8.初めてのお友達



 話に夢中な悠芭たちからひっそり離れ、ベンチへと向かう。

 アリサが歩いてくることに気づくと、舞白は緊張したように背筋を伸ばした。


「き、清華さん」


「お隣、いいかしら?」


 そう訊きながらも、アリサは返事を待たずに腰を下ろす。


「セイラさまは、ご一緒ではないのね」


「え?」


「てっきりご一緒だと思っていたの。悠芭さんたちが部屋まで迎えに行ったけど、どちらもご不在だと話していたから」


 舞白は申し訳なさそうに俯き、少しだけ身を竦ませた。


「……ごめんなさい。私、清華さんと合わせる顔が、なくて」


「わたくしと?」


「セイラさまと、スリーズになってしまって。私、清華さんの気持ち、知っていたから」


 そこまで言うと、舞白はぎゅっと唇を結んでいた。

 アリサも、すぐには言葉を返せなかった。

 気まずい思いが募ったが、スリーズのことで舞白を責めるわけにもいかない。


「謝る必要なんてないじゃない。ただの偶然でしかないんだから。瑠佳お姉さまの言葉をお借りするなら、これも『マリアさまのお導き』なのよ。たとえ稲羽さんでなくとも、誰かがセイラさまとスリーズになっていたし、それがわたくしだった可能性は元々高いものではなかったわ。だから、気にしないでいいのよ」


「でも、私は……」


「一つだけ不都合なことがあるとすれば、これまで通り『お姉さま』と呼べなくなってしまったことかしら。実の姉に『セイラさま』だなんて、他人行儀過ぎると思わない?」


 冗句っぽく訊いてみるも、舞白の表情は強張ったままだった。

 アリサは明るさを失わないよう努め、


「わたくしはね、稲羽さん。ほかの方ではなくて、あなたがセイラさまのスリーズになってくれてよかったと思っているの。もしも全然関わりのない方がスリーズになっていたら、セイラさまとの話を聞き出すのに苦労するでしょう? でも稲羽さんだったら安心、気兼ねなくお姉さまの話ができるわ」


「清華さん……」


「あ、ついお姉さまと呼んでしまったわ。気が抜けるとダメね。今までずっと、お姉さまとしか呼んでこなかったから」


 茶目っ気たっぷりに微笑んでみせると、舞白の表情が少しだけ和らいだ気がした。


「でも、私、清華さんに話せるようなこと、まだなにも」


「あら、そうなの?」


「セイラさまとは、まだほとんどお話しできていなくて、さっきも、篝乃会の仕事があるからって、先に出られたきりで」


 それを聞いて、アリサは少しだけ溜飲が下がる気分だった。

 舞白はまだ、セイラとスリーズらしい関係を気づけていない。『お姉さま』と呼ぶことさえできていない。

 それも不思議ではない気がした。舞白はこの通りのはにかみ屋で、セイラも常に粛然としていて口数が多い方ではない。少なくともアリサのように社交的ではないし、自分から積極的に話すタイプではない。


(わたくし、なにをあんなに不安がっていたのかしら)


 スリーズになったからといって、すぐに打ち解け合うとも限らない。中にはどうやっても気が合わないペアがいても不思議ではない。

 舞白とセイラがそうだとは言えないが、少なくとも舞白が消極的なうちは難しいかもしれないとアリサは感じた。


「ほんと、あなたって不思議な人。似ているかもと思ったら、全然違う弱さがあったり」


「弱さ?」


「あなたって凄く恥ずかしがり屋でしょう? なのに舞台の上では、緊張なんて無縁みたいに見事な演奏をしてみせたり。そういうところは、セイラさまと似ているけど、だけどそれ以外の時は、やっぱり必要以上に恥ずかしがっているんですもの。あなたという人がよく分からないわ」


「バイオリンは、慣れてるから。発表会とかにも出て……それに、音を鳴らしている間は、その音色に染まることができるから」


「音色に染まる?」


「うん。目を瞑って、色々な音を奏でていると、その音色に自分自身の体が染められていくような感覚になれて。自分が自分じゃなくなるような気持ちになれるから……だから、普段よりも少しだけ、自信を持っていられるのかなって」


 舞白の声はいつになく弾んでいたが、アリサにはよく分からない感覚だった。まるで、普段の自分を嫌っているようにも捉えられる言葉だと思った。


「やっぱり、不思議な人ね。自分じゃなくなる感覚なんて、わたくしだったらぞっとしそう。でも音色に染まるって表現は面白いわ。そういう話をしてみたら、案外打ち解けられるんじゃないかしら」


「打ち解けられるって、セイラさまと?」


「ええ。同じバイオリニストですもの、きっと通じ合えるところがあるわよ」


「バイオリニストだなんて、私はそんな」


「ものの喩えよ。まあ、本当に通じ合えるかはともかく、なにかあったらいつでもわたくしに相談してくれていいから。セイラお姉さまのことは誰よりも分かっているし、それにわたくしは、稲羽さんのお友達なんだから」


「お、お友達……」


 はにかんだ声で反芻すると、舞白はまたゆっくりと俯いた。

 そんな様子を見て、アリサは似たようなことがあったと思い出す。


「そういえば、ずっと訊きそびれていたけど、あの時なんと言いかけたの?」


「あの時?」


「ほら、入学式が始まる前、二人で話していた時よ」



 ――『もし、本当にお友達になってくれるなら、一緒に……――』



「あなたからのお願い。『一緒に』のあと、なんて言おうとしたの?」


「あれは、その……誓いを、立ててほしいって」


 俯かせた顔を赤くさせたのち、舞白はおずおずと打ち明けた。


「誓い?」


「うん。厳かな誓い。腹心の友になるための」


 囁くような声で言うと、舞白は耳まで赤くして押し黙る。

 アリサはきょとんとしたが、その大仰な言葉には聞き覚えがあった。


「腹心の友って、もしかして『赤毛のアン』?」


 舞白はハッと顔を上げ、「清華さん、知ってるの?」


「もちろんよ。少し前に小説を読んだし、お母さまと一緒にアニメも見たことがあるわ。そっちは随分前だけど……稲羽さん、『赤毛のアン』が好きなの?」


「うん。一番、好きなお話」


 仄かに、けれど確かに灯った笑みには、これまで見たことのない喜びが浮かんでいる。

『赤毛のアン』はアリサも好きな物語だった。舞白の言う『厳かな誓い』のことも記憶にある――主人公のアン・シャーリーが、ダイアナ・バーリーと友達になる時に立てた誓いのこと。腹心の友という言葉はこの小説で初めて目にしたからよく覚えていた。


 しかしアリサの記憶が正しければ、あれは互いに手を取り、なにか詩的な宣誓を交わし合っていた気がする。

 作中のように二人きりの庭園ならともかく、今はあまりに人目があり過ぎる。


「誓いのことは覚えているわ。でもこんなに大勢の人の中でするものじゃなかったと思うの。いくらわたくしでも気恥ずかしいわ」


「そう、だよね」嬉しそうだった瞳が落胆の色を帯びる。


 気の毒に思ったアリサは、ぎゅっと閉じていた舞白の手に自らの手を重ねた。


「それに、わざわざそんなことしなくたって、わたくしたちはもう充分にお友達よ。そうでしょう?」


 自然と、小さな子供に言い聞かせるような声になる。

 舞白は顔を上げ、微かに綻ばせた口元を見せてくれた。


「ありがとう、清華さん。私とお友達になってくれて」


「お礼を言われるようなことじゃないわ。それに、あなたのお友達は、わたくしだけじゃないもの」


 重ねていた舞白の手を取り、アリサは立ち上がる。


「ほら、行きましょう。みなさんと一緒に見た方が、夜桜ももっと明るいわ」


「う、うん」


 舞白も腰を上げ、手を引かれるまま歩き始める。

 細い指先を握り締めて導くアリサは、庭園を訪れたばかりよりも晴れやかな顔つきで桜を見上げ、その美しさにまたうっとりと目を細めた。


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