第8話 解ける紐帯

 なんでか知らんが、イノシシは神に引き取られなかった。魔物がよくて獣がダメってことは、神が求めるものは魔珠か? 贅沢な神だな。

 引き取りを拒否されたからといって、命がけで仕留めた獲物を森の恵みにくれてやる義理はない。出血は思ったほどでもなかったが、血が足りねえのか目が回る。

 短刀で穴掘森猪ディグボアの腹を裂いて臓腑ワタを抜き、解体がてら切り出した生肉の端切れをかじった。寄生虫は気になるが、自分の血肉を補うのが先だ。獣人は生肉でも腹は壊さないって話だしな。


「……これがゴブリンなら、討伐証明部位と魔珠がカネになったんだけどな」


 ボヤいたところでしょうがない話だ。

 穴掘森猪ディグボアも毛皮と牙は売れるし、肉はそこそこ高値がつく。ただし魔物素材は冒険者ギルドの買取なのに対して、獣の素材は一般市場での取引だ。商人は獣人から食肉など買う気はなく、あるいは底値以下まで買い叩く。

 だったら肉は孤児院のチビたちに差し入れてやった方がいい。


「牙は取っといて、どっかで売るか。毛皮は……こりゃダメだな。ズタボロで売り物にならん」


 頭も足も、身の少ない部位はどんどん捨てる。いまの俺に、丸のままの穴掘森猪ディグボアを担いで孤児院まで三キロ以上を歩く元気はねえ。

 なんとか運べるサイズに切り分けた猪肉を背負って、俺はノロノロと森の外に向かう。めまいと一緒に高まる耳鳴りが、寄せては返す波の音みたいだ。


「これなら、“大牙兎ファングラビット”の方が割が良かったぜ」


 ずっと独り言を吐き続けるのは、死にかけたときに意識を保つチンピラ時代のクセだ。あいにく上手くはいかなかったようで、視界がチカチカし始めた。

 目の前が暗くなる。波の音が大きくなる。

 ああ、また死ぬのか。俺個人としてはなんとも思わねえが、身体を借りた獣人孤児ぼうずには悪いことしたな……。


「バレット」


 俺は、いつの間にか倒れていたらしい。

 呼ばれて顔を上げると、魔導師の外套をかぶった女が鋭い目で俺を見下ろしていた。手には使い古された魔術杖ロッド


「よお、シスター。冒険者に復帰したのかい?」


 孤児院の院長で、元B級冒険者。なにがあったか知らねえが、彼女は冒険者時代の話を一度もしたことがない。孤児たちが巣立った後で冒険者になることを止めはしないが、できるものなら他の職を選んでほしいという気持ちは伝わっていた。

 まあ、誰にだって言いたくない過去くらいあるさ。


「シェルが泣き叫んだからですよ。“にーたんを、たすけにいく”って」

「ん?」


 牙でサバかれた腹の傷に、シスターが手を当てる。淡い光が放たれて、痛みが急に治まった。これは、治癒魔法か。


「バレットは、いま領府にいるはずだと言っても聞かない。飛び出そうとして止めると死に物狂いで暴れ始めて」


 シスター・クレアはムスッとした顔で俺を見る。なるほど。猫獣人の勘か感覚器かで、シェルは俺が森に入ったことを知ったわけだ。その後こっちが劣勢になったか負傷したかまで察して、助けに来ようとしたと。


「……それで」

「縛り上げて倉庫に閉じ込めて、わたしが代わりに調べに来たんです」

「ああ。それは、悪かったな」

「まったくです」


 シスターの口調が、少し変わった気がした。正確に言えば、口の利き方が、だ。

 彼女は俺たち孤児にとって、教師であり管理者であり義母のような存在であったが。いまは魔導師の外套も相まって、老練な冒険者のようだ。


「それで」


 まだ立ち上がれず座り込んだままの俺を見下ろす目は、いままでバレットが見たことのない冷えた光を放つ。


「あなたは、誰なんです」


 彼女は平坦な口調で、俺に問う。一瞬ひやりとはしたが、いまさらだ。ごまかす気力もなければ、説明する意欲もない。


「知っての通り、人狼の孤児みなしごバレットだよ」

は、子犬のように素直で従順で、愚直で真面目で、そして臆病でした」


 過去形か。シスターは、俺がバレットでないことに確信を持っている。


「いまも臆病な子犬さ」

「笑わせないでください。いまのあなたの目は、狼です」


 人狼なんだから間違いではないが、それを言ったところで事態は好転しない。


「大人になるってのは、そういうことなんじゃねえのかな」

「それを他人事のように言う時点で、おかしいとは思いませんか。は、十五歳なんですよ?」


 だな。死にかけたことで外面を取り繕う余裕がなくなっていた。

 ここまで話しておいて口調や態度を改めたところで手遅れだろう。さらに言えば、なにをしても手遅れだ。


「ようやく自由を手に入れて、被っていた良い子の仮面を脱いだのさ」

「その結果がこれですか」


 言ってくれるじゃねえか、と思いつつ返す言葉もねえ。自由を手に入れて最初の狩りしごとで呆気なく死にかけた。間抜けにもほどがある。


「最後はなんとか仕留めたぜ? ちっこいガキどもが、半月は肉にありつける……」

「仲間を喪ってまで肉を食べたいなんて子が、ひとりでもいると思ったんですか!」


 胸ぐらをつかんで引きずり起こすと、シスターは俺の目を覗き込んで問い詰める。ぶわりと膨れ上がった怒気に、俺は思わず全身が総毛立った。


「わかった、悪かったよ。今回は軽率だった。今後は気をつける。だから、その……」

「シェルには言わないでくれと? そんなことが可能だとでも?」


 だよな。俺のピンチを察したくらいだ。おそらく俺が思っている以上に、状況は把握されている。

 言い訳は悪手だ。俺は、傍らに転がっていたイノシシ肉を指す。


「それを持って帰って、俺は無事だったと伝えてくれ。ちょっとばかり無茶しすぎたけど、シスターに怒られて反省してるってな」

「嘘をつくときは真実をちりばめる。ずいぶんと慣れてるようですね」

「ウソは言ってない。ちょっとばかり、その……不都合な部分を、伏せただけだ」

「ええ。それが嘘つきの常套句です」


 ますます疑わしげな顔になったのを見る限り、バレットは素直で正直な子供だったらしい。

 元ベテラン冒険者の魔導師は、俺を見据えて言った。


「あなたが誰で、なにをしようとしているとしても。孤児院うちの子たちを傷つけるつもりなら、ただでは済ませませんよ」


 “うちの子たち”ってのは、当然ながら“素直で真面目な本当のバレット”も含めてのことなんだろう。ゴリゴリと軋むように伝わってくる圧は、たぶん魔力ってやつなんだろう。彼女はいまの俺など、ひとひねりで殺せるほどの実力者だ。


「当たり前だ。俺は、シェルと平和に幸せに暮らす。……だから、そのために力が要るんだ」

「功を焦ると、冒険者は簡単に死にますよ」


 ああ、知ってる。その言葉を飲み込む。冒険者としてではないが、命の軽さは元いた世界も似たようなものだった。


「……まあ、いいでしょう。あまり義妹を悲しませないようにしてください」


 納得してはいないが譲歩してやるといった態度で、イノシシ肉を担いだシスターは孤児院に帰っていった。

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