどうも不可解な部分が目立った。


「ねえ悠芭さん。アリスさまの由来はともかく、今の話のどこに篝乃会や庭園と関係性があるというの? わたくしには読み取れなかったのだけど」


「それも仰る通りです。このお話にはもう少し続きがありまして――アリスさまと美代さんがいないことにほかの生徒たちも気づいて、有志による捜索隊が結成されます。アリスさまを殊のほか慕っていた方々で、彼女たちは夜もすがら、道端にを焚きながら捜索に励み、桜の木の下で手を繋いだまま倒れているお二人を発見するのです」


 そこまで説明されると、アリサも幾分得心がいった。


「その時に結成された捜索隊の方々が、篝乃会の先駆けになったのね。だから会長の愛称がアリスさまになった……」


「そこね、前も聞いたけど、ヒナはよく分かんないの。なんでそうなるの?」


 小雛が疑問を零すと、菊乃が言い聞かせるように答える。


「だから、それだけ特別だったってことでしょ。純桜の象徴的な存在になるほどに」


「象徴というのは言い得て妙です」感心するように悠芭は言って、「現在、生徒会長たるアリスさまは全校生徒の投票によって選ばれますから、当選する方はまさしく、純桜を象徴する生徒でなければいけません。なにせこのお話に登場するアリスさまは、時を越えた現代の純桜生にとっても崇拝の対象となっているほどですから」


「崇拝……?」


 舞白のぼんやりとした疑問にも、悠芭は「そうです」と律儀に相槌を打ち、


「みなさんは篝乃庭にあるマリアさまの像の前で、なにか一心に拝んでいらっしゃる上級生の方々をお見かけしたことはありませんか?」


 アリサは入学式の夜、花篝の際にマリア像の前で跪拝していた上級生たちがいたことを思い出した。菊乃や小雛も見覚えがあるらしく、舞白も「そういえば」と呟いている。


「あれはマリアさまだけに祈っているのではなく、どちらかと言えばアリスさまに対する祈祷なのです。初代アリスさまは言わば学院内において聖者のような存在であり、友人との関係になにかと苦心しやすい年頃の生徒たちにとって祈りの対象となっていったわけです。ゆえに現代でアリスさまの名を受け継がれる方においても、なによりも友愛を重んじる方が相応しいということなのでしょう」


「友愛を通り越して自己犠牲っぽいけどね、初代アリスさまの話って」菊乃がアンニュイに言った。


「ゆえに、ミッションスクールらしい教義とも言えます。『友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない』――福音書の言葉です」


「なんでそんなことまで知ってるわけ……?」


「叔母から教わりました。純桜は聖書の授業もありますし、いずれは習うことだと思いますよ」


「だからって諳んじられるほどには覚えないと思うけどね」


「悠芭ちゃんすごーい!」小雛は素直に拍手して称えた。


 アリサも少なからず感心したものの、おとぎ話の信憑性については懐疑的だった。


「教義は素敵だけど、どこまでが本当の話なのかしら。全体的に謎めいた部分が多くて、どうも納得がいかないわ」


「と仰いますと?」悠芭が興味深そうに訊ね返す。


「たとえばそう、祈ったら傷が癒えたというのはファンタジーとしてもね……まず、どうして美代さんは、夜更けに山の中へ出かけたのか。それにアリスさまも、ルームメイトが部屋にいないからって、一人で山の中まで捜しに行くなんて変じゃないかしら」


「あたしもそこは疑問だった」菊乃が同調し、「なんで山に入ったのか、傷だらけの状態で桜の木の下にいたのか。その辺りの理由や原因もまったく語られてないし」


「そもそもこのお話って、誰の視点から語られたものなのかも不明確だわ。初めはアリスさまかと思ったけど、亡くなっているのだから不可能でしょう? ということは美代さんになるけれど、だとしたら自分自身の状況をまるで語っていないのも不自然だわ。だから全部作り話みたいに聴いてしまったのよね」


 二人の指摘を聞いて、小雛と舞白はぽかんとした表情で固まっている。理解が追いついていないようだった。


「お二人はさすがですね。いずれも尤もな疑問と存じます。私も似たようなことを叔母に問いただしたことがありますが、納得のいく答えは得られませんでした。私は『叔母でさえ分からないことがあるのか』と驚き、同時に興味が湧いたのです。このおとぎ話が本当かどうか、誰がどういう目的で残したのかを」


「まさか、それを調べるために純桜に入ったってこと?」菊乃が訊いた。


「純桜を知るきっかけになったのは事実ですね。興味が湧くと止まらない性質なのです、私」


「それは周知の事実ね」アリサは思わず苦笑し、「そのアリスさまについて調べるのに、図書委員として励むことはどう結びつくの?」


「図書館の書庫に入るためです。図書館にはどなたかもう行かれましたか?」


 誰も頷かないのを確認すると、悠芭は得意げに笑った。


「純桜の図書館は二階建ての旧校舎が再利用されている別館です。二階は一般の生徒に開架されている図書室ですが、一階は閉架資料を収めた書庫になっています。ほかにも学院に関する史料などがあるらしいのですが、一般の生徒では立ち入る機会も権限もありません。ですが――」


「図書委員なら、入る機会があるわけね」


「その通りですアリサさん。図書委員なら書庫整理という大義名分が得られますから」


「それも、叔母さんからの入れ知恵ってことか……いつの時代でも人気なんだね、アリスさまって」菊乃が溜め息混じりに言った。


「アリス、さま……」


 そう舞白が小さな声で呟いたのを、悠芭が聞き逃すことはなかった。


「おや、舞白さん? なにか気になることでも?」


「え? あの、全然、大したことじゃなくて」


「いえいえ、そう言わずに。どんな些細な疑問や質問でも絶賛受付中です。なにがアリスさまの謎を解くきっかけになるか分かりませんので」


「疑問というか。アリスって聞いて、本のことを思い出しただけで」


「本ですか? アリスで本というと……『不思議の国のアリス』でしょうか。もしや舞白さんの愛読書だったり?」


「そういうわけじゃ、ないけど」


「興味深い物語ですよねぇ、『不思議の国のアリス』。計算し尽くされた無秩序の物語はまさに数学者らしい斬新な発想で、しかしパロディやユーモアもたっぷりで、何度読んでも新しい発見があって――」


 思わぬ形で再び悠芭の長話が始まり、聴き手の四人に苦笑や呆れの表情が浮かんだのは言うまでもない。


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