Epistle II — The Room of Cherries

3.にぎやかなクラスメイト





 アリサが在籍するのは一年A組で、舞白も同じクラスだった。

 席は縦横六人ずつの配列で、出席番号が七番のアリサは窓際二列目の最前席。

 出席番号が一番の舞白とはここでも隣の席同士となった。


(不思議なものね。二クラスしかないから同じクラスになるのはともかく、教室の席までお隣さんになるなんて)


 運命的なものを感じずにはいられない。担任教師が諸連絡を行っている間も、アリサの頭は式典で聴いた美しい音色を思い返すのに熱心だった。

 ほどなく、教室は初めてのランチタイムを迎える。

 純桜は弁当による給食制で、簡単に持ち運べるため昼食の場所を選ばないことが利点だが、この日は教室の中だけで食べるよう指示を受けた。


 アリサは早速隣の舞白に声をかけ、「ご一緒しましょう」と机を合わせた。


「お互い、一番前の席になってしまったわね。わたくしはあまり気にしない性質たちだけど」


 開口一番に代表演奏の出来を称える気でいたが、素直に言うことができなかった。


(あの演奏を褒めようとすれば、わたくしはきっとはしゃいでしまうわ。それくらい素晴らしい演奏だったんですもの、今だってまだ耳に残って……いえ、だから、そうじゃないのよ)


 心の中で悶々としてしまう。

 片や舞白は、相変わらずのか細い声で、


「私は、一番前でよかったかな。あまり目がよくないから」


「そうなの? では、勉強の時は眼鏡をかけるのかしら」


「え? いや、そういうわけでも」


 なぜか戸惑ったように俯く舞白。

 普段はこれほどの恥ずかしがり屋なのに、どうして舞台の上ではあれほど堂々と演奏できたのか。アリサには不思議で堪らなかった。


 ランチタイム中の教室はまだ静かだったが、その後ホームルームが行われ、自己紹介やロザリオの授与を経ると俄かに活気づいた。休み時間を迎えると、多くのクラスメイトが自然とアリサたちの席の周りに集まり始める。

 その中でも取り分け印象的だったのは、華奢なアリサよりも更に小柄な少女のことで、彼女については自己紹介の前から名前を知っていた。


「あなた、確か小花衣こはないさんと言ったわよね? 入試の時、一緒だったでしょう」


「ほんとに? ヒナのこと、覚えててくれたんだ!」


 嬉しそうな笑みがぱあっと花開く。

 慎みなど知る由もなさそうな天真爛漫な声音は、同じ中学生とは思えないほど甲高い。


「ええ、覚えているわ。小花衣さんの演奏は……そう、独創的というか。ほかの子とはとても違っていたから」


 改めて思い返すと、苦笑いを浮かべずにはいられなかった。

 純桜の実技試験は四人ずつで音楽室に入って行われ、試験官の前でそれぞれ演奏を披露する。

 アリサの順番は四人の中では最後だった。前の二人はピアノを弾いたが、酷く緊張しているのかあまり上手ではないと感じた。


 そして、三人目の受験生がこのあどけない女子生徒、小花衣小雛こひなだった。

 小雛は緊張とは無縁そうな笑顔でピアノの前に座ると、拙い伴奏で弾き語りを始めた。

 音楽室にいた全員が呆気に取られたが、本人があまりに楽しそうに歌っていたからか、試験官が微笑ましそうに見つめていたのはアリサもよく覚えている。肝心の技量についてはお粗末だったため、合格していたとは思いも寄らなかった。


 そんなアリサの本音など想像もつかないか、小雛は「わーい!」と無邪気に喜んでいる。

 その隣で、黒髪を一つ結びにした女子生徒が重い溜め息をついた。


「ヒナ……まさかとは思ってたけど、本当に歌まで歌ったわけ? あれだけやめてときなって言ったのに」


 同じくクラスメイトの九條くじょう菊乃きくの。年相応の背格好をした少女で、利発そうな顔立ちながらどこか気だるげな雰囲気を漂わせている。

 小雛とは同じ小学校出身らしく、会話や距離感からも長い付き合いであることが窺い知れた。


「でもアリサちゃん、褒めてくれたよ? 独創的って褒め言葉でしょ?」


「それは食レポなんかで、『好きな人は絶対ハマる美味しさですね』って言うのと同じだから。額面通り受け取っていい言葉じゃないの」


「じゃあ、アリサちゃんはきっと好きな人だったんだよ! そういうことにすれば素直に嬉しいって思えるでしょ?」


「ポリアンナじゃあるまいし。それと、いきなり『ちゃん』付けもどうかと思うけどね。清華さんのこと」


「じゃあ、ヒナのこともヒナって呼んでもらえばいいよね。そういうことでしょ菊乃ちゃん!」


「全然違うんだけどね」


 まるで子供と保護者のような会話に、不思議と微笑ましい気持ちになってくる。


「わたくしは別に気にしないわ。ヒナさん、と呼ぶことを許してもらえるなら」


「うん! 全然許すよ!」


「そこはありがとうでしょ……ごめんなさい、ヒナがいきなり馴れ馴れしくて」


「構わないわ。あなたのことは、キクさんでいいのかしら?」


「いや、助さん格さんってわけじゃないから。あたしの方は略さずに、ということで」


「そう、じゃあ菊乃さんね。菊乃さんもわたくしのことは名前でいいわよ。清華はお姉さまもいるから」


「そう? じゃあ、遠慮なくアリサで。っていうか、やっぱりお姉さんなんだ、あの在校生代表の人」


「ええ。今は四年生で、生徒会の副会長をしているの。今日は生徒会長が病欠されたらしくて、それでお姉さまが代わりに挨拶をしたのよ」


「へえ、凄いお姉さんがいるんだね。まだ四年なのに副会長で、しかもあんな美人」


「ヒナ、てっきり会長さんだって思ってた。なんていうか、いかにもリーダーって感じの人だったから」


 周りにいるクラスメイトたちも同じように頷き、セイラの挨拶をうっとりと思い出している。

 姉が新入生の間でも羨望の的になりつつあることを、アリサは嬉しく思った。


「――確かにセイラさまも眼福でございましたが、本日の主役はあとお二人いらっしゃったことも失念してはいけませんね」


 そんな声を向けたのは、いつの間にか菊乃の左隣に立っていた女子生徒。

 太い黒縁の眼鏡をかけた少女で、アリサには見覚えがなかった。


「申し遅れました。私は聖澤ひじりさわ悠芭ゆはと申しまして、はるばるB組から馳せ参じました。入学式で大役を果たされたお二方とは、ぜひともお近づきになりたいと思いまして」


「そう? それは光栄だけど」


 突然の接近に戸惑うアリサ。

 長い三つ編みの髪を揺らして迫る悠芭は、眼鏡姿も相まっていかにも文学少女らしい。

 けれど浮かべられた笑みには、小雛とは別種の無邪気さがあり、眼鏡の内側にある灰褐色の瞳も眩いほどに輝かせている。


 おまけに、制服の上からでも分かるほど発育のいい胸部は嫌でも目につくほどで、そういう意味でも強烈な印象の女子生徒だった。

 気恥ずかしそうに俯いてばかりだった舞白でさえ顔を上げ、悠芭の容姿と大胆な言動にじろじろと視線を送っている。


「しかし流石は由緒正しき純桜福音女学院、右を見ても左を見ても名家のお嬢さまばかりで眼の福です。すなわち眼福です。アリサさんは旧財閥系として名高い『白水はくすいグループ』と関係の深い清華家のご令嬢でございますし、学科は首席で合格、更には四年生にしてすでに次期会長候補と名高いセイラさまを姉にお持ちで、けだし非の打ちどころがない。セイラさんのクールな美貌とはまた違う、愛らしい天使のようなお姿も素敵です」


「ええ、まあ、それほどでも」思わずたじろぐも、当然満更ではない。


「それにこちらには、全国展開のお菓子チェーン店を運営する『こはないホールディングス』ご令嬢の小花衣小雛さん、更には和菓子の老舗『菊花庵きっかあん』の一人娘でいらっしゃる九條菊乃さんまで。お可愛い&お美しいの可憐なデュオ、言うまでもなく眼福ですとも」


「すごーい! なんでそんなにヒナたちのこと詳しいの?」


「いえいえ、これくらいはもはや義務教育ですので」


 小雛は無邪気な拍手で称賛しているが、菊乃の方は軽く引き気味で、アリサも苦笑いを浮かべるほかなかった。情報量もさることながら語りの熱量が並みではない。


「しかしこの度、最も注目したのはなんと申しましても稲羽舞白さん、あなたです」


「え、私……?」舞白がびくりと反応する。


「そうです。あなたの情報だけは私の『必見! マル秘お嬢さまノート』にありませんでした。とんでもないダークホースです」


「なにそのいかがわしいノート。ていうかマル秘なのに必見って」


 菊乃が小声で突っ込むも、悠芭は「至極健全なのでご安心を」と主張し、


「そもそもバイオリンで新入生代表に選ばれること自体、それほど多くはないことです。私独自の調べでは、直近の代表演奏でバイオリンを披露されたのは三年前、アリサさんのお姉さまであるセイラさまですね。それさえもかなり久しぶりだったと聞いています」


「その通りよ。本当に詳しいのね……」アリサは舌を巻いた。


「いえいえ、ほんの義務教育です――そういうわけで稲羽舞白さん、あなたは目下学院中の憧れであるセイラさま以来の逸材なわけです。演奏もさることながら、その美しい黒髪に麗しい容姿。今にセイラさまの再来と騒がれるに違いありません」


「なっ――」


 セイラの再来と聞いて穏やかではなくなったアリサだが、瞳を輝かせて話す悠芭に口を挟める余地はなかった。


「ゆえに私は分からないわけです。私がこれほどの逸材を見落としていただなんて! 稲羽さん、あなたは一体何者なのですか? どちらのお嬢さまなのですか? あ、実は帰国子女で海外生活が長かったとか」


「……っ」勢いに気圧されてか、舞白は仄かに頬を赤らめて俯いた。


「ダメだよ悠芭ちゃん! そんなに訊いてばっかりじゃ舞白ちゃんが可哀想だよ」


「ヒナの言う通りだね。ちょっとがっつき過ぎ」菊乃も咎めるように言った。


「それもそうですね、私ばかり訊くのはフェアではありません。では、稲羽さんから私に訊きたいことはありませんか? それで対等になれるはずです」


(そういう問題かしら?)


 アリサは首を捻ったが、意外にも舞白は、悠芭に対する質問を持っていた。


「あ、あの……大変じゃ、ないですか?」


「はい? なにがですか?」


「その、そんなに、大きいのって」


 純朴な眼差しは、悠芭のふくよかな胸部に注がれている。

 一同がぽかんとする中、舞白はまもなくハッとし、みるみる顔を赤くさせていた。


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