第8話 新たな嵐がやって来る

 二週間が経過した。もういつ怪獣が出現してもおかしくない。


 生徒たちは部隊を作った当初よりは成長している。できる限りのことは教えたし、体力もついてきている。とはいえ現状で準備万全とは言いがたい。不安はあるが、彼女たちを信じるしかない。


 ここ最近、生徒たちは疲れがたまっていた。彼女たちには一日休息するように言っている。ラミアーも無茶はしない様子だ。この前のアテナの説教が効いているのだろう。


 研究室から窓の外を眺める。夜空が広がり、風は強く、今にも雨が振りそうだ。コーヒーを飲んでいた時、近くに置いてあった置き電話が鳴る。


「……もしもし」


 受話器をとって相手を確かめる。


「私、アテナよ。おじさん」

「アテナか。どうした?」

「実は相談したいことがあって、顔を合わせて話せない?」

「電話じゃできない相談か?」

「そんなところ。私の部屋に来てよ」


 アテナの部屋か……乗り気はしないが。


「……分かった。少し待ってろ」

「ありがとね」


 通話を終わらせ、コップの中のコーヒーを飲み干す。


 俺は席を立ち、移動を開始した。


 ブルーハーバー魔法学園は複雑な構造の建物だ。白く塗装された新館なら迷ったりすることもないのだが、新館に隣接するように建つ旧館は複雑な造りをしている。さながらダンジョンだ。


 旧館に入り、ゴシックな造りの通路を進んでいく。アテナはこの旧館の一角をもう半世紀近く占拠している。彼女は多くの禁書を隠していたりするが、それは一部の者だけが知る秘密だ。


 アテナの部屋の前までやってきた。かすかに音楽が聴こえる。重厚な造りの扉をノックした。


「約束通り来たぞ。ゼウスだ」

「おじさん。勝手に入っちゃって」


 扉の奥からアテナの声が聞こえた。俺は扉のノブを回して中に入る。部屋の扉を空けてからすぐに聴こえていた音が大きくなった。人族の若者たちに流行っているノリの良い音楽だ。多くのエルフが好むようなクラシックな曲ではない。


 部屋は無造作に置かれた大量の本によって散らかっている。足の置き場にも困るほどだ。アテナが使うスペースはだいたいこんな感じになる。それでいてキッチン回りだけはきちんと片付けをして綺麗に保っているから不思議に思える。


「アテナ、どこにいる?」

「こっちよ」


 声のした方に向かうと、積み上げられた本の側に腰を下ろしたアテナの姿があった。床にあぐらをかいていて行儀が悪い。ネグリジェ姿の彼女はずいぶんだらしがないように見えた。


「キッチンが片付けられるんだから、部屋もちゃんと片付けろ。来る方も困る」

「片付けてたんだけどね。面白い本があるとつい読んだりしてるうちに散らかしちゃうのよ。今日も面白い小説を読み直してて、直さないから散らかっちゃうのよねー」


 アテナは楽しそうに語る。


「最近は部屋にレコードも増えてきて困っちゃうわ」

「それで、俺を部屋に呼んだのは、どういう理由なんだ?」


 俺も座れそうな場所を見つけて腰を下ろす。


「うん、おじさんに聞いてもらいたいことがあってさ。というよりは私の心を整理したいのかもしれないけれど」

「整理、ね。俺でよければ話を聞くくらいのことはしようじゃないか」

「ありがと。ゼウスおじさん」


 アテナは少しの間、黙って考えを整理しているようだった。少しして、彼女は話しだす。


「私さ、元々人族は嫌いなのよ」

「ああ、知ってる」

「私は学園長の……お母様の子で、お母様は二百年前の戦争で人族に破れた」


 俺は頷く。あの戦争のことは俺も悔しい。アテナは話を続ける。


「お母様は、ゼウスおじさんも、他のたくさんのエルフも、戦争に負けたあと、たくさん頑張ってエルフの立場を守ってくれていた。お母様なんて何度も過労で倒れちゃって、その度に大変だったことを私も知ってる」


 アテナが幼い頃から、彼女の回りにはエルフの立場を守ろうと必死で動く者たちが多くいた。敗れた王家の姫という特殊な環境だ。彼女がこの前ラミアーに怒っていたのも、その環境に居た経験からなのだ。


「それでね。おじさん、私はお母様やおじさんたちがこの二百年頑張ってきたのを知ってる。そのおかげで今では戦争に敗れた頃よりはエルフの立場がよくなったのも知ってる。だけど」


 アテナの表情が曇る。その表情からは悲しみと恨みが伝わってくる。


「私だって百年生きてる。そんな私が生まれるよりも、戦争はもっと古くにあったことなのに、人族は二百年前の戦争を経験した生き残りなんてもう居ないのに」

「ああ、そうだな」

「なのに、人族は今でも二百年前の戦争を使ってエルフの立場を奪おうとしてくる。あいつらにとってはもう大昔の手柄で、今でも私たちから奪えるものを奪おうとしてくる。だから私は人族が嫌い」


 でも、彼女は人族を憎みきることはできないだろう。それを彼女の複雑そうな表情が物語っている。


「人族は嫌い。嫌いなの。だのに」


 アテナは俺の目を見ていた。俺は黙って彼女を見返す。


「全ての人族が悪いわけじゃない。それも分かってしまうのよ」

「それは正しいよ」

「おじさんも、それが分かってるから、人族を嫌いつつも歩み寄ろうとはしてるんでしょう?」

「俺はそんな立派なエルフじゃない。立場上、付き合わなきゃいけない相手と付き合ってるだけだ」

「ラミアーにも、そういう考えなの?」


 俺は返事に困った。そんな俺を見てアテナは複雑そうに微笑んだ。


「答えに困ってるのが答えだよ」

「そう……なのか?」

「きっと、私もおじさんも、心の底から人族を嫌いになることはできないのよ」


 俺は黙ってアテナを見ていた。彼女は言う。


「ラミアーはがんばり屋で、ペルは最近私たちのことを考えるようになってくれてる。一人は人族で、一人は半分人族の血が入ってるけど、私はあの二人のことを今では、はっきり仲間だと思ってる」


 アテナは真面目な顔をして俺に問いかけてくる。


「ねえ、おじさんは私や彼女たちのことをどう思ってるの?」

「俺は……」


 一度自分の気持ちについて考える。考えて、俺は答える。


「俺は、アテナも、ラミアーも、ペルも、大切に思ってる。アテナのことが一番大事ではあるが、二人のことも大切な仲間だと思ってる」

「そう、同族が一番大事って言うのは正直ね」

「そうだな。」


 俺は頷いた。そんな俺に対して、アテナは穏やかな顔をしていた。


「うん、私の気持ちが言えて、ゼウスおじさんの気持ちが聞けて、だいぶ心が楽になった気がするわ」


 優しく笑う彼女に、俺はあることを言いたくなった。


「なあ、アテナ」

「なに?」

「俺は思うんだ。今まで知らなかった誰かをいきなり百パーセント信じるなんて不可能だ」

「ええ、そうね」

「だから俺たちは、その時できるところまで相手を信じるしかないんだ。相手をより深く信じるってのは、相手をより好きになっていくってのは、相手に歩み寄るってのは、できる範囲で少しずつやっていくしかないんだ」


 アテナは静かに俺の言葉を待っている。


「だからな、その。そうだな……お前も俺も今できる範囲でラミアーやペルのことを信じてはいる。俺もお前も少しずつ変わっていこう」

「それがおじさんの話のまとめってわけね」

「そうだ」


 アテナはクスッと笑った。


「おじさんは話をまとめるのがへたっぴねー。なんだかよく分からないことになってたわよ」

「そんなことは」


 言いかけて、突然の警報に遮られた。


 これは、間違いない。


「おじさん、やつが来たの!?」

「ああ、来たぞ。怪獣警報だ!」


 いよいよだ。今までの生徒たちの訓練が試される時だ。

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