第4話 小さな別れ

 孤児の朝は早い。

 正確に言うと、孤児がカネを稼ぎたいならば誰よりも早く動き出す必要がある。


「にーたん、おはよにゃ……」

「ん」


 まだ夜が明けきらない孤児院の玄関。ちょっと眠そうな顔のシェルがやってくる。俺の顔を見ようとしないのは、今日が一緒に過ごす最後の日だとわかっているから。そしてたぶん、赤くなった目を見られたくないからだろう。

 それでも泣いて困らせる気はないという決意が伝わってきて、俺はこの子猫のような娘に奇妙な好感を抱いた。


 俺たちは道中で薬草を採取しながら、領府にある冒険者ギルドに向かう。領府までは南に一里半、“俺”の感覚で言えば四、五キロメートルほどだ。あちこちに点在する薬草の自生地をたどりながらだと、移動距離は二倍程になる。


 朝摘みの薬草は日を跨いだものより鮮度が高く、買取値が良い。ただし、一定の品質を保てればだ。バレットもシェルも、街の薬師に聞いて勘どころは押さえてある。根を切らないよう丁寧に摘んで、湿らせたボロ布で軽く巻く。獣人の嗅覚で的確に薬草を探し出し、着実に数を稼ぐ。


 作業に集中するうちに、シェルはいつもの明るさを取り戻した。気持ちの整理がついたのかもしれないし、永久の別れでもないと理解したのかもしれない。俺には子猫の気持ちはわからん。まして女の子の気持ちなど理解の外だ。


 ふたりで百本を採取したころ、ようやく陽が昇り切った。この世界で時計を見たことはないが、体感で午前六時半てとこか。


「シェル、それで最後だ。行くぞ」

「あい!」


 冒険者ギルドの建物は、領府の北門から入ってすぐのところにある。内外の人間が頻繁に出入りする必要からだろうが、孤児院から来るときは近いので助かる。


 俺たち孤児や貧しい家の子供は、幼いうちから冒険者ギルドに仮登録して、簡単な端切れ仕事で小銭を稼ぐ。本登録ができるのは成人年齢である十五歳で、“天恵の儀”を受けてからだ。


「おはようにゃ!」

「おはようございます」


 ギルドも午前中の早い時間には美味しい依頼書しごとの取り合いで込み合うが、開いてすぐの早朝いまはまだ閑散としている。ふだん冒険者たちがくすぶっている併設の飲食ブースも、きれいに整えられ朝食の用意が始まっていた。


「おはようシェルちゃん、バレットくん。今日も早いわね」


 ベテラン受付のカエラ嬢が、カウンターから俺たちに微笑む。領府の大人たちのなかで孤児を蔑まない、なかでも忌避される獣人を差別しない珍しいひとだ。

 だからバレットは精いっぱいの誠意で応え、えり好みせず仕事をこなしてきた。仮登録こどもとしてはそれなりの駄賃をもらえるようになったのは、その成果でもある。

 バレットは、なかなか良くできた子供だ。その気持ちに報いるため、俺もカエラ嬢に対しては口調を改める。


「薬草、いつもの量で買取をお願いします」


 カエラ嬢は俺の差し出した薬草の品質と状態を検査して、用意してあった大銅貨五枚の駄賃を渡してくる。

 もっと摘んでくることもできるが、あまり取り過ぎると自生地がダメになる。大量納品で薬草がダブつくと値も下がる。薬草の分布と再生までの時間、薬剤の流通と値動きも見てバレットが決めた、“多すぎず少なすぎない”薬草の採取量。それが高品質の状態で、日に百本。

 俺から見ても、悪くない判断だと思う。


「やくそうとり、おわり?」

「ああ。いったん今日で終わりだ。シェルひとりじゃ危ないからな」


 いつもなら大銅貨二枚分をギルドに貯蓄、三枚分を孤児院に持ち帰るんだが。

 今日の分は全部自分の革袋さいふに入れ、シェルには三枚の銀貨を渡した。貯蓄とは別に、バレットが携帯していた緊急用の予備費おまもりだ。シェルが病気や怪我を負ったときを考えてのものだから、手放しても問題ないだろう。


「シェル、これをシスターに渡してくれ。落とさないようにな」

「あい!」


 受領確認のためギルド証を求められ、カエラ嬢に差し出す。


「バレットくん、昨日“天恵の儀”を受けたんでしょう?」

「はい。なので冒険者登録を……」

「もうできてるわよ」


 そう言って手渡されたのは、正規の冒険者用ギルド証。ひもで首から下げる、軍人用認識証ドッグタグみたいなものだ。

 すでにバレットの名前が刻印されたそれは、くすんだネズミ色の金属でできていた。


「これは……なまりですよね? 最初は石からじゃないんですか?」


 冒険者のギルド証はランクごとに、下から聖金となっている。

 バレットは十二歳からギルドに出入りしているが、ずっと木製の仮登録カードだった。


「バレットくん、ギルドに通ってもう三年になるでしょ? 依頼達成の数は千を超えてるし、評価もほとんどが“A”。実績だけならランクにも届くわ。から上は戦闘の実力試験を受けてからになるけど、あなたならすぐに上がれると思う」


 子供でもできる仕事は限られてるからな。薬草採取に薪集め、ドブ掃除に害虫やネズミの駆除、探し物や小物の配達もだ。安かったり汚かったり面倒くさかったり、ひとが嫌がる仕事ほどカネになる。

 ただし、それには真面目に数をこなしてギルドや依頼人からの評価を上げる必要があった。いい加減な仕事で評価が“”のままなら、一日働いても大銅貨一枚になるかどうか。買えても黒パンひとつってとこだ。


「にーたん、すごい?」

「そうね。“にーたん”が、ずっと真面目にがんばってきたのは、ギルドでも認めてるの」


 彼女の視線がシェルから俺に向き、優し気に緩められる。


「もちろん、わたしもね?」

「……カネのために、やってきただけですよ」


 照れくさくて、つい憎まれ口をたたいてしまう。中身は年寄りだってのに、こういうところはどうしても十五歳からだに引っ張られるようだ。


「でも、褒めていただけるのは、嬉しいです」


 ランクのギルド証を受け取って、書類にサインをする。これで正式に、冒険者としての依頼を受けられる。地下迷宮ダンジョンにも入れる。正当な手続きで、大人と同じカネを稼げる。

 さらに、ギルド併設の簡易宿泊所も利用できるのだ。寝床があるだけの窓もない箱だが、一泊でおよそ一ドル大銅貨一枚。領府の宿は高いので、カネのない若手や低級冒険者が利用する。


「今日からしばらく、宿泊所もお願いします」

「二階の奥、二十二の部屋を取ってあるわ」


 至れり尽くせり、だな。感謝の気持ちは仕事で返すことに決めた。信じてくれた相手の期待を裏切るのは、俺の信条に反する。


「にーたん、おしごと?」

「ああ。今日から冒険者として稼ぐ」


 少し寂しそうにうなずくシェルの頭をなで、くしゃくしゃと掻き混ぜる。


「お前と暮らすためにな」


 そう言うと、パァッと幸せそうな顔で頭をすり寄せてきた。

 ああ、たしか子猫っていうのは、こんな感じだったな。


 さっそく掲示板を眺めて、いくつかあったランクの依頼書を取る。

 狩猟採取系であれば単身ひとりでも行える。期限と達成個数さえ守れば、超過分はギルドで買取してもらえる。無理をしないという意味でも、この選択がベターだろう。


「これをお願いします」


 カエラ嬢に依頼書を出す。当然ながら、彼女は俺の意図にすぐ気づいた。


「狩猟と採取ね。パーティを組んで地下迷宮ダンジョンに入るつもりはない?」

「獣人と組みたがる奴はいないでしょう。こちらも、信用できない相手と危険な場所には行きたくないです」


 カエラ嬢は困った顔をするものの、俺の返答を否定はしない。

 ダンジョンに単身で入るのは自殺行為だが、獣人は差別意識からパーティに拒絶される。冒険者としての資質はむしろ人間より高いはずの獣人は、誰もが高ランクに上がれず延々と蔑まれる悪循環に陥る。

 実際のところ、過去にも獣人の冒険者はいたが、みな長続きしなかった。あきらめて他の職に就くか、ケガで引退するか、に巻き込まれて帰ってこないかだ。


 バレットの意識は明白でシンプルだった。シェルと暮らすという未来のために、危ない橋は渡らない。

 俺もそれに異議を唱える気はないけれども。昨夜“大牙兎ファングラビット”を仕留めた後の“天恵の掲示板ステータスボード”を見る限り、どうにも不安が残る。


名前:バレット

天恵職:銃器使いガンスリンガーLV1

    所有ポイント:3P(LV2の必要ポイント:32P)

天恵技能スキル忍び寄りスニーク

天恵神器セイクリッド隠し持つための銃コンシールド・ガン

    所有弾薬:10(弾薬購入ポイント:1P/一発)

天恵神託オラクル:死を糧とせよ


 特に問題なのが、「LV2の必要ポイント:32P」と「弾薬購入ポイント:1P/一発」。

 一匹仕留めるのに一発を消費したとしても収支ゼロなんだが、短銃身のリボルバーで命中率百パーセントなんてありえん。ということは、いつまでもLVアップのためにポイントをけない。売れば大銅貨五枚にはなるはずのウサギ素材も神に召し上げられるとなれば、働くほどに損しかしない。

 “毎朝の薬草採取を続ければ、大銅貨五枚は稼げる”と、バレットの意識は告げるけれども。正規の冒険者になってまで、子供の小遣い稼ぎを続けてなんの意味がある。


「……そもそも、カネも稼げねえなら、なんのための“天恵職”だよ」


 せっかく正規のギルド証を手に入れたんだから、狩猟に重点を置く手はある。

 とはいえパーティを組まず単身で狩れる獲物には限界があった。38口径のスナブノーズで倒せる相手なんて、せいぜいウサギか……。


――人間。


 俺は、ゾッとした。自分の発想に。いま俺は、なにを考えていた?


「にーたん?」


 気づけばシェルが俺を見上げていた。笑顔を見せてはいるものの、揺れるシッポは不安を表している。

 獣人は勘が鋭い。なかでも猫獣人のそれは群を抜いている。彼女には、丸わかりだったんだろう。俺が問題を抱えているのも、それを隠そうとしているのも。


「だいじょぶ?」

「……ああ、問題ない」


 カネは稼ぎたいが、こいつに顔向けできない人生は送りたくない。バレットがそう考えているのは伝わってきた。平和に真っ当な道を行くというなら俺にも異存はないが、それが実現できるかは性悪の神が俺たちをどこに導くつもりかによる。


 俺には、どうにも分の悪い賭けのような気がしていた。

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