第85話 S極とN極


 老婆を助けた騒動により、俺たちは旅館で遅めの昼食を取ることになった。勿論、シャワーを浴びて身を清めてから汚染区域で食事した。


「この後、旅館の近くを自由行動、か」


 俺は呟いた。机の向かいには青いジャージ姿のトアリが座っている。


「おばあちゃん、無事で良かったよな」


「そうですね。ホントに良かったです」


 しばらく沈黙。


「よく病院で防護服を脱いだな。顔だけだけど」


「おばあちゃんには、ちゃんと顔を見せないと、と思いましてね」


「……そうか……」


 また一歩、明るい頃の『鞘師さやしトアリ』に戻った気がして、俺は嬉しくてつい、笑みを溢してしまっていた。トアリもフッと微笑む。そしてしばらく、微笑みを交わしていた。


 思えばこんなにトアリと見つめ合ったのは初めてだった。


 トアリの目を見られたのは初めてだった。


 俺とトアリは、謎の吸引力によって、目を離すことができずにいた。


「あらあら、何だかお邪魔だったかしら?」


 不意に、部屋の入口から声が。その方を見ると、岩田先生がニヤニヤと顔を覗かせていた。


「もうすぐ旅館の側で自由時間なんだけど、お邪魔だったかしら?」


 そんなことないです! 俺たちは声を揃えた。


「あらそう? じゃあそろそろ出てきてね。クラス委員長さんたち?」


 岩田先生は顔を引っ込めた。


「何だか誤解されたみたいだな」


「まったくです。ホント、大人の女性ってめんどくさいですよねー」


 ……あなたがそれ言いますか……。

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