22 良い人

『勉強見てただけで、懐かれる ……懐かれる? ことって、ある?』


 帰ってから、三人グループのほうに、その文章を送った。で、残りの課題に手を付ける。休み時間中に終わらせられる課題は終わらせているから、残りは少ないのだ。

 少しして、スマホに通知が来た。グループにだ。


『それ、橋本ちゃんのこと?』


 桜ちゃんは橋本を、ちゃん付けで呼ぶことにしたらしい。


『そう』

『そりゃまあ、そうじゃない? 留年回避させてくれて、そのあとも勉強見てくれて。なんていうか、甲斐甲斐しい』


 甲斐甲斐しかったのか。私は。


『どうしてそう思った?』


 マリアちゃんだ。


『いや、早速というか、今日、橋本が店に来てね』

『行動早』

『実行力の塊だな』


 私はそのコメントに、ふは、と笑い。


『でさ、私が終わるまで残るって言ってきて。で、一緒に帰ることになってさ』


 一度それを送る。


『それでね、バイト中に、お客さん、エマさんとピアスについて話してたの、聞こえてたらしくてね。ピアスについて色々教えてもらってって感じ』

『行動派や これは誤字ではない』

『私もそう思う。懐かれる、という表現で良いのか分からないが。光海はそれは嫌なのか?』

『嫌ではないけど、なんで? て』

『嫌じゃないなら良いんじゃない?』

『同意見だな。上の、桜の見解にも同意する』


 そっか。ならいいか。


『ありがとう二人とも』


 桜ちゃんからは、花束を持った人のスタンプが。マリアちゃんからは、どういたしましてのスタンプ。

 私はそれに、ありがとうございました、とスタンプを返して、止まっていた課題の続きを再開させた。


  ◇


「で、橋本さん」

「ん」

「結局また、テーブルに突っ伏してますが、大丈夫ですか?」

「……まあ、大丈夫」


 橋本はムクリと起き上がり、頬杖をつく。

 場所は例の如く、学習室である。


「……あの二人、なんであんな、絡んでくんの?」


 あの二人、とは、マリアちゃんと桜ちゃんだろう。

 あれから二人は、休み時間に課題をしている私の所へと来てくれるのとともに、橋本へもちょこちょこ声をかけるようになった。そして、私も時々、会話に参加したりする。


「絡む、という程ではないように思いますけど……。ですけど、負担に感じるなら、二人にはそれとなくお伝えしますよ」


 ものを片付けつつ、言う。


「負担、つーか。いや、周りが別の意味でざわつくんだが」

「無視すれば良いのでは?」

「…………そりゃ、そうだけど」


 橋本も片付けを始める。


「そもそも、お前に勉強見てもらってた訳で。その関係で、あいつらが声かけてくるんだろうけど。……それを周りに、話すワケにもいかねぇし」

「話すことに、何か問題が?」


 橋本の動きが止まり、再起動する。


「……成川に、迷惑かかんだろ。……素行不良が特待生にたかってたってさ」

「そういうことを言う人が居たら、それこそ、先生がたに報告すべきです。私に言ってくれても良いです。別に迷惑ではない、と、きちんと説明しますので」

「……あっそう」


 そして、カメリアに向かう途中。

 私はふと思ったことを、口にした。


「橋本さん、足、速いですよね」

「ああ、一応」

「私、遅いんです。で、体育祭のですね、リレーの気が重いんです。筋力、は、また別として。速く走るコツ、とか、ありますか?」

「コツ、なあ……」


 橋本が足を止めたので、私も止まる。


「成川、今、10mくらい走れるか」

「えっ、この格好でですか?」


 今は制服姿だ。

 詳しく言えば、長袖シャツにニットベスト、キュロットスカート。足元は、スニーカーだけど。


「ああ。カバンは持つ。ゆっくりでいいから、走ってみろ」


 と、手を出される。

 大通りから一本入ったこの道は、一車線くらいの幅があるけど、人も車も、あまり通らない。今も、人も車も居ない。

 ならまあ、やってみるか、と、「では、お願いします」と、カバンを橋本へ預けて。


「ここから、ですか?」

「そう」

「では、行きます」


 と言って、走る。10mくらいいったかな、というところで、止まる。


「それで、どうですか?」


 振り返って聞く。歩いてきた、橋本は。


「息、切れてる?」


 カバンを差し出してくれながら、聞いてきた。受け取りながら答える。


「いえ、ゆっくり走ったので。カバン、ありがとうございました」

「いや。で、成川。お前の、走る時の姿勢だけど」

「はい」

「こう、腕を後ろに引くだけじゃなくて、前にも振ってたろ」


 橋本が、簡単な身振りとともに伝えてくる。


「そうなんですか」

「そう見えた。で、前に振るのは、得策じゃない。腕、なるべく体に寄せて、後ろに引くようにすると、良いと思う。あと、あんまり体揺らすな。軸をぶらさない、みたいな。……俺から言えることは、そんくらい」


 と言って、歩き出す。ので、ついて行く。


「アドバイス、ありがとうございます。やってみます」

「……なあ」


 また、橋本の足が止まった。


「俺が走ってるとこ、見るか?」


 顔を向けられる。


「え、良いんですか」

「別に、いい。じゃ、走る」

「え? リュックは?」

「そのままでいける」

「そうですか」

「じゃ、見とけ」


 言い終えた瞬間に、橋本が走り出す。ものすごいスピードで。


「こんなもんだが」


 20mくらい行ったか、というあたりで、橋本は小走りで戻って来た。あのスピードで、全然息が切れてない。


「なんというか、俊敏、ですね」


 50mを6秒で走るもんな。


「あー……これな。中学までは、ここまで気合い入れて走ること、なかった」


 橋本は、若干苦い顔をして話しながら、歩き出す。私も足を進める。


「どういう意味ですか?」

「や……そういう連中とつるみ始めてから、死もの狂いの追っかけっこが、頻繁にあってな」


 死もの狂いの。


「逃げるの、癪だったし。追いかけまくって捕まえて、を繰り返してたら、こうなった」

「それは、なんというか、壮絶ですね」


 中学の時も、逃げていたら、追いかけられて捕まっていたのだろうか。そんなことを思いながら、感想を述べる。


「……成川、マジ、良い奴だな、お前」


 なんか少しマシュマロになった。


「そうでしょうか」

「そうだよ。こんなさ、……ヤンキーだか不良だかの昔話をさ、馬鹿にもしないし引きもしないで聞いてくれる。良い奴だよ」

「それほど、良い人でも無いですけどね、私は」


 昔を、特に中学の頃を思い出しながら、言う。


「私、いわゆる不良の人たちにですね。馬鹿にされていた過去が、ありまして」

「は? いつ」

「特に、中学の頃です。ガリ勉だとか、良い子ぶってるとか、まあ、それなりに言われたりなんだりしていました。なので、不良、と言われる人たちに、苦手意識、みたいなものがあります。出来れば関わりたくないって思ってます。なので、善人なんかじゃないですよ」


 暫く、無言で歩く。


「……じゃあ、なんで、勉強見てくれてんの? てか、留年回避に手、貸してくれたのも、なんで?」


 橋本の、少し硬い声に、答える。


「以前にも、似たことを言った気もしますが。橋本さんは努力してます。それも、周りに迷惑をかける方向の努力ではない、自分を高めるための努力です。で、正直に言いますと、以前……」


 あの日を、思い出す。


「春休みの図書館でお会いした時は、少し身構えていました。けど、橋本さんは、頭を下げてまで、教えてほしいと言いましたよね。そして最後まで努力して、2年になった。それに、今もその努力を、続けている。……努力する人を馬鹿にする人は嫌いですが、橋本さんはそうではない、と、思っていますので」

「……やっぱお前、良い奴じゃん」


 声が震えているような、と顔を見れば。


「っ!」


 橋本は、こっちを見ていたらしい。ぱっと顔を背けられた。


「まあ、橋本さんが、私に対してどういう印象を持つかは、橋本さんの意思であり、私が口を挟むことでは無いので」


 顔の向きを正面に戻し、言う。


「ですけど、良い人だと言ってくれて、ありがとうございます」


 カメリアが、見えてきた。



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