Epistle III — A French-Class and a Fairy Tale

9.お姉さまに、ご指導を





 純桜では朝夕のお祈りや聖歌の斉唱、食前にもお祈りを欠かさないなど、一日のうちに宗教的な慣習が鏤められている。

 新入生にとってはどれも新鮮な体験だったが、入学から一週間も経つと生活の一部として馴染みつつあった。今ではタワーベルの鐘が鳴るよりも先に着席し、粛然と朝拝の時間を迎えるのが当たり前となっている。


 しかしこの日の教室は、先週末に行われた実力考査の話題で持ち切りとなり、まもなく鐘が鳴る時刻になっても騒がしいままだった。

 純桜では、各学年考査の総合成績上位者二十名の名前が掲示板に貼り出される。

 入試で学科首席だったアリサは、今回の実力考査でも首席の座を譲ることはなかった。


「さすがはアリサさん。今回も盤石の結果でしたね」


 アリサの席を取り巻くクラスメイトの中、いつものように紛れ込んでいる悠芭が大袈裟な具合に称える。


「ありがとう。だけど盤石だなんて、とんでもないわ。今回は入試の時ほど勉強できていなかったから、手応えがなくて不安だったくらいなの」


 謙虚に答えるアリサだが、本当は抜かりなく対策していた。

 けれどそういう努力は、あえて他人に晒さない方が、自身の評価をより高めることになると幼少の頃から心得ていた。

 事実、アリサの謙遜に周囲は再び感心し、尊敬に近い眼差しを送ってきている。


(とってもいい気分。でもこんなのは当たり前。わたくしはセイラお姉さまの妹なんだから。これからもずっと、羨望の的であり続けるのよ)


「それにしても意外だったのは、次席が菊乃さんだったことです。お名前を拝見した時には大変驚きました」


 悠芭がまた大袈裟に称えると、菊乃が「意外とは失礼だね」と両腕を組む。


「まあこればっかりはあたしも、運がよかっただけだとは思うけど」


「菊乃ちゃんはすっごく頭いいんだよ! 小学校でもずっと満点ばっかりだったの!」


 横で小雛が満面の笑みで言った。


「なるほど、兼ねてからのご秀才だったと。これは要追記事項ですね。ちなみにですが、小雛さんの順位はいかほどで?」


「ヒナ? 上から二十番には入れなかったけど、下からならたぶん入ってるよ!」


「胸を張って言えることじゃないね」菊乃が手厳しく言った。


「なるほど、そういうことでしたら私も負けていませんよ。私は下から十番以内には入れます」


「なにその張り合い。しかも悠芭の負けだし」


 菊乃の言葉で、周りのクラスメイトが慎ましい笑い声を上げる。

 アリサも微笑みつつ、ふと左隣の席を見やった。舞白は話を聞いていないのか、机の上で開いた教科書をぼんやり眺めている。

 入学式の夜、『赤毛のアン』の厳かな誓いを持ち出してまで友達になることに拘っていた舞白だが、今のところ特別親しくしているかというとアリサもよく分からない。話す機会の数だけでいえば、同じクラスでもない悠芭との方が多いくらいだった。


(悠芭さんを見習ってとは言わないけど、もう少しお喋りしてくれたっていいのに。今だって、どうして教科書なんて見ているのかしら。予習をしているようにも見えないけど)


 どうにも放っておけず、周囲の会話が途切れた頃を見計らって話しかけてみる。


「稲羽さん、先ほどからなにを熱心に読んでいるの?」


「……え、私?」


 バネ仕掛けのように舞白が振り向く。頬にはすでに赤みが差していた。


「もちろんよ。窓際にはあなたしかいないじゃない」


「そ、そうだけど。でも、ぱらぱら見てただけで、熱心というわけでも」


「これはフランス語の教科書ですね」悠芭がいつの間にか回り込み、舞白の机上を覗き込んで言った。「もしかして、宿題のことをお考えでしたか?」


「え?」


 困惑したまま固まる舞白。周りも首を捻っている生徒が多い。


「おや、なにか見当違いなことを申しましたでしょうか。私はてっきり」


「宿題って、どういうこと?」アリサが訊ねる。


「B組では昨日、初めての授業で宿題が出たのです。日本語で書いた自己紹介を、可能な限りフランス語に訳してくるというもので。A組では出されていないのですか?」


「今日の一時間目が初めてのフランス語だから。それで誰もピンときていないのよ」


「なるほど。つまり私は、今だけちょっとした未来人なわけですか」


「違うと思うけどね」すかさず菊乃が指摘する。


 宗教教育と共に外国語教育にも力を入れる純桜では、英語だけでなくフランス語も必修科目に定めている。

 中等教育過程での必修は、国内ではあまり類を見ないカリキュラムで、建学母体をフランスに持つ純桜ならではの特長の一つと言えた。


「最初の宿題にしてはハードルが高過ぎると思うけど」菊乃が気怠そうに続ける。


「確かにB組でも、みなさん四苦八苦していますが、どうやら毎年恒例の宿題らしいのです。ほとんどの生徒はスリーズのお姉さまに助力を乞うのが慣例らしく、先生も上級生に見てもらうことは容認されているご様子でした」


 悠芭の懇切丁寧な説明で、アリサはその宿題の狙いに勘づく。


「つまり、一種のお膳立てではないかしら。スリーズのお姉さまと交流する機会を作らせるための。あえてハードルの高い宿題を出せば上級生に頼らざるをえなくなる。そうなれば自然と、わたくしたちは自分のお姉さまにご指導を仰ぐことになるわ」


「なるほど……さすがはアリサさん、鋭いご推察です。学院側の配慮までお見通しとは」


 感心したように悠芭が言うと、周囲も同調して頷いていた。

 けれど隣の席に座る舞白は、晴れやかではない顔を俯かせ、


「お姉さまに、ご指導を……」と、どこか不安そうに呟いている。


 少しだけ気にかかったアリサだが、舞白はなにか慌てたように席を立つと、そそくさとお手洗いの方へ向かって行った。


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