5.十字架の導き
純桜の講堂は上等なコンサートホールのようだった。
広々とした奥行きのあるステージには、向かって左手前にパイプオルガンが設置されている。堂内の座席は一段目だけでもざっと百以上はあり、中央通路を境にして二つのブロックに分かれている。
左方のブロックは先に来ていた四年生によってほとんど埋まっていた。アリサたち五人は右ブロック後方の、ちょうど五つ分空いていた列を見つけて座った。
歓迎会は十人ほどの聖歌隊の合唱によって幕を開けた。
女声のみの透き通ったハーモニーに心が洗われた気分になったのち、一人の女子生徒が舞台袖から現れる。
(あら? あの方、どこかで……)
アリサには微かに見覚えがある上級生だった。
ウェーブがかった栗色の綺麗な髪。背はそれほど高くないが成熟した体つきで、聖母を連想させる柔らかな眼差しが印象的だが、どこで見かけたかは思い出せなかった。
『新入生のみなさん、ごきげんよう。私は後期課程一年の、
マイク越しのおっとりとした声が柔らかに響く。柔和な微笑みは同じ生徒とは思えないほど大人びており、すでに見蕩れている新入生も多く見受けられた。
「貴船瑠佳さま。医業で名高い旧家、貴船家のご令嬢です。生徒会では書記をお務めで、新入生の際は代表挨拶をされているはずです」
「悠芭のいかがわしいノートって、上級生まで網羅してるわけなんだね」
「いかがわしくはありませんが、貴船さまレベルなら当然です。目指せ全お嬢さま制覇、なわけです」
「ゲームの図鑑じゃあるまいし」
悠芭の上機嫌な解説と、菊乃の溜め息混じりの声。二人の間で小雛が鈴を転がすような笑みを鳴らしている。
(そう、あの方が代表挨拶を。どうりで見覚えがあったはずだわ)
かつてセイラの入学式を見学に来た際、当時の代表挨拶を務めていたのがこの上級生だったわけだ。
『突然ですが、みなさんは純桜の生徒会執行部が伝統的になんと呼ばれているかご存知でしょうか? 学院案内にも記載があったかと思いますので、ご存知の方も多いかもしれませんが』
「もちろん、義務教育ですね」悠芭が得意げに相槌を打つ。
『純桜では古くから、生徒会執行部を「
また、純桜では中高の垣根を無くすこと、純桜生として規律正しくあるべき姿を継承していくことを目的として、上級生が下級生の導き手となるスリーズ制度を設けています。スリーズとは三年間寝食を共にしますので、ぜひ「お姉さま」と慕って心を通わせ、純桜生としての在り方や礼節を学んでください』
スリーズ、お姉さまなどの単語が出たことで、新入生のブロックは俄かに色めき立つ。
アリサも例外ではなかったが、期待よりも緊張の方が強まっていた。
『みなさん、お静かにお願いしますね。これからスリーズの発表を行いたいと思います。新入生のみなさんはまず、ホームルーム時に配布されたロザリオを取り出してください。それから、十字架の裏にある三桁の数字を見つけてもらえるでしょうか』
瑠佳の言葉で、新入生はこぞって自分のロザリオを見つめ始める。
アリサも十字架を裏返し、十字の中央に『040』と刻まれているのを確認した。
『その番号と同じ十字架を持つ四年生が、みなさんのスリーズとなります。それはマリアさまのお導きによって選ばれた数字ですので、決してほかの人と交換してはいけませんよ……今から順番に数字を読み上げますから、番号が呼ばれた二人は中央通路の前まで来て挨拶を交わし合ったのち、寄宿舎へと向かってください。四年生のみなさんはお姉さまらしく、妹を導いてあげてくださいね』
柔和に微笑みかけると、『001』の番号を読み上げる瑠佳。
一人の四年生が優雅な歩様で中央通路まで赴き、少し遅れて新入生も一人やってくる。
互いに挨拶を交わし合うと、自然と拍手が生まれた。スリーズとなった二人が通路を歩いて講堂を出ていく時には、さながらバージンロードのような祝福を受けていた。
「これは中々、サプライジングな演出ですね。スリーズのお相手は運命で決まるとは聞いていたのですが、よもやロザリオを使ってとは。まさしく運命と言うほかありません」
番号が読み上げられていく中、悠芭が感心するように言った。
「最前列の左端から順に立ち上がっているのを見るに、四年生は初めから番号順に座っているのでしょう。数えればどなたがお姉さまなのか事前に分かりそうですが」
それを聞いたアリサは、すぐにでもセイラの位置を見出したかったが、あいにくブロックの後方に座っていたため視認は困難だった。
(まさかこんな、くじ引きみたいな決め方だなんて。これではセイラお姉さまと一緒になれる確率なんて……いいえ、弱気になったらダメよ。きっとお姉さまと同じ番号に!)
不安と期待でやきもきしていたアリサは、ふと隣の舞白がこれでもかと言うほど十字架に目を近づけているのが気にかかった。
「稲羽さん? なにをしているの」
「あ、あの、数字が小さくて、よく見えなくて」
「そういえば、目があまりよくないのよね。ほら、わたくしが見て差し上げるわ」
「あっ……」
手を取られた舞白が恥じらうような声を上げたが、アリサは構うことなく十字架の裏面を覗き込んだ。
「まあっ――『007』だから、もうすぐじゃない! 間に合ってよかったわね」
「う、うん。ありがとう、清華さん」
ちょうどその頃、舞台上の瑠佳が『007』の番号を読み上げた。
舞白はそわそわと立ち上がり、覚束ない足取りで新入生のブロックを抜けていく。
スリーズの上級生もすでに歩いてきていたが、その姿を見たアリサは目を疑った。
(セイラお姉さま……? そんな、じゃあまさか――)
両手が震えて止まらなくなる。緊張以外でこんな風になったのは初めてだった。
舞白がセイラの前まで来ると、悠芭が食い入るような眼差しをして、
「これはなんと、世紀のカップルになる予感が……!」
彼女の興奮が伝播するように、講堂中の生徒たちもさんざめく。
「あら、あれは代表演奏の方では?」
「素敵! 稲羽さんがあのセイラさまとスリーズだなんて」
「お二人とも長い黒髪で、すらりと背が高くて、なんてお美しいのかしら」
評判が聞こえてくる中、アリサは歯噛みしたまま中央通路を歩く二人を見つめた。
(ちょ、ちょっと稲羽さん! なんでよりによって、あなたがお姉さまと――っ!)
手のひらは小刻みに震え続け、一度も拍手をすることができなかった。
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