19 桜とマリアは把握した

 涼、と呼ばれた。振り返れば、母が居た。小さい自分は母に抱きつき、もう一生離さないと、めいっぱい、抱きしめる。けれど、母は消えてしまう。

 気付けば、冷たくなった母が、横たわっていて。そばに寄ろうとして、かき消えた。

 葬式が始まる。こぢんまりした、親族だけの、葬式が。死に化粧を施された母の、棺桶に花を入れた。なるべく、顔の近くへと。棺桶は燃やされ、燃やし尽くされ、また、出てくる、ところで場面が変わった。


 橋本さん。


 目の前に、成川光海が現れる。


 橋本さん。応援しています。パティシエになること、カメリアを継ぐこと。頑張ってくださいね。涼さん。


 周りに見せる笑顔を自分に向け、成川光海はそう言った。

 そこで、目が覚めた。


「……どーーゆーー夢だこれ」


 橋本涼は、呟いた。そして、スマホで時間を確認しようとし、光海からのメッセージに、呻いて布団を被り直した。


  ◇


 うん。次からはああして食べよう。あの温め方のバナナカップケーキは最高だ。やはりプロのタマゴは──橋本は、その道に、詳しい。

 理数系に強い訳だ。自分だって料理はするけど、料理やお菓子作りは、実験や調合のようなものだと、どこかで聞いたことがある。


「(成川さん、立ってくれますか)」


 呼ばれ、「(はい)」と、立ち上がる。今は英語の授業中だ。


「(先ほど開いたページの、全文の音読を。このままで)」

「(分かりました)」


 教科書を持ち、翻訳と解説部分である日本語の文章を、英語で音読する。


「(終わりました)」

「(はい。ありがとうございます)」


 座る。


「(では、一度、ページを戻しましょう。そして──)」


 で、次は、体育だ。今日は少し、玉入れの練習もある。

 玉入れは競技としてあるけれど、ウチの部活に玉入れ部というものは無いし、玉入れのプロを目指す生徒の優遇措置も無い。だからか、内容は、小学校などでやる玉入れと、九割九分九厘変わらない。


 玉入れ組は、倉庫から道具を取り出し、練習のために3つに区切ってある体育館の、その一区分で練習する。

 カゴを設置し、距離を置いて玉をばら撒き、練習開始。

 わー、全然入らん。けど、一応工夫を凝らす。同じ位置、同じ力加減で何度か放る。放物線の描かれ方が分かったら、カゴを着地点にして、調節する。ほんの少し、入るようになったところで、終了の合図。残って練習する人たちの分を残し、あとは片付けて、雑務開始だ。


 私は、先に指示を受けた通りに、別の体育館へ。そこも3つに分けられていて、女子バスケと女子バレー、そして、男女混合の卓球の練習が行われていた。やるのは、玉拾いと床のモップかけ、卓球台の水分除去。雑務担当はめいめいにバラけ、それらをこなしていく。それが終わったら、残って練習する人の分を残し、片付けをその場の全員で行う。


「光海」


 転がっているバレーボールを拾っていたら、マリアちゃんに呼ばれた。


「なに?」


 ボールをカゴに入れながら応じる。


「光海はこのあと、なんの予定だ?」

「え? 運動場に行って、雑務の予定」

「じゃあ一緒に行こう。私もこれから走る練習だしな」

「了解」


 という訳で、マリアちゃんと運動場へ向かう。私もマリアちゃんも、桜ちゃんがどこに居るのかは知らない。雑務をしているだろうことだけは、確定している。

 桜ちゃんが出るのは、借り物競走だ。練習も何もない。当日まで、ほぼ雑務で、あとは全体のリレーの練習だけ。


「お、やってるな。じゃ、またあとで」

「うん、頑張って」


 ざっと見回したけど、桜ちゃんらしき人は見当たらない。別の場所かな、と思いながら、倒れた三角コーンを直したり、入り用のものを倉庫から出してきたり。と、歓声が聞こえた。見れば、走り幅跳びの所だ。誰か、良い記録を出したのかな。そう思いつつ、雑務をこなす。耳に入ってきたのは、橋本の名前。

 また君か。凄いな。そう思って、また、走り幅跳びのほうへ目を向けた。こっちを見ていたらしい橋本と、目が合う。けど、すぐに逸らされた。雑務を再開しつつ、マリアちゃんのほうを見る。

 ……うむ、人が多くてどこだか分からん。


  ◇


『放課後、時間あるか。図書室、寄りたい』


 食堂でお昼を食べていたら、橋本からそんなメッセージを受け取った。


「どしたの?」


 一緒に食べていた桜ちゃんが、聞いてくる。マリアちゃんも一緒に食べているけど、視線をこっちに向けている。


「ん、や……助け? を求められて。……ちょっと待って。送る」


 二人には橋本のことを話してあるから、大丈夫だろうと判断し、三人のグループへ、スクショしたそれを送った。


「フラグを回収している」


 と、桜ちゃん。


「大丈夫なのか? 最近の……は、大人しいと聞くが」

「んー、大丈夫だと思うけど。一緒に来る? 聞こうか?」


 スマホを振る。二人ともに、そうして欲しいと言われたので、橋本へ、その辺も含め返信する。

 そっちが良いならいいと、少し経ってから返事が来た。


「良いってさ」

「じゃ、まず、図書室に集合ね。で、それからみんなで行く。おっけ?」


 桜ちゃんのそれに頷く。


「分かった」

「私もだ」

「じゃあそれも伝えるね」


 そして、午後の授業が終わり、ホームルームも終わり。私はカバンを持って席を立ち、橋本へ目を向けた。橋本の周りには、数人、クラスメイトや他クラスの生徒が居て、このあと練習しよう、と声をかけているらしかった。


「悪い。予定がある。行ければ行く」


 橋本が答えている。のを見てから、図書室へ向かう。途中で、桜ちゃん、マリアちゃんとも合流し、図書室に到着。橋本にそれを伝えてから、


「ごめん。少し、用事済ますね」


 と、二人に言って、コピー機へ。


「なんでノートのコピー?」


 桜ちゃんが聞いてくる。


「や、渡さないといけなくてね」


 橋本に、と言おうとして。


「……マジで三人いるんだな」


 呆れているような、緊張しているような、そんな声と顔の、橋本が居た。


「ああ、今ちょうどノートのコピーを」

「それが言ってたやつか」

「そうです」


 最高速度でノートをコピーしていく。量が量なので。


「言ってたやつ?」


 マリアちゃんが、首をかしげる。


「あ、それは「成川に勉強見てもらってた」……」


 なぜに遮る。


「へ? いつから?」

「……2年になって、一週間くらいしてから」


 桜ちゃんの問いに、橋本が固い口調で答える。


「……だから、素行が良くなったって、周りが言ってたのか?」


 マリアちゃんの言葉に、


「それは橋本さんの意思だよ」


 ノートを交換しつつ言う。で、コピー再開。


「意思かぁ」

「なんだよ。言いたいことあんなら言えよ」

「いやぁ? みつみんの信頼を得てるなぁって」


 ノート交換。コピー再開。


「体育祭も、良いタイム出してるらしいじゃないか。まあ、又聞きだが」

「あ、ホントに良いらしいよ。陸上に勧誘されたって」

「なんで知ってるの?」

「え? 橋本さんから聞いた」


 ノート交換。コピー再開。


「それで、橋本さん。最低あと2冊、コピーしたいので、まずはぐるっと回って来ては?」

「じゃ、私とマリアちゃんが同行する」

「異論あるか?」

「……別に、ねぇけど」

「では行こう行こう」


 と、三人は奥へ行った。

 私はコピーを終わらせ、カバンへ仕舞い、さてみんなはどこか、と、ラインを送り、ぐるっと外回り。あ、居た。窓側の、カウンタータイプの学習スペースに、左から、マリアちゃん、橋本、桜ちゃん、で座ってる。


「おーい」


 小声で声を掛けつつ、そこへ向かう。マリアちゃんと桜ちゃんはすぐに振り向き、橋本はゆっくり、てか、ぎこちない感じで振り向いた。


「で、何話してたの?」

「んん、どういう勉強をしてのかな、とか」

「どこで勉強してたかとか」

「……それに、答えてた」

「そっか。では、橋本さん、どうします? 図書室のどこに何があるか、サラッと見ます?」

「み、たいけど……」


 橋本の視線が彷徨う。


「あ、私たちは空気だと思ってくれていいよ」

「まあ、大体同意見だ」


 そんな扱いするの? と、思ったけど。なにか言う前に、桜ちゃんとマリアちゃんは立った。


「じゃ、みんなで行きますか」


 桜ちゃんたちは、私の後ろに回る。


「では、橋本さん」


 狼狽えている感じの橋本は、それでもゆっくり立ち上がった。

 さて、図書館案内だ。どこに何があるのかを言いつつ、通り過ぎる。コピー機やパソコン、司書さんについても軽く説明する。


「こんな感じですが、どうでした?」

「膨大で訳分からん」

「まあ、最初はそんなものですよ。さっき司書さんについても話しましたけど、手っ取り早く目的のものを見つけようとするなら、司書さんに聞くのが一番だと思います」

「はあ」

「あと、何かあります?」

「分かんねぇって」

「あ、はいはい。ここと関係ない質問」


 桜ちゃんが軽く手を上げる。


「橋本、さん? くん? はさ、みつみんのバイト先、知ってるの?」

「え? や、知らない、けど」

「私も言った覚えないなぁ」

「なら、一度見せたらどうだ?」

「バイト先を?」

「っていうか、みつみんの働いてるとこ」

「はあ……橋本さん」


 橋本へ、顔を向ける。


「……なに」

「私、フランスの家庭料理を出す飲食店で働いてるんです。店の名前は『le goût de la maison』。我が家の味、という意味です。ホームページもあります。フランス出身の御夫婦が経営していて、その関係で、フランスに限らず外国のかたが常連さんとしていらして下さいます。店内の雰囲気は、大抵ゆったりとしているので、宜しければ、どうぞ」

「……分かった。……じゃ、図書室も見たから、帰るわ」

「あ、はい。どうぞ」


 橋本はそのままスタスタと、図書室をあとにした。


「みつみん」

「ん?」

「度肝を抜かしてやれ」

「え、怖いな」

「まあ、あの感じなら、変なことは起こさないだろうしな」


 変なことってなんだろう。けど、桜ちゃんの笑顔と、マリアちゃんの、何か見定めているような顔を見て、口を閉じた。



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