23 勇斗の誕生日と体育祭

『今日は、家族からリクエストされていまして』


 と、光海はダージリンのパウンドケーキを1本買って、帰っていった。

 正直、助かったと、橋本涼は思う。質問されていたら、答える声が震えてしまう気がしたから。


「マジで情ねぇな……」


 ベッドに仰向けになり、目元を腕で覆って、小さい声で、言う。

 あの時は、図書館で勉強もどきをしていた時は。なりふりなんて、構っていられなくて。

 だから、頭を下げた。勉強の出来る人間に、それも、間接的にでも繋がりのある人間に出会えたチャンスを、逃したくなくて。

 けど、教えてもらっているのに、出来ない自分に腹が立ち、居た堪れなくなって、逃げようとした。けれど、止められた。引き留められた。引き留めてくれた。

 そう回想しながら、橋本は気付く。

 最近、自分に苛立ち、腹を立てることが、減っているな、と。


「…………ほんっと、…………情けない…………」


 光海のおかげだ。彼女のおかげだ。こんな情けない自分を、認めてくれて。直して──変えて、くれて。

 高一までの自分とは違う。当たり前だ。けど、中学までの自分とも違う、と橋本涼は思う。

 あの日、会えなかったら。あのまま立ち去っていたら。今の自分は、ここにはいない。


『橋本さんが、私に対してどういう印象を持つかは、橋本さんの意思であり、私が口を挟むことでは無いので』


 じゃあ、そうする。

 橋本は、心の中で、宣言した。


  ◇


「勇斗! お誕生日おめでとう!」

「イエー!!」


 家族全員での、合唱のようなそれに、勇斗は拳を掲げた。まあ、喜んでくれているようなので、良かった。

 今は、5月11日の夜である。勇斗の、4歳の誕生日の夜である。

 9人と1匹、全員揃って、勇斗の誕生日を祝う。食卓には、勇斗がリクエストした料理が並び、マシュマロにも、ちょっとお高いご飯を用意してある。


「勇斗。ご飯とプレゼント、どっちが先が良い?」


 母の問いかけに、勇斗は少し悩み、


「ごはん! ケーキ! で、プレゼント!」


 と、元気よく答えてくれた。ので、その流れで進む。

 ご飯を食べ、ケーキが出てくる。「はやく!」と言う勇斗を宥めつつ、ケーキにバースデーキャンドルを──2種類ともを──立て、席を立った私は、マシュマロをしっかり抱き込んで。

 キャンドルに、火が点けられる。みんなで誕生日の歌を歌ったあと、勇斗にリクエストされていたアニメの歌を歌う。

 そして、勇斗がキャンドルの火を吹き消す。……全部吹き消せるようになったんだなぁ。感慨深くなりながら、大人しくしてくれていたマシュマロの拘束を外す。マシュマロはちょっと物欲しそうに見てきたけど、頭を撫でたらまた、大人しくしてくれた。お利口さんだ。

 で、紅茶が用意され、みんなで、切り分けられたケーキを食べ、片付けて。

 さて、プレゼントだ。

 家族で打ち合わせをしているので、被る心配はない。テーブルに、全員分のプレゼントが置かれ、


「いい? いい?」

「どうぞ」


 母の言葉を合図に、勇斗は一つ一つ、丁寧に開けていく。躊躇いなくビリッと開けてくれても、それは豪快で良いんだけど。

 でも、真剣に、丁寧に、ワクワクしながら開けてくれるのも、もちろん嬉しい。

 私が用意したプレゼントは、ヒマラヤ山脈がぐるりとプリントされた、マグカップ。勇斗は色々好きだが、山も大好きだ。相手が4歳児なので、マグカップは軽く、割れにくく、レンジ対応のものを選んだ。

 勇斗はそれも、他のみんなが選んだものも、喜んでくれた。

 良い誕生日になった。良かった良かった。


 それで、先にも言ったが、今日は11日だ。そして、体育祭は今週の土曜だ。

 体育祭は、生徒の保護者や家族が見学出来るのはもちろんのこと、河南を志望する学生などが──人数制限はあるが──見学出来る。体育祭なので、主にスポーツ系の学生が見学に来る。

 橋本からのアドバイスや、速く走るコツなどを検索して得た知識をもとに、リレーの練習にも励んだ。自分なりに。少しはマシになったように思う。

 あとは、当日、頑張るだけだ。


  ◇


 体育祭当日。天気は晴天。時刻は朝の7時半。場所は学校の更衣室。

 体操着に着替え、髪をポニーテールにした私は、Aクラスを示す赤の幅広ハチマキを、桜ちゃんにリボン結びで、ポニーテールのゴムを隠すように巻かれていた。そして、それが取れないように、ピン留めされる。


「去年もだけど、ありがとう」

「良いってことよ!」


 そう言う桜ちゃんは玉ねぎヘアで、Cを示す緑のハチマキを、フレンチボウにして、ピンで左側頭部に留めている。


「けど、なんで光の三原色なんだろうな。去年も思ったが」


 青のハチマキを──これまた桜ちゃんに最低限の加工をされ、綺麗な髪飾りになっている──付けたマリアちゃんが、呟くように言う。


「差別化じゃないかな」


 私の、思ったままのそれに、


「まあ、だよな」


 マリアちゃんは、同意した。

 光の三原色のハチマキ──Aは赤、Bは青、Cは緑──は、最終的にハチマキの原形に戻せるなら、どのように加工して身に付けても、良いことになっている。私たちは全員頭に付けているけれど、腕に巻いたり、ネクタイやチョーカーみたく加工して身に付けている人もいる。普通のハチマキとして身に付けている人もいる。


「出来た! 写真撮ろ! 動画撮ろ!」


 桜ちゃんの言葉で、三人で写真と動画を幾つか撮り、マリアちゃんは、了承を得ながら、数個、それらを投稿した。


「では行きますか!」

「ああ、行こうか」

「うん、行こう」


 三人で移動しつつ、喋る。


「わーやっぱ、染まってる人、結構いるねぇ」


 桜ちゃんが、周りを見ながら言う。

 すれ違う生徒の半数ほどは、髪をそれぞれのクラスの色にしていて。メイクやネイルやピアス、カラコンやタトゥーシールなんかも、それに併せている人が多い。

 桜ちゃんも、玉ねぎヘアを留めているヘアゴムやリボンは緑で、緑のマスカラをしている。マリアちゃんと私は、ハチマキ以外に変わりはない。


「見学者の予定、変わったりしたか?」


 マリアちゃんが聞いてくる。


「私のとこは、おばあちゃんと愛流が来る予定のままで、お弁当持ってきてくれるって。あ、あと、午後から彼方と大樹が合流するかも」


 私に続いて、


「私も予定変わらず。叔母さんが来てくれる。昼はたぶん、コンビニのかな?」


 そう、桜ちゃんが言う。


「そうか。私は……あの予定通りに……」


 頭痛を起こしてそうな顔をして、マリアちゃんが言う。

 予定通りに、ということは、ベッティーナさんとアレッシオさんが来るわけだ。で、お昼ご飯担当はアレッシオさん。


「まあ、みんなで一緒に食べるんだから、良いじゃん?」


 桜ちゃんの言葉に、「まあ、そう、思うことに、する」とマリアちゃんは言った。


「そういやさ、橋本ちゃんは、どうするって?」

「え? 聞いてない」

「なんで?」


 なんでと言われましても。


「えっと、聞いてみる」


 立ち止まり、スマホを取り出し、打ち込んで、送信。


「赤組に着いたら聞いてみるね」


 と、スマホを仕舞おうとして、通知。橋本から。


『ひとり。あと、この状況』

「……なんか、よく分かんない返答が来たんだけど」


 見てもいいかと二人に言われ、画面を見せる。


「去年、居なかったよね? 橋本ちゃんは」

「うん。居なかった」

「この状況を体験するのが初めてで、戸惑ってるんでない?」


 ああ、なるほど?


「行くか? 様子見に。まだ時間あるしな」


 マリアちゃんが、時間を確認しながら言う。

 体育祭開始は8時半。生徒は一度、8時に教室に集まって、先生の注意を聞いてから、持ち場に着く。

 それで今は、7時40分になるところ。


「じゃ、みんなで行こう。お願いします」



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