7 夢が丘保育園、ガシャクロ、特装版

 パウンドケーキの説明に苦労した。今もしている。


「その子、礼儀正しいのね」


 母が言う。


「そうだね……」


 不良部分を抜かした私の説明だけ聞けば、そう聞こえるだろう。


「べはー、はれ? ほおひと」


 早速、すでに切られているパウンドケーキを頬張りながら、愛流が言ってくる。

 たぶん、「でさー、誰? その人」と聞かれたんだと思う。

 どう、言えば、いいのか。

 一瞬悩んで、ここまでしてもらったしな、と、口を開いた。


「同じクラスの、……橋本涼って、人」

「橋本、涼?」

「そう」


 母が難しい顔をしている。ああ、困らせたくなかったのに。


「……ね、光海。その子、この辺りに住んでる?」


 思ってなかった質問が来た。


「え、さあ……? 住所知らない」

「そう……通ってた保育園、覚えてる?」

「……覚えてるけど。夢が丘保育園でしょ?」

「ぼくも! ぼくもゆめがおか!」


 パウンドケーキを食べていた勇斗が、会話に参加してくる。

 そもそも、うちはみんな、夢が丘出身だ。


「だよねー、あたしもおんなじ」


 と、愛流が勇斗の頭を撫でる。勇斗は満足げな顔をする。


「でね、光海が通ってた時なんだけど」


 母が話を再開した。


「あなたと同じ年の、同じ名前の子がね。男の子。通ってたと、思うのよ。……ちょっとアルバム出してくるわね」


 話についていけず、母が棚からアルバムを──私の時の卒園アルバムを、出してくるのを眺めていた。


「で、ほら、確か、この子」


 この子、と示された子供を見る。その、集合写真のところを見て、


「……同じかどうか、分からない、ね」


 卒園アルバムは、ほぼ、個人の写真で構成されている。名前の記載も最低限。卒園する全員が映っているのも、この集合写真一枚のみ。

 それに、卒園、だ。6歳くらいだ。10年以上前の話。

 示されたのは、黒髪の子供。笑って、ピースをしていて。言われてみれば男の子に見える、みたいな、可愛い顔をしている。

 橋本の面影は、見つけられない。見つけられない、が、確認案件だ。


「まあ、そうよね」


 母は苦笑して、アルバムを閉じようとした。


「みる!」


 勇斗の声に、母の動きが止まり、


「いいよ」


 母がなにか言う前に、私から、そう言った。


「私、ちょっと、確認してくる」


 言って、パウンドケーキを一切れ皿へ置いて、それを持ち、自室へ。スマホを開く。


『橋本さん、少し、お聞きしたいことが』


 送信し、パウンドケーキを食べていたら。

 橋本から、来た。


『何』

『橋本さん、夢が丘保育園って、ご存知ですか? あ、あと、パウンドケーキ、ありがとうございます。まだ全員食べてはいませんが、好評です。私も今、食べてます』


 送れば、すぐ既読になって、少しして、返信。


『パウンドケーキは、良かった。夢が丘を知ってるとなんだ』

『いえ、母がですね。橋本さんと同じ名前の子が、そこに通っていた、と。私、夢が丘出身なんです。卒園アルバムを見たんですけど、その子が、橋本さんかは、判断がつかなくて』

『で?』


 ……。でってお前。


『橋本さんも、夢が丘出身ならですね、お互いの家が近いのでは、と。そしたら、この近くにも図書館はありますし、少し狭くなりますが、学習室もありますし。使い勝手が良いのでは、と、思いました』


 既読になったけど、返信は、来ず。画面を閉じ、残りのパウンドケーキを食べる。


「……」


 スマホが何かを受け取った。見れば、橋本。


『夢が丘だよ。近い図書館って、第三か』

「……」

『そうですね、第三図書館のことです。では、どうしますか? 第三と、本館と。どちらで勉強します?』


 送ったら、すぐ後に、桜ちゃんからラインが来た。そっちを開く。私と桜ちゃんとマリアちゃんの、3人グループラインに、


『遊び行く予定のとこさ、近くでドラマの撮影があるんだって。ちょっと見に行かない?』

『なんのドラマ?』

『ほら、あの、ガシャクロの二期。第二シリーズ』


 ガシャクロ、は略称だ。『君が喋って黒くなる』の公式略称。中身は、漫画が原作の純愛モノ、らしい。桜ちゃんのイチオシだそうだけど、私は漫画もドラマもちゃんと目にしてはいないので、詳しくは知らない。


『私は大丈夫だけど。あとはマリアちゃん待ち、かな?』


 さっきから既読は1つだけ。マリアちゃんはこれを、見てないようだ。


『おっけ。だよね』


 了解、のスタンプが来た。

 私は、踊るウサギのスタンプを送った。

 で、念のためと、橋本のを確認する。何か来ている。


『第三』

『で、頼む』


 了解です、と送った。


  ◇


「み、見えない……」


 桜ちゃんが、悲痛な声を出す。


「まあこれだけ遠くて、人がいれば、な」


 マリアちゃんが達観したように言う。

 あのあと、マリアちゃんからもOKが来た。

 ので、撮影開始より少し早めに行こう、と、そこへ向かった、んだけれど。

 規制され、撮影場所が確保されてるのは分かる。けど、この、ごった返すように居る人たちは、なんだ。みんなファンか?


「……ちょっと、提案、なんだけど」


 二人にこそっと言いつつ、スマホを見せる。


『上から、少し遠くでも良いなら、近くのビルから見るのは?』

『どれ?』


 と桜ちゃん。

 撮影場所は、大通り。両側には建物がズラリ。の、さっき撮った、一つ奥の背の高いビルの画像を、送る。


『ここ、本屋入ってるでしょ? 窓側に行けば、見れると思う』

『いきたい』


 マリアちゃんからも、OK。

 という訳で、移動。同じ考えの人が何人かいたのか、窓から撮影場所を眺めてる。双眼鏡で見てる人もいる。けど、三人で窓側に寄れるくらいには、隙間がある。


「どう?」


 小声で聞いてみる。


「めっちゃ見える」


 桜ちゃんも、小声で返してくれる。で、双眼鏡を取り出した。君もか。


「事前に調べた?」


 マリアちゃんの言葉に、首を振る。


「目に入って、こっちを、現場を見てる人が見えたから。いけるんじゃないかって。……で、なんでこんなに人がいるの?」

「ガシャクロだよ? 二期だよ? 第二シリーズだよ? あの、すごいクオリティのスタッフさんのまま、あの最終回の続きの、第二シリーズだよ?」

「ほう」


 人気作なのは、桜ちゃん経由と、本屋で原作のコーナーを目にしていたから、認識してたけど。そんなになのか。


「漫画の部数、100万超えだそうだぞ。SNSでも、ファンをよく見かける」

「ほう」


 と、そこに、近付いてくる人が。


「あ、あの、三木マリア、さん、ですか?」

「あ、はい。三木です」


 マリアちゃんは即座に、その人──茶髪ショートで綺麗な、たぶん、少し年上の女性──に体ごと向いた。私はそれを見てから、窓の外へと目を向ける。


「あ、あの、突然すみません。わたし、三木さんの、ファン、で」

「そうなんですか。ありがとうございます」


 マリアちゃんの声が、ふわ、と柔らかいものになる。ファンの人は、あわあわした声で、


「あ、あの、応援、してます。……その……」

「ありがとうございます。……撮りますか? ご一緒に」

「い、良いんですか……?!」

「もちろんです」


 で、撮った、らしい。握手もしたらしい。

 ありがとうございました、突然、すみませんでした。と、聴こえて。いえ、こちらこそ。とマリアちゃんが言った。


「……さて」


 マリアちゃんが、もとの位置に戻って来る。


「ファンの人、行った?」


 小声で聞く。


「うん。撮影は?」

「なんか始まったっぽい」


 二人の男女が、大通りを歩いていく。ダブル主人公役の二人に見える。と、そこに、短い銀髪の人が走り寄って来て、そのあとを追いかけるようにもう一人、長い黒髪の人が追加された。


「と、撮りてぇ~……」


 双眼鏡から目を離さないまま、桜ちゃんが呟く。けど、撮らないということは、撮るな、と公式が言ったんだろう。

 銀髪の人が何か言っているようで、主人公の男性のほうが宥めているらしい。のを、もう一人の主人公が慌てながら、手を出せず。みたいなところで、黒髪の人が銀髪の人を、蹴り飛ばした。

 け、蹴り飛ばすんだ? と、驚きながら見ていたら、役者さんたちの動きが変わる。スタッフさんらしい人たちが寄ってきて、何やら話したり、髪を整えたり、蹴ったところの確認をしたり。


「……一区切り?」

「たぶん」


 双眼鏡のまま、桜ちゃんが。


「だと思う」


 と、マリアちゃんが。


「これ、あと、1時間続くんだっけ? そのまま観てるなら、私、本屋回ってて良い?」

「みつみんが良いなら」

「私は、もう少しこのままで」


 二人にオッケーを貰ったので、本屋を回る。初めて来る本屋なので、まずはサラッとひと通り。それほど広くないな、けど、結構色々あるな、思っていたら、ガシャクロのコーナーがあった。


「……あ」


 8巻目に、銀髪の人が。その次の巻に、長い黒髪の人が。


「この人たちか」


 因みに主人公たちの髪は、男性は黒髪だけど短く、女性は肩を越すくらいの茶髪だ。

 把握したそれらから視線を外し、本屋探検を再開する。

 そして、お宝を見つけた。


「ど、どうして……」


 震え声を出してしまい、ハッとして口を閉じ、その本を手に取る。

 それは、この前図書館で借りたロマンスミステリーの作者が、一番最初に出した本。しかもここにあるのは、その特装版。この人の作家歴は長く、私が生まれる前から本を出している。だから私は、この本を、しかも特装版を、ナマで見るのは初めてだ。


「すごい、状態良い……」


 古いものなので少し日焼けしているけど、それくらいに見える。ネットや古本屋で見たボロボロのと、大違いだ。しかも、この本は、特装版と通常版の値段が同じなのだ。装幀も違うし、中には補足エピソードと後日談があるのに。図書館にもなくて、リクエストを出したけど、入手が不可能に近いと言われて。これを、買わない理由などない。

 速攻で買って、カバンに仕舞う。

 なんという掘り出し物だろうか。

 と、ホクホクしながら時間を確認し、40分以上経っていることに気付き、戻、ろうとして。

 人が、増えている。ごった返してはいないけど、増えている。

 これじゃ、戻れないな、と、グループラインに


『人多すぎて戻れない。本屋の外で待ってる』


 と送り、本屋に入る時に目に入った、入口の椅子に座って、本は帰ってから楽しもう、と、イヤホンを着け、音楽を再生した。


  ◇


「みつみん、良いことあった?」


 撮影が終わり、合流し。コーヒーチェーンに入り、注文したものを受け取り、席を確保してくれていた桜ちゃんの所へ行けば、そう聞かれた。


「あった」


 と満面の笑みで答え、席につく。


「や、あの本屋にね。掘り出し物のお宝がね、あった」

「掘り出し物の、お宝か」


 マリアちゃんも座りながら、言う。


「そう。本が。手に入らないと諦めていたこれが」


 カバンから特装版を出し、仕舞う。


「えっ速。よく見えなかったよ?」

「いや、でも、汚したくないし」


 ここ、飲食店ですし。


「それ、なんの本なんだ?」

「ミエラ先生が初めて出した本、の、特装版」

「ああ、光海が好きな」

「そう」

「みつみん、好きだよね。その人」

「桜ちゃんがガシャクロを好きなのと同じだよ」

「うむ」


 で、道中でも語ってくれた桜ちゃんが、また、さっきまでの撮影と、作品について語って。私は特装版について語って。マリアちゃんは、ドラマの役者さん──俳優さんたちについてを喋った。

 私は、ガシャクロについてと、その俳優さんたちについての知識を、新たに得た。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る