17 孫

 朝、起きたら、マリアちゃんから、グループへの招待が来ていた。あのラインのグループはすぐに作られたらしい。早速とそこに入って。よろしくお願いします、の、スタンプを送った。

 朝ご飯を食べ、母と父と、勇斗と彼方と愛流と祖父母とマシュマロと一緒に、ドッグランへ。大樹は友達とカラオケだそうだ。

 愛流と祖父母と一緒に、マシュマロたちが駆け回ったり窘められたりするのを眺め、写真を撮りまくり、動画を撮りまくり、11時半。


「あ、時間だから、行くね」


 と、バスと電車で帰り、ご飯を食べ、歯磨きをして支度を整え、図書館へ。

 出入り口近くのベンチに座っていた橋本に声を掛ける。


「橋本さん、おまたせしました」

「ああ」


 橋本は見ていたスマホを仕舞い、立ち上がる。

 で、そこからはもう、いつもの流れ。


「はい。そろそろ時間ですね」

「おうよ……」


 突っ伏す橋本に、少し気になり始めていたことを聞く。


「橋本さん、どうしていつも、終わったらテーブルに突っ伏すんです?」

「疲れる」

「……最初の頃なら、まだ分かりますが。あなたはだいぶ、基礎が固まりつつあります。応用も効くようになってきました。少しは余裕が出るのでは、と、思うんですが……勉強のスピード、落としましょうか?」

「やあ……たぶん、次からは、マシになる、と思う。それと、今日疲れたのは、勉強だけが原因じゃねぇし」


 ムクリと顔を上げ、橋本がこっちを見た。


「話、あるって、言ったろ」

「ああ、はい」

「カメリアについてだ」

「カメリアに?」

「そう」


 橋本が、真剣な顔になった。


「成川、お前、カメリアのパティシエ、知ってるか」

十九川孝蔵とくがわこうぞうさんですよね。お会いしたことは流石にありませんが、ホームページでの写真なら見たことあります」

「その人、俺の祖父。じいちゃん。母方の」


 祖父。じいちゃん。母方の。……橋本の?


「はい?!」


 橋本がビクリとした。けどこっちは、それどころじゃない。


「な、な、な……なんで今まで言ってくれなかったんですか……?」

「そ、れは、こう……色々、あった、から」


 今! マシュマロに! なるな!


「えぇえ……どういう感情になればいいか分かりません……えぇ……」


 なんかあったとしても! もっと早く言ってくれ!


「……嫌ンなったか」

「は? 何を」

「あの店」

「は、なぜ」


 マシュマロを増幅させながら、橋本は目を逸らし、言った。


「……俺の、家だから。今まで散々馬鹿やってた奴が、孫だから」

「別にそこは別に? どっちかって言ったら、関係者に堂々と、カメリアについて語っていたことに羞恥を覚えます。……て、あ!」


 橋本がまたビクッとしたけど!


「新作のマドレーヌ……あれは……まさか……?」

「……じいちゃんに、持たされた。ちゃんと礼をしろって」


 十九川さん、ありがとうございます。


「えぇ……もう、ありがとうございます……え、じゃあ、なんですか? 私が自分で選ぶと言う前のお礼の品は……」

「……あれは、俺の、独断」


 なぜ顔をしかめる。


「左様で……ああ、だから、新作についても詳しかった訳ですか」

「そう。……あと、一つ、いいか」

「まだ何か……?」


 橋本は顔を逸したまま、しかめたまま、マシュマロのまま。


「バナナの、カップケーキ。あのレシピの原型は、俺が考えた」

「は、……は……は、あ?」


 あの? 私が好きな? バナナカップケーキの? 考案者が? 目の前に居る、だと?


「……あの、一言、良いですか」


 椅子の向きを変える。橋本に体を向けるように。


「あんだよ」

「ありがとうございます。あのお菓子を、この世に生み出してくださって」


 深々と頭を下げた。

 ああ、今なら、ガシャクロについて語る桜ちゃんの気持ちがとても分かる。マリアちゃんにファンだと言った人の、気持ちがよく分かる。


「いえ、もう、ありがとうございます。すみません、ありがとうございますとしか言えません。ありがとうございます、本当に」


 頭を上げつつ、言う。そして、橋本の顔を、なんとか見れば。


「……橋本さん?」


 今にも泣きそうな顔で、こっちを見ていた。


「え、すみません。勢いがアレでしたか? 不快な気分にさせてしまったでしょうか?」

「……違う。逆だ。……ハハッ」


 橋本は手の甲で、溜まった涙を拭った。


「おまえ、成川、おまえ、マジ……マジで良い奴だな」

「いや、思ったことを言ったまでなんですが……」

「ああ、そうだよな。だよな。……はー……」


 橋本は、天井を振り仰いだ。


「……で、話は以上だ」


 向き直り、片付けを始める橋本を眺め、数秒。


「あ、はい。分かりました」


 ハッとして、自分の片付けを始める。


「で、成川」

「なんですか?」

「今日、行くか? カメリア」


 なぜ聞く?


「……臨時休業、とかですか?」


 前にもあった。一年ほど前に。


『諸事情により、3日、お休みをいただきます』


 と、ホームページとドアの張り紙に、そう、文字があった。

 そしてその3日と、あとから5日の計8日間、カメリアはお休みした。


「ちげぇよ。この話を聞いて、それでもあの店に行きたいかって意味だ」

「え? 行きたいですけど?」

「そうか。……まあ、お前なら、そうか」


 橋本は立ち上がり、リュックを背負う。


「待ってください。もう少しで……」

「別に、急がせねぇよ」

「どうも……終わりました。では」


 トートバッグを持ち、立ち上がる。


「えー……行きますか、は、変ですかね?」

「なんで?」

「いえ、橋本さんのご家族のお店ですし……」


 言ったら、橋本は軽く笑って、


「別に? そんなん気にしねぇわ」

「はあ……では、行きますか」

「ああ」


 そして、いつものように? なのか? 図書館を出て、カメリアへと向かう。


「なあ、成川」

「なんですか?」

「カメリア、俺が継いだら、どう思う?」


 どう……どう……?


「前途有望なのでは? バナナカップケーキ、発売されたのは私が中学2年の頃だと記憶しています。合ってますか?」

「合ってるけど」

「なら、同い年の橋本さんは、14か、その前か。もうその時既に、レシピを採用されるほどの力量を持っていたと、思うんです。なので、前途有望だと言いました」

「……あっそ……」


 ? この反応は、なんだ?


「継ぎたくないとかですか?」


 顔を向ければ、橋本は前を向いて、遠くを見ているようで。


「いや、継ぎたい。そもそも、小さい頃からの夢だった。その話も、この前……した」


 なんか、歯切れが悪いな。


「……反対されているんですか?」

「いや? 認めてくれた。思う存分やってみろって。……教えるからって」


 やっぱり、なんか、ちょこちょこ暗いな。


「私から見ると、ですが。何か、不安定さのようなものを、橋本さんの言動から、窺えてしまうんですが。何か、不安なことでも?」

「や……不安、じゃ、ない。……話せたら、いつか、話す」

「……そうですか。では、私からも、一つ」

「なに」

「応援しています。パティシエになること、カメリアを継ぐこと。頑張ってくださいね」


 言ったら、橋本は一瞬、顔をしかめて、けどすぐに、もとに戻って。


「……ああ、ありがとう」


 久しぶりに、橋本から、ありがとうを聞いた気がした。



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