21 ピアスと進路

 ヴァルターさんとウェルナーさんのテーブル周りを片付けていると、


「(光海、いいかい?)」


 エマさんに呼ばれたので、片付けの手を止め、そっちへ。

 エマさんは、今日はレイさんと二人だ。


「(光海にさ、ちょっと聞きたいことがあってね)」

「(なんでしょう?)」

「(前にも聞いたことあるけどさ、光海はピアスは着けないのかい? 落ち着いたシンプルなやつとか、似合うと思うんだけど)」


 ピアス、ねぇ……。


「(そうですね……付けている自分が、イマイチ想像できなくて。思い切ってやったら、案外、気にいるかも知れませんけど)」

「(そっか。分かった。それだけだよ。手間を取らせたね)」

「(いえ、また何かありましたら、お呼び下さい)」


 で、片付けを再開する。レイさんが、ちょっとヒント出し過ぎじゃない? と言っている。なんのヒントだろうか。そしてエマさんは、こういうのが好きなの、知っているだろ? と、軽く笑いながら言った。こういうの、とは、なんだ。と思いながら、片付け終了。んで、橋本に呼ばれた。


「はい。なんでしょう?」

「追加注文。今度はディアボロ・グルナディンと、ムース・オ・ショコラ、で。あと水も。あ、グルナディンは先にくれ」

「かしこまりました。少々お待ち下さい。食器、お下げしましょうか?」

「……ああ、頼む」


 メモって、空の食器を持って、厨房へ。伝達、飲み物、で、それを持って橋本の所へ。


「おまたせしました」

「ああ、ありがと」


 では、と、引っ込む。隅に寄る。

 ……橋本、甘いものは躊躇いがないな。シトロンとグルナディンの説明も受けなかったし。知ってるのか、プロ意識なのか。

 考えてたら、ラファエルさんに呼ばれた。橋本のだ。


「おまたせしました」

「どうも」


 あと何かあるかと問えば、トイレはどこかと。場所を伝え、他にはないと言うので、引っ込む。

 隅に寄り、少し橋本を観察する。ムースを一口食べて、何か、考え込んで、スマホを操作し始めた。

 そしてそろそろ、午後の6時半。夜の賄いだ。


 周りをもう一度確認して、厨房へ。今日の賄いはフリカッセだ。見た目はシチューっぽいけど、生クリームのクリーム煮だから全然シチューじゃない。お客さんを気にしないといけないけど、アデルさんもいるし、と思って、少しゆっくりめに味わう。食べ終わり、食器を流しへ置き、身だしなみのチェックをし、ホールへ。ベッティーナさんたちに呼ばれて会計を終え、テーブルを片付け、隅に。


 そこで、エマさんに呼ばれた。席を変えて良いかと。どこにと聞けば。橋本の隣の席だそうな。かしこまりました、と言えば、早速とばかりに二人は──レイさんは若干引っ張られてる感あるけど──その席に移動した。私はテーブルの上の料理を移動させ、他にはないとのことなので、エマさんたちがいたテーブルを片付け、引っ込み、隅に。


 と、エマさんが橋本に話しかけ始めた。日本語で。止めるか迷ったが、橋本はおずおずと応じている。軽い自己紹介のあとの話の内容は、私がここで働いてることについて。エマさんに、笑顔のまま視線を寄越され、笑顔を返す。まあ、隠すことでもないし。笑顔の意味は通じたらしく、話は続く。橋本も、だんだんと興味深げな顔で話を聞き、レイさんは呆れた顔でそれを眺める。で、話し終わったエマさんは、また英語に戻り、食事を再開した。


 時間的に、もう客は来ないかな、と思いつつ。エマさんたちの会計を終え、「(幸運を祈ってるよ)」とエマさんに言われ、「(ありがとうございます)」と、意味が掴めないなりに笑顔で返した。からの、テーブルの片付け。


 ……橋本よ。お前はいつ帰るんだ? もう7時20分を過ぎたぞ。もう客はお前だけだぞ。そう思いつつ、橋本へ、7時半でオーダーが終わることを告げる。じゃあ、と、今度はしっかり食べたいと、どの料理がいいか聞かれ、こういう時のピッカータをオススメした。橋本は、それとコーヒーを注文し。


「お前、どう帰んの?」

「午後の8時になったら店が閉まります。ので、私は帰り支度をして、裏から出ます」

「表で待ってていいか」


 なぁんでマシュマロ!


「私は大丈夫ですが。橋本さん、ずっとここに居ますけど、ご自宅に連絡はしましたか?」

「した」


 したんかい。


「では、終わったら表に回ります。オーダー時間ギリギリですので、確認含め、少々お待ち下さい」


 食器を持って厨房へ。伝達すれば大丈夫だと。それを橋本へ伝える。


「分かった」


 それからコーヒーを用意し、持っていき、引っ込む。それほどせず、ラファエルさんに呼ばれた。急いでくれたんかな。そんなことを思いながら、料理をテーブルへ。


「なあ、もう他に客、居ないんだろ。立ったままじゃなくて、そこ、座れないのか」

「……まあ、大丈夫だと思いますので、失礼します」


 と、橋本の対面に座る。橋本は無言で料理を口にして、けれどしっかり食べ、


「ごちそうさま。会計頼む」

「かしこまりました」


 会計を終え、


「表、居るから」

「かしこまりました」


 橋本は店をあとにした。テーブルを片付け、まだ少し時間あるしな、と、ホールに出ようとして。


「(光海、もう客も来ないだろうし、引けてくれて大丈夫だよ)」


 と、ラファエルさんに言われた。


「(そうですか? そうしたほうが、いいでしょうか?)」

「(前にも何度かそうしていたし。良いんじゃない?)」


 アデルさんにまで言われてしまい、


「(では、お言葉に甘えさせていただきます)」


 そして、帰りの支度を終えて、


「(では、失礼します。ありがとうございました)」


 と裏口から出た。そこからぐるりと、表へ回る。

 橋本はスマホを操作していた。


「おまたせしました」

「ん、……ん? 少し早くね?」


 顔を上げ、またスマホへ目を向けた橋本は、奇妙な顔を寄越した。


「もう客も来ないだろうからと、仰ってくださって。早めに抜けさせていただきました」

「はあ、そう」

「で、私は帰りますが。橋本さんはどうしますか?」

「帰るけど」


 けどってなんだ。


「では、帰りますか」

「ああ」


 橋本はスマホを仕舞い、歩き出す。私も歩き出す。


「……なあ、成川」

「なんでしょうか?」

「あの話、本当か。……大学、外のを目指してるって」

「それを目標にしています」

「そ。……どこの?」

「まだ、絞りきれていないんですよね。けど、ヨーロッパ方面の所にしようかと」

「んー……」


 会話が終わったのか、橋本は黙った。駅まで、あと少しだ。


「俺もさ、大学、とは限んねぇけど。外、行こうかと思ってる」


 会話再開。


「そうなんですか。どこへです?」

「……迷ってる。パティシエの修行で、行きたいから。本場を一回は、体験したい。……で、ものに出来ればって、思ってる」

「いいじゃないですか。それで、その本場って、どこなんですか?」

「フランスとか、スイスとか、ベルギー……ドイツとか。ベルギーのチョコ、日本でも有名だろ。ショコラティエ目指すなら、そういうトコだけど。俺は、ショコラ以外のも、出来れば出来るだけ、学びたいし」


 駅に着いた。


「いいじゃないですか。とても具体的ですし」


 改札を通る。


「で、橋本さん。一つ、質問、良いですか?」


 ホームへ向かう。


「なに」

「ムース・オ・ショコラ、勉強のためにも選んだのでしょうか」


 ホームに到着。電車を待つ。


「ああ、まあ、そう。……当たり前だけど、味、違うんだな」


 違うんだな、は、カメリアとの違いかな。カメリアにもムースはあるし。


「食材もフランスから?」

「ものによりますけど。ムースは……半分くらい、フランスのものだったと、記憶しています」

「半分?」

「はい、違うのはお砂糖と卵と、一部のチョコだそうです。地元のと日本のと、それぞれで試して研究して、日本のものも使うことにしたとか」

「へえ」


 と、電車が来た。二人で乗り込む。少し混んでいたけれど、二人とも座れた。私は座席の端に、その隣、左側に、橋本が。


「でさ、成川。話、変わるんだけど」

「なんですか?」

「ピアスの話、してたろ。全部聞き取れた訳じゃねえけど」


 リスニング出来たんだ、と思いながら。


「ああ、はい。してました」

「参考程度に、俺の、見る?」


 橋本が、耳が見えるようにか、オレンジの髪を耳にかけた。


「……ちらっとは見えていましたけど。ずいぶん沢山、してるんですね」


 色はどれも鈍い銀で、けど、なんか色んなとこにその銀があって、何個着けているのかも分からない。


「まあ。こっちは全部で11個。反対は9個」

「開ける時、痛かったですか?」

「場所による。こう、ポピュラー? な、この辺とかは、特に痛くなかった」


 と、耳たぶを軽く引っ張る。


「……ピアッサー、は、知ってますけど。その量や位置だと、専門家に開けてもらいました?」

「ああ。全部いっぺんに開けたから」


 合計20個を、いっぺんに。


「はあ……すごいですね」

「どうも。ピアス、着ける?」

「どうでしょうね……学校の規定では、私がピアスを着けても、問題はないんですけど。……あ、あと、マシュマロのことが気になります」

「……それは食べ物と飼い犬と、どっちだ」

「家族のほうです。マシュマロ、人を噛まないように教えこんではありますが、舐めはするので。マシュマロ、金属アレルギーはない、と、前の検査では言われましたけど。中毒とか、あと誤飲とかも、気になります」


 橋本は、少し黙ってから、


「ちっさいやつにすれば? そんでしっかり嵌まるやつ。それと、金属アレルギーが出ないやつ。チタンとか、ガラスとか、樹脂とか。俺の、全部、チタンだし」

「あ、そうなんですか」

「で、俺、選ぼうか?」

「──えっ? ピアスを、ですか?」

「そう」

「はあ、どうも。ですけど、まずは、耳に馴染むファーストピアスが必要なんですよね?」

「だからその、ファーストピアス」


 なぜにそこまで。疑問を持ったところで、橋本がこっちを向いた。


「ま、無理にとは、言わねぇけど。開けようと思ったら教えてくれよ」

「なぜに」

「開けた病院、教えるから。あと、単純に、知りたい」


 知りたい、とは。

 そのままじっ……と見られ、


「お前のこと、知りたい」


 橋本はそう言って、顔を正面に向ける。

 そこで話は終わったようで、橋本も、私も──ちょっと気になることがあって──無言のままで。

 家路についた。


  ◇


 まあ、見抜かれてるんだろうな、と、帰ってきた橋本涼は、課題をしながら思う。特にあの、エマという女性には、とも。

 自分以外の客も、店の人も。光海を名前で呼んでいた。英語以外はさっぱりだったが、その名前だけは、聞き取れた。皆、常連なんだろうか。

 自分もいつか、名前で呼べるだろうか。


「……成川、光海」


 試しに、と、呟くように、その名前を口にした。


「成川光海。……光海。…………なっさけな」


 言っていて、恥ずかしさより、心地良さが勝った。ので、止めた。

 自分はそれほど分かりやすいだろうか。橋本涼は、考える。

 ……まあ、一回人生に絶望して、そのまま勢いでグレるだけの行動力はあるんだから、分かりやすいと言えば、分かりやすいんだろう。

 課題を、埋められるだけ、埋めて。

 橋本涼は、別の課題に取りかかった。



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